<小学5年生の時、親に買ってもらったマンガ雑誌「少年」で故・手塚治虫さんの「鉄腕アトム」と出会った>
第1話の掲載号でした。僕のコンプレックスは中学3年生まで「アトム」を読んじゃったことです。普通の子は中学生になればマンガなんか読みません。ちょっとできる子は岩波文庫を読んでいた時代です。
「アトム」は、ほかのマンガから抜きんでていました。感覚が都会的、21世紀的。ディズニーのキャラクターをまねた手塚マンガは好きじゃなかったけど、「アトム」はただのコピーじゃないと思いました。
長編マンガ「来(きた)るべき世界」は名作文学より優れていると思います。冷戦下の地球に宇宙人が襲来してくるが、宇宙戦争があるわけではない。地球が消滅するかもしれないという大設定をしながら、日本やそれぞれの国に住む普通の人々を中心に話が進む。劇構成の巧妙さ。ただのマンガ家じゃない、とその才能を実感しました。
<宇宙にあこがれる少年だった。やがて関心は映画に向かう>
小学3年生のころにロケットの絵を描いていた証拠があります。飛行機が好きで、ロケットって何だろうって。宇宙旅行という言葉が具体的になり始めた時期で、宇宙に行くことばかり考えていました。中学の3年間、一番時間を使ったのは、月まで行くにはどうするかと考えることでした。
もう少し勉強ができればロケットをつくる方に行きたかった。ところが当時の日本の技術力を考えると、本当に宇宙旅行が現実になるんだろうかと懐疑的になってしまったんです。その懐疑というのは、数学と理科の成績が落ちるにつれて深くなっていくんですが。
映画を選んだ一番の理由は、カメラという工学に近かった部分が大きいです。理工系の要素のある文系の仕事って何だろうと考えて、映画に入ったんです。それまでは、映画のようなエンターテインメントを「あんな絵空事」とバカにする思いがありました。
<64年4月、手塚社長のアニメ会社「虫プロダクション」(東京都練馬区)に入社した>
大学の卒業が近づき、就職しようとしたころ、大手映画会社が新規採用を中止したんです。新興だったテレビ局も入るのは難しい。広告代理店はペーパー試験がきつい。虫プロが新規採用試験をするという三行広告を母親がたまたま見つけて「マンガの会社が募集してるよ」と教えてくれた。面接だけの入社試験を受けて合格。それこそ、しっぽ振って行きました。
<同社は前年、初の国産テレビアニメ「鉄腕アトム」の放送を始めていた。富野さんは入社してすぐに、1話ごとの制作を管理する「制作進行」を担当した>
入社は「アトム」の放送が2年目に入るところでしたが、忙しくて人手も足りず、2カ月後のシナリオがない。しかも新番組「ジャングル大帝」が始まるから、(実際に絵を描く)アニメーターの半分がいなくなるっていう“火事場”でした。
演出部に行きたいというやまっけがあったので、シナリオを飛ばして、絵のコマとセリフを入れた「絵コンテ」を1話分の半分まで書いて、アトム班のプロデューサーに持っていくわけです。そうしたら手塚先生が見てくれて、「後半はいつできるの?」「1カ月以内には」「じゃあ明日にも作画の打ち合わせをしてよ」って。いきなり本番です。
入社半年後にそんなことをやって、その年の暮れに演出部に移ってました。手塚先生に喫茶店に誘われて「演出に来ない?」って言われて、もう「やったー」ですよ。ただ、制作進行の仕事もやりながら演出をしなければならない。自分で好き勝手に決めたので、アトムの演出本数は僕が一番多いんです。才能があったからじゃない。人手不足だったからです。
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聞き手・高野聡/「時代を駆ける」は月~水曜日掲載です。
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■人物略歴
本名・富野喜幸。アニメーション監督、作家。神奈川県小田原市生まれ。日大芸術学部卒。代表作「機動戦士ガンダム」は放送開始から30周年。今年8月、ロカルノ国際映画祭で名誉豹賞を受賞。67歳。
毎日新聞 2009年11月3日 東京朝刊