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☆★☆★2009年11月06日付 |
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チームの7得点のうち一人で6打点を叩き出したのだから「ゴジラ」の面目躍如というものだ。当然MVPに輝き日本人大リーガーの物語を後世に残した。松井秀喜の活躍を誉めたたえるにあとは何をもってすればいいのか▼ナショナルリーグの覇者・フィリーズ(フィラデルフィア)とアメリカンリーグの王者となったヤンキース(ニューヨーク)が雌雄を決するワールドシリーズ最終戦で、われらの松井は2回裏2ランホーマー、続く3回裏適時打で2打点、そして5回裏にも2打点を追加、一人で暴れまくった▼こうしてヤンキースの九年振り二十七回目の優勝に貢献したのだからMVPは文句のつけようのない勲章だった。日本人が大リーグで活躍するだけでも大変なのに、ワールドシリーズタイ記録の一試合6打点という輝かしい金字塔を打ち立てたことは同胞として誇って誇りすぎるということはない▼ワールドシリーズでは計三本のホームランを打ち、一本は逆転打となった。ケガに泣き指名打者に甘んじながらそれでもチームの期待に応えてここぞという時に本領を発揮できるその不屈の精神には脱帽する以外にない▼松井といいイチローといい、それこそ慣れぬ異国で少なからぬハンディを負いながら球史に輝かしい記録を残した。しかし才能だけを見てその裏に隠された努力を見逃してはなるまい。ところで大リーガーたちがぺっぺとツバを吐く光景は見苦しい。これは日本人として大リーグルール以上に理解できぬところだ。 |
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☆★☆★2009年11月05日付 |
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衆院予算委員会の中継は下手なドラマを見るよりもはるかに面白かった。政権交代というのはこういうことかと実感できたからである。「影の内閣(シャドー・キャビネット)」が「明るい表通り」に躍り出たのだから確かにインパクトはある▼見なれた中継だが、顔ぶれが一新しているというのは妙なものだ。麻生さんが座っていたあたりに鳩山さんがおり、その左右には野党の面々、おっといまや与党となった民主党および連立を組んだ国民新党、社民党のお二人が控えている。そして質問台に立っているのがかっては追及される側だった自民党の大物や中堅。まさに「攻守所を変える」の見本だ▼野党となった腹いせと気楽さもあってか、自民党の質問者たちはネチネチと相手の弱点を攻め立て、受ける与党は与党で言葉を選びながら追撃を交わす。おや、かって見た風景だ。そうか責任のあるなしと立場で人間はかくも変わるものか▼増田元知事がかって自民党に陳情した際、党の要職にあった亀井さんが増田さんの背後に小沢さんの影を感じて嫌みたっぷりに応対したことがある。その亀井さんがいまは民主党と蜜月の関係にあるというのも歴史の皮肉というものだろうか▼質問に立った自民党の大物たちもまだ「野党慣れ」していないせいか迫力不足だったことは否めないが、いずれ中継は各閣僚の人物像がモロに出る。それが面白かった。まことに失礼ながら「鳥獣戯画」の世界だ。しばらくの間は全国民必見のドラマとなろう。 |
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☆★☆★2009年11月04日付 |
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人間は失敗をして教訓を得る。つまり結果が師となって次なる過ちを犯さぬよう導いてくれるのである。今回の失敗で学んだことは「作業は明るいうちに、しかも正気で臨むべし」という一事▼寝室の照明がスイッチの不良をきたした。そこで笠ごと取り外し仲間に修理をたのんだら、たちどころに直してくれた。持つべきものは物言わず直してくれる友である。ところがその現物を忘れてきた。これでは暗黒の夜となる。取りに戻ったら別の仲間が家に届けてくれていた。持つべきものは気の利く友である▼まずは天井に取り付けるべきところだが、なに寝る前にやればいいさという横着な考えがそれを引き止める。