11.3 服薬〜後〜11.4 入院
取りあえず記録の為に書いておく。
3日、リーマス●錠、ゾロフト●錠で大量服薬。
4日入院。点滴500ml×5本。
5日、点滴500ml×4本。
6日、点滴500ml×3本。
7日、点滴500ml×2本。
大量服薬した日は朝から精神の均衡を崩してずっと泣いていた。失感情状態にあったと思う。
9月のシルバーウィークに激しいPD発作が起きてから、ずっと下り調子だった。
それに加え、色々な心労が重なって限界域に達する。
「どうにでもなれ」 という気分で兎に角、生きることから、その場から、人生から逃げたかった。
理想と現実のギャップは日毎大きくなり、どうにも持ち堪えられなくなっていた。
意識は次第に閉塞的・自罰的な方向へ、内へ内へと傾いていく。
長年繰り返している落ちて行く時の思考パターン。脳内の螺旋階段は次第に深い闇の底に沈み込んで行く。
こうなったら行き着くところまで行くだけ。止める術は持たない。
絶望・・・死ぬより他に 「其処」 から抜け出す手段は他に無いように思われた。
ボンヤリと抱いていたドス黒い感情は、ストレス耐性の許容量を超えると、その様相を呈しクッキリと輪郭を現して来る。
果てしない 「死」 への憧憬。決して死ぬことを美化しているわけではない。
死ぬことは--生きている苦痛・・・際限ない自己否定のループ--から逃れる最終手段だ。
無能で仕事も出来なくなった自分に深く失望している。時間を食い潰すだけの毎日は苦痛でしかないし、明日に希望を繋ぐことも出来ない。陽のあたる場所は自分とは一切無縁のものだ。
相変わらず外界とは、到底通り抜ける事の出来ぬ分厚いガラスで隔たれている。
衝動的というよりは様々な鬱憤が吐き出し口もないまま、満タンになって自己処理不能になった為、全てを、あわよくば命をシャットダウンしたいという気持ちからだった。
コレで死ねたらいいなという甘ったれた思いも確かに存在していたことも事実。
夕刻、リーマスとゾロフトの大量服薬。
30分ほど経った頃から、激しい嘔吐下痢、悪寒、手足の痺れ、顔面のケイレン、不整脈など全身症状が現れる。期待していた意識の混濁は無く、逆に覚醒傾向。ゾロフトの作用だと思われる。
激しい嘔吐感が込み上げて来て、トイレの便器に顔を突っ込んで吐き続けた。
死ねない、と直感的に思った。しかし身体の状態はどんどん悪化していく。
服薬の後は苦痛のあまりずっと呻き声をあげてのた打ち回っていた。
苦しいのに意識が鮮明で、頭の奥がギリギリ締め上げられていく。意識を失うことは叶わなかった。
翌朝になっても一向に回復の兆しなく、意を決して通院先の病院へ電話する。
意識喪失にも繋がらない無意味な苦痛は早急に取り除きたい。
周囲にも迷惑な行為でしか気持ちを治めることが出来ない自分は本当に人間の屑だと思う。
「すぐに来てください」
との返答。
フラフラしながら徒歩10分ほどの病院へ到着。
歩いて来たというとビックリされた。ODだと聞いて、途端に医師の顔色が変わる。
「ここにはちゃんとした設備がないから救急車で県立中央病院に搬送したい」
そう言われたけど、こちらの病院で診てほしいと食いさがる。
車イスに乗って内科の個室に移動。熱と酷い脱水症状があったので、すぐさま輸液の処置が取られる。
体内に入ったリーマスを洗い流すために点滴を続ける。
個室に入ったときはすでに歩けない状態だった。
「トイレに行く時は絶対に一人で行かないで下さい。ナースコールで必ず看護師を呼んでください」 と言われる。
ベッドのすぐ脇にポータブルのトイレが置かれた。そこまでの距離が歩けない。
シーツはバケツで水を撒いたように、全身から噴き出る汗で冷たくなっていた。
間断なく襲ってくる嘔吐下痢。腹の中がずっとゴロゴロ鳴って血の混じった水溶状の便が出続ける。
リーマスは炭酸リチウムという成分で、少量でも医師による厳しい監督下で投与されなければいけない劇薬だ。1、2錠につき、5〜6リットルの水分摂取を必要とする。大量服薬すれば即座に命に関わる危険な薬でもある。勿論知っていて飲んだ。
特に自分のようなOD常習者では、重篤になるケースが多い。それも承知していた。
7日に出たリーマスの血中濃度の数値は3,8と問題なかった。
大量服薬してすぐに吐いてしまったのが、不幸中の幸いだと医者は言った。
病院の飯が犬のドッグフードばりに不味かったので、一週間の入院が嫌で無理やり退院する。
