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2009年11月

11月3日、火曜日ー市長会見、「名誉毀損」 待っていました。ありがとうございます。

残念ながら、TVも新聞も我が家にはない。

この状況が、まさに日本の危機なのです。

サラはブレません。

一人でも立てます。

自分の仲間内に囲まれてしか堂々とできない相手と、これから対峙していきます。

何故、二回逃げてRBCで放映されるのか。

沖縄タイムス、琉球新報が明日、市長の一見、堂々と正義に向かうような見出し記事が出たら、皆さんは、歴史の証人です。

私は、本日、ハンディのある娘と二人きりでした。

友人の祈りがあり、電話で夫の祈りがありました。

「名誉毀損」

「人権」

さて、どちらが先か。

私は、命が優先だと思います。

ストレスと切り離せない心臓発作を持つ、子どものいる女性を相手に、「人の命は地球より重い」

と、二度と語らないで欲しい。

仲間のためなら、正義をも潰す。

報道機関は、政治家のために存在するのか。

沖縄は終わった。

全体主義という言葉を。コミンテルンという言葉を、自虐史観という言葉をこれを機に皆さん知って欲しい。

これが情報戦争です。

日本は、こうして日本を嫌うものによって、内部から、国力を落とされているのです。

気づいてください。

私は誰のために、身を曝していますか。

市長は誰のために仲間を使って、「名誉毀損」 をわざわざ言いますか。

16年君臨し続けて、まだ欲があるのです。

私は、無私欲です。

私は、政治家ですか。右翼ですか。何をそう呼ぶのですか。

あなたがたは、本日、私が仲間に大勢囲まれて戦ったと思いますか。

もう一度、言います。ミオコールスプレーを手元に持ちながら、娘と二人きりです。

弁護士も用意できませんでした。市長は二度逃げ弁護士を伴い、RBCでわざわざ放映です。

日本は滅びます。一人の国民さえ守れず、レイプをした男が堂々と仲間内のTVを使って仲間に励まされてかっこうつけて、出た。

だが、震えて眠るがいい。

一人きりになったら怖いはずだ。

私は人を恐れない。こんなものは風景だ。子孫に良い状況を残す、このことだけを真剣にいつも考えている。

顎を引き、私は見据えます。

沖縄の権力に対して、神の御前にひれ伏し、正々堂々戦いを引き受けます。

リンクブログは消させて頂きます。

証拠が山ほどあっても、これはなんでもないことだという。

一国の総理を、漢字、読み違えでいつまでも叩く。

日本の国のメリットが何か、皆さん、考えましょう。子供達はどうすれば健全に育つか、考えましょう。

自国を否定し続ける国は滅びる。

市長に手を貸した方々、仕事に誇りはないのか。犯罪の根を調べたか。

神を恐れない者は、彼に加担すればいい。

神はけして侮れない方だからだ。

私はどこにも属しないクリスチャン。逃げも隠れもしない。

一つ、申し上げて、怒りを収めたい。

私は、市のある事を調査した。これはその所に報告した。ここでは書けない。

聡明な方が言った。

権力者が女性に手を出す場合、三通りのタイプがある。

1 相手をただ好きになってしまった。

2 知られたくないことを隠蔽するために、性的に支配し主従関係を強引にでもつくる。秘書に手を出すのは、このパターン。仕事がやりやすくなるそうだ。

3 ただのスケベ。これは余罪がある。

  私は踏んではいけないものを踏んだ。

 皆さんは知る権利がある。報道がこの状態だから、ネットが存在する。

 目からウロコの経験を皆さんに、これからも送る。中断すれば、闇の存在をますます知ってください。国民、県民の益は守られていない。

 一部のお仲間だけで上を牛耳っている。これは自由な国の形だろうか。

 

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母の退官祝い(2002年10月)

