自閉症の勉強と、自閉症か、自閉症ではないかの判別(診断)は同一ではない。
自閉症については、単に情報を取り入れ、考える事だけだが、それを、市井の人に当てはめ、判別する事は、全く違う事だ。
その為に、医者が居るのだし、彼らは、何年も勉強と、実地を繰り返し、人間を勉強し、他の精神障害、精神病も勉強した上で、自閉症を見て居るんだな。大変な蓄積、知識だ。
判別するには、その生きている人間、生活している人間を観察し、結論を出す。結論を出した後にも、後日判定外の様相が見られれば、結論を覆せば良い事だし、正常な医者なら、結論を覆す事について吝かでは無いだろう。
(但し、能力が低く、妙なプライドだけが高い医者は、しないけどね。)
私も、実際に周囲の人間を見渡し、幾人かは、仲間かな?と思うような人間が居た。しかし、その本人から、思い掛けず、大変なヒントを貰った。 「アンバランス」
私は、車で彼を家に送る途中、彼に私の印象を聞いた。その時彼は、「バランスが悪い感じ」と表現した。
その後、彼は、借金を作り、夜逃げしてしまって、その話の続きを聞けなくなったが、まさしく、私、自閉症、アスペルガー症候群を言い当てる表現だった。
世の中には、奇人変人は数多くいて、その多くは、行動の断片を切り取ると、まるでアスペルガー症候群の行動様式と言えるような行動を取る人が多い。
当然私の周りにも沢山居たし、私も、「あれっ?あの人は?」と思う事もあった。
しかし、それらの人々は、皆、その部分を持った上で、「バランス」が取れているのである。
運動音痴で、不器用な人は、それ相応の、人となりをして居る。クラスに一人は必ず居る。趣味に没頭して居る人の趣味は、まさしく趣味が高じた、趣味で、生活の余裕を、趣味に充てている事がよく分かる。
短気で、頭から湯気が出る人は、それなりに押さえる術を知っている。その術相応の、社会的な地位を維持している。
これらの人は、その中で、その人なりのバランスが取れているのである。そのポジションからはみ出す、或いは飛び抜けた何かを持たない。
私の吝嗇な母は、その突飛な行動と、不釣り合いな知性は、残念ながら持つ事は無く、知性は、それ相応の知性しか持ち合わせない。
妻の父の、特異な行動、言動には、やはり、それ相応の知性しか持っていない。
私達夫婦が、共通する残念は、共に親の知性が、さほど高くないのに、その程度に全く気付かなかった事。
つまり、彼らと同じ年齢になり、社会経験を積み、同年代の人間と比べ、彼らの当時の行動、思考を知り、ようやく気付いたのである。
恐らく、ある程度の知能(私達夫婦程度の知能)を持っていれば、二十歳にでもなれば、目の前の、幾つかの情報が「統合」され、相手の知能だけではなく、親の、「親」としての立場も含め、従う事が出来たのだろう。
ところが、そこは、「中枢性の統合に欠陥」がある自閉症。
無意識下では、彼らの言葉の中の「矛盾」に気付きながら、一方で、「親には従う」という約束事に、縛られ、大いなるジレンマの中で、無数の不本意な事を、繰り返して来たのである。
タチが悪い事に、それらが、50年経ち、今になって気付くこの「アンバランス」さ。
もう少し、まともな、使える知能を持っていたなら。姉の、或いは義兄の様に、親をも説得できたんだろう。
私達夫婦は、それをも出来ず、本当に不便な生活を送っていた。
【社会生活を送っていく上で、「人を説得する」という能力は不可欠だ。これは、まさしく私のブログ、生き様を見て貰えば分かる事で、私が、伝えたい相手に、私が言いたい事を、上手く伝えられれば、何の問題も無い。
服巻智子さんにしても、田中康雄さんにしても、日本自閉症協会にしても、上手く「説得」できれば、上手く答えを引き出せるのだろう。
物には、順序と、人によりアプローチの仕方がある。と言うのも、充分知っている。
しかし、その手法を見いだせない。見いだす能力が無い。つまり、これこそが、「相手の気持ちが分からない」と言う事なのである。
私は、すべてが「論理」によって成り立っている。だから、「論理」でしか、問題を解決できない。
「やまちゃん、やまちゃん」となにくれと心配してくれていた、専務はもう引退して死んでしまった。
私は、使えない知能と、「論理」で、生活していくしか、生きる術を持たないのである。 】
(特捜部見てね)
2007/9/27(木)のブログ 復元記事