投稿者
 メール
  題名
  内容 HTMLタグ動画検索画像・ファイル<IMG><OBJECT>タグが利用可能です。(詳細)
    
  ファイル1
  ファイル2
  ファイル3
アップロード可能な形式(各1MB以内):
画像(gif,png,jpg,bmp) 音楽(mmf,mld) 動画(amc,3gp,3g2)

 URL


全2000件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 

創大教授も他宗と共に参加

 投稿者:  投稿日:2009年11月 6日(金)13時23分16秒 p6140-ipad01okayamaima.okayama.ocn.ne.jp
返信・引用
  フェイクが日蓮宗現代宗教研究会(現宗研)主催の研究発表大会について、いろいろ言っておりますが、現宗研に詳しい在野研究者のブログによると、長倉氏と花野氏の現宗研主催のへの参加は今回が初めてではないようです。長倉氏は2回目、花野氏は10回以上とか。フェイクは今回ようやく気付いたんですかね。

また、同ブログによると、現宗研主催の研究会には創価大学教授であり東洋哲学研究所主任研究員つまりバリバリの学会教学部幹部である中野毅氏も参加したことがあったとかで、ネットで探してみたら、現宗研のサイトに中野氏出席の記録と講演内容が残っていました。

---日蓮宗 現代宗教研究所 所報第28号より抜粋------

日蓮宗 現代宗教研究所 主催
第26回中央教化研究会議

平成五年九月九日(木)・十日(金)
  全 体 会
   (1)記念講演・シンポジウム「現代の教化を問う」
    ○浄土真宗の立場からの講演
      大村英昭(大阪大学教養部教授)
    ○曹洞宗の立場からの講演
      中野東禅(駒沢大学講師・曹洞宗教化研修所講師兼主事)
    ○法華系の立場からの講演
      中野 毅(創価大学文学部社会学科教授・東洋哲学研究所主任研究員)


---------------引用終わり-----------
出自 日蓮宗 現代宗教研究所 所報第28号
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho28/s28_310.htm

なお、中野氏の講演内容はこちら 262ページ〜
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/pdf/syoho28.pdf

長倉、花野両氏を「謗法同座」と非難したフェイクは、次号あたりで中野毅創大教授にも言及してくれるのかな? ワクワク
 

Re: アホ華講よ

 投稿者:中条のきよし  投稿日:2009年11月 6日(金)11時15分49秒 proxy1157.docomo.ne.jp
返信・引用
  > No.49287[元記事へ]

大(姦魔)作さんへのお返事です。

> 情報紙「フェイク」はウソを書いたことがない。
>


うそ

うそ

うそ

うそ

うそ

うそ

うそ

うそ

うそ

うそ

うそ
 

花野充道文学博士

 投稿者:れいな  投稿日:2009年11月 6日(金)09時37分0秒 p8185-ipbfp1004osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  池田大作のような「ブリキの勲章」を200以上も4とり、悦に入っているスカタンよりは立派ではあるな!!!www




長倉信祐 (大正大学綜合仏教研究所)
   「天璋院篤姫の法華信仰をめぐって―薩摩藩奥女中「小野嶋」との関係を中心に―」
http://wwwsoc.nii.ac.jp/mjbh/release080531.html

花野充道文学博士

「住職」としての立場を返上し、借家暮らしをしながらの一浪人となって学問に徹し為しえた博士号取得であった。
師との約束を果たすという、決して自己満足に留まらないお振舞は、「師厳道尊」を重んじる興門派僧侶としての精神を感じさせるお話であった。
http://fujikyougaku.blog22.fc2.com/blog-entry-91.html
 

創価を破す。

 投稿者:創価反対派  投稿日:2009年11月 6日(金)09時23分28秒 tor.clanspum.net
返信・引用
  研究と信仰は別だろうが(笑)

ならば聞くが、日蓮大聖人を謗法呼ばわりするのが創価学会の信仰か?

