H.K
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休暇でもストレス

2009年10月31日(土) 21時26分13秒
テーマ:ブログ
結局、今日まで大事をとって休むことにした。
しかし、月末の書類からは逃げられず、職場の昼休み時間に取りいく羽目に
もう休みの日に書類を職場に取りにいくなんて拷問以外の何物でも無い。

ましてや、通常の常識が通用しない北朝鮮のような職場である
副園長と主任に病気の経過を報告し、書類を取るまでのわずか15分の間でも
胃が痛くなるほど、気を使わねばならず
改めて職場の雰囲気の重たさに気が滅入り、回復するのにかなりの時間を要した。

午後からは高校生たちとのバンド活動を少し行い、だいぶ気が紛れた。

こんな時に、ふざけながらも共通意識をもった
心が開放される仲間がいるのは素晴らしいことだ

状況が状況だけに、なにか荒野に咲いた一輪の花のような貴重さを感じた。

しかし、10日しかない有給休暇が病気でだいぶ潰れたのは痛い。
まあ、でも普通に有給休暇が使える職場ではないが(笑)
今夜中に書類を片付け、明日もゆっくりバンド練習を中心に休暇を過ごしたいと思う。
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突然の病気

2009年10月30日(金) 20時07分36秒
テーマ:ブログ
早朝4時頃、腹部の激痛で目が覚めた。
今までに体験したことの無い激しい痛みで、救急車を呼びたくなるほどだったが
幸い歩いて2分の距離に総合病院があり、急遽、受診した。

エコーの検査をしてもらったが、腹部の激痛は人間の精神力の限界を試すほどの痛みで
不覚ながらのたうち回り、検査もまともに進まず、目からは涙があふれるほどだった。

そうこうしてるうちに痛みが収まり、検査もスムーズに進み
尿検査となったのだが、なかなか尿が出ない。
やっと尿意を感じ、出した尿がなにやら赤い。

まあ、いいや、と検査を済ませ点滴を打ってもらい結果を待った。
その間、出勤時間になったので、主任に電話し経緯を伝え、とりあえず休みをもらい
結果を報告することになった。

で、医師の診断は尿路結石

痛みの原因は腎臓から膀胱に結石か移動した際、尿路の狭い箇所を通過した際によるものとのこと
現在、石は膀胱の直上にあり、自然に排出されると幸いだが
されないない場合は腎臓にも影響がでて、衝撃波による粉砕手術か尿管からの内視鏡手術が必要とのこと・・・。

とりあえず、家の近くの病院には泌尿器科の先生が常駐しておらず
県立病院の泌尿器科に紹介状を書いてもらい、痛み止めの座薬を処方してもらった。
紹介先の病院で再度受診し、検査をしてもらったが
やはり同じような判断で、とりあえずしばらくは経過をみて必要ならば手術をするとのこと

手術ならば結構な額のお金がかかるので、はあ・・・。という感じである。
現在は痛みも無く、左側の腹部に若干の違和感があるが、普通なので
しばらくは自然排出されるのを期待して様子をみるしかない

この激務ならばいつか体壊すぞ!と思っていたが、実際に体を壊すと

昨日までの職場に対するテンションや意気込みも急に冷め、なんだかどうでもよくなってきた。

職場から明日も休めとの気遣いもあったが、いつ痛みがくるかもわからず
月末に提出の書類もあるし、痛みの無いときはじつに正常なので、
明日からは仕事をすることにした。

とにかく、自然排出されるように運動と水分補給を怠らないようにしたい。

職場の件 その後

2009年10月29日(木) 19時03分03秒
テーマ:ブログ
今日、園長に洗いざらいぶちまけるつもりだったのだが、あいにく不在であった。
まあ、明日には居るとのことなので、身の振り方については、とりあえず明日だ。

さて、デイサービス送迎時の電話の件だが、昼休みのミーティングの時間に提案した。
結果、いちおう自分が運転する際は、助手が電話を受けるということになった。

他の運転手はそのまま。まあ自己責任だ。
何かあった時は交通刑務所に入るなり勝手にしろである。

とりあえず、自分が運転する際の重大なリスクを取り除くことができた。

主任は、自分がこの提案をした際に激高したのだが、こっちの言い分を渋々受け入れる形となった。
運転中に電話を受ける事態、法律違反のありえない話なのだから
このリスク回避案は至極当たり前の常識とよべるものであろう。

