Hatena::Diary

服従するが果たさない このページをアンテナに追加 RSSフィード

長男なのにしまじろう

2009-05-18

鳥は国境を越えるけど


朝鮮半島38度線と言えば、韓国北朝鮮との軍事境界線として知られている。Wikipediaによると、この軍事境界線とは:

朝鮮戦争の休戦ラインであり、1953年7月27日の休戦協定により発効した。軍事境界線の周囲には、南北に幅2kmずつ(計4km)の非武装中立地帯(中略)が設定されている。

ということだ。


引用文にあるように南北に4kmの幅を持つ一帯を指す。東西には248kmの広がりを持つので、総面積は東京都23区の1.6倍となる。極僅かの地域を除いて、一面に地雷が敷設されているということで、人が寄りつけない場所となっている。


これだけ広大な場所に人が寄り付けない状態が維持されるとどういうことになるのか。朝鮮38度線が示している答えは、意図せざる「野生生物保護区」のようになるということだ。Wikipediaでは、この非武装中立帯が「渡り鳥が翼を休める野鳥の楽園と化している」と指摘しているが、鳥に限らずその他にも開発に追われた野生動物たちが数多くここに住みついている事が確認されており「野生の楽園」となっているそうだ。

------------------------------------------------------------------------------------------


id:complex_catさんの「夜会」というエントリーに掲載されていたツルの写真と恩師との別れの記述を拝読して、ふと昔の新聞の切り抜きを思い出した*1朝日新聞の日曜版で2001年に連載されていた企画で「旅する記者50人」というのがあった。朝日新聞記者50人が思い出の地や憧れの地を訪ねて記事にするというものだった。


私の手元にある切り抜きは、2001年4月8日付けの朝日新聞の日曜版に掲載されていた記事で「鳥の楽園 休戦ラインに沿って」という表題がついている。記事を書いているのは小田川興さんという方で、記事の中で「在韓被爆者問題をきっかけに韓国・挑戦問題の取材を始めてから今年で33年になる」と書かれている。この記事は、定年を目前に控えた小田川さんが、2000年の南北首脳会談を受けて「南北和解機運が高まるいま、「壁」の雪解け具合を確かめようと、早春の非武装地帯を巡る旅に出た」ときの模様がレポートされている。


このレポートの主人公の一人は、小田川さんのこの旅にも同行している韓国鳥類学者ウォン・ピョンオ博士(当時71歳)である。記事によるとウォン博士は、現在北朝鮮生まれで、金日成大学で学び、のちに北海道大学学位をとっておられる。またウォン博士のお父上は朝鮮鳥類研究パイオニア、元洪九博士とある。


この親子は朝鮮戦争によって引きさかれることになる。記事によると:

 朝鮮人民軍中尉だった息子は、戦線が混乱する中、2人の兄と一緒に南下した。(中略)「途中で父母のもとに引き返そうとしたが、避難民の渦のような流れに到底逆らえなかった」という。

こうして、父は北に、息子は南にというかたちで、父子は互いの消息さえ確認できない状態で引き裂かれることになった。


そこから話は15年後の1965年初夏の平壌での出来事にうつる。父の元洪九博士は、平壌郊外で奇妙な足輪を付けたシベリアムクドリを1羽捕獲する。その足輪には「農水省JAPAN」という標識が付いていたのだ。

日本にはいない鳥に日本標識があるのを不思議に思った洪九博士は、日本山階鳥類研究所に問い合わせた。

するとここで意外な事実が判明する。この標識は、1963年に、韓国鳥類学者渡り鳥ルートを調べるためにソウルで足輪をつけて放した82羽のシベリアムクドリのうちの1羽だったのだ。そして事実小説よりも奇なりとは言うが次の事実を知ったときの洪九博士はいかほどであったであろうか:

鳥を放したのは「Won Pyoungoh」だとわかった。「息子は生きていた」。


こうして劇的なかたちで切れたと思われた親子の絆が15年ぶりにつながったのだが、当時は鋭い南北対立の時代。再会が叶わぬまま、父親は70年、母親も73年に亡くなったという。そして、洪九博士は、父子相伝で鳥の生態を教えた末っ子の名を最後まで呼んでいたという。


記事では、38度線マナヅルの家族が飛び立つ様子を小田記者と一緒に眺めていたウォン・ピョンオ博士が「鳥は自由に北へ帰れて、いいですねえ」と語ったと伝えている。


-------------------------------------------------------------------------


その時が来るまでなかなか気付かないものだけど、納得済みの別れなどというものは、ごくごく少数の人にごくごく稀に訪れる幸運でしかないのだろう。ウォン博士親子のように人為的に作られた境界線に遮られたまま迎えた別れも、Complex_catさんの恩師との突然のお別れも、そして先日報道された東北大がらみの一件のように自らが指導した学生自死の道を選ぶことで訪れた別れも、いずれも納得済みの別れなどではないだろう。


朝無事に目を覚また自分を確認すること、その隣りで寝相の悪い子供たちがすやすやと寝息をたてていること、世界のどこかで誰かのブログ更新を確かめること、これら全てのことがわたしの能力に対する正当な報いなどとして存在するのではなく、生まれおちた時代と場所によってたまたま与えられた特権であるというごくごく当然な事実意識することすらやすやすと忘れてしまうほど愚かであることくらいは分かっていたい。そう思っている。

*1新聞の切り抜きつながりという意味では以下のエントリーも書きました。良ければどうぞ。こちら→イツハク・ラビンという現実主義者

はてなユーザーのみコメントできます。はてなへログインもしくは新規登録をおこなってください。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/matasaburo/20090518/1242625533