2009年08月07日
オードリー
――オードリーのこれまでのネタを詰め込んだ初DVDが出るということで、今日はオードリーの歩んできた歴史を辿っていきたいと思います。まず、ご自身ではこの波乱万丈の9年を振り返ってどうですか?
若林「20代は……思い出したくもないですね(笑)。いい思い出がほとんどないですもん。テレビに出たのは2008年の元旦が初めてなんで」
春日「そうでございますね。春日はK-1(07年に参戦)とか潜水(06年当時、テレビ朝日『Qさま!!』の企画で潜水に挑戦。結果、日本5位を記録)とかもいろいろやってきたので、それがあるから今の春日があるんだって思いますね。」
――そうしたことがすべて未来に繋がっていくんだって、当時は思ってましたか?
春日「当時は……どうですかね~」
――緑のモヒカンにしたり(笑)。
若林「ああ、よく知っていただいて(笑)」
春日「当時のことはハッキリとは覚えてないですけど、まあムダにはならないだろうなとは思ってました。なかなかほかの人はできない経験でございますからね」
――オードリーには特定の師匠がいませんが、お笑いのルーツというと何になるんでしょうか?
若林「僕らショーパブの『そっくり館キサラ』ってところに6~7年出てたんですけど、ショーパブっていうのは普通のお笑いライヴと違って、酒があって、食べ物があって……タバコも吸えるんで、お客さんが名前を知らない芸人が出てくると、興味持たないんですよ、まず。で、タバコ吸ったり、横の人と話したり、お酒作ったりして。で、客席は暗闇なんですけど、ちょっとスベリだすとタバコに火をつけるライターの火が見えたり、お酒を作る“カラン”って音がしたり。もっとスベってくとオチ前に『がんばれー!』とか言われますから(笑)。そういう経験から、まず春日が胸張って遅れて出てきて、上から発言したり……。とにかくこっちに注意を向けてもらうっていう作業が必要になったので。そういう意味では、キサラに出てなかったら今のスタイルはなかったと思いますね」
――モデルになるようなものはなくて、何もないところから出来上がっていった芸風だと言えるんですか?
若林「最初はコントとかもやってたんですけど、なかなか上手いこといかなかったので。あと、違う環境でやりたいなってことも根っこの部分では思ってて。10代、20代の男の子と女の子が見に来るお笑いライヴで、そこそこ顔もファッション・センスもいい芸人が出て、っていうのではなくて、ヤジとかが飛んでくるような環境でやりたいなっていうのはありました」
――こういう漫才やりたい、っていう目標はなかったんですか? 例えば関西の人なら“やすしきよし”とかを目指すような。
若林「最初は爆笑問題さんとかくりぃむしちゅーさんとかが僕らは好きだったんですけど、上手くいかなかったんですね(笑)。春日がツッコミで僕がボケだった時はまったくウケなかったんで。だからそこを解体して、理想をなくして、自分たちの内側から引っ張ってくる、っていうように考え方が変わったところはありますね。というか、そうせざるを得なかったんです」
――それがボケとつっこみを逆にしたことで独特の「ズレ漫才」ができ、07年の終わりくらいから次第に結果が出るようになってきましたよね。この時期、何をつかんだんですか?
若林「多分、渡辺正行さんが僕らの味方になってくれたっていうとこから変わってきたと思いますね。それまではウケなかったんで、後半はずっと踊ってたり、そんなことばっかりしてましたからね。06から07年の間がヒドかった、とにかく(笑)。いや、05から06年がヒドかったのか」
春日「そうでございますね。その頃ちょうど春日はモヒカンにしたりとか、髪の毛の額の横の部分を剃ったりしておりましたから(笑)ええ」
若林「そうそう(笑)。あと迷走しまくってて、ふたりで顔にマジックでホクロいっぱい書いて出てったりとか、俺が3分漫談やって4分目に春日が出てきたりとか、お互いの一番低い声で漫才やったり(笑)。ライヴのアンケートとかも一切読まなかったし、事務所の人に言われたことも『どうせ辞めるんだし』って思って、あんまり聞いてなかったですからね(笑)」
――02年に出たNHKの『爆笑オンエアバトル』は113キロバトル、という稀に見る低い結果で(笑)。
若林「100キロ台を3連続で出したって、いないんじゃないかな(笑)」
春日「……そうでございますかね」
――7回連続で落ちた人はいないです。
若林「いないでしょう(笑)」
春日「初オンエアまでに7年かかりましたからね。ハハハ」
――ちなみにこの時、若林さんは芸人を辞めようと思っていたんですよね。
若林「思ってました」
――でも春日さんは辞める気はまったくなかったそうで(笑)。
春日「はい、そうでございますよ」
――それはなぜですか?
