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MVPの松井秀 世界の頂点でヤンキース愛叫んだ

<ヤンキース・フィリーズ>ワールド・シリーズ・チャンピオン・トロフィーと写真に収まる松井秀喜
<ヤンキース・フィリーズ>ワールド・シリーズ・チャンピオン・トロフィーと写真に収まる松井秀喜
Photo By スポニチ

 【ヤンキース7―3フィリーズ】メジャー7年目での悲願の世界一を自らのバットで成就させた。ヤンキース・松井秀喜外野手(35)が4日(日本時間5日)、フィリーズとのワールドシリーズ第6戦で2回に今シリーズ3本目となる右越え2点本塁打を放つなど、3安打6打点と猛爆。1試合6打点はシリーズ最多タイ記録で、日本人選手初のシリーズ最優秀選手(MVP)に選ばれた。今季が契約最終年となる松井は試合後にあらためてヤ軍残留を熱望したが、ブライアン・キャッシュマンGM(42)は再契約の意向は明言しなかった。

 長かった。遠かった。夢に見続けた世界一の瞬間。二塁後方の特設ステージでMVPのトロフィーを高く掲げていたのは松井自身だった。

 「何と言ったらいいのか…、夢みたい。この日のために頑張ってきた。初めてここまで来られて、見晴らしは最高ですね。どういうわけか、ワールドシリーズはいいプレーができた。本当に、何かの力が働いたんだと思います」。世界の頂点で背番号55がいっそう大きく見えた。

 2回に第2戦でも決勝弾を放ったマルティネスから粘って8球目を右翼席に運ぶ。スタンドから「MVP!」コールがわき起こる3、5回にも2点適時打を放ち、60年のヤ軍・リチャードソンに並ぶ1試合6打点のワールドシリーズ記録。まさに独り舞台で、チームを勝利に導いた。

 世界一になるため常勝軍団のヤ軍を選び、海を渡った。「僕が来るまでは毎年のように優勝していたわけだし。本当に悔しかった」。4年契約を新たに結んだ06年からは左手首、両ひざの手術と毎年がケガとの闘いだった。ボロボロの体に「自分の体じゃないみたい」とこぼし、寝る前に回復を祈るのが日課となった。日本では毎日欠かさなかった素振りの回数は、明らかに減った。

 それでも、35歳まで名門の主軸を打ち続けられたのは、その姿勢、野球観にあった。自らの打撃が、いかにチームの勝利につながるかの一点。日本が誇るスラッガー。本塁打量産を期待するファンの気持ちは痛いほど分かっていたが、堅実な打撃に終始した。「球が投手の手を離れる前から勝負は始まっている。簡単ではないけど、それができたら(投手から打者に届くまでの)0・4秒が長く感じられる」。最速のスイングにつながる無駄の少ない打撃フォームに試行錯誤を重ねた。

 振り返れば、02年オフ。「裏切り者と言われても仕方ない」と涙目で巨人からFA宣言。06年のWBCでは日本代表入りを辞退し、バッシングも受けた。すべてはヤ軍で世界一になるため、自らはどう行動すべきなのかと悩みに悩んだ末の決断だった。挑んでは、はね返された頂点への戦い。「ようするに敗者の歴史でしかないってこと。メジャーでのオレのここまでは」。今年も敗れれば、すべての決断が間違いだったとのみ込む覚悟があった。

 伝統のピンストライプのユニホームに身を包んだ松井は5万315人の大観衆に向けて、こう言った。「来季もヤ軍で連覇?もちろんそうなればいい。僕はニューヨークが好きだし、ヤンキース、チームメートも好きだし、このファンが大好きだから」。世界最高峰の舞台で、名だたるスター選手を差し置いて別次元の輝きを放った男の本心だった。 試合結果  ヤンキース世界一Tシャツ

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