3日、リーマス●錠、ゾロフト●錠で大量服薬。
4日入院。点滴500ml×5本。
5日、点滴500ml×4本。
6日、点滴500ml×3本。
7日、点滴500ml×2本。
大量服薬した日は朝から精神の均衡を崩してずっと泣いていた。失感情状態にあったと思う。
9月のシルバーウィークに激しいPD発作が起きてから、ずっと下り調子だった。
それに加え、色々な心労が重なって限界域に達する。
「どうにでもなれ」 という気分で兎に角、生きることから、その場から、人生から逃げたかった。
理想と現実のギャップは日毎大きくなり、どうにも持ち堪えられなくなっていた。
意識は次第に閉塞的・自罰的な方向へ、内へ内へと傾いていく。
長年繰り返している落ちて行く時の思考パターン。脳内の螺旋階段は次第に深い闇の底に沈み込んで行く。
こうなったら行き着くところまで行くだけ。止める術は持たない。
絶望・・・死ぬより他に 「其処」 から抜け出す手段は他に無いように思われた。
ボンヤリと抱いていたドス黒い感情は、ストレス耐性の許容量を超えると、その様相を呈しクッキリと輪郭を現して来る。
果てしない 「死」 への憧憬。決して死ぬことを美化しているわけではない。
死ぬことは--生きている苦痛・・・際限ない自己否定のループ--から逃れる最終手段だ。
無能で仕事も出来なくなった自分に深く失望している。時間を食い潰すだけの毎日は苦痛でしかないし、明日に希望を繋ぐことも出来ない。陽のあたる場所は自分とは一切無縁のものだ。
相変わらず外界とは、到底通り抜ける事の出来ぬ分厚いガラスで隔たれている。
衝動的というよりは様々な鬱憤が吐き出し口もないまま、満タンになって自己処理不能になった為、全てを、あわよくば命をシャットダウンしたいという気持ちからだった。
コレで死ねたらいいなという甘ったれた思いも確かに存在していたことも事実。
夕刻、リーマスとゾロフトの大量服薬。
30分ほど経った頃から、激しい嘔吐下痢、悪寒、手足の痺れ、顔面のケイレン、不整脈など全身症状が現れる。期待していた意識の混濁は無く、逆に覚醒傾向。ゾロフトの作用だと思われる。
激しい嘔吐感が込み上げて来て、トイレの便器に顔を突っ込んで吐き続けた。
死ねない、と直感的に思った。しかし身体の状態はどんどん悪化していく。
服薬の後は苦痛のあまりずっと呻き声をあげてのた打ち回っていた。
苦しいのに意識が鮮明で、頭の奥がギリギリ締め上げられていく。意識を失うことは叶わなかった。
翌朝になっても一向に回復の兆しなく、意を決して通院先の病院へ電話する。
意識喪失にも繋がらない無意味な苦痛は早急に取り除きたい。
周囲にも迷惑な行為でしか気持ちを治めることが出来ない自分は本当に人間の屑だと思う。
「すぐに来てください」
との返答。
フラフラしながら徒歩10分ほどの病院へ到着。
歩いて来たというとビックリされた。ODだと聞いて、途端に医師の顔色が変わる。
「ここにはちゃんとした設備がないから救急車で県立中央病院に搬送したい」
そう言われたけど、こちらの病院で診てほしいと食いさがる。
車イスに乗って内科の個室に移動。熱と酷い脱水症状があったので、すぐさま輸液の処置が取られる。
体内に入ったリーマスを洗い流すために点滴を続ける。
個室に入ったときはすでに歩けない状態だった。
「トイレに行く時は絶対に一人で行かないで下さい。ナースコールで必ず看護師を呼んでください」 と言われる。
ベッドのすぐ脇にポータブルのトイレが置かれた。そこまでの距離が歩けない。
シーツはバケツで水を撒いたように、全身から噴き出る汗で冷たくなっていた。
間断なく襲ってくる嘔吐下痢。腹の中がずっとゴロゴロ鳴って血の混じった水溶状の便が出続ける。
リーマスは炭酸リチウムという成分で、少量でも医師による厳しい監督下で投与されなければいけない劇薬だ。1、2錠につき、5〜6リットルの水分摂取を必要とする。大量服薬すれば即座に命に関わる危険な薬でもある。勿論知っていて飲んだ。
特に自分のようなOD常習者では、重篤になるケースが多い。それも承知していた。
7日に出たリーマスの血中濃度の数値は3,8と問題なかった。
大量服薬してすぐに吐いてしまったのが、不幸中の幸いだと医者は言った。
病院の飯が犬のドッグフードばりに不味かったので、一週間の入院が嫌で無理やり退院する。
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