■このブログでもときどき取りあげてきた、北京在住のチベット族女流作家、ツェリン・オーセルさんの初の邦訳本『殺劫』が集広舎から出版された。ツェリン・オーセルさんと同書がうまれた背景については、過去のエントリーも読み直してほしい。オーセルさんも、夫の王力雄さんも私の尊敬するノンフィクション作家であり、ノンフィクションとはかくあるべし、と私が思う作品を発表し続けている。翻訳は読売新聞編集委員の藤野彰氏と劉燕子さん。劉さんは私にオーセルさんを紹介してくれた友人で、関西の大学の講師をしながら、強い意志をもって日中の文学交流に尽くしてきた人でもある。
http://www.shukousha.com/item_192.html
■きょうは同書のレビューエントリー。この本はなんと4600円(税別)もするのだ。しかも分厚い。私は集広舎さんに献本していただいたが、この価格を支払うのには、よほどの高給取りか、書籍資料費で領収書がきれる研究者か、チベット大好き人間以外はかなり勇気がいるだろう。私が作者と縁もゆかりもない人間であったら、3回くらい本屋にかよって、本屋で半分くらい読んで、やっぱり資料性からいっても買わなきゃ、どうせこんなマニアックな本の重版はむりだろうから、今かわなきゃ、すぐ絶版になってあとで後悔すると、ぐるぐる悩んだすえ、レジにいく、そういう類の本だ。しかし大きい本屋にいかなきゃ、実物のチラ見すらできない。だから、そういう人に参考になるようなレビューにしよう。
■この本は、写真集であり、証言集であり、ノンフィクションである。チベットの文革状況の記録は、同書が台湾で最初に出版されるまでは、たった一枚の写真しかなく、空白状態だったという。そう言う意味で、第一級の文革研究資料でもある。写真はきっちり数えていないが250~300枚収録され、写真解説しながら、チベットの文革がどのように始まり、チベット少年少女がどんな風に紅衛兵になり、どのように寺や仏像や教典が破壊され燃やされ、寺院の宝物が略奪され、貴族や僧侶、活仏が「牛鬼蛇神」としてつるし上げられていったかがまとめられている。そして文化大革命、チベット語訳で言うところの「リンネーサルジェ」が、奇しくも中国語「人類殺劫(レンレイシャーチエ)と非常に発音が似ているように、文革とは、まさに「殺劫」(殺人衝動、長時間におよぶ殺戮)のようなものであったと、私たちに思い至らせる構成になっている。
■写真を撮ったのは、ツェリン・ドルジェ。1966年当時、中国人民解放軍エリートであったオーセルさんのお父さんだ。国民党軍逃亡兵を父にもつ、漢族とチベット族のハーフであるが、漢語とチベット語を流暢に話すその才能がみこまれて解放軍で出世していた。その年、中国では文化大革命という名の激しい権力闘争がはじまり、それは全土に広まった。ちなみにオーセルさんはそんな文革スタートの年に生を受けている。
■ツェリン・ドルジェの趣味はカメラであり、ラサにおける文革の熱狂、破壊、「牛鬼蛇神」のつるし上げの風景をファインダーにおさめ続けた。彼はその写真の存在を死ぬまぎわまで誰にも語らなかった。おそらく、それは一級の機密であることを知っていた。そんなものを所持していることがばれれば解放軍エリートとはいえ、ただではすまないことも。しかしそのまま、この世から消し去ることもしのびなく、1991年の臨終まぎわに娘のオーセルさんに託したのだ。
■共産党軍幹部の娘として、党の正しい教育をうけ、成人し、「西藏文学」編集者という党エリートの職を得ていたオーセルさんは、この重大な機密写真をゆずりうけて、うろたえた。しかし、漢族とチベット族のハーフであり、晩年はチベット仏教に深く帰依した父親がどういう思いでこの危険な写真をもっていたかを思えば捨てるわけにもいかない。そこで、当時、「天葬」などチベット問題をテーマにした著書で高い評価を得ていた反体制作家、王力雄氏にその写真を託した。ところが、王氏はこの写真を世に出す仕事はチベット族の仕事である、とオーセルさんを説得した。で、王さんの励ましをうけて、オーセルさんが写真をもとに、当時の文革関係者から聞き取り調査することになった。この辺のいきさつは本書の序文にまとめられている。