春日「まあテレビとかでも言ったことあるんですけども、まだ本気出してないっていう(笑)」
――そんな段階まで本気出さなかったんですね(笑)。
春日「自分の中で本気出してる感がなかったんで。本気出してダメだったらダメですけど、その時点ではそんな意識もなかったんで」
――それは“環境が整ってない”っていう判断ですか?
春日「まあ、環境なのか、自分の出し方がわかってなかったのかわからないですけども……ええ」
――若林さんは、それを聞いてどう思ったんですか? まだ本気出してないなんて言われて。コンビの間で相当な温度差がありますけど(笑)。
若林「うーん……何て言うんだろうな。多分(春日は)性格的に、ギリギリの努力とかするタイプじゃないんで……僕は『言ってる意味がわかんない』って感じだったと思うんですよね。5年やって、ライヴにも出ないし、テレビに出るような結果も出てないし、同級生なんかも『もう辞めたら?』なんて言うし。同期ももっと上行ってる状況で、辞める材料は整ってたと思うんですけど、春日はあんまりそういうところで『自分の力がないんじゃないかな』っていうところにはぶち当らなかったのかな。そういう意味での“本気は出してない”って発言だったのかもしれないですね。出せる場がないという」
春日「ええ、そうでございますねー」
――出会った中学の時は、友情で結ばれた関係性だったと思いますが、それがコンビになってこういう形になって。今でもふたりの間に友情はあると思いますか?
春日「う~ん……そうなってくると、『友情って何かね?』って話になってきますね。まあ関係が変わったってことはないですね。今回のDVDに入ってるネタも、基本的に部室とか教室とかでやってたことが根底にございますんで」
若林「うん、ないですね(笑)」
――なるほど。確かにオードリーは仲のいいコンビとして知られていますが、上手くやっていく秘訣って何なんでしょう?
若林「あのね、僕、最近気づいたんですけど、僕がネタ書くじゃないですか。でもこの人(春日)は『俺はこうしたい』っていうのは一切ないんですよ。例えば、『裸で、油まみれになって』って言われても『いいでしょう』って言って、本当にやってくれるんです。『俺、それキャラ違う』とか、『俺じゃないでしょう』って言われたら多分衝突すると思うんですけど。『ピンクのベスト着て、テクノカットにして胸はってゆっくり出てきて』って言ったら、普通『ちょっと待って』ってなるじゃないですか(笑)。『ゆっくり出てくるって、何それ?』っていうのが一切ないですからね。だから衝突がない」
――春日さんが、コンビの方向性とかネタに関して余り口を出さないのはどうしてですか?
春日「ん~、何でなんですかね~」
若林「いや、(意見が)ないんだろ(笑)」
春日「いやいや、やっぱり“プレイヤー”って意識があるので、演じる側だっていう。だから設定とか与えられた中で、『じゃ、春日はどれだけできるのか?』って具合に、まず“春日”に目が向くわけですよ。『春日にこれはできんのか?』って言われた時に、一瞬ですけど『んっ?』て思うこともあったりしますが。でも行けなかったらウソだろうっていう感じになってくる。春日でございますからね」
――基本的に、若林さんの要求に100%の状態で応えるっていうスタンスですか?
