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ITドカタのWeb巡回日記

2009-11-02

コボラーの憂鬱と理系様万能論

| 23:39

 心安らかならずの毎日。

 「しかしこういった現代化を進めるユーザー企業にとっての主要な潜在的リスクは、将来にわたって、これらのアプリケーションをサポートするためのCOBOLスキルをずっと確保できるのかということだ」とギルピン氏は指摘する。

 「COBOL開発者は以前ほど多くはないが、Javaなどの最近の言語でプログラミングを学んだ大学新卒者に対象としたCOBOLトレーニングの成功例は多いので、この問題についてはあまり心配していない。COBOL開発者に対する市場が存在するのであれば、何らかの形で供給が続くだろう」(同氏)

 日本国内でも、SIerの中では、メインフレーム系の部門に放り込まれた若手が、将来を悲観して早々に会社を辞めてしまうという事件が頻発しているそうですがね*1

 COBOLは現在も多くの企業や公共機関のシステムを動かしており、Micro Focusによると、世界のATMトランザクション処理のほぼすべて、業務アプリケーションの4分の3で稼働している。2000億行のコードが存在し、毎日数百行の新たなコードが生成されているという。

 こういう記事が出てくると、またはてなーからの怨嗟の声が・・・。

COBOLが半世紀生きたのではなく、この腐ったデータ構造が生きながらえた、というべきか

さっさと引導を渡してくれ.

 やっぱり出た(笑)

データに意味を持たせてはいけない

  • これもCOBOL文化の名残でしょ。
  • '9999999'で最大値とか。
  • 'XXXXXXX'でデータなし、とか。

 むしろ理系様の憂鬱とでもすべきでは。

 文系出の経営者に無能な者が多いのは事実として、それはたんに文系出身者が事務方に多数配属されているゆえの結果に過ぎない。*2((それに、「現場」より事務方のほうが「社内事情」について詳しくなるチャンスが多いのは否めない。))

 個々の経営者の無能を、文系無能論に結びつけるのは、にちゃんでクダ巻きながら「ゆとりが、ゆとりが」とうわごと繰り返すオッサンと同じでしょ*3

 理系様万能論は、ことはてな内では世間一般より根強い共感を呼び寄せていると思うけど*4、ぼくが思うに理系様万能論ってのは、日頃理系様が主張する理系の生産性(合理性とか論理性とか)がネガティブ方向にハンドルを切ったことの副産物なんじゃねぇのかな、と。

 敢えて言おう。恥ずかしいよ、理系様万能論、と。

*1:身の回りにそういう事例がないので、伝聞系でしかものが言えない

*2:人数が多ければ、それだけ無能な人間に出会う確率も増える。そして残念なことに、無能な人間の存在は、有能な人間にとってゼロではなく常にマイナスに作用する。

*3:そういううわごとをつぶやいているのも、けっきょくのところ文系出の事務方が多いんじゃないかな。文系出だと人事に廻される可能性も高いわけだし。クレーム直撃するよね。

*4:ソースなし。勝手な主観。

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