事件後~ブログの経緯

動機は今さら法廷で探らなくても市長自身がよく承知しているはず、書き送りましたから。ここでも書いています。

何も法律の専門家の手を借りなくても、読めば一般人でもわかる。

2002年9月16日、事件が起こった。そのあと市長の尋常を逸した庁舎内、センターでのストーカー行為、実家への訪問。犯罪がらみの人事配置による、私が周囲から受けた攻撃。口外するなと、示談の電話を何度も酔ってかけてきたこと。

上司を使い、夜の飲み場所に呼び出そうとしたこと。

N氏が亡くなったので、告訴できないと読んでからの行動は一転して傲慢に転じたこと。

私が再婚して、弁護士に相談。示談額を提示、条件として、告訴しないこと、島を出ること、と明確に打って出たら、

八重山病院へ、カルテを提示するよう怒鳴り込んでいったこと。市長の妻もカルテ提示を県職員へ求め、誰が主治医か、名前を出せ、うちの人はここの院長だったんだ。できなかったらあんたたち、みんなクビにすると、騒いでなかなか帰らず、

私は外来で、メンタル相談中だった。先生が、カルテは鍵付きのところに入れた。鍵は僕が持ち歩いていると教えてくださった。

またもう一人の先生が、市長はドクターだった人とも思えない。医者の倫理をなめたらいかんよ。患者優先、それが崩されたら医者は医者でなくなる。絶対、渡さないから、ここはどこの国だと思ってるのか。自分の国のつもりかな。

数人で苛立って会話したのを覚えている。

市長の妻は、カルテ開示を拒否されて、怒りをそのまま介護長寿課に持ち込んだ。

私がセンター勤務というのがわからなかったのだろう。所属は介護長寿課だから、そこに向かったと思う。

上司を並び立たせて、今すぐ、サラを辞めさせろと詰め寄り、説教を初め、ここでもなかなか帰らない。

上司から電話をもらった。

あのクソばばあ、仕事場をなんと思っているのか。自分のだんなが起こした会社のつもりか? ここは市民の税金で動いている公的な場所だ。奥さんがあれで、だんながおまえ追い回して、役所が汚れていくな。

長年、働いてきて、これだけ嫌な気持ちになったのは初めてだ。おまえ、引継ぎもいいよ。いるほうが市の損失かもしれん。情けない。自分責めるなよ。誰でもあんなバカ騒ぎされたら死にたくもなるよ。こいつらのために死んだらバカらしいぞ。

怒りで声が震えている。並び立たされ説教されたのが不快だったのだと、部下も見ていたからよけいにプライドが耐えられなかったと思う。

市長妻の怒りは止まらず、サラの実家、老母のもとに。

二時間以上、母を怒鳴りつけて帰ったと。

母は寝込んでいた。

市長にお金を要求したの?

あることがあって示談書を出したと話すが、母には意味がわからない。

本当は警察に行くことなんだけど、市長が公開されると困るから示談金払うから誰にも相談するなと言っていた、と説明するが、愛人になれってね? と聞いてくる。

いいよ、お母さんは何もわからなくても、ごめんと謝った。

ここには住めんの? 家も造ったのに。お母さんはまた一人か?

と聞く。

私は子どもの育て方をどこの偉い方の奥さんかわからんけど、あんだけ怒鳴って、文句言われて、祭司してきたから神信仰に仕える仕事してきたから、聞くこともできたんだよ。ひとことも返さなかったよ。子育ての結果は自分が評価するものじゃない。

あの人の子育ても私が言うもんじゃない。だけど年上の人に向かってあれでは市長さんは、どんなにいい仕事をしても尻から破れて結果が逃げていくね。

二度と、応援はしないよ。あんたは実力で役所に入った。入れてやった恩を仇で返してと怒鳴られて、もう疲れた。あんたは市長の奥さんに役所入れてもらったのか?

新聞で募集していた調査員から入ったの、忘れたの?

そうね。

そのあと、病休に入った。

しばらくして、これで話をつけようとビハーラに呼ばれた。すぐに夫に電話をかけたが仕事中で取らない。留守電に場所と時間を入れる。

これですべて終わって退職できると、ビハーラに出向く。

Kと市長が地下の薄暗いところにテーブルを用意して待っている。

暗いので躊躇したが、すぐに夫が駆けつけてきた。

「大浜さん、妻は病気で休養中です。業務のことでしたら上司に出勤してから伝えてください。私の妻ですから、私用でしたら私を通してからしてください。失礼します」

夫が頭を下げて連れ帰った。

そのあと電話があり、告訴は困る。示談でと言う。途中で夫が取り、「直接の電話は困ります。これで体調が崩れるんです。あとは弁護士さんにお任せします」

弁護士まで持っていけば、口外と同じだから示談でとしきりにそれを申し出る。

復職してすぐに、センター窓口に市長妻が現れた。市議を伴っている。

「おまえは私が誰かわかるか。言ってみろ」

「市長夫人です」

「頭はまともなようだね。何故私がここに来たかわかるか」

外来者が横から割り込む。

センターの祭りだった。血圧を測ってくれないかと言うので、それをする。そのあとにすぐ非常勤務のスタッフに電話をする。それから夫へ電話をかける。

非常勤務のスタッフがカウンター傍の椅子で座り、私をガードする。

「おい、おまえはあっち行け」

スタッフは聞こえないふりをして書類に手を伸ばしている。

「おまえがmと手をつないで歩いているところを何度も見られてんだよ。わかるか、バカ」

mは私の夫である。体重が激やせして、筋力が落ち、仕事復帰まで私は夫の手を借りなければ歩けなかった。というより、夫婦が手をつないで歩いて何が悪い。

「島出て行け、ここはおまえなんかが住むとこじゃない。今すぐ出て行け。えらそうに、誰のおかげでそこに立っておられると思ってるのか」

そこに夫が駆けつけた。ぎょっとしてカウンターから下がり、市議と二人、帽子をかぶったままソファに座り睨みつけている。市議はだんだん下を向いて顔をあげきれない。

夫とスタッフ二人がそれに対応するためにしばらくそこにいる。

そのあと、私の兄が市長宅へ行き、土下座をし、母を連れて出、私に引越しを求めた。退職までもう少しで出費もかかると、娘、息子へ仕送り中、頼んだが、出て行け! で、母も私の顔を見ず、私達は一旦市街地に越し、退職して島を出た。