春日「そうでございますね。それを100まで上げる作業が春日の仕事だと思ってますから。ただ、台本が悪すぎたら演じないこともありますよ、さすがに」
若林「フフフッ(苦笑い)」
春日「そういう難しいネタだったりすると――難しいっていうとアレですけど、春日に“合ってない”ネタっていうのもあるっちゃあるんですよ。初期にやってた漫才だったりとか」
若林「いちばんイヤな時間ですね。台本書いて『これやるんだけど』って渡して、春日が目を通してる時間が(笑)」
――オードリーのズレ漫才っていうのは、本来マニア向けというか、トガったものが好きな人に支持されるものなはずなんですよね。それが爆発的に売れるという現象がかなりオルタナティヴだと思うんですが。
春日「そうですね。今は危険な状況なんですよ。100人いて、そのうち20人が強く笑う漫才だったんですけど、今はそれが100人が100人笑ってしまう漫才になってしまって。それは非常に危険なことだっていうのを……(島田)紳助さんが言ってました(笑)」
若林「ああ、それだったら大丈夫です(笑)。自分の意見のように言ってたら、指摘しようと思ってたけど」
春日「思ってたことを先に言われてしまいました。紳助さんに」
――でも、春日さんにもそういう実感はあったわけですね。
春日「ええ。春日も薄々感じてたんですけども、言葉に置き換えてくれたのは紳助さんです」
――売れないとわかんない不安とか苦悩とかもありますよね。
若林「うん。漫才を作る時間と、出さなきゃいけない機会っていうのとが釣り合わないな、っていうのは常にありますね。僕ら、量産できるタイプのコンビじゃなくて、結構時間をかけて1本作るっていう感じなんで、そういう不安はすごいありますね。今は65点ぐらいの状態で勝負をして、結果を出さなきゃいけないっていう状況が多いんで」
春日「春日は、春日が“ポップ・スター”になっていってるんじゃないかって不安は常にありますね(笑)」
――マイケル・ジャクソン的な?
春日「そうでございますね。ロックでやってきたのに、ポップになっちゃってんじゃねえかって。それはどうなんだ?っていうのは常に問うてますね」
若林「これはやっぱり、その~……今、聞いてて思いましたけど、僕も春日も同じ状況ですけど、僕とだいぶズレがありますね(笑)。その辺が漫才にも出てるのかなって気もしますね(笑)」
春日「今回のDVDの中にも入っている“裸のスタイリスト”のネタだとか、“アメリカン親父”だとか、あのあたりもできるよっていうのを知っていただきたいというのはございますね」
――ああ、アヴァンギャルド感が出てるキモキャラ系のネタですね。
春日「ええ、ヌルヌルのもあるよ、って(笑)。そこはやっぱり見ていただかないと、“春日”というものが表面だけの理解になってしまいますのでね」
――オードリーの未来は、どういうヴィジョンになってるんでしょう。
若林「結局、勝負どころっていうのはまだ来てないんだと思ってますけどね。ホントに勝たなきゃいけない勝負の時っていうのは。まだまだこれからなんだろうなって思いますけど」
――漫才はどうですか? 70歳まで続けます(笑)?
春日「(笑)それは、今はわからないっていうのはありますよね。春日が明日どうなるかわからないですからね。どっちの方向を向くのか。今はお笑いというものをやってますけど、明日はもしかしたらF-1レーサーかもわからないですからね。極端な話ですけど。だからお漫才をやらないつもりはもちろんないですけども、必ずやるっていうのも無責任な話になってしまいますからね。とりあえずは、春日の可能性っていうのはまだまだ残ってるんですよ。その可能性を探っていきたいですね。余白の部分を埋めていく作業を」
――では具体的に言うと、次に挑戦したいこと、達成したいことっていうのは決まってるんですか?
春日「うーん、そうでございますね。基本的に春日のコンセプトとしては、“人が見たいもの”をやりたいんですよ。例えば『素人がK-1のリング出たらどうなるんだろう?』とか。それを叶えてあげたいんですね。『バンジージャンプを紐なしでやったらどうなっちゃうんだろう?』とか」
――死にますよ、そりゃ(笑)。
春日「その死ぬ様を見てもらいたいというか(笑)。こんなことになるんです、人間っていうのは、っていうのをやりたいです」
――若林さんはどうですか?
若林「僕らの漫才の形、システム自体が疲弊してくる時が必ず来ると思うんで、その次とか、次の次とか――要は前に“進化するための脱皮”をすることが、たぶん……ズレ漫才というものを作ることよりも、もっと難しいような気がするんですよ。今は全然、そこに亀裂すら入っていないので、その勝負で勝てるかどうかっていうのが分かれ道になってくるんだろうなって気がしてます」
――「春日は何をやっても春日」って言ってましたけど、芸人でなければ何をやってたと思いますか?
