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楽太郎が涙、円楽さん通夜で遺体と初対面

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会見で涙を流す三遊亭楽太郎(撮影・藤田啓輔)
会見で涙を流す三遊亭楽太郎(撮影・藤田啓輔)

 10月29日に肺がんで亡くなった落語家三遊亭円楽さん(享年76)の通夜が4日、東京・代々木の代々幡斎場で行われた。密葬という形だったが、円楽一門会会長の三遊亭鳳楽、来年3月に6代目円楽を襲名する楽太郎ら一門をはじめ、「笑点」メンバーの桂歌丸、三遊亭小遊三、林家木久扇、林家たい平に春風亭小朝、林家木久蔵、伊集院光ら芸能人のほか一般ファンも含め約250人が最後の別れに訪れた。

 楽太郎は自らプロデュースした「博多天神落語まつり」のため円楽さんが亡くなる直前に福岡入りし、その後も地方公演があったため、この日、初めて遺体と対面した。「亡くなった翌日が僕のプロデュースした公演の初日。師匠は命を懸けて宣伝してくれたんだね」。

 最後に会ったのは大師匠円生の命日の9月3日。来年の円楽襲名のプランを報告に行ったという。「酸素呼吸器をつけていて、『階段の上り下りが大変』と言っていた。円楽を譲り、最後の弟子の王楽も真打ちになって『やることがなくなっちゃた』と言っていたけど、師匠がやることは生きることだったのに」と大粒の涙を流した。

 円楽さんと30年以上も行動を共にした。楽太郎は「芸の親であり、実の親以上の存在だった。師匠は落語界を盛り上げて、落語ブームの火付け役。一門のために長年苦労して孤軍奮闘し、命を削っていた。まだまだ教わることがあったし、おもしって必要なんだよね。襲名興行で5代目円楽と6代目円楽で並ぶのが夢だったのに。小言をいわれなくなるのも寂しいよ」と言って、また泣いた。

 遺影は50代で十八番の「芝浜」を演じた時のお気に入りのもので、法名は「光岳院情誉円楽寛海居士(こうがくいんじょうよえんらくかんかいこじ)」。ひつぎには生前愛用した紋付き着物と大好きだった大リーグのワールドシリーズの本が納められた。

 葬儀・告別式は5日午前10時30分から同所で、お別れの会は21日午後4時30分から東京・丸の内の東京開館で行われる。

 [2009年11月5日9時41分 紙面から]


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