2004年7月、オオハマナガテル名で口座に50万円が振り込まれた。

示談、本人提示額、私の当時の収入に療養に必要とする年数をかけて、2000万円。

2009年8月、兄の土下座の意味がわかった。

その内容を市長に書き送り、

2009年10月15日、示談金、500万円で本件終了すると書き送った。

兄がでっちあげ事件で相当額を支払い、なおネットでダブルジョバティ、二度裁かれ続けていたからだ。

娘の嫁ぎ先への配慮もある。珍しい姓を担う息子への配慮もある。

名誉毀損はこのようなことに使えるのではないかと思う。

私は物書きなので、言葉でこれまでのことを書くと市長に示談書の内容と共に書き送った。

争って暮らしてきたわけでもない。

許可を得て書き始めた。示談を申し出、それを時効まで知らん顔し、書き始めたら真っ先に市長本人が脅してきた。ホットラインから。

さて、「名誉毀損」

私の名誉も散々毀損してくださった市長夫妻、パワーハラスメント、セクシャルハラスメント、たくさん裁く言葉はあります。

ただ自分はクリスチャンですので、聖書の言う、裁くを説明します。

原語で、意味は、「神が導く」 です。

私はもちろん人を裁けません。

政治団体、宗教団体、思想団体の背後関係をいくら調べても何も出ません。

考えてもみてください。子どもが多く忙しい看護師の仕事をして、ご飯つくりと患者さんのケアで毎日、クタクタです。

今、何かがわかったら、今度は心臓発作です。これも神様の御こころです。

*****************

八重山毎日新聞社の取材には答えた。他はまだ体調が不十分なので、控えた。

受けたのは、やはり地元への責任からだ。

いろいろ準備するのに時間が必要だった、とは言いたくないのですぐに応じた。

そのあと発作がきてもあなたのせいじゃないからと、途中から懐かしい島の言葉で冗談が出るくらい話ができた。

故郷への感謝と愛情が真摯に語ることに繋がった。

やはり、あの時の同僚にまず伝えたかった。女性数人に呼ばれて問われたことがあった。だが、当時は何も伝えられず、彼女達にも失礼をした。

心当たりのある方々へ、心からお詫びします。

皆さんが感じた不快感は間違ってはおらず、正義感ゆえのものです。当時、自分が生活のゆえに弱さゆえに全てを説明できず、申し訳なかったとずうと思ってきました。

仕事を通してせっかくいい関係が作れたはずの貴重な時を、もったいないと思います。私はケンカが苦手で、当時はよくへらへら笑っていたように映ったと思います。

男性のように職場ではいましたので、ぶつかればアウトという心境でした。

母子家庭の働く母親は、外では心意気はすでに男性同様、これは他の女性をそうではないと言う類のものではありません。

セクハラ、パワハラは、生活と直結するので、簡単なことではないと思います。

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割烹オーナー夫妻からの電話(2003年1月4日)

2003年1月4日、

役所は仕事初め。職員は自分の担当業務があるので、他の担当者をフォローサポートするゆとりがない。非常勤職員が休みなので、業務は滞る。

介護長寿課の窓口は朝から来庁した市民で殺到している。電話も鳴りっぱなし。

介護認定の申請や、正月で久しぶりの家族が揃ったがゆえに、潜在していた介護問題が表面化されることにもなり、

いっきにニーズがパンク状態。

どれが鳴っているかわからない電話の一本を耳に当てた。

「助けて、今すぐ来て、病院に来て」

交通事故か、高齢者の虐待か、プラスアルファは無理だと思ったが、優先順位は、今、対処しなければならないもの、判断して、電話に対応する。

「どちらの病院ですか。お名前をいただけますか」

「お願い、すぐ来て」

聞いた声だと思ったが、なにしろ周囲は電話の音と、来庁舎のイライラした声で考える間を与えない。

認定調査員が調査表を届けに入ってきた。

15分で戻りますから、電話の応対をお願いしますと頼んだ。全部メモするように、追って対応していくからと、手を合わせてお願いした。

主治医意見書を八重山病院に取りに行く予定があるというので、それ代わりに私が取ってきますと、鍵を持って、指定された病院に車を走らせた。

虐待のケースで病院に駆けつけることはこれまでにも何度かある。

だが病院で私を待っていたのは、車椅子に座ったオーナーとその後ろに立つ奥さん。

「うちの人、末期って、どうすればいい。息が吸えない」

主治医にもう一度話を聞いてくれと頼むので、同伴して話を聞いた。

昨日まで、店を開けて仕事をしていた。胃部不快感は、あの事件のあとからあったと言う。

二人は何度も私の実家の母を訪ねている。役所のカウンターにも話したそうな顔で来た。二人の息子のM君は気の優しい青年で、私も苦しかった。

だが会話をすれば、私が介入した不当人事だと誰もが噂している時だ。私も体調を崩していた。事件も消えたわけではない。縁は切ったと話してルールを守らない、そちらが悪い、そう思い、応じなかった。

「あと二ヶ月」

主治医がはっきりと癌を告知した。呆然とする二人に、仕事帰りにまた来ると言い、私も混乱して病院を出た。

琉球大学病院に移りたいという二人の意向を手伝い、救急車を翌朝、空港から病院まで手配し、オーナーに痛み止めの座薬を入れるのを手伝い、会話は避け、その夜は帰った。

出張で県庁に出向いたあと、見舞った。

もう立てない状態だった。おでんを買って奥さんのKと二人で食べた。

二人で並んで食べ、二人で泣いた。オーナーのお母さんが早世したこと。幼い下の兄弟二人を小学生の低学年だった彼が家事をやり育ててきたこと。

うつらうつら、お母さんと呼んだこと。天国ってあると聞くので、うちの人はお母さんに会える?と聞くので、私は胸が潰れそうでうな垂れた。

2003年2月27日、42歳でN氏は他界された。

通夜、葬式を手伝い、2003年3月1日、彼らの娘さんと、私の長女が高校を卒業した。

市長を罪に問わないではなく、夫を喪失したKを責めることは自分には到底できないこと、そう思ったのを記憶している。

1月4日、電話のあった同日に、私はセンター異動の内辞を上司から受けたので、庁舎から出てセンターへ出勤していた。

そこに痩せてしまったKがふらふらと何度か現れた。市長を告訴しようとする気がだんだんと萎えていった。私も痩せていった。

2002年、10月、

M君が配属されたあと、私は学校勤務に戻ろうと沖縄本島での生活に向かって動き出していた。

高校卒業後、娘は私の姉の住むカナダへ留学が決まっていた。長男は高校2年へあがる。転校先の試験を受けさせた。

発展クラスの枠が一つしかなく、理系から文系へ変更ということになったが、しかたがない。

息子が面接から戻った飛行機と、N氏のご遺体を乗せた便が同じだった。私の子供達は多くを見たが、そのことについて今まで一度も話をしたことはない。

2003年4月、息子も娘も島を離れた。だが私は代理へ渡すまでの業務責任があり、センター勤務を続ける。

その間、何度も市長から公私共に電話があるが応じていない。

公開するなということを言っている。私が島を出ようとしていることに勘付いたら大騒動になる、と上司は、異動を呑めとアドバイスをくれた。退職届を上が見る頃には、体調不良で休みに入り、島を出て、そのまま辞職という状態がベスト、そうアドバイスをもらった。