母の祭司職の退官祝いが、公民館主催で母の自宅(サラ実家)にて行われた。

兄と私が家族として参加した。長姉夫婦は海外在住なので祝電が届いた。

祈り場所全てに出向き、任務を離す祈りを捧げる。研究者や取材人も限定して混じっている。

途中、小島を残すところで母がふらついた。

無理だろう、後日という声が公民館幹部からあがる。

母に私が同行するから続けるかと聞いた。看護師なので、いざという時に動ける。

やるというので、離れ小島は兄と一緒に母に同行した。それまでは私は女なので家でお膳の用意などに追われていた。すぐにスーツに着替えた。

同行する。小島の最後の祈り場所で、祭司職を離す瞬間、「お前が祈れ。疲れた」 と母が言うので、そのまま母が言うように代理をした。

それから家は宴会となった。

現県議長に声をかけた。兄は座の真ん中に母といる。

「相談がある」

事件当日のことを話した。

「そうか」

しばらく無言で苦しかった。

「お母さんは54年務め上げた、今日はそのお祝いの日だ。サラは石垣市何年か?」

今日はお母さんを祝ってやろう。この話はあとでまた相談に乗ると。

現市長に勝てる人は、ここにはいないかも知れない。

体調が崩れ始める。その間にも市長から部長を通して業務でと応じるように電話がある。

部長は心臓疾患があり、「身体がきつい」 とこぼす。誰彼にも申し訳ない思いだけがわいた。

みんな生活があり、家族がいる。市長の電話は公私の両方から執拗に続いた。

現議長から連絡はなく、2009年の今日まで会っていない。

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2002年9月終わりごろ

日付の裏づけを後日、追加アップする。

石垣市川平の結願祭の日。

母が54年、祭司を努めてきた。例年、サポートする。息子が奉納棒術を舞うので、そのサポートも必要で、本来なら年休を出す。

だが市長が公式行事として毎年出席しているので、今回、サポートを研究で来ていたゼミの学生に頼み、自分は出勤した。

昼食前、

女性トイレから出てくると課長が腕組をして立っている。

「外勤に行け」

鍵とカバンを取りに行こうとすると止められた。緊急の処遇困難ケースの訪問だと思った。

「バカ、早く逃げれ。変態野郎がお前を探し回ってギラついて増進課に行ったり、介護長寿課に来たりしているんだよ。部長もついて歩くから大事になって、みんな仕事にならないんだよ。そのまま帰って来なくていい。午後は外勤扱いにする。カバンと鍵は預かっておく。早く行け」

「お金ないですよ」

課長の厳しい顔を初めて見たので、そのまま福祉事務所の所から表に出た。

認定調査員の誰かが来たら家までお願いしようかとも思ったが、誰も来ないし、お腹もすく。

勤務終了までうろうろと周囲を歩いていた。退勤者の姿が一応に落ち着いた頃、課に戻った。

課長、補佐が立っている。二人とも厳しい表情をしている。補佐は帰っていった。

「サラはどこに行った。外勤から戻せ。祭りに行ったのか」

と、ギラギラ目を光らせて行ったり来たりし、そのたびに付き添う人たちも動き、課の窓口の職員は起立し、騒然としていたと課長が事情を説明した。

課長が、「おまえ、誰でもいいから見合いでもして結婚やれな。仕事仲間としてお前を失いたくない。あんなマスターベーション男は、周囲も何も見えていないからやっかいだよ。僕らはみんな生活のために働いているのにさ。おまえもキツイな。辞めるなよ」 と、言った。

泣きそうになった。だが課長に16日のことを話すことはできなかった。

みな守るべき家族がいる。

携帯が鳴る。

頼んでいた人からだ。

市長車が3時間以上、ばあちゃん家に止まっていて、家に入れないで困っていると。

隣の家、数件にかけてみる。そうだと言う。息子を呼び出してもらう。

「ばあちゃんも僕もお腹がすいた。市長がキッチンの椅子に座って動かないから、食べれない。ばあちゃん、着物も脱いで、カンプーも外したけど、髪が洗えないときつそうだよ。でもお母さんは来ないほうがいいと思う。なんかが気持ち悪いよ」

息子はタクシーで着払いするから帰宅するようにさせた。市街地まで3000円以上かかる。

もったいないから待つという息子を説得し、サポートしてくれる方に車が出たら、すぐに家に入ってばあちゃんの髪の洗い手伝いを頼む。祭司のための琉球カンプーは油で頭を固めるので、落とすのに一時間以上かかる。母は高齢で腰まである髪を処理するのに、手伝う必要があった。

その数日後、女性数名から呼び出しを受けた。仕事仲間からの四面楚歌はきつい。

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始まったパワハラ(2002年9月18日)

2002年9月16日、午前6時ごろ、県立八重山病院の帰り、割烹オーナー夫妻が経営する、海岸線沿いの、「ビハーラ」 傍を車で通る。

明かりが点いている。

階段を昇り、厨房にいた二人と会う。

椅子に三人で腰掛けて話す。私はザンバラ頭でそのままの姿にジャケットを着ていた。

オーナーは始終下を向いていた。

「私は、もうあなたがたとは何の縁もない。息子さんが介護長寿課に来ても、自分は退職の準備にかかる。自分も完璧な人間ではないし、愚かだからこんな目に遭っているんだと思う。自分はあなたたちにバチを与えたいとは思わない。だけど神様はおられるから、あとのことはわからない」

「市長が死ぬのか?」

オーナーが初めて顔をあげて私を見た。

もう一度、病院へ行ったかどうかがはっきり記憶に戻らない。カルテで確認することにする。

2002年、9月17日、公休日、翌18日、出勤する。

書類棚の所でいる時に部長が探しに来る。

9時過ぎ。

「市長室に行くぞ」

周囲の空気が変わる。

「体調悪いです」

「おまえも連れて来いと市長命令だ」

課長、課長補佐を見たが、タバコを吸いに外に出て行った。

部課長以外の職員が市長室に入ることはない。急ぎの決裁をもらいに入るので、秘書係長がそのスケジュールを元に、外来者との調整を図り、その間に急ぎの決裁の時など入れてもらう。

