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11月03日

映画「ゴジラ」第1作目が公開。1954年(昭和29年)


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 東宝が映画「ゴジラ」を公開したのは、今から55年前の文化の日。以降、「ゴジラの逆襲」「モスラ対ゴジラ」など登場シリーズは計28作を数え、日本の特撮映画の代表格となった。

 第1作は、日本の近海に突如現れたゴジラが船や島を襲い、さらには東京に上陸して破壊の限りを尽くすというストーリー。のちに「ウルトラマン」シリーズなどを手がける円谷英二が特撮を担当し、体長50メートルの怪獣が首都を荒らし回る姿を迫力満点に描いた。「七人の侍」や「生きる」の名優・志村喬が老科学者役で出演し、人間ドラマにも厚みを持たせた。

 映画のシリーズ化が進む中で、ゴジラは仲間を作り、子どもを持ち、時にはおどけた姿を見せるなど、次第に“人間味”を見せるようになるが、この作品にはそうした要素は全くなかった。

 東京に“初上陸”したゴジラは、国会議事堂や銀座の時計台などを次々に破壊し、街を火の海に変える。科学者たちは「核実験で安住の地を奪われたことへの報復」と考えるが、暴れ回るゴジラはまったく無表情。人間への恨みも憎しみもまるで感じさせない。

 一方、家を焼かれ、逃げ惑う人々の顔にも、怒りや悲しみの色はほとんどない。半ばあきらめたように巨大な生物を見上げるばかりだ。

 映画が公開された1954年、アメリカがビキニ環礁で水爆実験を行い、日本の漁船「第五福竜丸」が被曝する惨事があった。終戦から10年足らずでもあり、空襲の記憶も生々しかった。制作者は、核や戦争の恐怖と悲惨さを、ゴジラの猛威に重ね合わせようとしたという。

 だが、スクリーン上のゴジラは、そうした人の営みももくろみも超越していた。意思を持たず、ただ暴れ狂うのみ――まるで地震や台風の“化身”だった。

 日本文化の根底にある「無常観」は、地震や台風に繰り返し見舞われたことで育まれたという。築き上げたものが突然、理由もなく奪われる。その度に、我々の祖先は「世の無常」を思い知らされてきた。第1作がそうした国民の心の奥に触れたからこそ、ゴジラは長く愛されるシリーズへと成長したのであろう。ラストで描かれるゴジラの最期も、あまりにあっけなくて「無常」そのものである。(久)

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