ならば聞くが、池田氏は哲学を使って会員に仏法に結びつける。

これも日蓮仏法の崩壊を目指しているのでないか。

どうかね?創価の諸君。
 

素晴らしい。花野さん。

 投稿者:創価バカ一代  投稿日:2009年11月 6日(金)09時11分28秒 ip-64-62-141-127.fmt.systeminplace.net
返信・引用
  人間は、自分の思いや考えを相手に伝えるために、言語を用いて会話をする。会話は双方が共通の言語を用いることによってはじめて成立する。通訳もなしに、日本語と中国語で会話をすることは不可能である。

また言語の意味する概念について、双方が共通の認識をもっていなければ、会話は成立しない。たとえば「手紙」という言語を用いる場合、その言語の意味する概念が日中両国で異なることを知っておかなければ、会話に混乱が生じる[※01]。

どうして、このような当たり前のことを述べたかと言えば、今日、本覚思想についての議論に混乱がみられるからである。

本覚思想について論ずる場合、その概念を共有しなければ議論がかみあわない。研究者がおのおの勝手な定義を掲げて本覚思想を論じても議論が進展することはない。議論を積み重ねることによって真実に迫っていこうと思えば、独りよがりの本覚思想の使い方は慎むべきである。

今日、このように本覚思想が注目されるに至ったのは、袴谷憲昭氏の『本覚思想批判』という書名のおかげであり、同時に、本覚思想の議論に混乱が生じたのも、該書のせいである。本覚思想についての混乱を収拾するためには、その用語がどのようにして使われてきたかを歴史的に辿る必要がある。学問は積み重ねによって進展していく以上、後学が先学の業績を尊重するのは当然であり、先学の議論の上に自らの見解を積み重ねていかなければならないからである。

最初に本覚思想に着目されたのは島地大等氏である。従ってわれわれが本覚思想について論ずる場合、まず島地氏の所論をふまえることが前提となる。島地氏は日本仏教を解明するに当たり、日本で発展をとげた本覚思想に注目して、一九〇六年に「本覚門の信仰」と題して講演された[※02]。その論旨は次の如くである。

(1)
古今・東西の仏教を本覚門の信仰と始覚門の信仰に分けて考えてみたらどうだろうか。私が用いる本覚・始覚の語は、『起信論』に説かれるそれとは異なっている。

(2)
始覚門の信仰とは、読んで字の如く「始めて覚る信仰」、すなわち現実から遠く離れた理想に向かって努力精進し、多劫を経てようやく理想に到達する宗教を言う。対して本覚門の信仰とは、読んで字の如く「本より覚る信仰」、すなわち理想を遠くに見るのではなく、現実の中に理想を実現する宗教を言う。

(3)
インド仏教・中国仏教の大半は始覚門の信仰に属する。ただ中国の達磨宗の禅法だけは本覚門の信仰に近い。日本の南都六宗は外国仏教の移植にすぎないから始覚門の信仰に属する。平安時代の天台宗や真言宗は初期においては始覚門に近かったが、後期になると本覚門になる。鎌倉時代の親鸞の浄土真宗と日蓮の日蓮宗はともに本覚門の信仰である。中国唯一の本覚門とも言うべき宗禅を移植して日本民族に同化した曹洞宗と臨済宗も本覚門の信仰と言える。

このように島地氏は、一九〇六年にはじめて本覚門と始覚門という語を用いて、古今・東西の仏教を類別し、日本仏教の特質を論じられた。本覚門・始覚門という独自の思想史観をもって、仏教思想の展開を体系化しようとされた島地氏の雄大な試みは、亡くなるまで続けられた。

島地氏は亡くなる前年(一九二六)、それまでの研究を集約する形で「日本古天台研究の必要を論ず」と題する論文を発表された[※03]。

(4)
私は、日本天台を二分して、江戸時代の安楽派興起以前を中古天台、以後を近古天台と呼び、中古天台に顕われた特異の教学については、本門思想・本覚思想等の名称を用いてこれを論述したい。

(5)
平安後期から鎌倉時代にかけて新仏教の誕生を見たが、この禅・念仏・日蓮等の仏教は、何を母胎として産声をあげただろうか。日本仏教史上、まず着目すべきは日本の中古天台の思想であろう。神道理論形成についても、神本仏迹の思想は、中古天台教学の特色たる迹門思想から本門思想への転回、始覚法門から本覚法門への進展に依拠するものであり、その根底には本門思想という哲学の流れが横溢していたことに注目すべきである。

(6)
日本思想史に一貫する思想は、形の上からは顕密融合の思想、質の上からは本覚思想と名づけられるものであり、天台教学史の立場からは、本門思想とも事本思想とも言うべきものである。それらに一貫するものは、いわゆる具体的絶対論であり、絶対肯定の思想であって、専門的には本覚思想と称するものである。日本特有の本覚思想は、宗教に、道徳に、芸術に、各方面に、同工異曲の種々相を展開したところの根本思想である。