その頃から、示談の件を何度か電話で示唆された。

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11月4日、水曜日ー本日の沖縄タイムス記事は保存

沖縄タイムス社には市長の子弟がおられる。

私に裏を取る事もせず、報道した。

犯罪者側に、同じ思想だからというだけで付いた。

よくよく、このおかさしさを、今、体感する必要がある。

沖縄タイムスが私の兄の民事、それも強引に示談された件を、執拗に記事にした。

これはもう、そのことが事件ではないか。

その記事の経過がネットに置き土産となっていて、私は今回、警察へ行った。

市長事件のことを知っている人間が多く、兄の件に関わっている。

ビラ配り、ポスティング、街宣。

普通の人ができない行為だ。

左翼運動家という名前を初めて知った。

今年の8月のこと。そこから調べていくうちに、闇の図式がはっきりと書きあがった。

私は、時効があるのを知っていた悪質な市長に反撃をしているだけではない。

この全体の闇の図式をここで言葉にして表していくだけだ。

新聞が表現の自由なら、私も表現の自由だ。

読んだか? 事件の日の詳細を。何故、事実無根の人間なら他人の口座にお金を振り込むか。ホットラインから脅すのか。

県外取材に二度も逃げ、待ち合わせたように、お仲間が守り。お仲間TV、お仲間新聞とつるまないとやれないのか。

隠すものが多いのだろう。それに手を貸している報道。

私は一人で立つ。

これをよく見るがいい。

この男のこの数日の動きと、私の対比を。

それでも読み取れないなら、それは仕方がない。沖縄だけが閉塞空間になればいい。

創価学会が関係していれば司法も敵とどなたかアドバイス下さいましたが、市長の妻がエホバの証人、その姉妹が創価学会。票は創価学会で得てきたようなもの。

これは本人が飲んで豪語していた。また妻の長い電話で、これもダラダラと聞かされたことがある。

だが何かを信じたいという原点は、誰もが苦しみから始まったはずだ。

創価学会もエホバの証人も何も自分達のことしか考えない特定の個人を助けるために、それぞれの信じているものに背を向ける必要はない。

彼ら夫婦は欲張りだ。あなたがたの益を守ろうという心意気などない。

それぞれが苦しい時代となった。

目覚めよう、家族のために。そう思います。どこからでもいい。立ち位置はそれぞれだ。

私は思想団体、宗教団体を否定するものではない。

ただ今のこの有りように、警告を発する必要を感じている。

私は金も健康も十分ではない。

だが良心のある証言者も名乗りを上げてきた。みな普通の生活者だ。

事件関連の詳細な記述は、私への法的制裁が下るまで続く。

何故なら、これしか方法がないからだ。

沖縄タイムス社の動きは読めていた、何より単純な市長行動は、私も周囲もこれまでで嫌というほどわかっている。

弁護士、三名。

さて子ども二人は公務員にしたし、あと一期努めれば、20年、これで県立の時と同じだ。さて何がもらえるのだろう。

しっかりちゃっかり足元固めて、欲張って、

自分の命だけ地球より重くして、

沖縄県民が、のんびり生きようが私にはもうどうでもいい。

創価学会が司法に関係していようがどうでもいい。何も不安を感じない。

要は、市長が、引き伸ばし、コトが自然に消えていくのを待ち、またしっかり20年目指して欲が疼いて出てくるだけの話だ。

他の方々は関係ない。私は見たこと、経験したことだけを書く。私の知らないところで頑張っておられる優秀な方々を、自分の程でどうこうしようなどとは思わない。

聞かれたら素直に全部話す。記録の習性だけは20代から少々達人の域だと思う。仕事でケースを書いたり、相手の言い分をそのまま書いたり、スピードも速い。

公開されると。全部吐き出せるから、正直嬉しい。

みんなが意味がよくわかる、全部話せばそういうことになる。

二極化、沖縄県の7割の児童生徒が貧困家庭にあるという。聞くだけで胸が苦しくなる。

ここは共産国家ではない。

上だけが潤いを巡回させる性質は、日本の国民性には合わない。

また正義を見ぬふりの報道も本来、日本国らしくない。

これを体感する。貴重な時間だ。自分たちを取り巻く得たいの知れないもの、それが将来の子供達を苦しめる。

目的のためなら手段は選ばない。沖縄タイムスの今回の報道姿勢にそれを見た。もう日本の報道機関ではない。

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11月3日、火曜日ー市長会見、「名誉毀損」 待っていました。ありがとうございます。

