この20年、「なぜなんだ」と誰もが思い悩んだことと思います。今日は、今まで知ってはいたが誰も書かなかった、その答えを書きたいと思います。今日も長くなりますことをお許しください。
結論から書きます。人類の3分の2、信者数約20億人のキリスト教について、正しい知識を国民に全く与えていないために、「普通の人」「尋常な人」がキリスト教の「神」を受け入れず、人間である教祖が創作した「神」を盲信してしまうのです。そして、ヒトラーに服従したナチスのように、カルト教の教祖の教えに「何も考えず」服従してしまうのです。
水戸黄門の印籠にひれ伏すように、何も自分の頭で考えないで、つまり「思考停止」状態で、インプットされた指令どおりのアウトプット(行為)を生み出すのです。
この「思考停止」人間を輩出するのがマスコミです。自分の頭で考えない、マスコミの誘導どおりに行動するよう、マスコミは何十年もかけて日本人をマインドコントロールしてきました。このことは後術しますが、消費欲望を高め、自分たちのビジネスを有利にするためにほかなりません。
それではなぜ、キリスト教を大衆に受け入れさせないように、私たち国民をアンチ・キリスト教に仕立て上げたのでしょうか。その理由は簡単です。キリスト教とは、「俗人としての人生」を「紳士、淑女としての人生」に変える宗教なのです。
ここが、ポイントですのでしっかりとご理解いただきたいと思います。「マッカサーが日本人の大人の精神年齢は12歳」と発言した理由も理解できると思います。
人間には反射脳・情動脳・理性脳という3つの脳があります。
1、反射脳
食欲や性欲などの本能を司ります。
2、情動脳
人の感情を司ります。怒りや恨み、ねたみなどの感情をコントロールします。
3、理性脳
堺屋太一氏はこのように語っています。
「現象から原因を探るのが知性で、さらに原理を導き出すのは理性の働きです。原理をもって次を予測することを、平たく言えば「勘」になる。先見性とは正しい観察と鋭敏な勘を備えているということです。」
理性脳は、原理や真理を導き出す脳です。この脳が十分に発達した人が紳士、淑女であり、反対に、未発達な人が「12歳の精神年齢」の俗人なのです。
ここで、特に大切なのが「原理、真理とは何か」ということです。20億人のキリスト教徒の原理、真理はキリスト教の「神」そのものなのです。ここでは、「神の示す原理、真理」について多くを記しませんが、簡単に言えば、「万物を創造し所有する神と、神の御子(みこ)であるイエス・キリストの教え」と言えるでしょう。
3つの脳のうち、反射脳と情動脳は、欲望を増大させます。(欲望そのものが悪いものではありません)
理性1 道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。2 善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。「―を失ってつっ走る」(大辞泉)
お分かりのことと思います。神の「原理、真理」を判断基準とするキリスト教は、人を理性的な人、つまり紳士、淑女にしてしまうのです。
「してしまう」と書きました。その意味は「してしまわれる」と困る人たちがいるということです。理性的な人は、時の政府やマスコミの口車には乗らず、自分の頭で自分の行為を決定します。つまり、だまそうとしてもだまされないのです。
「計画的陳腐化」という言葉があります。常に新車を生み出し、個人が所有する車を計画的に古いものと位置付け、消費者の購買意欲を高める策略です。反射脳と情動脳に支配されている人は、何も考えずに飛びつきます。理性脳が発達した人は、このような策略に飛びつくことはありません。
ここまで記してきたように、戦後の日本は、国民を政府やマスコミの言いなりに動かすためも「愚民化政策」を施してきました。
大前研一氏は著書「『知の衰退』からいかに脱出するか」の254ページに、実に恐ろしいことを書いています。
ある「元総理大臣」が、「国民が怒りを覚えて立ち上がる」と心配する大前氏にこのように語ったそうです。
「大前さん、我が国は愚民政策を施しているから大丈夫だよ。」
この政策の影響です。キリスト教徒は、時の政権とマスコミにとって邪魔ものであり、そのためにキリスト教を邪教であるかのごとく宣伝してきたのです。
読売新聞に至っては、「キリスト教は邪教です!(講談社 新書)」という本を絶賛しているそうです。
このように、キリスト教を自分たちの都合で迫害する政府やマスコミ、そして経済界はキリスト教を捻じ曲げて教えてきました。私は大学も出ましたが、20億人が信じ、学ぶキリスト教に関しては全くの無知でした。
日本人は、欧米人から相手にされないと聞きますが、よく分かります。会話をするには、相手がどのような「基本的考え方」を知らなくてはなりません。全世界20億人のキリスト教徒の思想を学校教育で理解させないと、真の国際人など育つわけがないのです。
さて、表題の「オウムも読売も思想は同じ」について説明します。
共通するもの一言でいえば、「目的のためなら何をしてもいいと考える思想」であり、キリスト教の思想とは正反対の思想であるということです。
