09/10/31
皆さん、こんにちは。

昨年の「カトリック正義と平和協議会・全国大会」は大阪(兵庫県・尼崎市)を中心に行われ、私も参加し、私が見聞した範囲で、詳細な報告をしました。(→)

今年の「第35回 カトリック正義と平和 全国集会」についても後れ馳せながら、「私が見聞した範囲で」、報告してみます。

私は11日の「第8分科会」にのみ参加しました。
因みに10日は東京カテドラルにおける「荘厳司教ミサ」(主司式:ローマ教皇庁大使 アルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教)に参列しました。
12日は「第43回横浜教区一粒会大会」、裾野市の不二聖心女子学院で開催され、参加しました。参加者は私のカウントでは700名以上800名未満だったと思います。荘厳司教ミサも横浜教区一粒会大会も、素晴らしい一日でした。

そのようなことで今年の正平協全国大会には、私は10日の基調講演、交流会、12日の「派遣のミサ」に参加できませんでした。(参加する意欲もありませんでした)

今年の「さいたま大会」は18の分科会が設営され、それぞれ会場が異なりました。
申込の際、希望する分科会の記入を求められ、私は惑うことなく第一希望に第8分科会(菊地司教「貧困と闘い平和を築く」)を選びました。第二希望に「憲法20条と靖国神社」を選びました。第二希望には、“但し、私は靖国崇敬奉賛会々員(遺族)です”と注記しておきました。

“但し”というのは何に対してなのか変な前句ですが、自分の立場ははっきりしておく、というのが私の主義です。ここへの参加の指示があれば行く積もりでした。私が主催者であれば、このような人物は必ず呼んだでしょう。しかしお声はかかりませんでした。そう思っていました。

第13分科会は環境問題で、私は実業としての(紙上でなく)専門家ですから、現場を知る者として、面白い質問ができたと思います。しかしいずれにせよ第一希望の菊地司教分科会に呼ばれ、幸いでした。メインと思える他の分科会に、興味はありませんでした。知的刺激の期待できないものに参加する余裕が、私の残り時間にありません。

第8分科会は、目測60人余りの参加数だったと思います。(菊地司教もそのように書いておられますが、私は70人弱、と思います)

菊地司教のお話はごく普通のもので、内容は重いものですが理解は出来ました。(自分が具体的に話の主旨に従うことは容易でないです)。
ベネディクト16世教皇の「世界平和の日メッセージ」を基調とし、、ヨハネ・パウロ二世教皇の言葉を多く引用され、素直に理解できるお話でした。(繰り返しますが実行は容易でないです)。

今になって思い起こすのですが、この分科会では「正平協」という言葉が一言も出なかったと思います。司会者も語りませんでしたし、菊地司教のご発言の中にもありませんでした。

私の仲間の多くは第4分科会に参加しました。分科会そのものは中止されたようですが、計画ではイグナチオ教会に集合し、靖国神社へ向かう予定だったようです。そこへ某団体が街宣というか、デモを掛けたようです。私は仲間から色々聞き、またインターネットでもアップされていますが、自身の体験はないので、ここには書きません。いずれにせよ、悲しむべきというか、憂慮すべき出来事と思います。

しかし、ある必然があったと思います。
「正平協」、特に谷司教の神道を特定しての攻撃は、宗教者として常軌を逸していると思います。ここで詳しくは再録しませんが、昨年の私のレポートをご参照下さい。又、「正平協」が支援する西山俊彦神父は、いわゆる「靖国訴訟」の原告の一人であります。
ミニ・宗教戦争となりました。

神道や靖国神社が立ち上がった訳ではありません。将来とも、それはないでしょう。しかし収まらない信徒、信奉者がいます。

カトリックは信徒でなく、司教そのものが先頭に立っています。どうなっていくでしょうか。
不思議なのは「暴徒」に対する抗議の、一言もないことです。『声明』大好きの方々が。

私の予測では、この方面については、“「正平協」はおとなしくなる”、と思います。
この19月11日のイグナチオ教会前の出来事は、その場にいた私の仲間が、「論文」を書いています。いずれ私の関係するページに、アップできると思います。

 

ノムさんの、「観た、聴いた、読んだ、食った」
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京加茂