中日スポーツ、東京中日スポーツのニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 中日スポーツ > ドラゴンズ > ドラニュース一覧 > 11月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【ドラニュース】


非運の天才右腕・中里に戦力外通告

2009年11月3日 紙面から

ドラゴンズから戦力外通告を受けた中里は、その後も練習で汗を流した=ナゴヤ球場で(谷沢昇司撮影)

写真

 非運の天才右腕がドラゴンズを去る。中日は2日、6選手に来季の戦力外を通告したが、その1人が中里篤史投手(27)。埼玉・春日部共栄高からドラフト1位で入団1年目に鮮烈デビューしながら、選手生命の危機となる右肩の大ケガを負い、長いリハビリ生活ののち復帰した。本格派投手として飛び抜けた才能を持ちながら、中日での在籍9年で終わった。中里は現役続行を希望しており、今後は移籍先を探す。

 かつて、まぶしいほどの才能を輝かせた男に厳しい現実が突きつけられた。戦力外通告。ナゴヤ球場を訪れた球団フロント首脳から告げられた中里は、その後も気丈にいつも通りの練習を行った。だが、その話題となると「聞いたばかりなので、家族と相談します」と、険しい表情で語った。

 覚悟はできていた。「フェニックスリーグで宮崎に行かなかった時点で、こうなるんじゃないかということは考えられました。そのときに家族とは話をしています」。10月、2軍の若手たちが来季へ向けて宮崎へ飛び立った。中里には名古屋残留が命じられた。故障のあるリハビリ組でもない。そこで自分の立場について察した。

 もともと今年は背水の陣を覚悟して迎えた。「背番号の意味は自分で分かっているつもり」。昨オフ、球界のエースナンバーである「18」をはく奪された。与えられたのはチーム内の投手で一番大きな「70」。後がない。そう受け取っていた。

 今季は5月31日に1軍昇格したものの、登板わずか2試合、計4イニング1/3を3失点、防御率6・23。6月5日に出場選手登録を抹消された。2軍戦で投げ続けたものの、再昇格はなかった。

 春日部共栄高からドラフト1位で入団し、新人だった2001年9月16日、ナゴヤドームでの巨人戦で鮮烈デビューを飾った。先発で5イニング3失点(自責1)、MAX151キロを計測した。数字以上に強烈なインパクトだったのが、速球の伸び上がるような勢いだ。

 翌02年に右肩脱きゅうという大ケガを負い、選手生命を絶たれそうになってもあきらめなかった。今年は故障もなく投げ続けた。最近は「リリーフや先発といろんなポジションで投げていたけど、自分としては感じは悪くはない」と、話していた。今年はようやく、体の調子が安定してきたと感じていた。

 1軍通算成績は32試合の登板で2勝2敗。

 「まだやりたいと思っているし、やれるという思いはあります」

 ドラゴンズでの9年間は非運に彩られた。そして戦力外通告。苦しみ続けたが、情熱は燃え尽きていない。今後は「家族と相談する」と言うが、基本的には他球団でマウンドに立つことを目指す。11日(甲子園)、25日(神宮)に行われる12球団合同トライアウトも受験するつもりだ。あふれる野球センスを発揮できる新天地を探す。 (生駒泰大)

 【中里篤史(なかざと・あつし)】 1982(昭和57)年9月12日、埼玉県生まれの27歳。185センチ、84キロ、右投げ左打ち。春日部共栄高では1年秋から主戦投手として活躍するも、甲子園出場はなし。ドラフト1位で01年に中日に入団。同年9月16日の巨人戦(ナゴヤドーム)でプロ入り初先発し、勝敗はつかなかったがMAX151キロを記録するなど5イニングを3失点(自責1)デビュー。02年春季キャンプで右肩を負傷。初勝利は05年10月1日の広島戦(ナゴヤドーム)で、4年ぶりとなる復活登板(中継ぎ)で記録。

 

この記事を印刷する


中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