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【芸能・社会】森繁語録2009年11月11日 紙面から ◆「映画界というのは不思議なところで、ひとつ当たったとなると、そればかり。何かというと三等重役のイキでやってくれと注文がくる。いつも同じ押し出しの芝居ばかりやってた日にゃ、マンネリズムになっちゃう」(1953年2月、映画「三等重役」大ヒットの感想) ◆「芸術的興奮とかなんとか称していますが、役者なんてやっぱり、どこか常人と神経が一本狂っているんじゃないかと思うんです」(54年7月、「役者の哀愁」について) ◆「金もほしい、人気もほしい、いい映画に出たい、放送でも楽しい仕事をしたい、なんて三つも四つも欲張ると、どこかで破綻(はたん)が起きる。どれかを捨て、一つに集中しなきゃいけない…などと口ではいうけど、そういうボクがあさましいほど欲だらけ」(55年12月、東京新聞「森繁久彌芸談」) ◆「日本人の俳優は、どんなにやっても、日本人に生まれたという条件から、一歩も出られない。私は日本人ということを、動かすことのできない絶対性として、仕事の基盤に考えています。だから森繁は、誇りを持って日本人くさい芝居をしたい」(63年6月、翻訳ミュージカルについて) ◆「ぼくは40年のうち、約25年を下積みでなく“花”で生きてきた。口はばったいかもしれないが、若い人に、60すぎるまで第一線にいろよ、という」(76年2月、芸能生活40年、森繁劇団15年で) ◆「“馬さん”という役名だと思ったら、同じ“馬”が、もう一人いる。“馬の足”だったんですよ。あれ、入ってみると臭いもんだよ」(76年8月、デビュー当時の東宝新劇団時代の思い出) ◆「舞台は、客席が支えてくれる。私たちは火のついた薪(たきぎ)を背負っています。お客さまがウチワであおってくだされば、もっと燃えますよ」(80年5月14日、帝劇「屋根の上のヴァイオリン弾き」400回に) ◆「いつまでも、いい役にしがみついていないで、次代の人にバトンタッチしないと、演劇は衰退してしまうんじゃないか。新陳代謝が必要なんですよ、演劇界にも。もう年だし、死に場所の整理といっていいか……」(86年3月、「屋根−」の最終公演を前にして) ◆「狭き門ですが…ともかく一つの門が開いた。私たちの仲間が、どんどんこの門を通ってくれれば、喜ばしいと思うんですよ。いい機会だから役者やめろ、なんて声が出るかもしれませんがね、私、やめませんよ」(91年10月、文化勲章受章記者会見で)
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