残念ながら、TVも新聞も我が家にはない。

この状況が、まさに日本の危機なのです。

サラはブレません。

一人でも立てます。

自分の仲間内に囲まれてしか堂々とできない相手と、これから対峙していきます。

何故、二回逃げてRBCで放映されるのか。

沖縄タイムス、琉球新報が明日、市長の一見、堂々と正義に向かうような見出し記事が出たら、皆さんは、歴史の証人です。

私は、本日、ハンディのある娘と二人きりでした。

友人の祈りがあり、電話で夫の祈りがありました。

「名誉毀損」

「人権」

さて、どちらが先か。

私は、命が優先だと思います。

ストレスと切り離せない心臓発作を持つ、子どものいる女性を相手に、「人の命は地球より重い」

と、二度と語らないで欲しい。

仲間のためなら、正義をも潰す。

報道機関は、政治家のために存在するのか。

沖縄は終わった。

全体主義という言葉を。コミンテルンという言葉を、自虐史観という言葉をこれを機に皆さん知って欲しい。

これが情報戦争です。

日本は、こうして日本を嫌うものによって、内部から、国力を落とされているのです。

気づいてください。

私は誰のために、身を曝していますか。

市長は誰のために仲間を使って、「名誉毀損」 をわざわざ言いますか。

16年君臨し続けて、まだ欲があるのです。

私は、無私欲です。

私は、政治家ですか。右翼ですか。何をそう呼ぶのですか。

あなたがたは、本日、私が仲間に大勢囲まれて戦ったと思いますか。

もう一度、言います。ミオコールスプレーを手元に持ちながら、娘と二人きりです。

弁護士も用意できませんでした。市長は二度逃げ弁護士を伴い、RBCでわざわざ放映です。

日本は滅びます。一人の国民さえ守れず、レイプをした男が堂々と仲間内のTVを使って仲間に励まされてかっこうつけて、出た。

だが、震えて眠るがいい。

一人きりになったら怖いはずだ。

私は人を恐れない。こんなものは風景だ。子孫に良い状況を残す、このことだけを真剣にいつも考えている。

顎を引き、私は見据えます。

沖縄の権力に対して、神の御前にひれ伏し、正々堂々戦いを引き受けます。

リンクブログは消させて頂きます。

証拠が山ほどあっても、これはなんでもないことだという。

一国の総理を、漢字、読み違えでいつまでも叩く。

日本の国のメリットが何か、皆さん、考えましょう。子供達はどうすれば健全に育つか、考えましょう。

自国を否定し続ける国は滅びる。

市長に手を貸した方々、仕事に誇りはないのか。犯罪の根を調べたか。

神を恐れない者は、彼に加担すればいい。

神はけして侮れない方だからだ。

私はどこにも属しないクリスチャン。逃げも隠れもしない。

一つ、申し上げて、怒りを収めたい。

私は、市のある事を調査した。これはその所に報告した。ここでは書けない。

聡明な方が言った。

権力者が女性に手を出す場合、三通りのタイプがある。

1 相手をただ好きになってしまった。

2 知られたくないことを隠蔽するために、性的に支配し主従関係を強引にでもつくる。秘書に手を出すのは、このパターン。仕事がやりやすくなるそうだ。

3 ただのスケベ。これは余罪がある。

  私は踏んではいけないものを踏んだ。

 皆さんは知る権利がある。報道がこの状態だから、ネットが存在する。

 目からウロコの経験を皆さんに、これからも送る。中断すれば、闇の存在をますます知ってください。国民、県民の益は守られていない。

 一部のお仲間だけで上を牛耳っている。これは自由な国の形だろうか。

 

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母の退官祝い(2002年10月)

母の祭司職の退官祝いが、公民館主催で母の自宅(サラ実家)にて行われた。

兄と私が家族として参加した。長姉夫婦は海外在住なので祝電が届いた。

祈り場所全てに出向き、任務を離す祈りを捧げる。研究者や取材人も限定して混じっている。

途中、小島を残すところで母がふらついた。

無理だろう、後日という声が公民館幹部からあがる。

母に私が同行するから続けるかと聞いた。看護師なので、いざという時に動ける。

やるというので、離れ小島は兄と一緒に母に同行した。それまでは私は女なので家でお膳の用意などに追われていた。すぐにスーツに着替えた。

同行する。小島の最後の祈り場所で、祭司職を離す瞬間、「お前が祈れ。疲れた」 と母が言うので、そのまま母が言うように代理をした。

それから家は宴会となった。

現県議長に声をかけた。兄は座の真ん中に母といる。

「相談がある」

事件当日のことを話した。

「そうか」

しばらく無言で苦しかった。

「お母さんは54年務め上げた、今日はそのお祝いの日だ。サラは石垣市何年か?」

今日はお母さんを祝ってやろう。この話はあとでまた相談に乗ると。

現市長に勝てる人は、ここにはいないかも知れない。

体調が崩れ始める。その間にも市長から部長を通して業務でと応じるように電話がある。

部長は心臓疾患があり、「身体がきつい」 とこぼす。誰彼にも申し訳ない思いだけがわいた。

みんな生活があり、家族がいる。市長の電話は公私の両方から執拗に続いた。

現議長から連絡はなく、2009年の今日まで会っていない。

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2002年9月終わりごろ

日付の裏づけを後日、追加アップする。

石垣市川平の結願祭の日。

母が54年、祭司を努めてきた。例年、サポートする。息子が奉納棒術を舞うので、そのサポートも必要で、本来なら年休を出す。

だが市長が公式行事として毎年出席しているので、今回、サポートを研究で来ていたゼミの学生に頼み、自分は出勤した。

昼食前、

女性トイレから出てくると課長が腕組をして立っている。

「外勤に行け」

鍵とカバンを取りに行こうとすると止められた。緊急の処遇困難ケースの訪問だと思った。

「バカ、早く逃げれ。変態野郎がお前を探し回ってギラついて増進課に行ったり、介護長寿課に来たりしているんだよ。部長もついて歩くから大事になって、みんな仕事にならないんだよ。そのまま帰って来なくていい。午後は外勤扱いにする。カバンと鍵は預かっておく。早く行け」

「お金ないですよ」

課長の厳しい顔を初めて見たので、そのまま福祉事務所の所から表に出た。

認定調査員の誰かが来たら家までお願いしようかとも思ったが、誰も来ないし、お腹もすく。

勤務終了までうろうろと周囲を歩いていた。退勤者の姿が一応に落ち着いた頃、課に戻った。

課長、補佐が立っている。二人とも厳しい表情をしている。補佐は帰っていった。

「サラはどこに行った。外勤から戻せ。祭りに行ったのか」

と、ギラギラ目を光らせて行ったり来たりし、そのたびに付き添う人たちも動き、課の窓口の職員は起立し、騒然としていたと課長が事情を説明した。

課長が、「おまえ、誰でもいいから見合いでもして結婚やれな。仕事仲間としてお前を失いたくない。あんなマスターベーション男は、周囲も何も見えていないからやっかいだよ。僕らはみんな生活のために働いているのにさ。おまえもキツイな。辞めるなよ」 と、言った。

泣きそうになった。だが課長に16日のことを話すことはできなかった。

みな守るべき家族がいる。

携帯が鳴る。

頼んでいた人からだ。

市長車が3時間以上、ばあちゃん家に止まっていて、家に入れないで困っていると。

隣の家、数件にかけてみる。そうだと言う。息子を呼び出してもらう。

「ばあちゃんも僕もお腹がすいた。市長がキッチンの椅子に座って動かないから、食べれない。ばあちゃん、着物も脱いで、カンプーも外したけど、髪が洗えないときつそうだよ。でもお母さんは来ないほうがいいと思う。なんかが気持ち悪いよ」

息子はタクシーで着払いするから帰宅するようにさせた。市街地まで3000円以上かかる。

もったいないから待つという息子を説得し、サポートしてくれる方に車が出たら、すぐに家に入ってばあちゃんの髪の洗い手伝いを頼む。祭司のための琉球カンプーは油で頭を固めるので、落とすのに一時間以上かかる。母は高齢で腰まである髪を処理するのに、手伝う必要があった。

その数日後、女性数名から呼び出しを受けた。仕事仲間からの四面楚歌はきつい。

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始まったパワハラ(2002年9月18日)

2002年9月16日、午前6時ごろ、県立八重山病院の帰り、割烹オーナー夫妻が経営する、海岸線沿いの、「ビハーラ」 傍を車で通る。

明かりが点いている。

階段を昇り、厨房にいた二人と会う。

椅子に三人で腰掛けて話す。私はザンバラ頭でそのままの姿にジャケットを着ていた。

オーナーは始終下を向いていた。

「私は、もうあなたがたとは何の縁もない。息子さんが介護長寿課に来ても、自分は退職の準備にかかる。自分も完璧な人間ではないし、愚かだからこんな目に遭っているんだと思う。自分はあなたたちにバチを与えたいとは思わない。だけど神様はおられるから、あとのことはわからない」