本来なら「朝飯前」の仕事を「晩酌後」と決めたのはもう喉が鳴っているせいだ。失敗とは起こるべくして起こるものだと後で知らされるが、目の前の誘惑には勝てないもの▼暗いのに懐中電灯も持たず、脚立を用意するのも面倒なのでベッドの上にイスを乗っけて作業を開始したが、天井の受けと器具とが合致しない。そうこうしているうちにバランスを崩してイスごと転倒、腰をいやというほど床に打ちつけた。サークルラインというのか、丸い蛍光灯二本も粉々に砕け、おかげで破片探しに「夜の大捜査線」▼同様の失敗はこれまで何度かあるような気がする。つまりなにも「学習」していなかったということになる。いや学習はしたのだが、「復習」を怠ったということだろうか。おかげで手痛い、いや腰痛い教えを受けた。 |
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☆★☆★2009年11月03日付 |
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焼き肉だ、ぽっぽ焼きだ、芋煮会だと火を使うことが多いこの時期、不注意 から事故になるケースが報告されている。そんな要注意の事例を教えられた翌日どこかで同じような事故が起こった。これはご用心だ▼熱源が炭火だったら問題はなかったが、あいにく手元に炭がなく、カセットコンロで代用することになったのが間違いの元。それも一台では長い鉄板を均等に熱せられないからと二台用意したのも不注意だった。鉄板の上で肉や野菜が焼け、香ばしい匂いがたちこめ始めたまさにその時爆発が起こった▼後から原因を知ればなるほどと合点するが、案外そこまで考えが及ばないということはよくあることだ。鉄板がコンロの熱の上昇を阻みその熱がコンロ周辺や下部にこもって、カセットを熱することになれば結果は明らか。こうして爆発事故につながったという例を教えられたばかりだった▼その翌日県内で同じよう な原因から爆発事故が起きたと知り、これは大いに起こりうるケースだと考えた。下手をすると自分もやりかねないからである。ということでここで警鐘を鳴らす次第。楽しかるべき野外パーティーが一瞬にして台なしになるばかりか、ケガでもさせたら一生の悔いとなる▼とにかく火には注意しすぎるぐらい注意しなければならない。ガスや揮発油を使う機械は特に要注意で ある。炭がなかったら面倒くさがらずに買いに行く。会社の焼却炉に新品のカセットボンベ二本を投入して爆発させた前歴があり、以来火には注意している。そのうっかりがこわいのだ。 |
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☆★☆★2009年11月01日付 |
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秋田県の能代市で竜巻が発生、住宅など二十五棟が損壊、青森県の深浦町でも屋根のトタンが飛ばされたり、電柱が折れたりしたという。「地震、雷、火事、親父」から親父を抜いて竜巻を加える時代になったのか▼竜巻という文字がある以上、太古から日本でもしばし発生したのだろうが、記録に残るような大被害はなかった。野茂投手の投法を「トルネード」(竜巻)とすぐ連想できるほど多発する米国をはじめ、砂漠や草原地帯など温暖な地に発生する現象と日本人は長い間思いこんできた▼だからこそ、天を衝く黒煙がまき上がる竜巻独特の光景は映像だけで知る別の世界で、現実に起こりうる気象現象とは考えてこなかったことは間違いない。それは典型的な天災の中に加えられていないことからも証明できるだろう。発生しても被害の出ないような「人畜無害」の存在と思われてきたのだった▼だが、近年様相が一変した。竜巻に巻き上げられたもののさいわい木に引っかかり、九死に一生を得た人の体験を知って驚いたのはもう十年以上も前になろうか。以来しばしば各地で大型の竜巻被害が報告されるようになった。突風ではなく実は竜巻のせいだったという事例が先日の台風通過時にも発生している▼それにしても、死傷者が出たり建物の損壊が多数に及んだというような被害が近年になって目立つのはなぜか。地球温暖化との関連があるのかどうか。いずれにしても天災の一つとして強力な「新人」がラインナップされたことは疑いない。こんなドラフトは願い下げだが。 |
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☆★☆★2009年10月31日付 |
