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2009-11-10

堀江謙一氏のイメージと実像のギャップについて(実話)

| 13:54 | 堀江謙一氏のイメージと実像のギャップについて(実話) - tyokorataの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 堀江謙一氏のイメージと実像のギャップについて(実話) - tyokorataの日記 堀江謙一氏のイメージと実像のギャップについて(実話) - tyokorataの日記 のブックマークコメント

 2008年07月のある土曜日の神戸新聞の一面のカラー写真で堀江氏が手を振っています。

 ある日父から堀江氏の話を聞くまでこの人の顔つきは普通の人に見えました。

 以前、私の父は電気関係の仕事で堀江氏のヨットの電気部品を携わったとは聞いていました。

 しかし、それを父が自慢したことは一度もありませんでした。

 父は言います。

「彼の海の冒険は一人ではなし得ないものだ。彼にはたくさんの援助者がいる。船の旅は自分一人では何も出来ない。しかし、彼は彼の成功は全て自分の力で為し遂げたもので、その事を援助者に対して一度も礼を言ったことが無い。また、彼は旅から帰るたびに奥さんが変わっている」

 正直私はこの話を聞いた時は眉唾でした。焼肉屋でこの話を父から聞きましたが、父は飲みすぎたのかと最初は思いました。それに多少のすれ違いや誤解は有るだろうと。ですが、父は次に恐ろしい事を言いました。

 「堀江氏は自分が起こしたとてつもないミス、船のメインマストを折った事を船の製作者のせいにして、テレビで発言した。船の製作者はそれから間もなく自殺した。スポンサーへの自分の体面の為に、他人ではない協力者を犠牲にしたんだ」

 「堀江氏は単独無寄港世界一周を為し遂げたが彼の記録はギネスには載っていない。何故だか分かるか?」

 「難度の低いハワイ沖で、しかもそこのレース向きに造られていない船で無理にレースに参加して船のメインマストを折ってしまうような技量の持ち主が、無寄港で世界一周が出来るのかという疑いがあるからだ。」

 

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 続きを書く前に冒険家に付いて少し記します。



 福留アナが司会を務める「〜(正式名称を忘れました)波瀾万丈」でアルピニスト野口健さんが出た回の話ですが、この回は野口さんが死人が続出する登山の世界を淡々と語って、周囲の温度を零下近くまで下げてましたが、植村直巳さんが遭難した事を話すと、野口さんの温度が急に上がりました。

 「植村さんが死の直前に遺したメモに『どんな事をしても登るぞ』とあったけど、生きて帰る事を最大の目的にしている冒険家がそんな事を言ってはいけないんです。特に日頃から『生きて帰ることが冒険家の最大の仕事です』と口癖のように言っていた植村さんは。」

 「逆に言えば私が尊敬してやまない植村さんが、メモにそんな言葉を遺すようになった心境はどんなものだったのだろうかと、私は思うようになりました。」

 テレビでは野口さんはそれ以上言及しませんでしたが、冒険家の冒険は個人では出来ない為、スポンサーの援助が必要だと言う事はよく知られています。

 大企業がバックにつけば、資金援助の規模も大きくなりますが、それ故に結果を出す必要に駆られて、冒険家は冒険そのものよりも成功に心を囚われて、『絶対に冒険を成功させる』義務を自分から負う事になります。?

 そうした場合だと冒険家は、いや人間は二つの道のどちらかを選びます。

 一つは冒険の成功は支援者のお陰で、冒険の失敗は自分の責任という道。

 もう一つは冒険の成功は自分一人のもので、冒険の失敗は支援者の責任という道。

 父の話によると、どうやら堀江氏は後者の道を選んだようです。

 

 私は偶然、十五年前に堀江氏と同じ無寄港世界一周をなさった当時26歳の若者(当時は世界最年少)の白石康次郎さんの著作、『海よりも遠く』を読んだのですが、これを読むと南米喜望峰(ケープホーン)と南氷洋が常人の努力で乗り越えられる海域でないことが分かります。

海よりも遠く (講談社青い鳥文庫)

海よりも遠く (講談社青い鳥文庫)

http://www.nagisa.tv/kojiro/profile/index.html

 無論堀江氏が常人でないという見方も出来ますが、上記した通り世界一周でもなんでもないレースでメインマストを折ってしまうような腕の持ち主が喜望峰南氷洋を抜けて世界一周を出来るはずがないという見方を、石原慎太郎都知事を含めた海の男がしているという話を聞きました。

 石原都知事の話によると、堀江氏はどこかの港に隠れていて、それでひょっこり現れたという話だそうです。このことに関しては私は何も言う資格はありませんが、氷山の記録などを写真で残している白石氏の記録は信憑性が高いと私は思います。逆に言えば、そうした写真を撮っていない堀江氏は嘘を言っている疑いが強いわけです。

