簡体字の「卢龙县」は,日本の漢字では「廬龍県」と書く.
「百済」について…, |
誉田山古墳の陪塚丸山古墳から出土した2号鞍 内側が直線的で120°角で角張っているのが特徴 |
中国遼寧省喇嘛洞ⅡM101号墓で出土した鮮卑族の鞍 |
≪歴史的な流れ・連鎖の説明 ≫ ・遼寧省喇嘛洞は、遼寧省朝陽市の隣の北票県にあります。 ・遼寧省の朝陽市は、昔の柳城です。 ・柳城は、百済の最初の都で、帯方郡の故地です。 ・誉田(こんだ)八幡宮は、大阪府羽曳野市にあります。 ・以上が… ・柳城(馬韓⇒帯方郡⇒百済)⇒(渡来人)⇒誉田八幡宮 という流れです。 ・(参考)鑑定した桃崎祐輔・福岡大学助教授も、上の2号鞍 と百済の関係を示唆しています。 ・(参考)後に百済は柳城から遼東半島の東まで東遷します。 ・(参考)柳城の下、南西方向200kmに秦皇島があります。 |
左は,好太王碑のある場所を示す
地図です。平壌からは400kmも北に
あります。好太王碑の第三面には
次のような文字が彫られています。
「倭 不軌侵入 帯方界」
これは、「倭は不軌(無軌道)にも
帯方界(帯方郡の故地)に侵入した」
という意味ですです。
つまり、帯方郡が平壌の近辺では
なく、満州の地にあったことを示して
います。
それにしても、左の地図も…、
百済が、朝鮮半島の南部に矮小化
されて描かれてます(笑)
済州島まで、船で2日の距離です。
…これを、今まで誰も、変だ! と
言わなかったのは、知的怠慢です。