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金本沈痛“生みの親”三村氏急死

 阪神春季キャンプを訪れ、金本(右)と談笑する三村氏=宜野座(09年2月8日)
 阪神春季キャンプを訪れ、金本(右)と談笑する三村氏=宜野座(09年2月8日)

 元広島監督で楽天・三村敏之編成部長が3日午前10時5分、心不全のため仙台市内の病院で死去した。61歳。

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 この日午前、兵庫県芦屋市内の自宅で訃報を聞いた阪神・金本知憲外野手(41)はしばらく言葉を失った。2週間前に電話で話したばかり。体調を気遣う金本に「大丈夫よ」と受話器の向こうで笑っていた恩師が帰らぬ人となった。信じ難い現実をすぐに受け入れることはできなかった。

 「まだ実感がわかない。(広島在籍時)2軍で2年、1軍で5年、監督をしていただいた。今の自分のすべては三村さん。基本のすべて、僕のプロとしてのすべては、三村さんから出発した。よく鍛えられたけど、今では本当にありがたく思っている。何とも言い難い。言葉になりません」

 周囲のほぼ全員が山本浩二ファンだった少年時代、金本は1人「ワシは三村が好きじゃ」と言い張った。広島入団後は師弟関係となり、三村氏の2軍監督時代から鍛錬を受けた。時に「オレのことを嫌ってるんかと思うくらい」厳しい言葉を向けられたが、阪神移籍後も「自分の今があるのは三村さんのおかげ」と、同氏に対する感謝の念が薄れたことはない。

 金本はこの日、悲しみを振り払うかのように午後から甲子園でトレーニングに励んだ。オフの楽しみでもあった三村氏との食事会も、もうかなわなくなった。少年時代にあこがれたスターであり「自分のすべて」と慕った恩師の早過ぎる死に、金本は声を詰まらせ、悲しみに暮れた。

(2009年11月3日)





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