2009年06月02日

私の役割り

物事の上澄みだけをすくって生きていれば、それなりに賛同者も得られるだろうし、
きっと反感も買わないだろう…。

実際そうやって、美しい言葉を大勢の見る板に投げかけて、
「私はスピリチュアルな世界に生きています。」…と言って、セラピストや預言者の看板を掲げて、
活動している人も沢山見て来た…。

…が、実際に身の回りにトラブルが起きると真っ先に高台へと非難し、
実際にはそのトラブルを放置し、「見る人」「祈る人」に徹しては、
渦中の栗には手を触れない人がこの類いの人だという事も、
私は実際に目の当たりに見て、知っている…。


昨日、あるマイミクさんから「マイミク解除」の意思を告げるメールが届いた。


【メール本文】

 日記を読ませて頂いています。

 とっても勿体ないな〜って思います。

 カノンさんはいつも誰かを対象に怒りを出していますね。
 読んでいて、苦しいんです。

 素晴らしい能力を持っていらっしゃるなら、平和の為に使って欲しいと思います。

 残念なのですが、マイミクを外させてください。

 カノンさんが心穏やかに過ごされる事を願っています。


 カノンさんはいつも誰かを対象に怒りを出していますね。


↑ 果たして私は、「誰かを対象に怒りを出している」だろうか…?

そしてこの人の言う「平和の為」とは、
天然ボケのような形振りで、ボケーっと空を見上げて和的エッセンスの言葉を綺麗に並べ、
実は自分が最も平和で居られる場所に居続ける事ではないだろうかと、
私は上記のメールから感じ取った。

本当の平和とは、見知らぬ他人の為に見返りの無い戦いを引き受ける事ではないかと、
私はその手の賢人の背中から教わっている。


イエス・キリストがこんな事を言っていたそうだ。

私は平和を唱えに来たのではない。
 戦いをしに来たのだ。

 あなたがたの和を乱し、真の和を創り直す為、ここに来た。



勿論、イエス・キリストのような偉人と自分を比較するなど、おこがましい話だが、
キリストの言葉は今の私の心情にとても近いのだ。


SA3C013900010001

「私は真実を唱えるのではなく、
 そこに生きる人たちが真実を見つける、
 鍵と鍵穴を合わせる手段を伝えに来たのだ…。」




Copyright (c) 2009 平杜カノン


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この記事へのコメント

1. Posted by ももパパ   2009年06月02日 05:26
政治と同じで、活動する中で必ずいろいろなトラブルが起こる

しかたないですよね
だれかの為でなく 自分の信念ですから一部の感情的な問題も発生するのに何らかの障害も起こります。

ただ最近いろいろ重複して熱くならざるおえないようなこともカノンさんに降りかかっていたようにも感じました。

コメントにならなくてすいません

でも熱くなるのも信念があるからだと 思うので今のままでよいのかと思います。

2. Posted by fairy   2009年06月02日 11:06
カノン様 こんにちは。
ある意味世の中戦いだと思います。
喜怒哀楽がないと物事わからないかと思います。
心から応援しております。。。
3. Posted by 平杜カノン   2009年06月02日 11:40
ももパパさん:
コメントありがとうございます

> ただ最近いろいろ重複して熱くならざるおえないようなこともカノンさんに降りかかっていたようにも感じました。

むしろ「熱くなって」いた方が、収めがききます。
…熱くないからこそ、自分の意思ではないものがそこに働いていた…と、言わざるを得ない状況でした。

私はそうした「熱さ」には、逆らわない事にしています。
そこにミッションがあると思うからです。

4. Posted by 平杜カノン   2009年06月02日 11:44
fairyさん:こんにちは

> ある意味世の中戦いだと思います。

私もそう思います。
生きて行くとは、糧と食料を得る事に直結しています。
資源が有限であれば、戦いは必然的に発生します。

私は先ず、生きて行く事を前提としたものの考え方を、していたいと思うのです。
そこに在る戦いには、「勝つ事が前提」だと思っています
5. Posted by サガン   2009年06月03日 03:51
5 カノンさんがここに、あえてこうしたコラムを投稿した事には、我々のような凡人には分からない思惑があったのだとお察しします。
遠巻きにあれこれと静観していますが、最近のカノンさんの達観ぶりの一番の影響はやっぱり、旦那さんかもしれないのかなあと感じています。

人は、誰かの「一番」でありたいと願う生き物。僕もそう。
たぶんカノンさんに対して攻撃的になってしまう人たちの、大半がそうなのではないかとも思っています。
でも「一番」はやっぱり「一人」、オンリーワンだから意味があると言えますね。

誰もがなれないオンリーワンならば、シャドーでもいいのではないかな?

そんな考え方が出来たらそうした人たちも、一皮剥けるだろうにと思うと、少し気の毒な気もするのですが、ここは戦い。
きちっとカタにハメていいと、僕は思いますよ。

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