(7)
日本には、日本思想史を一貫する独自の哲学がある。私は、仏教哲学時代における思想上のクライマックスを中古天台の本覚思想に設定せんと提唱するものである。

以上、日本思想史の基調に流れる本覚思想に最初に着目し、中古天台の研究に生涯を捧げられた島地氏の所論を見てきた。

今日の研究成果からすれば、再考を要するものもあるが、これらの所論によって、島地氏が用いられた「本覚思想」の意味する内容がほぼ理解できたと思う。島地氏は当初、「本覚門の信仰」という語を用いられていたが、晩年になると、「本門思想」「本覚思想」という語を用いられるようになった。

始覚門の信仰とは、多年の修行の功を績むことによって、始めて覚り、始めて救われるという立場である。理想を遠くに設定し、その理想に向かって努力精進する聖者のための仏教と言える。煩悩を断じて聖者になることを目指すから、堕落する危険性はない。

対して本覚門の信仰とは、現実の中に理想を実現して、現実を絶対肯定する仏教である。煩悩具縛の凡夫のまま覚り、また救われるから、凡夫のための仏教と言える。しかし煩悩の現実を肯定する限り、堕落する危険性もある。島地氏は日本仏教の特質を本覚門の信仰に見ておられたことがわかる。

このような本覚門の信仰は、どのようにして形成されたのであろうか。私は、仏教思想はインド、中国、日本と流伝する中で、本覚化の方向に進展していったと考えている。その進展が正当なものであったか、不当なものであったかは、評価の分かれるところであるが、ともかく仏教思想の本覚的展開を、仏身論と成仏論の両面から考察してみよう。

  [二]

島地氏は、「本覚思想とは本門思想とも称されるものである」と述べられている。ところが袴谷氏は、「本覚思想とは従来用いられている本迹思想と言い換えても構わない[※04]」と述べられており、ここに、そもそもの議論の混乱がみられる。

日本中古天台教学においては、本覚は本門、始覚は迹門に配されるから、本覚思想は本門思想であって、袴谷氏のように本覚思想を本迹思想と言うことはできない。袴谷氏は本覚思想を真如随縁論と誤解されて、真如(本)が随縁して諸法(迹)となる思想を本覚思想=本迹思想と言われているのである。

それでは本覚思想と本門思想はどのようにして結びついたのであろうか。「本覚」とは『大乗起信論』に初出する用語である。元意は法身の衆生内在論、すなわち如来蔵や仏性とほとんど同義である。ところが『起信論』において、「本覚」が「始覚」と相対して論じられていることから、敷衍して、修行を通して始めて覚ることを「始覚」、本来覚っていることを「本覚」と言うようになった。


次に「本門」とは「迹門」の対語である。本迹の用語の早い使用例としては、『荘子』の「天運篇」に説かれる、「夫九六経は先王の陳迹なり。豈に其の迹する所以ならんや。今、子の言う所は、猶迹のごときなり。夫九迹は履の出だす所なり。迹は豈に履ならんや」

という文が注目される。六経というのは、先生が残した古い足跡(陳迹)のようなものであって、その足跡をつくった行動や精神(迹する所以)そのものではない。あなたの言っているのは、その足跡であり、足跡は靴(履)によってできるが、足跡が靴そのものなのではない。「迹」は「跡」に同じく、「あと」「あしあと」という意味であり、聖人の具体的な事跡を指すと考えてよい。

対して「迹する所以」は、その具体的な事跡の生ずる根拠を意味しており、聖人の精神や理念を指すと考えてよいであろう。いわゆる中国思想の「理」と「事」という対概念に相当し、「迹する所以」を「本」という言葉に置き換えて、本迹という用語が成立したと思われる[※05]。

仏教に本迹説をとりいれたのは、羅什かその門下であったと考えられ、僧肇、僧叡、慧観の三師にその説が見える。この本迹説を法華経の解釈に初めて用いたのは智である。智は本迹の語にそれぞれ「門」をつけて、法華経の前半十四品を「迹門」、後半十四品を「本門」と称した。

法華経の後半、寿量品には、釈尊は実は久遠の仏であったことが説かれている。智は、法華経の後半に説かれた久遠の釈尊を「本」、インドに応現した釈尊を「迹」として、久遠の釈尊が今日の衆生を救うためにインドに迹(跡)を垂れたと解釈した。そして、法華経の前半は、垂迹の釈尊の立場で説かれているから「迹門」、後半は本地の釈尊の立場で説かれているから「本門」と名づけたのである。