「市長が死ぬのか?」

オーナーが初めて顔をあげて私を見た。

もう一度、病院へ行ったかどうかがはっきり記憶に戻らない。カルテで確認することにする。

2002年、9月17日、公休日、翌18日、出勤する。

書類棚の所でいる時に部長が探しに来る。

9時過ぎ。

「市長室に行くぞ」

周囲の空気が変わる。

「体調悪いです」

「おまえも連れて来いと市長命令だ」

課長、課長補佐を見たが、タバコを吸いに外に出て行った。

部課長以外の職員が市長室に入ることはない。急ぎの決裁をもらいに入るので、秘書係長がそのスケジュールを元に、外来者との調整を図り、その間に急ぎの決裁の時など入れてもらう。

それほど、敷居は一般職員にとっては高い。またそこを易々と行き来されたら、秘書係長の仕事の支障どころか、市の行政じたいの秩序が成り立たない。

私は何度か部長に同行し入っているので、初めの頃は、実直な秘書係長は厳しい顔で見る。当然のことだ。

介護保険が立ち上げスタートという段で、行政と医療福祉、マネージメントの合体という未知のジャンル。行政の部のトップが医療福祉の説明補助として専門職の私を同行する、という意味合いで、秘書係長は、走っている事業の急ぎの決済との見解で理解を次第に示してはいた。

市長室に入った。

スーツ姿のN君が座っている。オーナー夫妻の息子だ。

応接室は、非常勤職員を紹介する場所ではない。

陳情者や表敬訪問など、市の公の応接室だ。

16日が蘇る。憤りというより、終わったと感じた。これで私の仕事場はなくなったと思った。

サラの下に置くと市長が言うが、部長は16日、誰よりも先に上手に逃げたので、一人市長の話を熱心に聞いている。

N君が認定担当の情報処理を担当するようになり、今までいた担当が外された。

部課長、補佐に、退職の意志を伝えた。

「俺らは知らない。自分のことは自分で解決してくれ。すぐに退職は無理。次を育てるまで責任を取るべきだ」

「おまえも息子さん、大学行かせたいだろう。俺らもみんな子どものためにできん我慢をする時もある。親は頑張らないと」

その日の会話はそれで流れる。

周囲から、いやがらせが少しづつ始まっていく。女性職員、組合の職員等から面と向かって罵倒されたり、一人だけ外されたり、同時期入職した看護師が組合に入会できたが、私は無視された。

サラが声をかければ市の職員になれると、勤務中、急に大声でわざと言い出す者もいた。愛人だからなんでもありって凄いね、と。

非常勤務の職員に、苦しくなって外勤の途中、16日のことを話した。

彼女は運転をしていたが落ち着かなくなり、しばらくして仕事を辞めた。

親友にも話せないと感じた。みなを巻き込む前に辞めようと決めた。

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黒真珠のできるまで

「サラの日記」 を読んでくださる皆様へ

多くの励まし感謝致します。

本日は短く書かせて頂きます。体調が戻り次第、詳細記事は続けます。

     *  *  *  *  *

私の故郷には黒真珠の養殖で有名な川平湾があります。

黒蝶貝を開き、肉片にメスを入れます。丸い核を入れるともう一度、貝を海底に戻します。

肉を切られた黒蝶貝は、傷を元に戻そうと懸命に細胞分裂を繰り返し、核を巻いていきます。

傷が治ると、黒蝶貝の仕事も終わり、生まれ出るのは、高貴な宝石、黒真珠です。

石垣島に住む全ての人に豊かさがゆきわたりますように。

南の合衆国ならではの特徴を活かし、優秀な人材が伸び伸びとその才を発揮できますように。

子供達が豊かな自然と、豊かな人材に守られ、これからも健全に育ちますように。

私の入れたメスの切り口が、本物の真珠を生み出すきっかけとなりますように。

切られた痛みがなくては、核を巻く、治ろうとする爆発的生命力は出てきにくい、そう思います。

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被害届けについて

サラの日記を読んで下さっている皆様へ

いつもサラの日記を読んで頂き、ありがとうございます。

多くのメールやコメントによる励ましを感謝致します。

先日のブログにて、告訴取り下げという題名にて記事を書いておりましたが、言葉や説明不足により、皆様に誤解を与えてしまったことをお詫び致します。

昨日、八重山署の担当刑事と話をし、被害届けについて、どのような状態になっているのかを確認しました。

サラの場合は被害届けの聴取が継続中のところ、サラの体調により聴取続行がギブアップとなったため、一時手続き中断であり、取り下げでも何でもないということです。

被害届け受理の準備段階であるため、体調が回復し、再開するということであれば、いつでも連絡くださいとのことでした。すぐに再開することは可能なようです。

サラの突然の大きな発作と入院は誰もが予想しなかったことでありますし、非常に苦しいことであります。

当初の考えをそのまま持ち続けて戦うというのは、今のサラの状態では無理です。

痛みがあるのは本人であって、私を含め他の方にはその痛みはわかりません。

サラは今後も回復と共に、自分で日記を更新していく意思は持っております。

はっきりしているのはそこだけです。

以前と同じ思いで、同じ状態でマスコミによる取材や、警察による聴取を再開することをお約束はできません。

誤った記述により、混乱を招いてしまったことをお詫び致します。

しかし、あくまでもサラの体調の回復が最優先ですので、本人による日記の書き込みが再開されるまで、回復を見守って頂けるとありがたいと思います。

(代理人)

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10月27日、火曜日ーサラ緊急入院

サラの日記を読んでくださっている皆様へ

10月27日午後より、度重なる発作が続いており、ニトログリセリンで対応しておりましたが、夕方再び大きな発作が起き、救急車にて緊急の入院となりました。

加療安静のため、しばらく本人は書くことができません。

その間のコメント、メールの管理につきましては、代理人が務めます。

サラ本人の命に関わることですので、回復を見守って頂くと、ありがたいです。

(代理人)

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10月27日、火曜日ー告訴取り下げ、 石垣市民の皆様へ

10月27日、13時50分、管轄の八重山署に電話をかけ、告訴を取り下げました。

(八重山署曰く、”受理”にもなっていなかったとのことで、実際には取り下げとはならない)

電話からは安堵の様子が伺える。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「サラの日記」 を読んで下さっている皆様、

