<8月、スイスのロカルノ国際映画祭で、「ガンダム」生みの親、富野由悠季さんに名誉豹(ひょう)賞が贈られた。「ロボットの表現に悲哀や劇的衝撃を持ち込み、革命を起こした」のが受賞理由。「機動戦士ガンダム」(79~80年)のテレビ放映開始から30年という記念の年の朗報だった>
名誉豹賞を一緒に受賞したアニメ監督の高畑勲さん(74)は僕の師匠みたいな方だから、何だか据わりが悪かったですね。もう一つ感じたのは「20年遅いよ」。もっとブイブイ言わせてたころに褒めてほしかった。
ロカルノの実行委員会は今年、「マンガ・インパクト」というタイトルで日本のアニメを特集しました。ヨーロッパの他の映画祭に先んじて、「ジャパニメーション」と呼ばれる日本のアニメを映画の主役として認める意思表明と理解しています。ディズニーとも違う日本のアニメの存在がヨーロッパで評価されていくんだと感じました。
<「ガンダム」は、人類が宇宙にスペースコロニーという植民地を建設する時代を舞台に、コロニーが地球連邦に仕掛けた独立戦争に巻き込まれる少年少女の姿を描いた。ロボットを「モビルスーツ」という兵器として登場させるアイデアを取り入れ、日本のアニメ隆盛の源流になった>
それまでのテレビマンガより高い年齢層を狙いましたから、中高生に受けたのは予定通りと言い切ります。予定外だったのは、一番ディープなファンが中学生の女の子だったこと。敵味方の人間関係が面白いと思ってくれた。男の子からの人気は放送が終わってからなんです。
<一般にロボットアニメは玩具メーカーがスポンサー。巨大なロボットが活躍する、毎回新たな敵を登場させるなど制約も多い。それでも条件を満たせば自由に物語が作れる点に富野さんはひかれた>
(雑誌の)マンガなどの原作をアニメにするのが主流の中で、オリジナルのストーリーでアニメを作り、著作権を発生させたいという欲望がありました。仕事をしながらストーリーを作る練習ができるということで、ロボットアニメの専従者になると決めたんです。映画にできるような構造のものを作ろうとしたのは自然な流れでした。
「ガンダム」では、キャラクターの感情表現をどう演出するか考えることが、僕にとってかなりスリリングでした。映画として劇を組み立てるとはどういうことなのかと考えた。視聴率は関係ないんです。それでファンが付いてくれ、手応えを感じた。
<キャラクターデザイン、メカデザイン、複数のシナリオライター。アニメ制作はチーム作業だ。富野さんは監督として物語を考え、チームを指揮した>
僕のように1人でヒットさせる力のない作家でも、その一員になると能力以上のものを発揮できるというスタジオワークの力を信じました。
<当時、アニメ映画「宇宙戦艦ヤマト」のブームが続いていた>
「ヤマト」に対して「ミリタリー趣味へのあこがれ」という嫌悪感が僕にはあった。それで「ガンダム」を勧善懲悪にできなくなった。戦いのシーンを除けば、1本の映画になるくらいのドラマを盛り込んだつもりです。戦場や軍隊を扱っているけど、物語は右翼でも左翼でもないニュートラル。極限状況に置かれた少年たちの成長をテーマにしています。青春群像劇という狙いに反響があったことが作り手の喜びとしても大きかったですね。
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聞き手・高野聡/「時代を駆ける」は月~水曜日掲載です。
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■人物略歴
本名・富野喜幸。アニメーション監督、作家。金沢工業大客員教授。1941年11月5日、神奈川県小田原市生まれ。日大芸術学部卒業。64年手塚治虫さんのアニメ制作会社「虫プロダクション」に入り、「鉄腕アトム」などの演出を担当。67年退社しフリー。テレビアニメ「機動戦士ガンダム」は低視聴率のため打ち切られたが、再放送で人気を呼び、テレビ、映画、ビデオでシリーズ化。
毎日新聞 2009年11月2日 東京朝刊