このような智の仏身論は、キリスト教の受肉論に通ずるものがある。すなわち、人間釈尊が修行して仏になった(始めて覚った)という成仏論ではなく、久遠常住の(本より覚れる)仏が、衆生救済のために地上に現われたという救済論(化導論)に切り換っていることに注意する必要がある。それでは法華経に説かれる久遠仏の思想は、どのようにして説き出されたのであろうか。

仏教思想における仏陀観の展開について一瞥しておきたい。

仏陀観(あるいは仏身論)の展開は、実は成仏論の展開と密接に結びついている。仏教とキリスト教の大きな違いは、キリスト教のゴッドははじめからゴッドであるが、仏教の仏ははじめは人間であったという事実である。

キリスト教のゴッドは因果を超越してゴッドであるが、仏教の仏は人間釈尊が修行して仏になったのであるから、因果をふまえている。

理論から言えば、人間はゴッドにはなれないが、仏にはなれるということになる。ところが釈尊が入滅して後、弟子達(声聞)の間で、釈尊はあまりにも偉大な仏であるから、自分達はどんなに修行しても仏にはなれない、という考え方がおこる。原始仏教や部派仏教では、修道の最高位は阿羅漢とされて、仏とはされなかった。小乗仏教は声聞不成仏の立場に立っている。

現実に立脚する限り、自分達はどんなに修行しても仏にはなれない。しかし、理論から言えば、人間釈尊が修行して仏になったのであるから、ほかにも仏になった人はいることになる。実際に原始仏教時代に、すでに仏は釈尊だけではなく、過去世にも仏が現われて法を説き、衆生を教化したことが説かれている。

釈尊の前に六人の仏が現われ、釈尊は七番目であるという過去七仏の思想である。また釈尊の後にも、未来仏として弥勒仏が出現するという思想も原始仏教以来ある。

仏の絶対性からして、一時代に複数の仏が出現することは認めていないが、原始仏教から部派仏教へと展開する中で、過去・現在・未来の三世にわたって多くの仏が出現したことが説かれている。これは時間的な多仏論と言える。

次に、部派の中でも大衆部の一部では、釈尊が出現した娑婆世界のほかに、十方には多くの世界があって、それらの世界にはそれぞれ同時に仏が出現して、法を説いていると主張されるようになった。一時代には一仏しか出現しないが、世界を異にすれば同時に多くの仏が存在していても不都合はないことになる。

すなわち空間的な多仏論である。大乗仏教ではこのような時間的、空間的な多仏論をさらに発展させて、三世十方には無数の仏が存在すると説かれるようになった。

このような仏陀観の展開とあわせて、成仏論にも進展が見られた。釈尊は、釈迦族の王子としてインドに誕生し、解脱の道を求めて出家し、数年の修行を経て、ついに真理を覚って仏になった、というのが歴史的事実としての成仏論であった。

ところが後になると、はたして今世だけの数年間の修行で、あのような偉大な仏になれるだろうか、という考え方がおこる。自分達(声聞)は、どんなに修行してもあのような偉大な仏にはなれない。このように考える人達に対して、釈尊は前世からの長い間、菩薩の修行を続けたからこそ、今世であのような偉大な仏になった、と説明されるようになった。原始仏教から部派仏教にかけてさかんに創られた、釈尊の前世における菩薩の物語(ジャータカ)がそれである。

従って、この時代の成仏論は、基本的には声聞不成仏論、菩薩歴劫修行成仏論であるが、この場合の菩薩は、釈尊の前世に限定されることに注意しなければならない。

ところが大乗仏教になると、三世十方の無数の仏にあわせて、その因位の修行者としての無数の菩薩が説かれるようになった。同時に、自分だけの小さな覚り(阿羅漢果)を求めて修行する人々(声聞)を小乗として否定し、菩薩として六波羅蜜などの修行をすれば、今世では無理でも、未来永劫の間に必ず成仏できる、と説かれるようになった。

それまで釈尊の前世に限定されていた菩薩の名称を、釈尊と同じように上求菩提、下化衆生の自覚に立ったすべての修行者に開放し
たのである。なかでも法華経は、上求菩提、下化衆生の自覚に立った人は、すべて菩薩であり、誰でも菩薩の道を行じて仏になれると説く経典である。