しかし、主任いわく、自分の提案にも一理あるそうだ。
一理どころの騒ぎではない、交通の安全を守ることは常識だ。

そんな基本的な法律ひとつ守れない人間(法人なら尚のこと)が公共の福祉に携わるべきではないし
そもそも車を運転する資格もないのだ。

呆れた現実である。
自分がこの仕事に就いてる間はこの常識を貫いていこうと思う。

いやはや、基本的な常識ひとつ守るのにこれほどの労力を要するとは・・・。

またしても事態が急展開

2009年10月28日(水) 22時54分25秒
テーマ:ブログ
昨日は溜まってるネタでブログの更新をする予定が結局休みが用事で潰れてしまいできなかった。

それより、いつものことだが、またしても仕事絡みで事態が急変した。
結論から言うと、明日辞職覚悟で園長及び、昼のミーティングで主任にとことん、徹底的に不満をぶちまける。

最近、もっというと、ここ数ヶ月、はっきり言って肉低的にも精神的にも限界の状態だ。
ついでに怒りで頭がいっぱいである。

それでも労働基準法バリバリ違反の職場で、それなり我慢して業務を遂行していた。
以前、園長に退職の旨を伝えて給料が雀の涙ほど上がった経緯があったが
今回ばかりはお金の問題ではない、職場環境の問題だ!

今日職場のミーティングを終業後夜の8時までサービス残業でやったのだが
終了後の話合いで、どうやら利用者から自分の送迎に苦情が出たらしいのだ。
利用者宅を行き過ぎてバックで戻ったからだとか・・・。

確かに今日、戻ったことはあったが、主任の口ぶりでは急にバックで戻ったらしいのだ。
そんな急に戻るようなことはするはずもないし、こっちは疲労で一杯一杯なのだ。
人間誰しもミスをするし、こんだけの過酷な状況で働いてること事態が奇跡のような状況だ。
日々のサービス残業、非正規のみに押しかかる負担、それらが複合的に絡み合ってボロボロだ。

そんなミスを誇大化して、考え事してるだの、運転に集中するようにだの
確かにその通りだが、はっきりいって現状は、とても運転に集中できる状況ではない。

ある意味なるべくしてなったようなものだ。
人の命を預かる仕事に効率を求めてどうする!負担を押し付けクタクタの人間に送迎させて
こんだけ一生懸命やってるのに無能者扱いだ。

そして一度のミスをミーティングで鬼の首をとったかのように指摘する様にほとほと嫌気がさした。

それだけじゃない、さらにとんでもないのが
自分勤めるデイサービス送迎の運転中、連絡の電話が運転手にかかってくるのだ。
信じられない話だが、本当の話だ。道路交通法なんか軽くぶっちぎりだ。

これはこの職場に来た際、一番驚いたことだったのだが
自分は当初一切電話をとらなかった。
当然である。
どこの世界、ましてや人の命を預かる職場で運転中の運転手に電話するアホがいるか!

しばらくそんな感じでやっていたら、電話をとるように!と、強要されたきたので渋々従って取るようにしていた。
それでマナーモードにしたりして着信に気づかず取れなかったりすると
自分は連絡がとりづらいだの、あげくは役立たず呼ばわりされた。

説明するが、自分が運転するバスにしろ搬送車両にしろ介助員とよばれる助手が同乗しているのである。
本来ならここに連絡事項を連絡して、口頭で運転手に伝達すれば済む話なのである。

何のための介助員か???????