■オーセルさんは、父から譲りうけられた写真一枚一枚の当時の背景をさぐり、そこに写っている人の生い立ちを調べ、家族、関係者に取材した。同書第1章の「古いチベットを破壊せよ」では、文革初期の「四旧」打破の状況が写真をもとにほぼ時系列で解説されている。たとえば本書の初めに掲載された1965年の第一期人民代表大会の写真に写っている貴族出身の代表たちが、1966年の「牛鬼蛇神」のつるし上げ写真に写っていたりする。
■ジョカン寺を鍬で破壊する農奴出身少女(翻身農奴)の写真があるが、その少女がチベットテレビ局、中央人民放送のアナウンサーなどをへて北京に住んでいる人物らしいとか、というそういう人づての話やゴシップの類もきちんと書いてある。
■一方で、ラサ中学の生徒だった元紅衛兵や、ラサ中学のチベット族生徒を扇動して破壊行動に駆り立てた漢族教師・陶長松氏にもインタビューを敢行している。彼らがどういう言葉で文革を語ったか、これは本を読んで頂くにかぎる。
■つるし上げ写真の解説は、その写真に写る被害者、犠牲者の家族、子供たちに取材をしている。オーセルさんは序文で、取材中に相手が突然震え泣き出した経験をふりかえり、辛い記憶を取材相手に再現させる取材者としての苦悩をにじませている。この取材は、オーセルさんのこれまでの解放軍幹部子女、共産党エリートの地位を危うくするという意味でもプレッシャーだったろうが、それ以上に、文革においては加害者側にいた解放軍幹部の娘として、民族のアイデンティティ、歴史に向き合うことの葛藤を抱えながらの作業であっただろう。
■これらだけが理由ではないが、彼女は当初ペンネームで出だす予定だった同書を最終的に本名で出し、共産党エリートの地位を自ら捨てた。彼女は今、北京で「敏感作家」のブラックリストにのり、当局の監視下で緊張感をもって文筆活動を続けている。
■貴族、活仏、僧侶がつるし上げられ、辱められ、ときには死に至らしめられた。寺や仏教美術、教典が破壊され、そのどさくさにまぎれて、法衣や仏教美術に使用されている金銀宝物が略奪された。チベット語の通り名や地名は文革風に改名された。そうして「古いチベット」が徹底的に破壊しつくされる一方で、二大造反派の内戦がはじまる。それについては第2章でまとめられている。
■古いチベットを駆逐する過程で造反派は、「造総(ラサ革命造反総指令部)」と「大連指」(プロレタリア大連合革命総指令部)の二大派閥にわかれて、権力闘争を展開する。「シルシチョフって誰だ?」というような程度の「翻身農奴」たちは二大派閥のどちらかに属するか選択をせまられ、各地で紛争に巻き込まれた。
■最初は「文闘」とよばれる批判大会、討論での闘いだったが、やがて「武闘」となり、文字通り流血の内戦となった。この派閥武闘の写真はない。ラサにおける武闘のピーク時、ツェリン・ドルジェは老父の看病のため休暇を取ってラサを離れていたからだ。しかし、このラサにおける二大造反派の武闘のすさまじさについて、オーセルさんは取材し、「耳をえぐる、鼻をそぐ、手足を切断するといった原始的で残虐な刑罰がしばしば行われ、頭に鉄釘を打たれた造総メンバーの遺体がパルコルでさらされた」と書いている。結局1969年までにこの内戦で「造総」はつぶされた。ラサにおけるこの造反派の内戦は、文革研究ではあまり取りあげられていない、というか知られていなかったそうだ。
