最終更新日 2004年3月23日
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「食卓の記憶」10 中川昭一氏
(「週刊文春」2004年3月11日号)

『朝食のこだわり』

 朝食が食べられるかどうかは、一日のバロメーター。僕は毎晩、翌日の朝食を食べるかどうか、家内に言っておきますが、これが時々ミスマッチを起こすんです。「明日は食べるよ」と言っておきながら、あまり調子がよくないと、野菜と味噌汁だけで終わらせてしまう。家内は、「せっかく作ったのに」と。逆に、「明日は(用意は)いいよ」と言っておきながら、朝起きるとお腹が空いていて、「もっとないの?」と言ってみたり。夜の、この一言の“打ち合わせ”に結構神経を使うことがありますね。
 子供の頃から、食事というと、ごはんとおかずという意識が身についていたんです。これは日本独特のものかもしれませんが、どうも一品もので済ますというのがあまりピンとこないんです。肉でも魚でもいいけれど、ごはんのおかずとして食べたいという感じですね。
 子供の頃の朝食も、ごはん、お味噌汁、おかずと野菜というメニューでした。このスタイルは今でも変わっていませんが、あまりお腹が空いていない朝は、味噌汁とサラダだけということもあります。野菜がとにかく好き。子供のころから嫌いな野菜がなかったのは、母の食事のお陰だと思います。
 今、凝っているものは、ヨーグルト。市販のプレーンヨーグルトに、何でも入れてしまうんです。例えば、納豆やゴーヤ。決して美味しくはないけど、結局お腹の中で一緒になるわけだから、それなら混ぜてしまえということで・・・。だからだいたい朝食は十分ぐらいで終わります。ヨーグルトに混ぜてダメだったのは、長芋やモロヘイヤ。同色系で味のないもの同士はダメでした。でも、ご飯に納豆と長芋を両方かけて食べることはあります。両方とも大好きだし、体にもいいですから。
 子供の頃、父と一緒に朝食をとっていたときは、よく「ごはんを一粒も残すな」と言われました。この一粒のお米を作るのに、どれくらいの農家の人たちが苦労しているか、と。また父は魚が好きだったのですが、骨の間やエラについている身は面倒なので、あまり食べたくないのに、そこが一番美味しいから食べろ、と。父は大正生まれで、食糧難の時代に育ちましたから、ご飯だけでなく、出されたものは残さないできれいに食べるようにと、厳しく言われました。当時、僕は育ち盛りで、ダイエットには無縁だったのでよく食べましたが、逆に父は母から、「あまり食べ過ぎないように」といわれていました。太っていましたから。
 今、自分も子供達に、一応ごはん粒を残さないようにと言いますが、父のように切羽詰まったものがないんですね。ただ、朝食では牛乳だけはきちんと飲むように言っています。
   (取材・構成  細川珠生)


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