天台宗の九州東教区布教師会・布教師養成所研修会で調査の成果を報告する大分プランゲ文庫の会の内田はつみ事務局長(右)
終戦直後、焦土と化した大分市内で、現在の児童養護施設の前身となる施設を、天台宗の僧侶が先駆けて開いていたことが「大分プランゲ文庫の会」の調査で確認された。
この施設に関係する記述があったのは、米プランゲ文庫の県関係雑誌百十種の中の冊子「児童福祉施設春日園・児童生活実態調査」(大分仏教青年会館文化部編、一九四八年発行)。
同会の調査によると、冊子の編集発行人を務めた故・野田興順さんは同市勢家町の春日神社そばにあった本住寺の住職。戦災孤児の姿を目にし一九四六年、空襲で建物が焼けた後の境内に「新しい信仰の寺院はこうした子どもたちの安住の場でなければ」とバラックを建てて福祉施設「春日園」を発足させ、二十五人ほどを収容して世話をした。
県や共同募金会などの援助を受け、施設を大きくするなど運営を続けたが、資金難から六八年、社会福祉法人・大分県福祉会が施設を引き継いで児童養護施設「青松園」になった。「青松園」は二〇〇五年に大分市営の「わかば園」と統合して「森の木」となっている。
大分市内で四日あった天台宗の九州東教区布教師会研修会で調査内容を報告した内田はつみ事務局長は、今回の調査経過やプランゲ文庫の意義などについて語り、「戦後の混乱期、民間人がこうした福祉活動を進んで行っていたことを、今ではほとんどの人が知りません。プランゲ文庫で大分県にとって大切な報告ができてうれしい」と感想。
竹田市の妙見寺・海老納真則住職は「野田さんは私の父親と兄弟弟子の関係。私自身も大学一年生の時、施設に米を持っていって三、四カ月手伝いをしながら通学した」。また豊後高田市の実相院・青山映信住職は「野田さんは豊後高田市出身でうちの檀家(だんか)さんでした。当時は“今(いま)日蓮”と呼ばれて活躍し、尊敬されていた。大変な時期に子どもたちの施設をつくっていたわけですが、ほかにも何か分かるか、これから調べてみたい」と話していた。
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