春日「なんでございますかねえ。うーん……」
若林「僕、映画館でバイトしてたんですけど、映写さんって朝来て、お茶だけ持って映写室入って、7時45分とか9時に終わるまで、一切映写室から出てこないんですよ。それすげぇうらやましいなあって思ってて。誰とも喋んなくて(笑)」
――職業的引きこもりですね。
若林「はい。で、結構専門職だし、よっぽどのことが起こんない限り、(フィルム)回し出したら新聞とか読んでたりするんで。映写技師になりたいなっていうのはバイトしてる時思ってましたけどね」
春日「春日は……まあお笑い番組のプロデューサーでしょうかね。ええ」
――それはいつも言ってますね。でも、ネタとかにあまり口出さないって人が……プロデューサーってそれがメインの仕事だと思うのですが。
春日「そうなんですけど、プロデューサーの場合は“春日”というものは視野に入れてないですからね」
――ああ、そっかそっか。
春日「数多いる芸人を、顎で使いたいと思ってますから。そこに春日というものが入ってきちゃうと、それはまた別の話で」
若林「(黙ってニヤニヤ笑っている)」
春日「プロデューサー目線で行けば、やりたいことはいろいろ出てくるんでしょうね」
――よく、春日さんは「時代が春日に追いついた」と言いますが、それはお笑いの流れとか、時代の潮目とかを踏まえた上での確信だったのでしょうか。
春日「流れというのは特に読んでないですけども(笑)。読んだ時点で自分がそっちに寄ってっちゃいますからね。だって春日は常にこれまでの8年間存在してたんですよ。そこに時代が勝手に来た、と。それが『本気を出せる』って発言につながるところなんでしょう」
――なるほど。では最後にひとつ。春日さんのトレードマークになってるテクノカットは、元々、若林さんが切ったんですよね。なぜ、この髪型に?
春日「なんかの流れで『もみあげっていらねえんじゃねえか』って話になって、『じゃあ、取っちゃお取っちゃお』って(笑)。『でも、もみあげがないとキツイでしょう』みたいな話になったんですけど、そこでみんなの『見たい』っていう空気を感じたんですよね。『いや、やるよ』という具合になりまして。ええ。自分としてもグッとくるものがあったんで、やりましたね。それに伴い、額の横の部分も剃りました(笑)。そもそも、もみあげ落としたのも、もみあげって、人の目を意識してるんじゃないか? カッコつけてんじゃないか? と思ったからなんです。それと同じで、額の横も部分もキュッとなってるカーブの具合とか、人の目を意識してるんじゃねぇかって。そんなわけで剃ったら、ヘルメットみたいになったんでございますね(笑)」
若林「ウォーズマン(マンガ『キン肉マン』のキャラクター)みたいになっちゃって(笑)」
春日「で、『これはちょっと違う、オモシロになっちゃってる』って、やめたんですけども。ええ(笑)」
若林「それが『下積みをこじらせた』って浅草キッドさんがおっしゃってましたけどね(笑)」
春日「これ、原宿のカリスマ美容師にほめられたんですよ。髪を7:3に分けてのテクノカットって新しすぎるだろ、と(笑)。『スタイリストの人ついてるんですか?』ってきかれましたけど、『いや、自分でやってます』って言ったらすごいびっくりされましたね(笑)。で、今、その人、いろんな人に『テクノカットしませんか?』って勧めてるんですって。100パー断られるって言ってましたけど(笑)……。そらそうだろう(笑)!」
AUDREY / オードリー
1978年東京都生まれの若林正恭と79年埼玉県生まれの春日俊彰によるお笑いコンビ。2000年4月に所属事務所主催のライヴに、「ナイスミドル」というコンビ名でデビュー。その後、05年にオードリー・ヘップバーンから採った「オードリー」に改名した。08年のM-1グランプリで準優勝し、その後大ブレイク。現在は、『スクール革命!』(日本テレビ)『キャンパスナイトフジ』(フジテレビ)などでレギュラーを務めている。
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