いつも温かい支援の声をありがとうございます。

応援もありますが、誹謗中傷も多く、全てに返信できずに失礼しております。申し訳ありません。

ブログを始めてすぐに全国から多くの方がアクセスして下さいました。

本日は、もう一度、私人ブログ開設の意味を説明させていただきます。

石垣市民の皆様へ

サラは、思想団体、宗教団体、政治団体に属したことはありません。

また公開することで、損失を受けるのは、市長も当然でしょうが、私、家族も受けます。

市長は公人で、罪を犯したわけですから、仕方ないことです。

ですが、私ども家族にとっては、事件によって失業し、病気もし、今更、また二次被害、三次被害を受ける必要はありません。

どなたかの選挙応援か、という誹謗もあります。

右翼か、という罵倒もあります。

証拠は全部ありますので、「サラの日記」 で、また心ある知識者の方々のブログで、当事件及び沖縄の膠着した、物言えない状況を記事として今後もアップし続けていきます。

私は、きちんと責任として告訴しました。

心臓疾患を抱え、経済的にもゆとりのない中で、就学期の子どもを抱えながら、石垣市民の皆様、あなたなら同じことができますか。

証拠は十分過ぎるくらい揃っています。私は顔も堂々と出して証言もしました。

真摯に取り上げて下さったのは、「チャンネル桜」 さんだけでした。

石垣、沖縄、ひいては日本、報道の良心は、「チャンネル桜」 さんだけに存在したと、一市民の声として申し上げておきます。

国民が理不尽な目に遭った時、昔の日本の報道各社は、そのまま伝えてくれたはずです。

今はしてくれません。

思想はまったく持っていません。正直、石垣市役所にいた公務員として、当時の仕事仲間に伝えたかった。当時説明できず、不愉快な思いをさせてしまったこと。

面と向かってぶつかってこられた正義感のある方々も一部、おられた。でもぼそっと一人に恐怖を伝えたら、その方は仕事を辞めてしまった。

言えないと思いました。住んだことのある人にしかわからない。

仕事がなくなる。子どもが孤立する。仲間がいなくなる。

全体が敵の空気になる。

公務員としての義務を果たしました。あとは、皆さんの島です。どうか皆さんのそれぞれ自己責任で島の今後をお願い致します。

育ててもらった故郷を、私はこれで今度こそ悔いなく去ることが出来ます。

家族の守り方、地方自治体の守り方、国の守り方、一人一人の認識が大きく問われる新しい時代です。

私は、家族のために、自分の心臓を守ります。これが自分で責任を取る行為だと思っています。

これ以上の誹謗中傷は受け付けません。責任は果たしました。

※27日に連絡があり、必ず記事にしますと約束して頂いたのに、対応できなかった「夕刊フジ」の報道部さん、申し訳ございません。

  

追記

本日もサラは心臓発作を起こしました。これ以上の取材や警察による聴取は不可能と判断いたしました。当初の目的は達成されたものと思っております。

また、このことによって石垣市長の罪が消えるわけではありませんし、市長が「チャンネル桜」さんの取材から逃げた事実は変わりません。

今後もブログはアップしていきます。

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田母神氏論文

何故、訴えるか。

日本が危ない! 

過激な言葉だが、この言葉以外、見つからない。

目からウロコが落ち、沖縄全体に覆う闇から私は、今、脱カルトを果たした心境だ。それが、

2002年9月15,16日という7年前の事件を、私的解決ではなく、公的な解決へと視点を変えさせた。

現職の石垣市長に性的暴行を受けた。事件直後、本人から示談の申し出があった。本人提示額、2000万円。私の年収を体調回復年数にかけた額。

2004年、7月に50万円の振込みがあった。

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加害者に全て決めさせるのも不本意だったが、公開は困るという本人の意向に7年の歳月が経った。当然、忘れていたわけではない。詳細は、別で書いているので、ここでは割愛する。

2009年、8月。

日付は覚えていない。友人へ送るポストカードを買うために本屋へ夫婦で出かけた。

市長にとっては不幸、私にとっては、天命を聞いたとも思える日。

事件後、夫がニュース断食として、私からTV、新聞、雑誌等を遠ざけていた。

本屋の中央に平積みのコーナーがあり、山積みの間が一部窪んでいる。

「WiLL」

自衛官の制服姿の男性がまっすぐこちらを見ている表紙だった。売れているのだろう。残り3冊。他は山積みだ。

まっすぐな目を見るのは、とても久しぶりな気がした。温かく懐かしい感じがした。

手を伸ばして読んでみた。久しぶりに活字に触れた。

「田母神論文」

さっと読んだ。コミンテルン、ふと何かがわかった。

夫を探した。活字は断食中だ。だが見当たらない。本を置いて夫を探す。

途中、ふと妙な視線を感じて一冊の写真集に目がいく。沖縄コーナーだ。

避けたい場所。だが女性の目が重なるように表紙になった写真集に手が伸びた。

気味悪かったが、著者を知っていた。めくって、著者のYさん一家が家族で芸術を語り、反戦を語っているのを読んだ。

続いて、亀甲墓を背景に、女性のヌーディな足が大胆なV字で逆さに撮られている。

あまりにも気分が悪くなり、写真集を置いた。

まだ反戦を武器に商売する輩が存在していたのか。卑怯だなと不快感が増す。

沖縄で反戦を語れば金になる。日本が危機にあるというのに、どこからまだ金をむしり取ろうとするのか、いつまで自虐ネタで、新聞社とつるんで商売する気か。

いっきにそんな思いが涌いた。自分でも驚いた。

私も新聞社から文学賞をもらったことがある。その時の審査員の先生に呼ばれた。

私が特別押した。あなたはここでは芽が出ない。中央に来なさい。

当時は意味がわからない。1990年のこと。

そのあと、私は軍用地主の資産家の息子と結婚した。反戦運動に関する県民大会へは必ず参加すること。そして山積みのお金の配分。軍用地代金が山分けされた。運動は、この金とセットだと気づいた。すぐにその家を追い出された。

