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【プロ野球】

原巨人 7年ぶり日本一 世界一、セ界一、日本一

2009年11月8日 紙面から

 原監督、3冠の舞い−。巨人が7年ぶりの日本一を決めた。09年の日本シリーズ第6戦が7日、札幌ドームで行われ、王手をかけていた原巨人が梨田ハムに2−0で勝利。原辰徳監督は今春のワールド・ベースボール・クラシック、リーグ優勝に続く“3冠”を達成した。巨人の同シリーズ制覇は史上最多を更新する21度目。MVPには2回に先制の中越え二塁打を放った阿部慎之助捕手が選ばれた。

 苦しんだ分だけ、喜びも大きかった。ついに、7年ぶりの日本一をつかんだ。敵地・札幌ドームで、原監督が高々と10度舞った。「梨田監督のもと素晴らしい選手、素晴らしいファンと、非常に素晴らしいゲームを戦って日本一になれたことを誇りに思います」。優勝監督インタビューでまず相手をたたえた原監督は、「日本一、奪回しました。ジャイアンツファンの皆さん、日本一になりました」とひときわ高い声で叫んだ。

 苦しい戦いだった。この日本シリーズは、しぶとい日本ハムに苦戦を強いられた。いや、シリーズだけではない。ペナントレースも、中日とのCSもシ烈な戦いの連続。しかも、シーズン前はWBCもあった。そんな中、原監督は見事にタクトを振るい続けた。

 次々と降りかかったプレッシャーを、ことごとくはね返して、選手を引っ張った。タフな精神力があった。そのルーツは、東海大相模高で過ごした3年間だという。「相模での3年間はホントにキツかった。あれがあったからWBCでも平気だった」と原監督。父・貢さんとの親子鷹だった高校時代。父の厳しさは並ではなかったという。

 同じことをしても他人以上に怒られ、時には鉄拳も飛んできた。野球選手として、人間として徹底的に鍛えられた。しかし、オフに実家へ帰ると優しかったという。「『辰徳、腹は減ってないか』『マッサージしてやろうか』とね。でも、グラウンドに戻るとまた怖くなってね。家での優しさは何だったんだと思うくらいに別人だったよ」と笑うが、厳しさと愛情をタップリ注ぐ指導法を受け継いだ。

 そんな指揮官が自らの体験を元に育てたのが亀井だった。監督復帰した05年オフに才能にほれ込んだ。チャンスも与えたが、伸び悩みを見せると、07年秋のキャンプは招集せず。戦力外と背中合わせのような処遇とした。しかし、2軍からはい上がってくると、今度は巨人の5番打者に育てた。8月下旬。亀井が28打席連続無安打だった時は「誰でもこんな時はある。下を向くな」と優しく声をかけた。日本シリーズも同じだ。打てなくても我慢の起用を続けた。すると、第5戦の9回、起死回生の同点弾が飛び出す。「僕は監督につくり上げてもらった選手。何としても日本一の胴上げをしたかった」。このシリーズの優秀選手に選ばれた亀井はゲームセット後、涙ぐんだ。

 WBCで世界一を成し遂げ、リーグV3を果たし、日本一で締めた一年−。実は帰国後、指揮官はWBCの話は一切しないと宣言。その通りにしてきた。「あの時はそうしないと巨人の監督をできなかった。でも、全部終わったらどんな形になるか分からないが、WBCのことをキチッと話したい。そうしなきゃいけない。それほどすごい時間だった」。激動の09年を駆け抜け、球界に残した輝かしい足跡。原監督が球界のど真ん中で、まばゆいばかりに輝いた。 (井上洋一)

 

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