食中毒
原因はたぶん帰宅途中に買った肉まんなのです。
皮がパンのような生状態でしたから。
自宅について2時間もたったころ、胃が刺すように痛み、
その痛みが段々腸の方まで下ってき、それから強烈な下痢の無限地獄が始まった時、
「あぁこれはただの胃炎や下痢じゃない・・・」と確信したのであります。
母、以前バックパッカーだったとき、ペルーへ一人で参りまして、
その時、アグアスカリエンテスの屋台で売っていた
アンティクーチョという串刺しのお肉を「おいしいおいしい」と
調子に乗って毎日3本ずつぐらい食べていたら、おんなじような状況に陥り、
帰りの飛行機では、初めて自分のために
「お客様の中でお医者さんか看護師さんいますか」のアナウンスを流され、
途中ロスで緊急着陸するか?とも言われ、満席のエコノミーでは横になれず、
ビジネスの席に移してもらい、成田までの間ずっと横にならせて頂き、
成田に着くや、乗客全員おりるまで機内に残され、機内に消毒隊が入り、
その後、滑走路から直接救急車に乗り、そこから成田赤十字病院の隔離病棟に
5日間ほど強制入院(無料)させられていたことがありました。
結局その時の病名は、O-157の親戚(?)みたいなやつでした。
O-154?O-156?みたいなかんじ^^;
そんなこともありましたので、
今回も絶対これ食中毒だよ・・・。
母は確信しておりました。
帰国当日なのにもかかわらず、全く寛げない第一夜。
ばあばは「明日まで待ってみなさい」と言ってましたが、母は食中毒を確信していましたし、
何より、粉ミルクの入ったスーツケースがまだ届いていないので
母乳をあげなければならない状況下、それいゆに対する影響なんかも気にりましたので、
じいじにお願いをし、救急病院まで連れて行ってもらいました。
授乳をしている旨を伝え、強い抗生物質の処方は避けていただき、
その日は整腸剤のビオフェルミンと、授乳に影響のないペインキラー、
そして2時間の点滴のみの処置をしていただきました。
便の培養とかいう、の精密検査の為にサンプル採取もしましたが、
結果が出るのに10日以上かかるそうで、すぐに 病名がわかるわけではなさそうです。
点滴でちょいと気分が楽になった母。
じいじに迎えにきてもらい、帰宅は4時過ぎ。
散々な帰国初日でございました。
翌朝。
起きてまもなく、無限地獄再開。
とにかくトイレには10分に一度必至で、
おっぱいをほぼ咥えっぱなしに近いそれいゆのお世話をしながらの現状が辛すぎで
配達屋さんが来てスーツケースを届けてくださったので、粉ミルクに切り替えられると思い、
ばあばにそれいゆをお任せし、じいじといっしょに土曜日の救急でまた病院に行った母。
その時は、覚悟を決めて、授乳ができなくなる抗生物質の処方をお願いいたしました。
お薬は5日分。
抗生物質なので飲みきらなきゃ駄目ですよ、と言われました。
それいゆが生まれてから、ずーっとずーっと母乳だったので、
粉ミルクでやって行けるのか不安なまま、母の療養生活が始まりました。
激しいブッブがずっと続いていたので体力も相当落ち込んでいた為に、
じいじとばあばが気遣ってくれ、夜の間のそれいゆのお世話は、
母が元気になるまでじいじとばあばが代わってくれました。
やっぱり実家はありがたいです。
2009/10/09 16:26 | それいゆ1ヶ月(香港・日本) TOP