吉備高原を横断して流れる成羽川のほとり。備中神楽の面のイラストが描かれたアーチをくぐると、神楽に登場する神々を模した陶製オブジェが現れる。
表情や動きがいきいきと再現された計16体。「神楽ロード」と名付けられたゆえんだ。
成羽発祥の国重要無形民俗文化財である備中神楽をまちおこしに生かそうと、地元の陶芸家・田辺典子さん(46)の指導で商店街の若手らが手作りし、今年3月までに設置した。「秋のシーズンには遠方から見に来るファンもいる。“神楽熱”の高まりを、商店街活性化につなげたい」と田辺さんは期待する。
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下原地区は山崎豊治(1619―1700年)が成羽領主となった1658年以降、発展した。陣屋とその周辺に陣屋町を構築。商店街の名も高級武士の居住地に付けられた「本丁」に由来する。
商店街東の「柳丁」に武家屋敷が残り、蔵や「坂田門」が幕末からの姿をとどめる。
国道を挟んだ南側には陣屋跡の石垣がのぞき、その上に安藤忠雄氏設計の成羽美術館。コンクリート打ちっ放しのモダン建築と歴史情緒の調和が、不思議な雰囲気を醸し出す。
この地は江戸期、備中松山城下、吹屋、矢掛などへ通じる陸路交通の結節点。加えて高瀬舟の船着き場としても繁栄、経済面でも重要だった。商売繁盛を願う恵美須神社と成羽川堤防の常夜灯が往時の隆盛をしのばせる。
一帯を歩くと、年貢米や吹屋産の銅を満載した高瀬舟やひっきりなしに荷が届き、ひしめく問屋の光景が目に浮かぶようだ。
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商店街も昭和40年代まで、店がすき間なく軒を連ね、連日にぎわった。が、今は当時の半数の25店に減少。高齢化から廃業する店も絶えない。
「原田時計店」店主・原田靖三さん(67)は「昔は映画館もあり、それは華やかな通りだった。ここ10年ほどでくしの歯が欠けたようだ」と寂しがる。
かいわいがにぎわうのは「成羽愛宕大花火」(7月)など年に数回になってしまった。
けれど、沈んでいるだけではない。
商店街の若手はまちのPR策を練るのに懸命だ。成羽ならではの土産として、神楽をモチーフにした携帯電話のストラップを作ったほか、Tシャツ、まんじゅうなどアイデアは尽きない。
理髪店を営む難波彰浩商店会長(50)は「空き店舗で自ら企画した品を売る店を開くのが目標。まちが元気でいるために、まず自分たちが元気じゃないと」。「時代の流れ」とあきらめず、前を向いて進もうとする人の姿が、そこにある。
梅酒「香春梅」おすすめ
柳井商店 柳井宗一郎さん(34)
1936年創業の酒販売店3代目。父・正昭さん(65)と二人三脚で、日中はもっぱら配達に忙しい。店内では約200銘柄を扱い、おすすめは地元・白菊酒造の梅酒「香春梅」。「日本酒仕込みでまろやか。女性ファンが多い」のだそう。岡山は京都・伏見や神戸・灘の酒を好む傾向にあるという。大型スーパーや安売り店の攻勢も厳しいが「町の酒屋さんとして、きめ細かなサービス提供や地酒PRに力を入れたい」とたのもしい。
近所のお年寄りへの店
スーパーストアまるかわ店主 丸川隆志さん(82)
商店街唯一のスーパー。おばあちゃんが代わる代わる入店し、支払いと雑談を終えて家路につく。「近所の年寄りのための店じゃな」と笑う。高齢を理由に3月で閉店するつもりだった。商品を残らず売り、お知らせも配ったが「やめんで、という声が多くてなぁ。まだ動けるし、続けることにした」。店の広さを以前の3分の1にし、パートもなくした。“還暦”を迎えたばかりの店。妻の恵美子さん(76)と2人きりで再出発する。