読売新聞は、真珠湾攻撃と同様に、キリスト教徒の安息日である日曜日を狙って、神の子である私やサンクチュアリ出版社長の家庭に卑劣な奇襲攻撃を仕掛けました。オウムのテロも同様に神の子に対する挑戦でした。
繰り返しますが、オウム真理教というカルト集団が発生したのは、キリスト教を既得権益者たちが迫害したことが背景にあるのです。日本のキリスト教徒は人口の1%以下であり、「世界の常識」を政権に伝えることができないために、極端にラジカルな思想集団が発生してしまったのです。
さて、キリスト教を正しく理解するためには、「罪」と「罰」に関する観念を改めなくてはなりません。
罪とは「人間がつくったルール(法律)」と「神の子としてのルール」に反する行為です。例えばクリントン大統領は、不倫という「罪(恥ずかしいこと)」を犯しました。法律では罰せられませんが、「罪」を犯したのは事実です。クリントン氏は真摯に悔い改め、赦していただいたのです。
「罰」とは、基本的に法律に違反した者を「処罰する」「制裁を加える」ことです。もちろん、子供へのおしおきも「罰」ではありますが、法律に違反した者を私たちが処罰したり、制裁を加えたりする権利は私たちにはありません。犯罪への処罰は司直の手に委ねられなくてはなりません。
司直以外の手での制裁行為は「私的制裁」であり、リンチと呼ばれるものです。聖書にはこのように書かれています。
さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれます。マタイの福音書 7章1節2節
死後裁くのは神の仕事です。現世では個人の価値観で人を裁き、制裁を加えてはならないのです。
オウムでもリンチが行われていました。メディアリンチという言葉もありますが、マスコミの報道により集団的私的制裁(集団リンチ)が行われているのも事実です。
オウムに関しては、私が今申し上げたいことは一つです。悔い改め、過去を清算し、前に向かって歩いてほしいということです。
読売新聞に言いたいことはたくさんあります。第一に事件の被害者や、読者の心理を惑わし、「許してはならない」「(憎しみを)根にもて」と誘導することはやめなくてはいけません。
「惑わすこと」「誘惑する」ことは、20億人のキリスト教徒は、神や「イエス・キリストの教え」に背く、「罪(恥ずかしいこと)」なのです。
読売新聞は「キリスト教は邪道」としているようですが、すべてのキリスト教徒は、読売新聞こそが「邪悪」そのものであると切り捨てるに違いありません。読売新聞にも悔い改めて欲しい。そう祈りたいと思います。
次に、読者に提供する記事の品質の問題です。「ニュースの職人」と呼ばれる鳥越俊太郎氏は、2005年、1月3日の毎日新聞にこのように書かれています。
<引用開始>(中略省略)
新聞もテレビもニュースを伝えるための商品だとすると「ぼくたちが扱っているのは欠陥商品だ」という自覚を持つことが大切だと思います。
「完璧なものは出していないんだ」と自覚することです。つまり、今日出したものは完璧じゃない、だから明日は少しでも真実に近づく努力をしようと。我々の仕事は日々真実に近づく努力の中にしかはいと思います。
人間観、歴史観、文化観・・・この3つの「観」を大切にすれば、報道人として必要な直観力が磨かれていくと思います。
<引用終了>
また、オウムによる松本サリン事件の際に報道被害を受けた河野義行氏の長男の河野仁志氏は「「情報もまた一つの商品なのであり、大衆は情報消費者として、報道を常に厳しく吟味する姿勢をもたなければならない」と発言されています。
http://www.ne.jp/asahi/rover/sfx/books/0104/b010426.htm 私が読売新聞に言いたいことを代弁してくれているかのようです。「最後のパレード」は、著者と出版社が著作権法に無知だったことから生み出された「欠陥商品」でしたが、盗作疑惑を報じた読売新聞の記事もまさにずさんな取材で書かれた「欠陥商品」であったのです。読売新聞は、その欠陥を隠すために報道の1ヶ月後にもさらなる「欠陥商品」を生み出してしまいました。
消費者庁が発足しましたが、今後は読売新聞の「欠陥商品」だけではなく、消費者である国民が、マスコミの「欠陥商品」を購入させられないよう、きびしく「情報商品販売」を監視して欲しいと思います。
最後になりますが、もう一度3つの脳について書きます。
「反射脳」と「情動脳」は、何かをゲットしたいと思う、つまり与えられることを喜ぶ「利己脳」です。一方、「理性脳」はサンタクロースの喜びや「高貴なるものの義務」による喜びなど、与えることを喜ぶ「利他脳」なのです。
「利他脳」は鳩山総理が提唱する友愛精神と同じです。私たちは旧来型の弱肉強食の読売主義を勇気を持って捨て去り、「人間愛」「思いやり」「分かち合い」「感謝の心」を大切と考える友愛主義に基づかなくてはなりません。私たちは、まさにこの変化を総選挙で選択したのです。読売新聞をはじめ、マスコミ各社は国民が選んだ政権の行方を妨害するのではなく、後押しをして欲しい、そう願ってやみません。
キリスト教が間違って(だまされて)伝えられていることを書いた記事はこちらから日本人はだまされてきた@