August 2001
『ブリジット・ジョーンズの日記』 『BJ』こそ、古典的少女マンガと現代的ダメ女コミックが合体した最強爆笑コメディである。 |
Oh, how so very Japanese! --- on Bridget Jones' Diary, the film |
『ブリジット・ジョーンズの日記』(以下、BJ)の邦訳版は本当にもったいなかった。 96年初版当時に英語版を読んではまったわたしは----ついでにいえば一晩で一気読みした後、わたしに訳させろ!と思っちゃったりしたのだが----、日本語版もベストセラーと聞いて、そーだろそーだろと悦に入っていた。 えー何で?と邦訳を手に入れて納得した。読みにくいのだ。 あの翻訳では、イギリス文化に相当精通してるか、エンタメ小説でも行間を読みにいく、根性のある読み手でないと共感しにくいと思う。 英語版、面白いのにぃ。ほんともったいない。 で、これは持論なんだけれど、そもそも『BJ』は日本でこそ受け入れられるべき本だった。 「売れる」だけでなく「理解される」べき作品だったはずだ。 よく考えてみて欲しい。世界が驚愕した『BJ』、すなわち「ダメ女の日常」が表現のジャンルとして世界一成熟しているのは、この日本だ。 たとえばコミック。『ハッピーマニア』はそのまんま『BJ』だし、その他にも『OL進化論』、西原理恵子、まる子……。エッセイなら一昔前の林真理子、最近では中村うさぎ……。 しかし、単行本で挫折したあなたにも、いや、そんなあなたにこそ見ていただきたいのがこの映画ヴァージョン『BJ』だ。なにしろ原作をあっさり超越し、ずるいほどラヴな映画に作り替えられているのだから。 ***
何がずるいって二大ハンサムによる二大「理想の男」競演ラヴ、そこがずるい。 原作のプロットを大幅に改変し、小説ではブリジットに絡むセクハラ上司でしかない、脇役の編集局長ダニエルのキャラを立ててヒュー・グラントを起用。対するブリジットの「青い鳥」男にして精悍な弁護士マーク・ダーシーはコリン・ファース。
これによって<チャラチャラした業界人vs正義の味方の人権弁護士>、<ワイルドvsスウィート男>、アンアンなら<寝たい男vs結婚したい男>、極言すれば男性版<娼婦と淑女>という相反する「理想の恋人」像の対比を際立たせ、そのうえ、現代英国プチ中年俳優界における二大巨頭がイイ男っぷりを競う、というとんでもないストラクチャーを生み出した。
(1) 娼婦 ヒュー・グラント 個人的にはヒュー・グラントがいい。 映画版『BJ』関連のインタビューでもミスター・ナイスガイに飽きたから悪役に挑戦した、と好青年脱皮宣言をしている通り、早い話がハンサムでスケベな女たらしという典型的な「女の敵」キャラを好演、いや、怪演。わたくしは登場シーンのタレ目エロ・キラー光線で早くもノックアウト、椅子からすべり落ちた(マジ)。
(2) 淑女 コリン・ファース さて、一方の「淑女」男役のコリン・ファースも、よく考えると今までのラヴコメ方程式を逸脱した魅力を放っている。 ところがそこにコリン・ファースだ。『アナカン』時代のコリンを覚えている方は大人になったわねえ、と感慨にふけるかもだが、いまのイギリスでは大ヒット恋愛大河ドラマ『高慢と偏見』(邦版DVDあり)のダーシー卿役で全女性を悩殺した英国女の「心の恋人」。 *** そう、いないのだ、現実には存在しえない理想郷のイイ男、それが二人揃ってブリジットを、ミーハーでおっちょこちょいで小デブですらあるブリジットを追っかけまわす。もうおわかりでしょう。要するにこの映画、動く少女マンガなのだ。 この英国製少女マンガの主人公(ブリジット)にちょっとでも感情移入できない25才以上の女性は、断言してもいい、自分にウソをついている。衰えゆく肉体と戦うのはもう宿命だし(デート前はガードルか勝負パンツかで一騒動)、普段はもうちょっとマシな音楽を聴いていても失恋という非常事態には居直ってベタベタの悲恋ソングを熱唱する(全女性が涙するであろう冒頭の"ひとりぼっちのあたし"独唱シーンは要するにカラオケでテレサ・テンを歌っちゃうアレだ)。 あたしはあそこまでバカじゃない、あなたはきっとブリジットを笑う。 でも、すぐに気づくのだ、なんだ、一番笑えるのは、そして笑わなきゃいけないのはダメなあたしじゃないの。 そしてしつこいが、二人の美男がブリジットを、そしてあなたを、追っかけ回すのだ。 これはおいしすぎる。
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この原稿を書く間、気分転換と称して吸ったタバコの本数:18本。ああ、ダメなわたし(泣)。
(初出:CUT, September 2001) |
* 上はわたしが勝手にやっている、BBCドラマ『高慢と偏見』にハマってもらおうキャンペーンの一環として『CUT』で書いたもの。なのだけれど、映画の方が現代風でドタバタで笑えて困った。しかし、はっきりいって、『高慢と偏見』を見ていない人にはマーク・ダーシーの、否、コリン・ファースの悩殺的魅力はいまいち伝わらなかったかもなあ、むー……、ということを第二弾で書く予定。 * わたしは現時点(01年8月)ではこの映画を三回見ています----1回目はマスコミ向け試写、2回目はイギリスで(現地のウケ方を探るマーケティング調査の名目で、単にヒュー・グラントをみとれに行った)、3回目は一般向け試写会。みなさまお気づきかわかりませんが、ブリジットのこれまたダメ母がマーク・ダーシーの元妻(日本人)を評して、"She is Japanese, you know, a cruel race"といってのける台詞がありますね。これが、マスコミ向け試写の字幕では「奥さんは日本人だったのよ。残酷な民族よね」としっかり全部訳してあったのに、一般向けでは「残酷な民族」の部分は削ってありました。まあ、コメディでいちいちドキドキさせられたらたまらんからな・・・・・。 * ちなみに上の台詞はダメ母とダメ娘のジェネレーション・ギャップ(とゆうか、日本にもいる偏見に満ちたおばさんぶり)を際立たせる台詞で、他意はないんじゃないか、とわたしのイギリス人の友人はいっていた。ただ、こいつはすごく理性的な友人なので、ある意味では説得力はないようにも思える(すまん、友達)。この台詞、原作の小説にもあるのよね、困っちゃうわ。 * それにしても『BJ』でのヒュー・グラントはすごすぎた。あまりのエロ・ヒューぶりに気が狂ってしまったわたしが、勢いで書いたのがヒューグラントの劇的なる転換2001です。あわせてお楽しみいただくと、とりあえずわたしがいかに狂っているか、だけがわかります。アホや。
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