本日、東村山市の地蔵祭の帰りに、導かれるかのように駅前の書店に入り、導かれるかのように一冊の本を購入しました。タイトルは「悪いのは私ではない症候群」という香山リカ氏が書いた本です。(KKベストセラーズ)
テレビでよく見かける方ですが、どのようなコメントをされているかは知りません。あくまでも「悪いのは私ではない症候群」というタイトルの本を読むよう神から啓示を受けたから、この本を購入したのです。
数ページを読むとなぜ私にこの本を読むように神が啓示されたのかが分かりました。香山氏は「最後のパレード」の著者である私をこの本で一方的に批判しています。論文のほとんどをインターネット上の記事から無断転載し(コピペ)して「自分の論文」として提出する昨今の学生と私は同じであると読者に強烈に印象づけています。
香山リカ氏もまた悪魔に支配されている人間の一人であることが分かりました。悔い改めないと死後裁かれ、地獄に落ちることになります。
香山氏は、やはり悪魔に支配された読売新聞記者が、卑劣な「真珠湾攻撃取材」で書いた、悪魔の声を何も疑わずに受け入れ、偽(いつわり)のくちびるで私一人を悪者と決め付けました。クリスチャンにとってこの香山氏の行いは、クリントン大統領の不倫同様、「罪(恥べきこと)」なのです。開き直らずに、悔い改めなくてはならない行為なのです。
犯罪者に対して「あなたは犯罪者だ」と言っても名誉棄損です。発言者は訴えられたら必ず負けます。香山氏は、私を「悪者」と著書で印象づけました。私に対し、これ以上ない私的制裁(リンチ)を加えました。
香山氏は「お前が悪い」と私を指さしましたが、人差し指以外の香山氏の指はどちらに向いていますか。
このような、悪魔に支配された氏の著書の内容も論理性に欠け、単なる感情論にしか思えません。
氏はこのように書いています。
<引用開始>
会議でうまくプレゼンできないのは、私のせいじゃない。突然、指名した上司や家庭で何かとプレッシャーをかける妻、そしていつ起きるか分からないパニック発作のせいなのだ。「ほら、悪いのは私だけじゃなかったでしょう?」
<中略>
「悪いのは私じゃない」と必死に自分の正当性や責任のなさを強調する人が増えている。そのせいで、自分も結局はさらなる窮地に陥り、「あなたのせいですよ」と責められた人との関係も悪くなる。それが広がれば、社会全体の雰囲気も悪くなる。いわば、世の中全体が「悪いのは私ではない症候群」にかかってしまったかのようだ。
<引用終了>
もし香山氏が、上司に突然指名され会議でうまくプレゼンできず上司から責められたら、香山氏はどのように答えるのでしょうか。
香山氏の問題は、その答え以前にあります。それは香山氏の幼稚性です。成熟した組織であれば、プレゼンに対しては徹底した「準備」をした上で臨むものです。大事なプレゼンが失敗すれば、「上司のせい」は当たり前であり、ビジネス界の常識です。
ディズニーランドでも私は人に対して間違えた評価しないための人事考課教育を受けました。
その常識的な人事考課教育を知らない香山氏は、プレゼンを「学級会」と同じに考えていると容易に推察できます。
「悪いのは私ではない症候群」まん延の裏を返せば、香山氏の背後に悪魔がいるように、現象の基となる背景に悪い何かが隠れているということです。
政権が交替し、友愛社会を目指す国民に対し、香山氏はいつまで旧態依然の「どっちが」主義なのでしょうか。
お互いが責め合わないで(苦しめ合わないで)、反対に、お互いが協力してより良いものを創り上げていくという、鳩山総理が提唱するWIN―WINの考え方を受け入れるべきではないでしょうか。
私には「香山リカ、お前もか」という気持ちです。もちろん、私は香山氏を悪魔の支配から解放したいと考えて書いているのです。そのためには、悪魔に支配された読売新聞の声を信じるのではなく、クリスチャンである私の声に耳を傾け、悔い改めなくてはならないのです。
香山氏には謝罪を求めたいと思います。それは私への謝罪ではありません。悪魔のささやきに屈してしまい、世の中に「最後のパレード」著者への名誉毀損が含まれる本を出版した事実に対する謝罪です。