このような法華経の思想的意義を仏教思想史の中に位置づけると、法華経の前半(迹門)に説かれる開三顕一の思想と、後半(本門)に説かれる開近顕遠の思想が注目される。

まず法華経に説かれる開三顕一の思想について述べれば、法華経は、小乗仏教(声聞乗)を批判して大乗仏教(菩薩乗)が興起したという歴史をふまえて、小乗を大乗の立場から単に批判するのではなく、小乗の人も含めてすべての人が成仏できることを説いている。

それまで小乗仏教で阿羅漢を目指す声聞乗と、縁覚を目指す縁覚乗が説かれ、さらに大乗仏教で成仏を目指す菩薩乗が説かれて、以上三通りの修行(因)と、目指す覚り(果)がバラバラに説かれていたのを(三乗の教え)、それらはすべて衆生を唯一の仏乗へと導くための方便(手だて)であり、法華経の立場はどのような人(三乗)でもことごとく成仏できる(一乗の)教えである、と主張したのである。

これは原始仏教、部派仏教、大乗仏教と展開していく中で、多くの経典と三乗の教えが生み出されていったのを、法華経の一乗の教えに統一しようと意図したものである。

すなわち、一切衆生歴劫修行成仏論が法華経の立場と言える。法華経に授記が説かれていることは、成仏は釈尊の前世物語に見られるように、長い間の菩薩の修行(歴劫修行)によってはじめて達成される(現世成仏ではなく、あくまで未来成仏である)、ということを前提としている。

次に法華経に説かれる開近顕遠の思想について述べれば、開三顕一の思想が諸経の法華経への統一(教法の統一)であったのに対して、諸仏の釈迦仏への統一(仏の統一)を意図したものと考えられる。

原始仏教、部派仏教、大乗仏教と展開していく過程で、おびただしい数の仏が生み出されていった。有名な仏として過去仏たる燃燈仏、未来仏たる弥勒仏、他土仏たる西方の阿弥陀仏、東方の阿閃仏などが挙げられる。しかし、現実にこの世に出現して仏教を説いたのは釈迦仏以外にはないのであるから、大乗仏教で続々と量産されていった仏を、今一度、釈迦仏のもとに統一しようという動きがおこる。そうして成立したのが法華経であったと考えられる。

十方諸仏の(空間的)統一仏ということについては、たとえば法華経の涌出品に、「十方世界における、釈迦牟尼如来の本身より化現した分身如来[※06]」という表現が見える。

三世諸仏の(時間的)統一仏、すなわち久遠に最初に覚った仏ということについては、寿量品に「久しき以前に成仏した如来は寿命無量であり、常住である[※07]」と説かれ、また五百塵点劫の譬えが挙げられている。ここで注意すべきは、法華経では時間的、空間的に諸仏を統一する仏が説かれたが、それは未だ時空を超越した絶対的な仏ではないということである。

時間的に「常住」と言っても、それは「久しき以前に成仏した」と説かれる以上、具体的に因を修して成就した果(始めて覚った仏)であって、「もともと仏であった」というような、因果を超越した抽象的な常住仏(本来覚っている仏)ではない。

また空間的にも十方に遍満する抽象的な絶対仏ではなくて、分身仏を統一する具体的な釈迦仏である。これは法華経が、諸仏を時間的・空間的に統一するために、歴史上の釈迦仏は実は前世からの長い間の菩薩の修行によって、今世でプッタとなったという大乗仏教の教説を、そのまま久遠に移して説き直したものだからである。

後の第二期大乗経典に属する涅槃経になると、時間的な絶対仏(常住仏)と空間的な絶対仏(遍満仏)が説かれ、絶対仏が法界に遍満し、衆生に内在するが故に、一切衆生に悉く仏性ありと説かれるが、第一期大乗経典に属する法華経では、まだそこまで至っていない。

久遠の仏と言っても、因果を説く以上、真の常住ではないし、また一切衆生は菩薩の道を行じて仏になると説いても、成仏の根拠としての仏性を説いているわけではない。

  [三]

法華経が漢訳されると、中国において、法華経にはたして仏性と仏身常住が説かれているかどうかが問題となった[※08]。

仏性論争は次の成仏論のところで論ずることにして、ここでは仏身論を中心に、その本覚的展開を辿ってみよう。

法華経の漢訳のうち、最もよく読まれ、思想史上に大きな影響を与えたのは、鳩摩羅什が訳した『妙法蓮華経』である。まず<劉キュウ>は、五時教判を立てて法華経を第四時に配し、「但だ如来の前過恒沙・未来倍数を彰して、仏(身)の常(住)を明かさず。是れは不了(義)教なり」と説いた[※09]。