■第3章は解放軍内部の状況が詳しく書かれている。軍部内にもやはり造反2派にわかれて闘争が行われていた。ツェリン・ドルジェはまさにその内部闘争の渦中にいた。しかし、この派閥闘争の仲裁にあたる「解放軍毛沢東思想宣伝隊」、すなわち泣く子も黙る「軍宣隊」は、欲しいままに拷問をおこない、自白を強要し、果ては自殺事件、虐殺事件が発生した。軍宣隊が進駐した寺は、略奪の限りが尽くされ、廃墟と化した。ツェリン・ドルジェはこの軍部内の抗争の末、1970年、パージされ四川省ギャンツェ・チベット族自治州の某県の人民武装部(民兵訓練実施を任務とする)に配置換えとなる。
■第4章で、オーセルさんは「革命、すなわち殺劫」とまとめている。チベット農奴たちは解放され、つかの間の喜びはあったかもしれないが、人民公社化による伝統農法の破壊と自然災害がかさなった末の大飢饉、チベット経済の破壊、伝統と信仰の破壊のあとに、果たして毛沢東が約束した新しいチベット、桃源郷はつくられたのか。
■この分厚い本を読んできた私たちは、次のような結論に納得するのである。「(毛沢東思想という『精神の原爆』は)青藏高原1000年にわたる静寂を打ち破り、チベット人の血肉に触れただけでなく、チベット人の魂の奥底にまで手を伸ばした。その結果、チベット人はこの上なく明確に悟ったのである。『魂の奥底から革命を勃発させる』という毛沢東の言葉が意味するものは、なんと痛々しくて顧みるに忍びない『殺劫』のことである、と」
■というわけで同書は、チベットにおける文革研究一級資料であると同時に、ツェリン・ドルジェとオーセルという父娘が歴史と民族の問題に真摯に向き合った軌跡でもある。ツェリン・ドルジェは解放軍エリートとチベット族としてのアイデンティティに矛盾を抱えたままこの世を去ったかもしれないけれど、娘は父の残した写真を手がかりに自分の足で調べ取材し書き、その答えを見つけ出した。そしてその作業を支えたのは、漢族作家の王力雄さんであった。この長い道のりと葛藤に思いを馳せると、私は胸がいっぱいになるし、同書が単に研究資料として、一部の研究者やジャーナリストに読まれるだけでは、本当にもったいないと思う。
■話はかわるが、ちょうど上野の森美術館で「聖地チベット展」(平成22年1月11日まで)が行われている。実は、在日チベット人およびチベットサポーターには大変評判の悪い展覧会である。主催はわがフジサンケイグループの上野の森美術館、朝日新聞、TBSなどである。後援は文化庁、中国国家文物局、中国大使館。つまり、チベットの至宝を、聖地を破壊と流血で汚した中国共産党政権が中国の至宝として貸し出して展示している。これは中国当局の宣伝工作に日本大メディアが荷担した展覧会だ!!というのが、在日チベット族側およびサポーター(亡命政府側)の主張である。
■私はチベットをテーマとしたとある座談会で、フジサンケイグループとして聖地チベット展という中国の宣伝工作の片棒を担ぐことをどう思うか?と質問を受けたことがある。そのとき、私はこう答えた。記録をもとに書き出すと。
■「こういう展覧会は自分の会社が関わっているから言うわけではないのですけれども、どのような切り口であれ、興味を持つ入り口にはなると思うんですね。その展示場で、実は文革の時にはこういったものを中国側はさんざん打ちのめしていたのに、今更これで金儲けしているんですよ、というようなことをあえて言わなくても、そういう歴史があるというのは、たまたまそれを見た時に、チベットに興味を感じて、ものの本を探れば、日本なんかは自由なのでいろんな書籍とかわかるのですから、そこから始めていただければ問題ないのではないかなーとは思うんですけれども」
