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秋の新米について先日書いたら何通か便りを頂いた。拝読しつつ、ふと嵐山光三郎さんの一文を思い出した。「世間では新米というのは悪口である」と作家は言うのである(『ごはんの力』)▼まだ一人前でないのが新米である、と文は続く。「食べれば至上の価値がある新米を、実社会では半人前として扱うのは、世間というものが古米、古々米、古々々米、古々々々米で出来ていることを示す一例である」。ユーモアの中に、なかなかの真理が透けている▼その新米の大豊作に賑(にぎ)わうのが民主党だ。議場での振る舞いが気に障ったらしく、自民党の谷垣総裁は「ヒトラー・ユーゲント」になぞらえた。ナチスの青少年組織のことである。良識派らしからぬ「古米ぶり」で、あたら評判を下げてしまった▼小沢幹事長もかなりの古米ぶりとお見受けする。予算のムダを削る「事業仕分け」から新人を外した。それより議員のイロハを、には一理あろうが、各分野で活躍してきた人たちだ。優美な統率を求めすぎれば、角を矯めて牛を殺す心配もあろう▼衆院の代表質問をやめたのもいただけない。政府の太鼓たたきのようなものは不要、と小沢さんは言う。だが与党質問をそんなものと決めつけるのも古米的な発想ではないだろうか▼「平成維新」をうたうフレッシュ政権である。だが新しい酒も、古い革袋に入れれば味は鈍る。袋の中が見えにくければ、なおさらだ。〈おーさまのお気に召すよう直します〉。王様然とした人をチクリとやった、きのうの小紙川柳欄の寸鉄である。