この中に「前過恒沙。未来倍数」(前は恒沙に過ぎ、未来は数に倍せり)とあるのは羅什訳の「我実成仏已来。無量無辺百千万億那由他劫[※10]」(我れ実に成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由他劫なり。以下、五百塵点劫の譬えを挙げる)と、「我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上敷[※11]」(我れ本と菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命は、今猶お未だ尽きず。復た上の数に倍せり)の文を指している。

すなわち法華経に説かれる久遠仏は、過去は五百塵点劫という成道の始めがあり、未来の寿命はその倍であると言うのであるから、つまるところ無常であり、涅槃経に説かれる仏身の常住義に比べて、不了義教(不完全な教え)であると言うわけである。

光宅寺法雲も『法華義記』に、法華経に説かれる仏果は復倍上数であるから、久遠仏の寿命は本当は有限である(涅槃経のような仏身常住は説かれていない)が、衆生済度の慈悲が無限であるから、神通力によって寿命を無限に延ばして世に留まり、衆生を利益される、と解釈している[※12]。

このような法華本門仏に対する<劉キュウ>の仏身無常論、法雲の神通延寿論に対して反論したのが、次の隋の三大法師と称される、浄影寺慧遠、天台大師智、嘉祥大師吉蔵である。

慧遠は『大乗義章』に、法華経の「前過恒沙、未来倍数」の文は、地涌の菩薩の所見の応身を説いたものであり、真身を論ずれば「畢竟して無尽(常住)なり[※13]」と説いている。

智は『法華文句』に、「前過恒沙、未来倍数」の文を、法雲のように「神通延寿、猶お是れ無常なり」と解釈するのは間違いであり、これは「因を挙げて果を況し、以て常住を明かす[※14]」のであると説いている。また智は、久遠における修証の因果を本因本果と称し、「通じて三身を明かすも、…正しくは報身に在り[※15]」と論じている。

吉蔵は『法華義疏』に、「我本行菩薩道、所成寿命」の文について、「一には無始の始の義を明かす。但し始の義、長遠なるが故に不可数なり。二には法身の無始終の義を願わさんと欲す。故に不可数なり。然るに(有)始無始に、不二にして二の義と、二にして不二の義あり」と論じている[※16]。


このように慧遠、智、吉蔵の三師は、法華経にも仏身常住が説かれていることを論証しようとして、さまざまな解釈を試みているが、それが成功しているかどうかは疑問である。なぜならば、すでに述べたように、第一期大乗経典に属する法華経の久遠仏は、第二期大乗経典に属する涅槃経の常住仏(法身仏)と異なり、成仏の因果が説かれているからである。そして、その因果(報身仏)をむしろ法華経の特長として、高く評価したのが智であったことも忘れてはならない[※17]。

ところが、仏身の常住と修証の因果は本来、矛盾するものであるから、智の正在報身論は日本にきて再び仏身常住の視点から攻撃を受けることになった。

徳一は、(法身仏は本有常住であるが)、報身仏は有始であり、無常ではないか、と最澄に論難を加えている。これに対して答えたのが、有名な最澄の無作三身論である。

最澄は『守護国界章』に、三身相即・倶体倶用の仏身論と、随縁真如・縁起常住の真如論の二面から報身仏の常住を主張した[※18]。一方、空海は徳一とは別の角度から、天台宗の仏身論に批判を投じた。

すなわち、法華経を含む五時の教えを実祭に説いたのは(無常の)釈迦応身仏であり、密教を説いた(常住の)大日法身仏より劣る、と主張したのである。最澄は、このような空海の法華応身教主論に対抗して、法華本門に説かれる久遠仏を高揚し、『法華秀句』に、「天台法華宗は、能説の仏は久遠実成なり[※19]」と論じた。

弟子の円仁は空海の密勝顕劣の仏身義に対抗して、円密一致の立場から法華本門の久遠仏と大日如来の一体説を主張している[※20]。

円仁について注目されるのは、円仁の弟子の安然が、師匠の言葉として「自然覚了の仏」ということを記していることである。『教時問答』には、「大勇金剛(円仁)云わく。(衆)生界仏界の二は倶に本有なり。涅槃界の中に本来常(住)自然覚了の仏あり。故に大日経に大日(如来)説いて云わく。我れは一切の本初なり[※21]」と説かれている。

