【社説】ベルリンの壁崩壊が今韓半島で起こったら(上)
今月9日、東西ドイツを分けていたベルリンの壁崩壊から20年目を迎える。当時のコール西ドイツ首相は後日、自らの回顧録に「その当日になっても、1989年11月9日がドイツの歴史に一線を引く日になるとは思いもしなかった」と書きつづっている。
1985年に就任した旧ソ連のゴルバチョフ書記長がもたらした改革・開放の流れは、東欧の共産主義体制を根本から揺るがし、また経済難にあえいでいたソ連も、東欧の後見人としての役割を放棄した。しかし当時、西ドイツの政治指導者たちは、この流れが直ちにドイツ統一にまでつながるとは思ってもいなかった。コール首相だけが唯一の例外だった。野党の社民党と緑の党はコール首相に対し、「現実味のない統一のレトリックは中断せよ」と要求までしていた。
1989年7月17日、ハンガリーが西側のオーストリアとの国境を開放すると、多くの東ドイツ人たちがここを通じて西ドイツに押し寄せた。その影響により、18年にわたり東ドイツの独裁者として君臨していたホーネッカー書記長が10月に失脚した。それからしばらくたった11月9日、新たに成立したクレンツ政権が東ドイツ人による西ドイツへの自由な往来を認めると、ベルリンの壁が群衆の手により崩壊した。また、東西ドイツも統一に向けた交渉を開始し、翌年10月3日にはついに統一が実現した。
第2次大戦で敗戦国となったドイツは、戦勝国の米国、ソ連、英国、フランスなどの承認なしに統一を進めることはできなかった。当時の4カ国の中で、ドイツ統一に前向きだったのは米国のブッシュ大統領だけだった。英国のサッチャー首相とフランスのミッテラン大統領はソ連を訪問し、ゴルバチョフ書記長にドイツ統一を阻止するよう、ひそかに要求した。一方で西ドイツのコール首相とゲンシャー外相は、ブッシュ大統領を通じ、あるいは時には直接、執拗(しつよう)に彼らを説得した。ベルリンの壁崩壊の4カ月前には、ゴルバチョフ書記長をドイツに招待し、大規模な経済支援を約束する一方で、「ドイツとソ連は欧州の分断克服に貢献する」という共同声明を引き出すのに成功した。米国を積極的な後見人として確保し、またソ連に消極的反対へと立場を変えさせたドイツ外交の力量が、結果的にベルリンの壁崩壊をもたらし、英国やフランスなどの反対を乗り越えて、統一への道を切り開いたのだ。
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