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あつまれ! 若者 よそ者 はたらき者
minaoshi2006の日記 [全13件]
先ほど、私の家族が受けている人権侵害に関し、読売新聞の社会部に電話したところ、ハンダという女性社員は、私の話を聞く義務がないとのことで、一方的に電話を切りました。私が知りたかったコンプライアンスオフィサーという言葉も知らないようでした。 私の以下の投稿内容をお伝えしたところ門間記者には伝えると約束してくれました。 約束が守られるのか、守られないのか、このブログで皆さんにご報告いたします。 958 :朝まで名無しさん:2009/11/01(日) 01:40:38 ID:06t6A9Zv 中村さんのお嬢さんの クリちゃんを舐めたいのは きっとボクだけでしょうね。 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news2/1256304688/901-1000 読売新聞の連絡先 社会部(直通.03−3217−8074) 門間順平記者まで Last updated 2009.11.02 19:53:36
以下の用に書き込もうとしたところ、アクセス規制中というメッセージがでました。 私には2ちゃんねるのシステムが分かりません。ご存知の方は、以下の書き込みをしていただきますようお願いいたします。 中村です。 誤字を指摘していただきありがとうございます。 さっそく、訂正いたしました。 >中村克はキチガイ >2chのわずかな基地外を指摘して2ch全体を攻撃するならこちら側にも考えがあるよ 2ちゃんねらーの皆様の道義を逸脱した投稿は、今まで自民党政権でしたから問題視されてきませんでした。 しかし、これからは違います。政権交代が実現し、これからは一人ひとりの命と人権に配慮した政治が執り行われます。 「君子豹変す」です。政権交代とともに、皆様の豹変(豹の皮のように穏やかに変わっていく)を期待しております。 今後は、このような道義を逸脱した書き込みへは、法に基づき厳しい対応がなされます。 現時点では、2ちゃんねるの「悪の岩窟」には警察権力は辿りついていませんが、今後は変わります。 政権与党の「権力」は必ず、2ちゃんねるや読売新聞といった「悪魔の岩窟」にたどり着きます。 2チャンネルを含め、ネット上での発言は慎重にされた方がいい、私はそう進言します。 Last updated 2009.11.02 18:31:09
958 :朝まで名無しさん:2009/11/01(日) 01:40:38 ID:06t6A9Zv 中村さんのお嬢さんの クリちゃんを舐めたいのは きっとボクだけでしょうね。 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news2/1256304688/901-1000 読売新聞の連絡先 社会部(直通.03−3217−8074) 門間順平記者まで (論談に投稿します) Last updated 2009.11.01 19:58:49
鳩は平和のシンボルです。シンボルとは、誰が見ても同じものをイメージする「記号」です。 記号とは、人を惑わすものです。なんとなく・・・よさそうと思わせる悪魔の誘惑(宅急便)なのです。 その悪魔の宅急便に「NO!」と言えるあなたこそが、悪魔に支配されている人々との戦いの、真の勝者であると私は信じています。 Last updated 2009.11.01 18:54:59
すかいらーく:さよなら「すかいらーく」 業態転換、最後の店29日閉店 すかいらーくは1970年、東京都府中市に1号店をオープン。ファミリーレストランの草分け的存在で、ピークの93年には全国720店まで拡大した。 http://mainichi.jp/select/biz/news/20091027ddm008020083000c.html 残念です。私は大学時代に長期間、すかいらーくでアルバイトをしました。夜10時から深夜2時までの時間帯を中心に、フロアー業務、キッチン業務を担当しました。 勤務した入間店は確か12店目のお店でした。ですから、当時はすかいらーくの創業社長の茅野さんたちが、時々お店にこられていました。