連載・特集

大阪ヒト元気録

戦い抜いて11連勝

プロボクサー/日本バンタム級6位(大阪帝拳ジム所属)
山口賢一さん
2009年3月4日

強いボクサーと試合がしたい

後援会会長の牧さん(左)と山口さん

 二〇〇八年十二月十四日。二ラウンドに右手の甲を骨折しながらも十ラウンドを戦い抜いて判定で勝利し、十一連勝を飾った。「骨が折れたのは分かりました。このまま続けたらボクシングができなくなるかもしれない、途中でやめようかと思ったけど、応援してくれる人がいるので簡単にはあきらめることはできませんでした」

■きっかけの一言

 幼いころからスポーツ少年団の空手道で汗を流し、中学からは野球を始めた。高校は強豪高に進学し、甲子園を目指す逸材。エースナンバーを背負い、プロからも注目を集めた。だが「身長が足りませんでした」。野球の道を断念。夢破れ、失意のどん底で大阪に戻ってきた。

 アルバイトの帰りだった。行きつけのうどん屋のボクシング好きのオバちゃんに「あんた悪い顔してるな。ボクシングしたらええのに」。この一言が、新たな道を切り開くきっかけとなった。十九歳だった。

■狙うは世界

 二十一歳でプロテスト合格。翌年のデビュー戦は「体が思うように動かず」引き分け。〇五年二月の勝利から、現在十一連勝中だ。チャンピオンベルトを巻くチャンスをうかがい、二十四時間ボクシング漬けの日々を送る。

 「一番だめな試合だった。でも勉強になりました」と骨折してしまった試合を振り返る。「普段から左で打つ練習はしてましたが、リング上では思い通りにはいかなかった。左だけで勝てるように練習してます」

 まだ確実ではないが、近々、日本、もしくは東洋太平洋のタイトル挑戦も現実味をおびてきた。「強いボクサーと試合がしたい。一試合、一試合頑張るだけです」

■応援を力に

 「みんなの応援は背中を押してくれます。120%の力が出るっていいますが、100%は自分、後の20%は応援の力。肌で感じます」

 三年前に地元・旭区の沖縄・奄美郷土料理の店「ハイビスカス」の代表・牧健二さんが後援会をつくってくれた。「応援はプレッシャーになりますが、プレッシャーがあるから頑張れる。応援が支え。感謝の気持ちでいっぱい。リングで恩返ししたいです」

 牧さんは言う。「ずっと応援する。あとはタイトル。期待してますよ。旭区の代表として、夢をかなえてほしい」

○…「勝つか負けるかは自分との戦い。考え方一つ」。三年前に一度取材させてもらったが、気持ちの“強さ”は年齢とともに増している。「日々、勉強です」。周りのアドバイスを冷静に受け入れ、ほかのスポーツ選手の本を読むなど、ボクシングを追及する姿勢もより貪欲(どんよく)になった。そして周りには温かい応援者たち。山口さん、ベルトを巻いたときには、少し触らせてください。