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岩手県人の動静がこれほど注目されることもまずなかろう。いまや日本の星となった菊池雄星投手がどの球団に入るか、列島が固唾を呑んでドラフトの行方を追ったが、西武がその幸運を引き当てた▼それにしても連日スポーツの話題は菊池でもちきりだった。プロ野球かそれとも大リーグ入りかという「天下分け目の戦い」がプロ野球で決着すると今度はどの球団かで色めき立つ。毎日が「岩手の日」で、この宣伝効果を金銭に換算したら大変なものだろう。まったく関係がないのに、こちらまでが誇らしかった▼さて、この大物がこれからどう変わるか?これは野球ファンだけでなく一大関心事になりそうである。未完の大器をどう磨き上げるかとなると西武一球団の責任にとどまらない。そのためにも一億総評論家となって、球団の「帝王学」を見守る必要がある。まさに「虎の子」、いや「獅子の子」だからなおさらだ▼いきなり大リーグになど行かず、まず国内球団でじっくり鍛え、実力をつけてからでも遅くないなどともっともらしいことを先日は小欄に書いたが、「いきなりプロで通用するなど思っていない」と本人もいたって謙虚で、有頂天にならないのは大したもの。長い一生これからどう変わるかは誰もが分からない。いきなり大リーグに入って成功するかもしれない▼だが、これはギャンブルではない。人生という長距離レースに備えるにはそれなりの準備が必要だ。本人も周囲もそう自覚して遠回りを選んだ。おそらく正解だったという答えは、いずれ本人が出してくれよう。 |
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☆★☆★2009年10月30日付 |
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八丈島沖で行方不明となっていた漁船が転覆状態で発見され、中から乗組員三人が無事救助されたというニュースは、最後の最後まで捨ててならないのが希望と教えてくれた▼キンメダイ漁で八丈島沖まで出漁していた「第一幸福丸」は、漁を終えて下田港へ向かう途中に連絡を絶った。必死の捜索にも手がかりが得られず、絶望視されかけていた四日後船底を見せて転覆していた同船を航空機が発見、巡視艇が急行して潜水士が船底を叩くと反応があり、船内に閉じこめられていた三人を救出することができた▼救命ボートに乗っていた船長は死亡が確認され、残る四人の安否が気づかわれているが、なんとか無事でいてほしいもの。これまでも遭難転覆して発見された船の映像を何度も見せられたが、船内から反応があったというのは希有といっていいほどだった。それだけに生還劇は感動的だ▼三人はあわてず騒がず、じっとして体力の消耗を防ぎ、残された水と空気を大事に使ったことが生還につながったようだが、絶望的な状況の中でよく耐え抜いたものだとその沈着さと冷静さに感心する。転覆前に救命ボートで脱出できず、船腹に取り残されたというのは不運に属するが、それを幸運に変えたのだ▼船長の死因は恐らく寒さと疲労によるものだろうか。発見が早ければ全員が救助されたかもしれないが、あの広い大海原でケシ粒のような船をたとえ低空飛行でも発見するのは困難だという。しかし三人は運を呼んだ。最後まで希望を捨てなかったからだろう。 |
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☆★☆★2009年10月29日付 |
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明日香村にある特別史跡「石舞台古墳」は、七世紀の初め頃に築造された方形墳で、蘇我馬子の墓ではないかと想像されている。その根拠は天井に使われた石の巨大さにある▼天井を覆う二つの巨石は一つが六十四d、もう一つが七十七dもあり、これだけの石組みをするからには強大な権力者が被葬されていたことは間違いあるまい。すでに墓はあばかれていて石棺ごと持ち去られていた。いわゆる土まんじゅう型の古墳上部は削られていて天井石が露出していたというから、後世発掘調査した時は玄室の規模を確認するのがせいぜいだったろう▼中味はともかく、これだけの見事な築造物が残され、遺跡として観光客を集めているのだから被葬者ももって瞑すべしだろう。