GREEのこと。黒岩秀行さんが、ご自身の日記にアップされた『
創価学会の戒壇観』を読んだ。日蓮研究をなさってきた正統な文章であると思った。
上梓されているのかどうかは存じ上げない。
http://gree.jp/bhabanero/blog/entry/300381573
秀でた文章であり、ここに、わたしのつまらない評を記す気はない。
印象に残ったことのみ。創価学会であった黒岩さんが幼少の頃、清浄な地と感じていた大石寺が、大学生以降には、そうではなくなっていったという気分の変化である。わたしは、まず創価学会、池田大作さんに、こうした気分の変化を覚え、のちに大石寺にもまた、同様に思った。
黒岩さんご自身の心象を憶測で記す愚はしないこととする。
わたし自身について書く。たぶん、わたしの内心に起こった変化は、聖物、聖人、そして、聖地といった対象を、それを崇拝するところからくる解釈から離れ、あからさまに実像に迫った結果だった。
聖物であると思った「本門戒壇の大御本尊」は、後世の彫刻作品であったし、聖人、それも本仏であると教えられ思い込んでいた日蓮は誤り多い人間であった。聖地と思った大石寺は、巨大建造物を建てて彫刻を見せて金を集める商業施設に過ぎなかった。
こうした事情は、創価学会でも同様だった。
聖物であると教え思い込んでいた「御本尊」は写真製版で大量生産された印刷で、聖人…こうした言葉は充てないが…と思った池田さんは宗教者というより、宗教をツールにした起業の大成功者であり、宗教的に尊敬の対象ではなかった。池田さんは名誉会長と呼ばれる。その奥さんはいまは「香峯子」というのだそうだが、元々は「かね」だった。要は池田夫妻を合わせれば「名誉とカネ」。これほど、象徴的な夫婦も珍しい。
創価学会に聖地と言える場所はない。信濃町の土地を大量に買い占め、センスの悪い建物を次々と建て、大学を造って八王子に進出しても、そこは聖地などというにはほど遠い。偏った印象のビジネス街、教育施設以上の意味はない。
たぶん、気分の変化は、聖と思ったものが、凡、もしくは俗であるという実像を見た落胆であったのだと思う。
わたしの近しい人間が、ぽつんと言ったこと、「創価学会員って、欲深い」。味わいのある箴言だと思った。
わたしは巨大建造物は好きなほうだ。しかし、宗教団体の、巨大建造物の虚仮威しなど、「ふん」と鼻で笑う。「これを作る金はどこから持ってきたんだろうか」、そう、いつも考える。どこの町でも見かける創価学会の悪趣味な会館。いや、創価学会ばかりではない。どこの宗教団体の建物も自己顕示欲の強い悪趣味で町の景観を損ねている。
いまの法華講が「正本堂は、仏教に似つかわしくない」と言った。
その建造物を喜び勇んで受け取って、1度に5千人、1千万の収入のうま味におぼれてきたのは、当の大石寺だろう。
大石寺の日有は「法花宗の御堂なんどをば日本様に作るべし唐様には作るべからず」と言った。
日達氏は略解して「本宗の本堂などは、日本様式に建てなさない。中国式のごとく敷瓦をした形式にしてはいけません」(P102)という。
では、正本堂にせよ、奉安堂にせよ、その建築様式はどうか。古来からの焼き瓦ではないにせよ、瓦様である。客殿、六壺にいたっては、禁止された瓦屋根ではないか。
こうした歴代の言葉は反古にして顧みずに、洋式だ、近代デザインがどうのもないものだ。創価学会に至っては問題外である。
信徒会員の意識というのは、冷めて見直せば、まことに滑稽である。そして、物悲しい。
宗教ビジネスとそのツールに入れ込んでいくのだ。
わたしも、父も母もそうだった。
わたしはいま、よく思う。両親が創価学会に入らないでくれたら。自分が小学生の時、池田さんに会わずにいたら、わたしの人生は、どんなにか変わっていたことだろうか。寺院、坊さんにも何の興味も抱かずに、自分の思考・嗜好で意義ある人生を送れたことだろう。
活動という名の奴隷、奉行(ほうこう)という名の奴隷。創価学会から大石寺へ。奴隷としての、流浪の民だった。結局、どこの宗教へ行っても、信者会員はそうである。伝統教団に行ったところで救いなどない。
宗教団体の、奴隷となった人々は、時には兵隊となって他を責める。本営からその気にさせられているのである。
権威の認知と服従という人間がサルと分化する以前からDNAに刻み込んだ原始的な行動習性を、宗教ビジネスと、その“事業主”、“営業マン”はたくみに活用している。そして、活用されているのだ。
黒岩さん、また、大木道惠さんといった方々は、いま、わたしがこうして悔いをもって振り返る信仰という名の監獄。会員信者という名の奴隷からいち早く解放された方々であったと、改めて思った。
黒岩さんの玉稿から、半生を振り返った。