Hatena::Diary

服従するが果たさない このページをアンテナに追加 RSSフィード

長男なのにしまじろう

2009-07-17

その記憶、わたしが頂きます


今回は記憶について変態的なことを書きます。変態的なのはいつものことだけど、記憶について変態的なことを書くのは初めてなので緊張します。


人はだれしも、3歳くらいまでの経験についての記憶というのは、あったとしてもはっきりしません。こういう現象は「幼児期健忘」と呼ばれるそうで、昔からそのメカニズムも含めて盛んに議論がされているそうです。例えば、フロイトなども非常に関心を寄せていたテーマのようです。幼児健忘のメカニズムに関する仮説については、ちょこっと調べて面白かったので、また別エントリーで紹介したいと思っています。


で、今回は、自分育児体験から幼児期健忘に絡んで変なことを考えたことがあったのでその話をします。一人目の子ども育児というのは、なにしろなんもかんもが初めてなもので、こういうと変かもしれませんが割と「真面目に」取り組むものだと思います*1。そして、私の場合、一人目の子の育児中に、子供が泣いたり笑ったり怒ったり喜んだりしている姿を観察していて、「ひょっとすると自分もこんな感じだったのかな」というような感覚を何度か覚えました。それは自らの幼児期の「失われた記憶」を、擬似的に「体験」しているような不思議感覚だったんです。


この感覚不思議でちょっと怖いなと感じたのは、自らの「失われた記憶」を、我が子を通じて擬似的に「体験」することによって、「私の子供」が「過去の私」として存在するような、つまり私と我が子が同一化されるような、そういう錯覚を何度か覚えたからなのです。


例えば、自分の夢を無理矢理子供押し付けてしまうという話は割と頻繁に耳にするし、自分もそういう傾向が多少あるんですけど、そういった行為に対して、「子供のことをモノを所有しているような感覚で扱っているんだろう」というように批判する場面を目にすることがあります。確かにそういう面もあるとは思うんですが、この「我が子に夢を押しつける」というふるまいが、「失われた記憶」の疑似体験を媒介にして、自分と我が子が同一化してしまっていることに起因するのだとすると、意外に根深い問題のような気がするのです。


「所有」ではなくて「同一化」しているのであれば、子供人生自分人生ということになり、「自分人生自分で決めて何が悪い」というような感覚に陥りやすいかもしれません。もちろんこれははっきりと意識しているわけではなくて、きっと無意識にそのような感覚を抱いているということなのだと思います*2


特に家族社会など周囲からのサポートがあまり受けられずに、孤立した状況で密着マンツーマン育児をせざるをえない環境であるとすると、そういう心理がなおさら働きやすくなるというのはなんとなく想像できます。別に、親の夢を子供に託すということ自体は悪いことでもなんでもないのですが、「同一化」することで、子供の適性には目もくれず闇雲に自分の意志を押しつけるというようなことになると問題かなと思います。


こういう「子供との同一化」というような感覚って皆さんはどうなんでしょうか? 私が変態だったという結論で終る気もしますし、個人差は大きいと思いますが、個人的にはふたりめ、さんにんめの育児経験していく過程で、そういう感覚は相対化されていったように感じています。また私の場合は周囲のサポートに恵まれていた方だと思うので、あまり育児で追いつめられなかったというのも影響しているかもしれません。






また、この幼児期健忘という現象は、子供との関わり以外でも、非常に興味を惹かれます。ここからはこれまで以上に妄想炸裂しますが、このエントリーをかくきっかけになったのが、次のエントリーだったので一応書いておきたいと思います。きっかけエントリーはこちら↓


お二人とも自分が「自分」に拘る理由のありかを述べられています。アイデンティティ確立重要性が叫ばれて久しいですが*3アイデンティティルーツを辿っていくと一番の根っこの部分を想起できないということになります。


この世に生を受けてから数年の間に、人はおそろしく劇的に様々な経験をしているにも関わらず、それが出来事として想起できない。また、この時期は、おそらく人生の中で身体的密着度が最も高い時期でありながら*4、それも体験としては想起できない。この人生の立ち上げ期の出来事の記憶がどんな人からもごっそり抜け落ちているという事実は私には中々皮肉に感じられます。


過去の「わたし」があまりに不確かなので、今の「わたし」についてはできる限り「正確」に表現したい。人が「わたし」というものに時として異常なまでに拘るということ、これも、この幼児期健忘がもたらす根源的な不安と多少なりとも関係するのではないか*5、というような妄想を働かせてしまう今日この頃ゴロゴロしながらそのようなことを考えました。


専門家は色々もっとちゃんとしたことを言っているのでしょうかね。私が言ってもなんかもやもやしてすっきりしないので、ご存知の方がいたら是非教えてください。




ちなみに今回はid:toroleoとの初コラボ企画です。よろしければどうぞ

ていうか怒りにも似た祈りです- 怒りにも似た祈り(イカノリ)

*1:二番手、三番手、すまん

*2:だから意外に厄介な気がするのです。意識しているのなら対処は比較的容易でしょう。

*3:なんだこの突然の官僚的文章は!

*4:一日中抱っこされるというようなことはその後ほとんどの人の身には生じないでしょうから

*5:もちろん、幼児期健忘がかなり普遍的な現象であるのに対して、「わたし」への拘りの度合いは個々人によって大きくばらつくので、他の要因も影響しているのは間違いないと思われます。

はてなユーザーのみコメントできます。はてなへログインもしくは新規登録をおこなってください。