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鳩山政権の誕生で、予算編成のやり方をはじめ、政治の姿が大きく変わろうとしている。国会も、永久与党、万年野党の時代の国会とは大いに違ってしかるべきだ。
政権交代が当たり前になる時代の新たな国会はどうあるべきなのか。議論が始まった。
具体的に声をあげたのは民主党の小沢一郎幹事長だ。衆院本会議で民主党の代表質問を省いたり、政治学者ら有識者の集まりである21世紀臨調に意見を求めたり、国会の大がかりな改革に乗り出す構えを見せている。
■頭を切り替えてみる
行き当たりばったり、説明不足のままでの性急な取り運びは困る。だが、議論しようという姿勢は大いに買う。
戦後の半世紀というもの、自民党政権の下で「国対政治」に象徴される与野党の交渉術などが定着した。それが、国会を形骸化(けいがいか)させてもきた。ここで抜本的に見直してみようというのは、意味のある問題提起である。
まず、民主党の2人の首脳の議論に耳を傾けてみよう。
菅直人副総理・国家戦略相が唱えるのが、「国会内閣制」という考え方である。
菅氏によれば、日本国憲法が想定する国の仕組みを「三権分立」と単純にとらえるのは正しくない。国民の信を得た多数政党が党首を首相にし、その首相が内閣をつくる。つまり多数党は、立法権を押さえ、行政権をも握ることになるからだという。
内閣は独立して国会の「外」にあるというよりは、その「中」にあるというイメージだ。内閣の下に各省庁などの行政機関が組織される。
小沢氏も、国会をめぐる「頭の切り替え」の必要性を訴える。
菅氏が言うように多数党が政権をつくるのだから、政府と与党は「一体」である。これまでは「政府」対「国会」という構図でとらえられてきたが、本来は「政府与党」対「野党」の対抗として考えるのが正しい――。
■政治家同士が議論を
両氏の議論の根底には、自民党政権時代の政治の仕組みを根本的に覆そうという狙いがある。標的は「官僚内閣制」としばしば呼ばれるものだ。
これまで、予算も法案も実質的にはすべて各省庁の官僚がつくってきた。国家の利益を考え、判断するのは官僚機構であり、閣僚たちはそれにお墨付きを与え、与党は国会で法律などを成立させる。
業界や利益団体との利害調整で、与党が官僚と対立することもあるが、基本は「官僚→内閣→国会」の流れで進んでいく。
これを、正反対に「国会→内閣→官僚」へと逆転させようというのが、菅氏や小沢氏ら民主党の考え方のようだ。官僚依存から政治主導へという看板とも響き合うものなのだろう。
具体像を描くのはこれからだが、こうした方向性は理解できる。
だからこそ、今後の議論に向けて留意すべき基本原則を掲げておきたい。
第一に、国会議員たちの自由な議論が保障されることだ。与党議員は質問を控えるとか、政策や法案のあり方について意見を述べられないとかいった仕組みはおかしい。国会審議の活性化を最優先に考えたい。
民主党に誕生した大勢の新人議員について、最大の仕事は次の総選挙で当選することなのだから選挙運動に傾注せよと促す声がある。政党の論理としては一面の真理はあるにせよ、それだけでいいはずはない。有権者は議員が発言し、政策づくりにかかわることを期待して票を投じたのだ。
かつて国会法に定めのあった議員同士の「自由討議」を復活させてもいい。官僚の答弁を一切禁止する構想も民主党にはあるが、慎重に考えるべきではないか。行政監視などを担う別の場を国会に設ける考え方もある。
第二に、そうした議論を生かして、必要な法案修正が柔軟に行える仕組みを考えることだ。政府与党の案が数の力で通過していくだけの国会にしてはならない。
■事実上の「通年国会」に
第三に、政権交代が常態となれば、つまり与野党が入れ替わることになる。現時点で多数を握る与党が自分に有利なルールを押しつけるのではなく、公平なやり方を考え出さねばならない。現時点の野党も、抵抗策ばかりを重視するのは建設的とはいえない。
長期政権時代の国会の進め方には、見直すべき点が少なくない。
国会の会期制もその一つだ。会期末の時間切れをにらんで与野党が駆け引きを繰り広げる「日程国会」とは決別したい。通常国会を事実上、通年化することに真剣に取り組む時期だ。
「党議拘束」のあり方も考えたい。民主党は法案の事前審査をなくす方針だが、それなら議員たちが法案の是非について自由な意見を述べられるよう党議拘束を緩めるべきである。
それによって法案の政府修正や、与党修正もやりやすくなるだろう。
4年前の郵政選挙で自民党が大勝して以来、国会での「巨大与党の暴走」に対する懸念が強まっている。暴走を食い止めるのは、なんといっても政権交代の可能性である。民意の厳しい監視が必要だ。
新時代にふさわしい国会の姿を描くのは、私たち有権者の責任でもある。