副葬品だって盗まれた以上は売られたはずで、どこかで秘蔵されている確率は高い。玄室での保存よりはるかにいい環境で温存されているかもしれないのだ。それがやがて陽の目を見る時が来ると思えばロマンをかき立ててくれるではないか▼そうした学術的興味もさることながら、小欄は野次馬的興味をそそられた。それは六、七十dもある巨石をどうやって天井に積み上げたかということである。人力や牛馬に頼ったことはまぎれもなかろうが、難易度から推してこれは積み上げたというより滑り落としたとみるべきではなかろうか▼その推測のためにはこの巨石がどこから産出したのかを探りその工法を考えるのが考古学の楽しみでもある。ピラミッドの秘密はここにも相通ずる。盗掘者の知恵もまた。 |
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☆★☆★2009年10月28日付 |
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一生の中でクマと出会う機会はまずゼロだが、なんとこれまでに百回近く遭遇したという人がいるのだから、これはなんという幸運(不運?)の持ち主であろうか。その話が参考になった▼県立自然保護管理員として五葉山麓のパトロールをしていた伊藤悦次さん(大船渡市日頃市町上鷹生)がその人。職務柄だけでなく本業が林業ということもあって、五葉山の隅々まで熟知しているからそんな機会にも恵まれた?とは言え、百回近いというのはまさに貴重な体験という他はない▼そこでクエッション。「出会ったときはどうしますか?」愚問とは承知ながらこれは知っておく必要があるので敢えて尋ねた。その答えがいい。「あわてず静かに語りかけるのっしゃ」。クマに語りかける?まるで鳩山首相の「友愛」の精神ではないか。でもそれが通用する相手ですか?これも愚問だ。これまで攻撃されなかったというのが何よりの証拠であろう▼「人間がクマが恐い以上に相手は人間が恐い。だから大声を上げたり、逃げたりするのは逆効果。こちらに敵意がないと分かると向こうから去っていくのっしゃ」。これは自然と対話してきた人ならではの見事な対処法であろう。「クマもオレの顔を覚えているんでねぇべが」。いかにも▼「王大人」と恐れられていた人食い虎と出会った老人が、相手の目を見詰めながら静かに前へ進み、その虎もひるんで互いにすれ違ったという小説を思い出した。何事もひるまず前へ進めという教えを受けたような気がする。 |
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☆★☆★2009年10月27日付 |
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二十二日付けの小欄でインフルエンザのことを書いたら事実誤認があった。まずもってお詫び申し上げ、訂正したい。ご指摘を受けて大いに赤面した次第▼拙稿の致命的過失は、抗ウイルス剤と予防接種のワクチンを混同していたところにある。その通りで弁解の言葉もない。両者の違いは、罹患しないようにするのが予防注射、罹患したら重症化しないように防ぐのが抗ウイルス剤(タミフル、リレンザなど)。タミフルは内服用、リレンザは吸入用で、共に絶対数が不足する危惧なしとはしないがまずは大丈夫。むしろ深刻なのは予防注射の不足の方だという▼以上を指摘していただいたのは大船渡市内で開業する内科医の方で、啓蒙心から感謝申し上げたい。その外にもいろいろとご教示をいただいたが、引用ミスのおそれありでこれ以上は差し控えたい。いつも半可ゆえの錯誤によって苦言を頂戴しているが、またも生き恥をさらす結果となった。口も筆も共に災いの元である▼元々の浅学に加えて勉強不足で、その任にあらざる者が小欄を担当すること自体が不謹慎のそしりを免れないことを重々承知の上で書き続けているのは、人出不足のためである。一日も早くバトンタッチし安寧安心の日々を送りたいと念じているが、人的余裕が生まれるまで少々ご猶予願いたい▼大手紙のコラムに毎朝目を通していると鏤骨の文章に出会い、消え入りたくなるのはいかんともしがたい。それは本来の素養に加えて予備知識をしっかりと整理し、推敲を何度も重ねて世に送り出すからである。「出席原稿」がボロを出すのは当然の帰結というものだろう。 |
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