「我れは一切の本初なり」という表現は、あたかもキリスト教のゴットを思い浮かべるが、これは仏教本釆の立場からすれば、無因有果の外道義と批判されるであろう。インド・中国・日本と仏の絶対化がはかられ、仏身常住義が展開していったが、日本天台に至って、因果を超越した自然覚了の仏が主張されるようになったのである[※22]。

因果を超越した常住仏、すなわち自然覚了の仏は、修行して始めて覚った、いわゆる始覚仏ではなく、もとより覚っている、いわゆる本覚仏である。天台本覚思想の展開に大きな影響を与えたとされる「本覚讃」には、「帰命本覚心法身。常住妙法心蓮台。本来具足三身徳。三十七尊住心城。普門塵数諸三昧。遠離因果法然具[※23]」(本覚の心法身に帰命す。常に妙法の心蓮台に住す。本来、三身の徳を具足す。三十七尊、心城に住す。普門塵数の諸三珠、因果を遠離し、法然として具す。

無辺の徳海、本より円満す。還って我、心の諸仏を頂礼す)と、「因果を速離す」「法然として具す」「常住」「本覚」ということが強調されている。

仏教の開祖である釈尊は、禅定を修して覚りを開き、あるいは法華経に説かれる久遠の釈尊は、長い間の菩薩道を成就して仏になった。このような修証の因果を説かない教えを外道義と言って批判した仏教が、ついに因果を速離した自然覚了の本覚仏を説くに至ったのである。

このようにして成立した仏身の本覚思想を、智教学への復古という使命を担って最初に批判したのが宝地房証真であった。証真の本来自覚仏(本覚仏)批判がそれである。

証真の本来自覚仏批判は、直接的には仏身論についてなされたものである。証真は、当時、叡山の学匠の中で鼓吹されていた「本門には別して無作三身を明かす。迹門及び他経の説に同じからず」という説に対して、『法華玄義私記』に、「弾じて日わく。…若し本門の三身異なりと云はば、異の相いかん。若し本覚を異と為す等と云はば、また前に破すが如し」と批判している。

「前に破すが如し」とは、「本覚仏を以て名づけ
 

花野充道師に関して一言・・・

 投稿者:れいな  投稿日:2009年11月 6日(金)08時52分59秒 p8185-ipbfp1004osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > 日蓮正宗の坊主は「謗法同座」の感覚がマヒ
> 長倉信祐、花野充道が池上本門寺で研究発表

まず、フェイクが言っている上のことは真実であります。

相変わらず、アホが一分のことを大げさに取り上げ、大石寺があたかも大謗法のように取り上げているが、長倉信祐師に関しては私は何も知りませんが、花野充道師に関して一言申し上げます。

この方は創価学会が破門された当時、「道心」という同人雑誌を宗内で発行し、色々なことを発表された方でありますが、非常に教学に優れた御僧侶であるのでしょうか、天台教学の研究に優れ、僧侶というよりは学者といった方がいいのかもしれません。

しかし、師の思想は日蓮正宗の「信仰」という面から考えますと、残念ながら満点とはいえるものではなかったのです。・・従って日顕上人はこの「道心」の発行を禁止されたのです。その後数年が経ちましたが、やはり師の日蓮正宗を逸脱した思想は変わることなく、相も変わらず天台仏教・日蓮本覚思想なるものを振り回し宗内に波紋を起こしたのであります。

・・従って日顕上人は再度、花野充道師に勧告し、注意を促し、寺籍を他の寺院に移動させたのであります。

たとえ僧侶と言えども、日蓮正宗の教義を逸脱し、天台思想に敬服し、本覚思想なるものを振りかざし、『僧侶も博士号を取れ、今のこの時代に「四箇の格言」を振り回しても世間に受け入れられない』などと称する僧侶は猊下様に厳しく叱責されても致し方がないのであります。

日興遺誡置文には、


一、當門流に於ては御鈔を心肝に染め極理を師傳して若し間有らば臺家を聞くべき事。

とあるとおりです。

だからと言って「フェイク」が言っているように、「大石寺は謗法」ではないのです。「フェイク」は一部の逸脱行動をとった人物をことさら謗法のようにでっち上げているだけであります。

また日蓮正宗の僧侶が猊下様の許可をとり、他宗の場所で講師として研究発表することは何も謗法ではないのです。

以上、申し上げます。

以上
 

Re: アホ華講よ

 投稿者:創価の味方  投稿日:2009年11月 6日(金)07時55分14秒 proxy20070.docomo.ne.jp
返信・引用
  > No.49287[元記事へ]

