実は、ある島おこしプロジェクトに
短い期間、その立ち上げから関わっていた。
そのプロジェクトは、前の記事の海岸沿いにある龍郷町荒波地区の一集落を拠点にした
少数によるもので、自分はブログやネットショップなど主に情報発信を担当していた。
当初は介護職の合間、職場帰りに寄れる地の利を活かし鋭意頑張っていたのだが、
ブログも話題になり始めたころ、リーダーとの間に軋轢が生じた。
その軋轢とは、プロジェクトの基本コンセプトによる意見の対立で
当初はリーダーの了承の下、自分がこれも担当していたのだが
ブログが話題になり始めたころ、これを全部削除して俺のものに変えろ!ときたのである。
自分が描いていたコンセプトとは、やはり個人や集落単位の自立を基本としたもので
当初は了承していたくせに、政治的だとか、商売に結びつきにくいといったような理由で
完全に却下するようなことを言われたので、既存の振興策とは一線を画するコンセプトに
プライドをもっていた自分は、即座にこれを下りた。
口では大きなこと言っている一見バイタリティのありそうな彼らにも
やはり現状は認識できておらず、やはり中途半端に親から相続した土地や資産があると思考もそうなるのか
企業的、商業的な事柄にのみ注力した既存の振興策と何も変わらない
所詮、すぐ金儲けがしたいだけの、発想的にじつに小さなプロジェクトにしたかったのである。
自分より年配で仕事もなく、介護してる親の年金と小さな集落の中途半端な農業を
ベースに生きていくしかないという他力本願な現状を認識できていないといえる。
それができていると、根本的に何が必要か?自然と見えてきそうなものだが、
ようは、すぐにお金になるような近視眼的な発想しかできないのである。
これはこの国を覆う現状に通じるものがあり、空恐ろしくもある。
ある意味、この時代、この国に生を受け、自立するしか道が無いほど無力で良かったと
心の底から痛感した出来事であった・・・。