それほど、敷居は一般職員にとっては高い。またそこを易々と行き来されたら、秘書係長の仕事の支障どころか、市の行政じたいの秩序が成り立たない。

私は何度か部長に同行し入っているので、初めの頃は、実直な秘書係長は厳しい顔で見る。当然のことだ。

介護保険が立ち上げスタートという段で、行政と医療福祉、マネージメントの合体という未知のジャンル。行政の部のトップが医療福祉の説明補助として専門職の私を同行する、という意味合いで、秘書係長は、走っている事業の急ぎの決済との見解で理解を次第に示してはいた。

市長室に入った。

スーツ姿のN君が座っている。オーナー夫妻の息子だ。

応接室は、非常勤職員を紹介する場所ではない。

陳情者や表敬訪問など、市の公の応接室だ。

16日が蘇る。憤りというより、終わったと感じた。これで私の仕事場はなくなったと思った。

サラの下に置くと市長が言うが、部長は16日、誰よりも先に上手に逃げたので、一人市長の話を熱心に聞いている。

N君が認定担当の情報処理を担当するようになり、今までいた担当が外された。

部課長、補佐に、退職の意志を伝えた。

「俺らは知らない。自分のことは自分で解決してくれ。すぐに退職は無理。次を育てるまで責任を取るべきだ」

「おまえも息子さん、大学行かせたいだろう。俺らもみんな子どものためにできん我慢をする時もある。親は頑張らないと」

その日の会話はそれで流れる。

周囲から、いやがらせが少しづつ始まっていく。女性職員、組合の職員等から面と向かって罵倒されたり、一人だけ外されたり、同時期入職した看護師が組合に入会できたが、私は無視された。

サラが声をかければ市の職員になれると、勤務中、急に大声でわざと言い出す者もいた。愛人だからなんでもありって凄いね、と。

非常勤務の職員に、苦しくなって外勤の途中、16日のことを話した。

彼女は運転をしていたが落ち着かなくなり、しばらくして仕事を辞めた。

親友にも話せないと感じた。みなを巻き込む前に辞めようと決めた。

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黒真珠のできるまで

「サラの日記」 を読んでくださる皆様へ

多くの励まし感謝致します。

本日は短く書かせて頂きます。体調が戻り次第、詳細記事は続けます。

     *  *  *  *  *

私の故郷には黒真珠の養殖で有名な川平湾があります。

黒蝶貝を開き、肉片にメスを入れます。丸い核を入れるともう一度、貝を海底に戻します。

肉を切られた黒蝶貝は、傷を元に戻そうと懸命に細胞分裂を繰り返し、核を巻いていきます。

傷が治ると、黒蝶貝の仕事も終わり、生まれ出るのは、高貴な宝石、黒真珠です。

石垣島に住む全ての人に豊かさがゆきわたりますように。

南の合衆国ならではの特徴を活かし、優秀な人材が伸び伸びとその才を発揮できますように。

子供達が豊かな自然と、豊かな人材に守られ、これからも健全に育ちますように。

私の入れたメスの切り口が、本物の真珠を生み出すきっかけとなりますように。

切られた痛みがなくては、核を巻く、治ろうとする爆発的生命力は出てきにくい、そう思います。

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被害届けについて

サラの日記を読んで下さっている皆様へ

いつもサラの日記を読んで頂き、ありがとうございます。

多くのメールやコメントによる励ましを感謝致します。

先日のブログにて、告訴取り下げという題名にて記事を書いておりましたが、言葉や説明不足により、皆様に誤解を与えてしまったことをお詫び致します。

昨日、八重山署の担当刑事と話をし、被害届けについて、どのような状態になっているのかを確認しました。

サラの場合は被害届けの聴取が継続中のところ、サラの体調により聴取続行がギブアップとなったため、一時手続き中断であり、取り下げでも何でもないということです。

被害届け受理の準備段階であるため、体調が回復し、再開するということであれば、いつでも連絡くださいとのことでした。すぐに再開することは可能なようです。

サラの突然の大きな発作と入院は誰もが予想しなかったことでありますし、非常に苦しいことであります。

当初の考えをそのまま持ち続けて戦うというのは、今のサラの状態では無理です。

痛みがあるのは本人であって、私を含め他の方にはその痛みはわかりません。

サラは今後も回復と共に、自分で日記を更新していく意思は持っております。

はっきりしているのはそこだけです。

以前と同じ思いで、同じ状態でマスコミによる取材や、警察による聴取を再開することをお約束はできません。

誤った記述により、混乱を招いてしまったことをお詫び致します。

しかし、あくまでもサラの体調の回復が最優先ですので、本人による日記の書き込みが再開されるまで、回復を見守って頂けるとありがたいと思います。

(代理人)

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