反戦運動をすれば金や地位が手に入る仕組み。私には肌に合わないことだった。反戦小説も肌に合わなかったのだろう。一度も書いていない。

私は、自己憐憫が好きではない。

自分で撒いた種は自分で刈る、自己責任。生き方だけははっきりしている。

たぶん生理的に「沖縄カルト」 に嫌われ、追い出され続けてきたのだと、だんだん思い当たる。

田母神元空幕長の写真にまた足が止まった。

軍人は人を殺す、それが沖縄の教えだ。

写真集のYさんご一家は温厚ないい人たちで通っている。

戦争など見たこともないはずの娘さんが、反戦を武器にした写真集。写真家は変われど、何度か目にしてきた写真集のパターン。

二つの対比で、夢から覚めた。完全に「沖縄カルト」 から醒めた。

誠実と温かさを田母神氏から、偽善と残忍さをY家から、感覚がそう捉えた。

「反戦商人」 日本人を潰すのは、「沖縄カルト」 彼らのほうだ。

全身総毛立つ経験だ。逆転した。

「買っていい?」

夫が、いいよと答えたので、7年ぶりに雑誌を買った。

いっきに読んだ。目からウロコが落ちたので、はっきり読める。何度も読んだ。

その夜は、夫も息子も読んだ。一週間、奪い合うように3人で読んだ。

私達は完全に目が醒めた。

仕事をまっすぐ誠実に続けて極めていくと、どんな分野でも人は大切な何かを知る。私欲を超えた公的な貢献、仕事の匠は、それを捉える。

戦争は嫌です。ですが実践のスピリッツを問われて、ある、ときっぱり答える。田母神氏は仕事人だ。どんな仕事に就いておられても一流になられる方、それが伺える。

誰が読んでいるか、聞いているかもわからない、「時の人」 の発言。それも元幕僚長。

あの答え方の聡明さは類をみない。微妙な質問だった。

そのあと、私は、石垣市長が犯した事件と、私の兄が新聞社に叩かれ続けた事件の繋がりに気づく。そして、沖縄の政治家の実態、弁護士の関わり、左翼運動家の存在、蔓延する全体主義を知った。

本屋からわずか2週間。

「沖縄カルト」 の中で、あわや私は現職の石垣市長の性的暴行事件をなしにする、という愚かな事をしてしまうところだった。

そのまま体験したことを忠実に書く。届ける。これが私の受けた天命。

戦う前に、武士の習いとして、一度は示談を受けたので、再度確認を取った。

日付を決めた。そのあと全てを公開しますという条件をつけた。

市長は、私がまだ、「沖縄カルト」 の信者で、脅せば黙ると思ったようで、市長本人しかかけられない、いわば、ホットラインから脅迫の電話をかけてきた。

2004年3月31日まで私は公務員であった。

当時市民に報告する義務があったにも関わらず、私の弱さゆえに7年が過ぎた。

石垣市民に深くお詫び致します。私も本来、まっすぐに仕事を愛する家族を愛する者です。

そこに立ち返り、自分のすべきことを果たす、日本に住む社会人として忠実な者でありたいと思います。

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10月24日、土曜日ー取材を受ける

10月24日、取材を受けた。午後4時30分から7時まで。

TVに顔が出ます。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

事件がなければ、サラは公務員で年収、他の講師料も足して700万円。

当時、母子家庭でしたが、十分な収入でした。

またコメント、メール等での、愛人でその痴話げんかの成れの果てという、許せない書き込みもありましたが、

愛人なら、愛人の家くらい普通は知っているでしょう。どこかでこっそり会うんじゃないですか。

わざわざ部課長を巻き込んで、飲み会をセットしたり、課に直接、探しに来たり、ストーカーまがいの行動をしないでしょう。

そして、サラが愛人なら、そのようなことを平然とできる人間なら、当時、そのコネクションを使い、今頃、男女雇用均等法などの講師をしたり、高いスーツに身を包み、ステータスもどんどん手に入れていたでしょう。つんつんして歩いていたでしょうね。

偉いさんには、ぺこぺこして。

事件当時は、ある程度、経済的余力もあり、メンテナンスもしていたので、TVに出ても一般人としては、普通に出れたでしょう。

でも、今は、正直、長い戦いの果て、疲れ果てた一瞬、目を逸らしてしまいたい程のおばちゃんです。自分で言うのもなんですが、TVに出るのは、かなり痛い人生に落ちた厳しい顔です。

皆さん、見て、驚かれるかと思います。支援、引き下がらないで下さい。60%くらいは、立ち直りつつある顔ですから。

そして、これが被害者のその後の実像というのもわかって欲しいと思います。きれい事などありません。

ハンディキャップのある子も抱え、失業する。島の親分の言うことを聞けなかったがゆえに島を出た。

ゼロからのスタートをするには、心はボロボロで体重は37キロまで落ち、まともに職に就けず、就いても続かない。

息子が、今年ようやく予備校のお金が貯まり、来年受験をすることになった。辛くて息子の年齢は書けない。息子は家計を助けてきた。

一般の生活者は市長のような華やかな生活はしていない。少しは、想像してほしい。

あの日の首長の横暴が、一つの家族の生活を根本から崩してしまった。

生活者は7年を、生き抜いてきた、これが真実の姿です。きれいごとではない。

髪も自分で切るし、生活はぎりぎり、でも家族は転落した生活に誰も文句を言わない。

コツコツと自分の力量の中で、それぞれが支え合って生き抜いてきた。

久しぶりの受験勉強、だが一年、予備校に行けるだけでも有難いと、息子の受験生活は気迫に満ちている。来年、国立を一度で受かる。ゆとりなどない。

この件で、息子に、改名をするかと聞いた。

今までも同じ、これからも同じ。いい人に出会える確立も高くなる。何故、名前を恥じないといけないか。

逃げる意味がない。おばあちゃんが元気な間、この名前は、まだ残るんだと、おばあちゃんに希望を持たせたいんだと、きっぱり改名しないと言われた。

私達、家族は逃げない。珍しい姓を公開している。顔も出した。

だが市長は、ホテルに逃げ隠れたという知らせが入った。

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事件発生(2002年9月16日)