まったく無茶苦茶な話である。

今日、その電話の件も言われた。
そこで、自分は電話の際は車止めていいのですか?と聞くと
着信受けた携帯を介助員に渡せときた。それも運転中に

ふざけんな!である

その渡す最中に事故でも起きたら、職場が責任とるのか?
個人の車とはわけがちがう
まったく怒りを通り越してあきれた話である。

他の事業所の同じデイサービスの職員に聞くと
やはり送迎中の連絡は助手が受けるそうだ
運転手が電話をして事故まで起きてるらしい。
当たり前の話である。

頭に血が上りとても冷静に話せそうにないので今夜のミーティングは、はいはい、と従いさっさと帰った。

そもそも、こんな職場
高校生にバンド教えるために昼間だけで日曜が休みというからやっているのだ。

しかも都合のいいことに、この職場、退職の際は一ヶ月前に申告という、これまたとんでもない条件付
昼間の仕事と日曜休みの条件に拘らなければ、収入の手段まだある。

自分のテーマはあくまで自立なのだ。
介護だとか社会奉仕はあくまで副次的なものすぎない。
そんな福祉を食い物にする金正日のような連中に
自分の人生の貴重な時間を浪費してまで尽くすほどの優先事項は今の職場には元来無い。

なので、今夜は頭を整理して不満という不満を全て明日ぶちまける。
とりあえず、詳細は後日。

カバー中の曲

2009年10月26日(月) 00時09分21秒
テーマ:スクール・オブ・ロック
現在、高校生と練習している曲。
このバンド以外にもたくさんのパンクバンドのカバーを練習しているのだが、
ライブ中のアクションやパフォーマンスを含めて、比較的難易度が高いこのバンドを集中的に練習している。

自分らが練習しているカバー曲は、このように南国の風土にも合うポップなものが多い。

いつかビーチでライブをやって爆発してみたい・・・。   

雨の中の練習

2009年10月25日(日) 23時02分07秒
テーマ:スクール・オブ・ロック
ここ数日ブログの更新が滞っているのは、仕事もそうだが
高校生とのバンド活動を優先している為である。
先週は今日の日曜以外、平日の休みが無くじつにハードであった。
ブログを書く気力も暇も、中日の水曜を境に尽きてしまった・・・。

今日も朝早くから男4人+バンド機材を軽のハコバンに詰め込み、
名瀬から笠利までの長距離を移動し、雨の中、屋根つきの屋外練習場所でみっちり練習をした。

ギターボーカル担当がついにオリジナル曲(これがなかなか良い)を書き始め、いよいよ楽しみになってきた。

明後日の火曜は久々の平日休みの日なので、バンド練習や用事の合間に暇を見つけ、
ブログ用に島おこし関連の取材と、残ってる喜界島関連の更新ができればと思っている。$自立神経復調記 BATTLE OF STAND ALONE 

見えてきた奄美大島と喜界島の決定的な相違点 その2

2009年10月20日(火) 23時43分11秒
テーマ:島興し
奄美大島と喜界島における、もうひとつの大きな相違点といえる自立度の違いも書いておきたい。
誤解しないで欲しいのは、奄美と喜界の違いを明確にすることは
ここ奄美の振興にとって絶対に必要なことであり、奄美も喜界同様に愛してるが故のことである。

先日、喜界島は自立の基盤があり、観光やイベントなどで冒険できる可能性があることを書いたが

奄美大島において、ここ最近は島おこしの熱意に溢れた民間NPOのコミニティFM局など
島の若い世代が大きなアドバルーンを上げていることに成功していると思う。

それは島出身の芸能人にしてもそうだし、スポーツや音楽イベントなどもそうであろう
これに関しては大成功で全く問題ないのであるが、島の若い世代の生活の向上
具体的には、島に住む人間の雇用や収入の向上に成功してるか?
これが島興しにとって一番大きな問題であろう。

答えは残念ながらNOである。

これらの文化的アドバルーンが内地からの一時的な外貨を招いたとしても、
永続的な収入にはなり得ないのは明白であり、自立への基盤と呼ぶにはあまりに不安定だ。
結果、島の若い世代、とくにUターンした者たちの雇用状況は自分も含めて酷いものである。

もうひとつ奄美が喜界より成功しているのは、都市化であろう。
道路、港湾、空港、スーパーやコンビニなどの内地FC(フランチャイズ)店の出店など
どれをとっても喜界のそれとは比較にならない。