■確かに、あのチベット騒乱のさなかか直後かに、大メディアの事業局とかが、「チベットへの関心が高まっている今、こういう企画はぜったいあたりまっせ」とかいいながら中国様とそろばんはじきながら交渉をやっていたかと思うと正直、あんたらあこぎやな、といいたい気持ちになるけれど、同時にすなおに、すごい展覧会だ、一見の価値ありだと思う。これほどのチベット仏教美術の逸品、名品を取りそろえた展覧会は日本初だし、この機会を逃せば、次はいつあるか。特に、新聞記者のような職業は自由にチベット自治区を訪れられないので、なおさらそう思う。大英博物館を侵略と略奪の成果の陳列と批判しつつも、優れた蒐集であることを認めざるをえないようなものだ。
■ただ、せっかく、あの展覧会にいくなら、行く前、あるいは行ったあとでいいから、『殺劫』などを読んでほしい。この展覧会の背後には、独自の体系をもって頂点を極めた一つの無垢な文明が、中国の一部となってしまったことで、ほんの十年で叩きのめされた歴史が存在する。文革がおわったあと、仏像など宗教美術は〝文化財〟と認識できるようになり大切にしているかもしれないが、それはあくまで〝解放〟という名の征服によって得た戦利品であり、分かりやすい金目のものにすぎない。
■本当のチベットの至宝は、それら仏教美術を生み出した土壌、つまり宗教、哲学、習慣、言語、風土、価値観である。しかし、それら精神文化の真価が唯物主義者には分からないようで、いまなおチベット精神文化は漢化という形で破壊され続けている。金目の物は略奪できても、精神は奪えないから、破壊するしかない。
■そういう背景も知った上で、展覧会をみれば、あるいは圧倒的なチベット仏教美術の精華を目の当たりにしたあとでその歴史背景を知れば、これらを生み出したチベットの精神文化も決して失われてはならないと強く願うことになるだろう。そういう思いが日本人の間に広がれば、それは結果的にチベットにとってもいいことではないか。
■アイヌ文化を殲滅した日本人に言われたくないとか、漢化とはチベットにおける近代化のことだとか、もちろん漢族側の意見にも耳を傾ければいい。展覧会を中国人留学生らと一緒に見に行くのも自由で開かれた日本でならできる。そういうテーマで、ケンカすることなく議論できれば、双方、目からウロコの発見があるかもしれない。
■ちなみに、私の発言については、座談会に参加した在日チベット人のテンジン・タシさんはこう語っている。
■「僕、最初にあの(聖地チベット展の)宣伝見たときに、ああ、自分はやっぱり行きたくないと思ったんですよ。何故かっていうと、それは明らかにプロパガンダですよね。でも、中国の至宝じゃなくチベットの至宝であるというのは一番大事なところで、それ誰が何が言おうが、チベットの至宝っていうことには変わりないと思います。我々もそれを本当にどうやって自分達にプラスになるように出来るかっていうのを、考えたほうがいいと思います」
■「僕は本当にあれ自分が行きたくないからみんなも行くな、行かないほうがいいとかじゃなくて、逆に是非チベットの至宝を見ていただいて。そこで感じることとかわかることもあると思いますし。出来ればね、我々チベット人でも逆に案内した方がいいじゃないですか。例えばツアーでグループで10人でもいいんですよね、10人連れて行って、そこで会場で案内して、で、正々堂々やれば別にそこ案内するなっていう人いないと思いますし。それは本当に我々にとってプラスになると思います」
■わたしも明日、チベット亡命政府から来日したチベット人ジャーナリストと一緒に展覧会を見に行く。そのあと、午後2時から新宿区立榎町地域センター4階(早稲田町85)でチベットジャーナリストを交えたパネルディスカッションがある。参加費700円。興味のある方はぜひ。↓
http://tibet.cocolog-nifty.com/blog_tibet/2009/10/118-c282.html
by gaibage dox
『殺劫』を読んで上野の森美術…