「はなき」 で、

部長、課長、課長補佐、男性職員、サラが市長と同席する。

軽いつまみ程度とお酒が出され、店が客に出すには、少な過ぎて変な感じがする。

五分ほどして、オーナー夫妻が前掛けを外して座につく。

みな、あれっという感じになる。

続いてオーナー夫妻の息子さんが紹介される。息子さんは名前を名乗り、頭を下げ退座する。

夫婦はしばらく座る。

一人、一人、トイレに行くふりをして席を立つ。

上司を追う。

「俺らは関係ない。おまえの問題だ」 と突き放される。

「私も知りません。私も帰して下さい」

かばんを取りに戻ると、シャッターが下ろされた。

何度か帰ろうとするが、「待て」 と市長が帰さないので、上司もイベントで早朝から立ちっぱなしでだいぶ疲れているが、根気強く残って相手をしている。

またトイレの横の勝手口しか出口はなく、オーナーが鍵を開けなければ帰れない。やりとりですぐ市長が、「帰るな」 と言うので、時間は午前4時ごろになる。

トイレに立つようにして鍵を何度かまわすが開けられない。また夫婦も見つからない。座敷にかばんを取るふりをしてオーナー夫婦を探す。

市長、男性職員一人が残っている。異動してきたばかりの職員で、女性職員を一人残しては帰れないと、何度も市長に、お送りいたしますと話しかけていた。

そしてサラに目で、「帰れ」 と合図を送る。

オーナー夫婦がいないんです、と答えると、自分が探す、トイレに立つふりして、すぐおまえも帰れと。

2分ほどたった。会話が聞こえる。

いたんだなとわかり、サラもすぐに立ち上がる。

市長が酔ってふらふらと立ち上がった。

しまった、トイレかなと思った。でもそのすきに帰れると、かばんに手を伸ばしたとたん、両肩をいきなり捕まえられる。

サラは体制を崩し、木材床に、頭をごんと打ち、倒される。スカートを取られた。

そこから格闘が始まった。30分から40分、声もあげた。市長に、「私はクリスチャンなので、許してください」 と転んでいる時に声をかけた。

だが髪の毛をひっぱられ、また格闘。ドアが観音開きで押せば出れる。

押したが開かない。

足が二人分見える。オーナー夫婦は、作務衣を二人とも着ていたが、その作務衣のズボンがはっきり見える。

「開けて」「助けて」

と叫ぶが、オーナー夫婦二人もサラが出れないように、必死でドアを押している。また市長と格闘する。膝で顔を押さえつけられる。髪を引っ張られる。ストッキングは破れた。

突き飛ばした。角でごろんと市長が静かになった。その勢いで扉を開けた。二人がいない。

トイレ近くでスカートを着、パンプスは手に持って駐車場まで行く。

膝がガクガク動いて、駐車場まで走れない。

車に乗った。鍵がうまくかけられない。膝はガクガク笑った感じで、なかなかアクセルが踏めない。

車のロックをかけて、なんとか家まで運転する。

高校三年生の長女を起こす。

泣き出す娘を連れて、県立八重山病院へ向かう。運転はサラがする。受診をした。

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現石垣市長の犯罪ー事件当日(2002年9月15日~16日)

2002年9月15日、石垣市主催の敬老の日の祝賀イベントが石垣市民会館ホールで行われた。

当時、サラは石垣市介護長寿課職員。

イベントが終了、近くの美崎町にある居酒屋で、介護長寿課の慰労会が午後6時頃から始まった。

会場片付け等で、サラが慰労会の場所に到着したのは、午後7時30分過ぎ。

慰労会場所に上司の間に市長が座っていた。

着席したサラに、上司より市長へ乾杯しに来いと声がかかる。

しばらく傍に座る形になり、食事が摂れない。見かねて女性職員が、声をかけにきた。

離れた所に皿に寿司などが取られて置かれており、そこに移るようにと、そして代わりにその職員が傍に座った。だが、すぐに上司から、「おまえじゃない、サラ、来い」 と声があがる。

一課の慰労会に市長が出席するのは異例のことであり、初めは緊張していた職員もイベント終了の開放感から、次第に酒席は声も大きくなっていった。

そこでもほとんど傍に座らされた。

二次会に移動するという上司命令。

女性職員や非常勤職員はトイレに行くようにして、それぞれ帰るが、サラは傍に置かれているので動けず、また係長以上は市長命令ということで連れていかれる。

ビヤガーデン、市長の呼び出した若手のミュージシャンやその友人等も同席。

そこで、サラの書いた本を読んだかと市長が一人、一人の職員へ詰問する。だいぶ酔っている。

市長の強い口調に一時、空気が不穏になり、サラに直接、「おまえは何様か」という酔った職員の怒声もあがる。一職員を、首長が話題にするのは当然だがタブー。

酒席は、他で飲んでいた人も交じり、初めの数より倍ほどに人数が増えている。そこで長々とサラの話を酔って話す市長の独壇場となる。

同時に、市長の傍に座れ、というヤジ声あがる。

女性係長がトイレに立つ。サラもついていこうとするが、「サラは帰すな。まだ話は終わっていない」 と市長の声に、帰れず。午前零時をまわる。下の子どもを寝かしつけている長女から何度も、電話が入る。お母さん探して落ち着かないから、タクシーで近くまで来ていいかという電話。もう帰るから大丈夫、なんとか逃げるからと電話を返す。

三次会があるという。失礼しますというと、おまえの人事の件だ。俺らは帰ってもおまえは残れと上司が言う。

午前一時過ぎ、日付は、10月16日。

場所は、割烹、「はなき」

Nさん夫婦が経営する。奥さんはサラの小中学校の同級生。介護長寿課でも何度か来店したことがある。いつもなら閉店している時間。

「はなき」 の近くに契約駐車場があり、サラはついていくふりをして踵を返して駐車場まで歩いたところで、上司が気づいてついてくる。

「市長がおまえを連れて来いと言っている。自分達も疲れて帰りたい、さっさと市長が言うことを聞けば帰れるよ、こっちこそ迷惑だ」 と。

すみませんと謝り、ついて行く。

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10月24日、土曜日ー証拠物提出

10月24日、午前11時、八重山署刑事2名による追加聴取がありました。

当時場に居合わせた人物等、昨日の詳細の確認をされました。

証拠物、一つを提出致しました。

本日、それを署に持ち帰り、検討に入り、追って連絡がくることになっています。

身辺の警護等に関しても助言を頂きました。

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御礼 (たたかいの経過10月15日~23日)

「サラの日記」 を読んでくださった皆様、多くのメール、コメント、電話による温かい励ましを心から感謝申し上げます。

記事がわかりづらいと多くの方から指摘があり、整理して、読みやすいようにアップ致します。また、支援くださる皆様へ、当件に関しての経過をこれからも報告致します。

全コメント、メールへご返信できなかったことをお詫びいたします。今後の励みと致します。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

◆10月15日 

 ブログに事件の内容を公表。

◆10月16日 

 17時46分 市長本人よりサラの携帯に電話がある。

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◆10月17日 

 16時56分と17時35分に石垣市長室より着信があるも、電話に出ることができず、不在着信となる。

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◆10月21日 

 10時41分、16日にサラの携帯に着信のあった番号へ、夫が抗議のために電話をかけるが不在。

 10時53分、石垣市役所市長室へ、夫が抗議のために電話をかけるが来客中とのことで名前と携帯番号を伝え、折り返しの電話を依頼する。

 10時57分、石垣市長本人より夫の携帯に着信がある。

 (この時の番号が17日に2回不在着信となった番号であった。またこの時の会話で、16日の着信番号が市の電話であることが本人自らの発言でわかる)

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※詳しくはこちら 

  狼魔人日記石垣市長暴行事件、県内紙が動く!【追記】あり

 13時、地元警察署に被害届けを提出。「相手に罰を与えたいですか」の問いに「はい」とこたえる。

 20時から22時過ぎまで新聞社の取材を受ける。

◆10月22日 

 14時38分と15時46分に八重山警察署より電話があり、翌日(23日)地元警察署まで出張して来ますとの連絡がある。

◆10月23日

 10時から13時、報道機関の取材に応じる。

 16時から18時、八重山警察署、刑事2名による聴取がある。

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