しかしこれらが、果たして島に住む人間の雇用や収入の向上に成功してるか?
これまた答えはNOである。

紬が下火になって以降、奄美最大の産業と呼べたのは間違いなく土建であった。
しかしこれも奄振などの補助金や行政頼みの自立に繋がる産業とは全くいえない。
現実、土建は小泉改革以降、風前の灯だ。

FC店に至っては、物価や夜に買い物ができるなど便利ではあるが
その利益も内地が吸い上げ、物価と共に賃金まで引き下げる結果を招き。
ネットが地方にも浸透した今、全く必要のない存在といえるであろう。

自分は奄美にある某全国チェーンのレンタル店など、全く利用していない。
品揃えも中途半端な地元FC店で求めるより、アマゾンなどのネットで通販したほうが
送料もかからずCDやセルDVDなどを求める際、はるかに便利だ。

最近、自分がバンドを教えてる高校生の兄が愛知の工場を辞めUターンしてきのだが
そのチェーンのレンタル店でバイトをしている。
深夜2時まで働いて薄給な職場なんぞ島の雇用にとってマイナスでしかないだろう。
そんな雇用にしがみつくしかないまで悲惨な現状なのだ。

これが喜界だと、そもそもそんなレンタル店すらないし、Uターンした際の雇用は
土建でも奄美と比較して仕事もあり、正規で雇用すら可能である。
製糖工場やそれに付随したキビ運搬トラックの運転手など
Uターン者の雇用環境は奄美よりおおむね良好だ。
これはガソリンスタンドや介護など、その他の職種全般そうである。

何より、最大の違いはUターンした息子が親と農業をやっても十分な収入が得られる点であろう。

島の雇用を全島規模でシェアし、ハローワークや深夜営業の店がなくても
地域内である程度完結し、経済が回っている。

これが意味するのは、もう言わなくても解るであろう。

安定した自立の基盤を持たずアドバルーンだけ大きく上げる奄美の振興策は、
自立という足元をおろそかにした
頭でっかちの本末転倒の策であると言わざるを得ない。

いや、自立の基盤がないからこそ、アドバルーンを大きく上げるのかもしれないが・・・。

今夜はここまで、また明日以降も続く。

見えてきた奄美大島と喜界島の決定的な相違点 その1

2009年10月20日(火) 22時29分13秒
テーマ:ブログ
色々と喜界島での休暇で得た素材を個々に掘り下げる前に
滞在中、および帰還後に強烈に感じた、奄美と喜界の違いをどうしても書き留めておきたい。

まず、印象に残ったのが島に渡った瞬間から感じた空気感というか時間の流れの違い。
これは、奄美に帰還した際にも感じた。
うまく言い表せないが、奄美大島内のどんな僻地に行っても同様の感覚は感じたことがない。
感受性に関しては人一倍の自信があるので、これは間違いないと思う。

なんというか、トリップ感というか穏やかな感覚に陥るのだ。
同様の感覚を加計呂麻島や沖永良部や与論に渡航した際にも感じた。
つまり奄美大島内を移動したり生活してるとき、普段は意識していなが、
恒常的なストレスというか、忙しい感覚を微弱ながら感じているのは間違いないのだ。

それは、奄美大島の道路事情であるかもしれないし、
風土や島民性かもしれないし、都市化や経済的疲弊の影響かもしれない。
もしくは、それらが複合的に意識下に影響を与えてるのかもしれない。

それが船で別の島に渡った際、環境の変化により消滅し、解放されるのだ。
この休暇で、喜界に渡ると穏やかな開放感を感じる理由がようやく解ってきた。
以前はその理由を単純に、奄美は山が多く、喜界は平坦で空が低いなど、風土の違いだと思っていたのだ。

一見、関係ないようだが、自分は昔からパンクロックが好きで
奄美では意識せずとも、自然にパンクモードというか、休暇でドライブに行く際も
そういうものを欲するし、また、それがしっくりくる。