 以下、wikiより抜粋

 1962年マーメイド号による西宮-サンフランシスコ間の太平洋単独航海に成功。当時はヨットによる出国が認められなかったため、密出国であった。日本では当初この点について非難が殺到し、犯罪者扱いすらされたが、当時のサンフランシスコ市長が「コロンブスパスポートは省略した」と、尊敬の念をもって名誉市民として受け入れたところ、日本国内でのマスコミ及び国民の論調も手のひらを返すように堀江の偉業を称えるものに変化した。 「マーメイド」の名は、敷島紡績(現:シキボウ)から、資金不足に悩んでいる際、当社の人魚マークを帆に入れてくれれば、帆を一式寄付するとの申し出を受け、同社の人魚マークが入った帆の寄付を受けた事に因んだ。太平洋横断は秘密だったため、太平洋横断のためのスポンサードではない。

 また、1974年には270日余りで単独・無寄港の世界一周を成功させた。これについても、石原慎太郎から『週刊プレイボーイ』上で成功する可能性があり得ないものとして非難され、堀江を擁護する本多勝一らとの論争を呼んだ。

 2004年からヨット「SUNTORY マーメイド号」で単独無寄港による世界一周(東回り)に挑戦し、2004年10月に兵庫県西宮市の新西宮ヨットハーバーから出発していたが、2005年6月に新西宮ヨットハーバーに無事帰還を果たした。東西両方向周りで世界一周航海をしたのは日本人初、世界でもオーストラリア人に次ぎ2人目という記録である。

 堀江謙一は、航海は年齢が「三桁になるまでやるつもり」と語っているという。

 2006年7月、69歳になる2008年春に波の力だけを動力とする波浪推進船「SUNTORYマーメイドII号」(速さは約3ノット、2007年5月30日完成)で約6000Kmある紀伊水道-ハワイ間の世界初の航海に挑戦する、と発表した。同船は東海大学海洋学部の協力で製作された。なお、これは波浪推進船の初の実用航海になるものとされている。船は、2008年3月15日ハワイホノルル沖を出港、当初の予定よりは遅れたが、2008年7月4日午後11時50分、和歌山県・日ノ御埼沖の洋上に設定したゴールポイントに無事ゴールした。

あと、堀江氏を擁護した、本カツの記事を見つけました。

 文章を読んでいると余り品性を感じられないので、これは堀江氏への擁護を装ったネガティブキャンペーンかとかんぐってしまいます。

 http://www1.odn.ne.jp/kumasanhouse/hinkonnaru_seisin/k121.html

 

 それでは堀江氏の騒動のタイムテーブルを書きます。

 堀江氏 ハワイ沖レースでマストを折る。

    ↓

 マスコミが堀江氏叩きを始める。

    ↓

 元々堀江氏の冒険家人生のスタートラインが、密出国&密入国というイリーガルなものだったが、冒険を成功させた事で、堀江氏の脱法行為を最初は叩いていた世論も次第に擁護に回る。これが堀江氏の原体験となり、勝てば官軍を体感する。

 また、裏を返せば冒険が失敗した場合は彼を叩く土壌は準備されている事になる(流石に今はないが)。

    ↓

 窮地に立たされた堀江氏はマストを折る場合は船の原因が三割、本人の技量が七割の原則を知りつつ船の製作者に責任転嫁をテレビで行う。

    ↓

 元々スピードレース向きでない船で無理をしたことは堀江氏本人が百も承知だったが、堀江氏だけが情報を発信出来るチャンネルを持っていた為に、船の製作者はツンボ桟敷で世論の非難の的になる。

    ↓

 結果後ろ指を刺されるようになり、船の商売における信用を喪失した堀江氏の協力者は年内に自殺


 私の父が堀江氏や、他の船乗りの世界一周の船の電気部品の電装に関わったのですが、私は父からその事はあまり話してもらった事がなく、先日偶然父から聞いた次第でした。

 父はあまり人の悪口を言うタイプの人間ではないだけに、淡々と堀江氏の周囲の人間が堀江氏に下す評価を聞いていて、食事をしているはずなのに私の体感温度が下がるのを感じました。シーマンズクラブにも入っている父はそうした点が情報が収集しやすかったようです。

 まあ普通、船乗りが何度もメインマストを折ったり、船の製作者に責任を擦り付ける事は何度もないので、私が調べた件と父から聞いた件は同じ事と認識しています。

 因みにこの間私が読んだ本では、船乗りが世界一周を行う際、メインマストを折るような難所は二ヵ所だけで、語弊は有りますがハワイ沖は上の二つに比べてかなり楽な場所になります。

 そこでマストを折るような腕前の人間が、何故だか難所は平気で抜けてくる、もしかして堀江氏は…と船乗りが噂するのも無理はありません。

 船乗りの噂話の信憑性は、有名な石原都知事が堀江氏の冒険に疑義を唱えているのも大きいです。


あと、単独無寄港世界一周ギネスブックに載ってもおかしくないのに、何故かギネスブックには載っていません。つまりはそういうことです。

 しかし、今でも大蔵谷海岸には堀江氏の船が飾られています。そこやテレビの世界では、彼はヒーローです。

 これもまた、イメージのお話ですね。

 

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