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61歳早すぎる…元広島監督三村氏急死

 10月29日、ドラフト会議に出席した楽天・三村統括本部編成部部長(右から3人目)
 10月29日、ドラフト会議に出席した楽天・三村統括本部編成部部長(右から3人目)

 元広島監督で楽天・三村敏之編成部長が3日午前10時5分、心不全のため仙台市内の病院で死去した。61歳。通夜は6日午後7時から、葬儀・告別式は7日午後零時半から広島市安佐南区長束2の4の9、サンセルモ玉泉院長束会館で営まれる。喪主は妻洋子さん。三村氏は1967年に広島商高から広島に入団し、内野手として活躍。75年のリーグ初優勝にも貢献した。引退後、94年から5年間、広島の1軍監督。07年12月に楽天の編成部長に就任。今年は肝臓の手術をして療養するなど体調はすぐれなかったが、10月29日のドラフト会議にも出席していた。

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 75年、カープのリーグ初優勝に貢献した三村氏が亡くなった。まだ61歳。早すぎる死となった。

 三村氏は今年5月に肝臓を手術。その後入退院を繰り返していた。2日に仙台市内で行われた楽天のコーチ会議出席を希望していたが、顔色の悪さに球団スタッフに止められ、入院。この日になって容体が悪化し、息を引き取った。

 三村氏は67年に広島入団。堅実な守備力巧打で頭角を現し、70年に遊撃手としてレギュラーに定着した。初優勝の75年は主に2番・遊撃。普段は物静かだが、いざグラウンドに出ると無類の熱血漢に変身した。同年9月10日の中日戦(広島市民)では本塁クロスプレーで新宅捕手のラフプレー気味のタッチに激高。両軍入り乱れての大乱闘の発端を作ったこともある。当時のプレーを見ていた松田オーナーは「野球をものすごい知っている人で、内面も激しい人でした」と振り返った。

 79年の球団初の日本一にも主力として貢献。「江夏の21球」で知られる近鉄との日本シリーズ第7戦(大阪球場)は3番・二塁で先発出場。九回は三塁守備に就いていた。

 現役引退後、94年から1軍監督を務め、4度のAクラス入り。ただし優勝は果たせなかった。96年は2位巨人に7月6日時点で11・5差をつけて独走しながら、メークドラマと呼ばれた長嶋巨人の驚異的な追い上げにあい、逆転優勝を許した。

 松田オーナーは「あの時に勝ってたら。勝たせたかった」と当時を振り返って声を詰まらせた。 それでも2軍監督時代から指導した緒方、江藤、野村、金本らを球界を代表する選手に育てあげた手腕には定評があった。温厚な人柄で先輩、後輩からも慕われた。選手、指導者として広島の初優勝から黄金期を支えたV1戦士の早すぎる死を悼む声が相次いだ。

(2009年11月3日)





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