それが、喜界島での滞在中、戦闘的なモードに入れないというか
同じパンクでもポップなバラードぽい曲を無意識に選択していたのが印象に残っている。

これは都会からみれば天国と思われる奄美大島でも
社会や経済状況の荒廃が、都会のそれと変わらないか、下手をすると
いまやそれ以上になっている証なのかもしれない・・・。

喜界からの帰りのフェリーから出て、名瀬の街を走行した瞬間からパンクがしっくりきた。
これは大きな発見だった。

自立の島、その副産物

2009年10月19日(月) 23時45分51秒
テーマ:島興し
今、沖縄県の与那国島が自衛隊誘致で揺れている。
島の活性化のために自衛隊を誘致するというが、人間個人でいえば生活保護に相当する
自立を完全に捨てた依存の極地というべき案だろう。
喜界島にも自衛隊の通信基地があるが、(上の画像はその宿舎である)
同じ自衛隊でもこちらは島特有のフラットな地形が自ら呼んだ存在といえる。

喜界島はあくまでその作地に向いた平坦な土地をフル活用して
農業に取り組み、自立の基盤を確保した上で、自衛隊などをわざわざ誘致することなく呼びよせ
農業と同時並行的に島の経済に活かすことができている。

島の経済にとって副産物的な存在といえる。
喜界島は自衛隊基地のような存在に全てを委ねる必要もなく
その恩恵だけを得ることができる、じつに幸運な島といえるだろう。

個人的に今後の喜界島の課題と感じているのは、
その副産物を、様々な実験や冒険で新たに獲得することだろう。
それは観光であるだろうし、新しい産業やムーブメントでもあるかもしれない。

とにかく、喜界島に安定的かつ自立的な基盤がある以上、
新しい冒険に挑戦できる余裕と可能性を常に持ち続けることができると思う。

もうひとつ自立が生んだ副産物といえるのが、この役場の新庁舎だろう。
奄美大島の市役所も新庁舎を作るという話があったが、立ち消えになった。

当たり前だ、このご時勢に新庁舎なんぞ作ろうものなら、
疲弊した地方経済で喘ぐ市民からの猛烈なる批判は免れず
そもそも、そんな庁舎なぞ作れる予算を確保できる余力もない。

当然、この庁舎に喜界町民からの批判もあったろうが、ある意味このご時勢
これを作れる余力があるのが単純にすごいと思う。

今日はここまで、
今夜は明日施設内に監査が入るため書類の見直しに追われた。
なので、またぞろ更新が遅くなってしまった。
終業後、いや、帰宅後の話である・・・・。また寝不足の日々が続きそうだ。
$自立神経復調記 BATTLE OF STAND ALONE 
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また、忙しくなってきた・・・。

2009年10月19日(月) 00時27分59秒
テーマ:ブログ
今日、正確には昨日は休みだったのだが、前の晩は疲労回復の睡眠に費やし
今日はというと、画像にあるように
ここしばらく放り投げていた高校生とのバンド活動を暗くなるまで行い
結局、ブログ更新がこんな時間になってしまった。

喜界島の休暇で得た掘り下げたい素材や、まだ表明していない自立への具体策など
暇を作りじっくり更新したいのだが、なかなかできず、未だ半分程度しか消化していない。
なので、喜界島の話題はまだまだ続く予定。

土曜日に、先週あった喜界島の町民体育祭で阿伝集落のメンバーが着ていたオリジナルTシャツと
喜界島ネットワークの名刺が土産の品と共に届いた。
日中、メールすらできない忙しい身なので
手配してくれた宮本商店の宮本一徹氏に、この場を借りてお礼申し上げます。

Tシャツは生地の素材がデイサービス施設内の入浴介助にぴったり
故郷の誇りを胸に、過酷な仕事に対してのモチベーションも維持でそうだ。
たくさんの職員や利用者に対する宣伝目的も兼ね、早速明日から愛用したいと思う。

喜界島ネットワークの奄美活動員としては、ここ奄美でも自立や島興しに関する取材したい対象を
ここ最近何件か見つけたので、記事にでき次第、このブログ上に随時アップしていきたいと思う。

相変わらずというか、仕事もプライベートも忙しくなってきたが、
今後も己の目標と理想に向け、日々格闘していく覚悟である。
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