大(姦魔)作さんへのお返事です。

> 情報紙「フェイク」はウソを書いたことがない。
>
> その情報網は宗門の内外を問わず、今では世界中に広がり網羅されている。
>
> 今回の日蓮宗身延派の教学研究発表大会に、
>
> 日顕の弟子どもが行くことも前々から把握していた。
>
> 知らないのは宗門と法華講だ。
>
> 本人たちには、きょうまで宗門から何のお咎めもないので、
>
> 1067号で教えてあげたのだ。
>
> アホ華講どもが到底、信じられないような大謗法を平気で犯すのが日顕であり、
>
> その弟子もまた同じである。
>
> 身延の大会に行っての「謗法同座」が創作が実話か、
>
> 長倉と花野に直接、訊いてから書き込め。                この書きこみに誰が納得できるのでしょうか、恨み、嫉み、欺瞞、怒り 文面に飢鬼、畜生、修羅界があらわれてますよ!だから創価は世間様から嫌われるのですよ、品性豊かな表現で お願いします。
 

フェイクのはったり

 投稿者:  投稿日:2009年11月 6日(金)01時49分42秒 p6140-ipad01okayamaima.okayama.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.49287[元記事へ]

フェイク貼り付け師さんへのお返事です

> その情報網は宗門の内外を問わず、今では世界中に広がり網羅されている。

これはハッタリですね。先の妙宣寺火災のレポートは、新聞記事を脚色して載せただけ。
フェイクにとってはこれほどオイシイネタはないだろうに、あれから3週間以上たっても、自前の火災現場写真すら入手できてない模様だし、詳細な続報もない。
 

Re: 馬鹿チョンカメラ

 投稿者:共産主義者  投稿日:2009年11月 6日(金)01時28分14秒 FL1-119-244-112-78.fko.mesh.ad.jp
返信・引用
  > No.49286[元記事へ]

鈴木さんへのお返事です。

> 馬鹿チョンカメラとは、誰もが簡単に写せるカメラなのです。
>
> ところが、チョンがチョンとクレームを付けたそうです。
>
> その為、この馬鹿チョンカメラ、という用語は使用出来なくなったそうです。
>
> 日本の文化が、チョンのクレームで使用出来なくなる、何とも不思議です。
>
> チョン、という用語も朝鮮人を馬鹿にした言葉ではありません。

■チョンという言葉が朝鮮人の蔑称として使われ始めたのは70年代の中頃ぐらいからで全国的に広まったのはもっと後年ですね。語源には諸説あるようですが定説はないようです。プログラム式EEカメラを馬鹿チョンカメラと呼称したのはもっと前からですね。頭の悪い物や人物をチョンと呼称するのは明治初期の文献に既にみられており特定の人種や民族を指すものではなかったようです。
私は米帝からジャップと呼ばれてもなんともありませんけどね(笑)。

http://8502.teacup.com/communist/bbs

 

Re: 大(姦魔)作さん

 投稿者:ahaha]  投稿日:2009年11月 6日(金)01時19分6秒 ip230.regbg.com
返信・引用
  > No.49289[元記事へ]

北條健一郎@千葉さんへのお返事です。

> はじめまして。
> プロキシ経由で書き込むのが創価学会員の正義でしょうか?
> 正々堂々といきましょうね。
>
> Domain ID:D154646713-LROR
> Domain Name:VIOL8R.ORG
> Created On:09-Nov-2008 00:20:08 UTC
> Last Updated On:02-Nov-2009 03:32:26 UTC
> Expiration Date:09-Nov-2010 00:20:08 UTC
> Sponsoring Registrar:Vitalwerks Internet Solutions, LLC (R1731-LROR)
> Status:CLIENT TRANSFER PROHIBITED
> Status:RENEWPERIOD
> Registrant ID:NOIP497c8d263f2d
> Registrant Name:Eric Samuelson
> Registrant Street1:ATTN: viol8r.org, c/o No-IP.com Registration Privacy
> Registrant Street2:P.O. Box 18797
> Registrant Street3:
> Registrant City:Reno
> Registrant State/Province:NV
> Registrant Postal Code:89511
> Registrant Country:US
> Registrant Phone:+1.7758531883
> Registrant Phone Ext.:
> Registrant FAX:
> Registrant FAX Ext.:
> Registrant Email:a17c4ba39028433d-280898@privacy.no-ip.com

このIP誰かわかりましたよ。

謎のハッカー(笑)
 

以上は、新着順1番目から10番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 
/200