後に社長に昇格した伊東さんは、当時はエリアスーパーバイザーであり、複数のお店を飛び回り、サービスの指導や店長代行などの仕事をされていました。 当時のすかいらーくのマニュアルに則したサービスのレベルはかなり高いものでした。教育レベルやスタッフの志気も高く、ファミリーレストランではありましたが、お客様に高い満足を与えられていたと思います。 しかしながら、現在のすかいらーくグループのサービスレベルは低下してしまいました。ガストで働いた知人に聞いた話ですが、ほとんど教育はなく、見よう見まねで仕事をしていたということでした。 翻って、当時からのライバルであるデニーズは、サービスレベルは年々向上しています。店内の雰囲気も落ち着いており、サービスを超え、ホスピタリティのレベルに達していると感じます。 私は、すかいらーくのアルバイトで貯めた資金でアメリカに渡りました。すかいらーくには思い入れがあります。 今からでも遅くはありません。すかいらーくのご健闘をお祈りします。 Last updated 2009.10.30 10:17:13
ドラフト1位で西武、阪神、ヤクルト、楽天、中日、日本ハムの6球団が指名した花巻東・菊池雄星投手(18)は、西武が交渉権を獲得した。抽選くじを引き当てた渡辺久信監督(44)が、ステージで右手を高々と挙げて喜んだ。 http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2009/news/f-bb-tp1-20091029-560652.html 何かが「来る」感じを持っていました。江川事件以後に西武ファンになり、何回も日本一の場に居合わせることができた私には、なんともうれしい。万感の思いです。 今や、二人の娘は熱狂的な西武ファン、来年のキャンプの「チケット」も既に取ったそうです。 父親として本当にうれしく思います。 工藤投手もデーブ大久保も戻ってきてくれそうです。来年こそは時間をつくり、西武球場に足を運びたい、そう思います。 Last updated 2009.10.29 17:48:04
本日、第10回目の地蔵祭りに関するチラシが入りました。あれから10年・・・感慨深いです。 あの小地蔵がコミュニティバス運行につながり、西口再開発にもつながっていく。この長いストーリーを知る人間は何人もいないのです。 結果的に、このすべてが特定の人々への利益誘導を可能にしてしまったことを悔みます。 地蔵祭りと東村山コミュニティーバスの関係 はたして東村山市民のどのくらいの方が表題のこの関係に気付かれているのでしょうか。 この関係を解くキーワードはズバリ「障害者施設と青年会議所」です。 市内にあるこの障害者施設はどのように考えているか分かりませんが、私自身は「やられた」と思っています。つまり、先日愛知万博におけるスタジオジブリ側の受け取り方について書きましたが、私も同様に誰かの「ビジネスに利用された」と考えています。 (話は長くなりますので、今日は途中までになります。) 2000年の11月5日の朝日新聞朝刊の多摩版に東村山の地蔵市(後に地蔵祭りに)を大きく紹介する記事が掲載されています。 <小さな地蔵様 願いかなえて> 東村山の正福寺・千体地蔵堂 途絶えた風習復活へ 「まちをPR」と青年会議所 「小さな地蔵を持ち帰り、願いがかなったらもう一体を添えてお寺に返す」正福寺では江戸時代にこんな風習が盛んだった。その風習を復活させ、まちのPRにつなげようと、東村山青年会議所が12日、「地蔵市」を開く。販売を予定している木製の小地蔵の製作は、市内の知的障害者施設に依頼し、いま急ピッチで進められている」 東京都唯一の国宝を東村山のPRに利用しようとするこの企画ですが、お寺側が許可した理由は「障害者施設が製作するので、社会事業にも役立つ」というもとです。 当たり前ですが、民間木工所の製作によるものであれば、お寺側は間違いなくOKしなかったことでしょう。 お寺側の判断は間違ってはいなかったと思います。間違っていたことは、関係者が製作を依頼した障害者施設の小地蔵を製作する能力について調査しなかったことなのです。 たしかに、この施設では国立科学博物館や東京都庁のお土産用木工品を作っていました。 しかし、です。この施設が所有する木工用電動工具は、「糸ノコ」数台と「ベルトサンダー」一台、あとはノコギリなどの「手工具」だけなのです。 製作するのはおもちゃのような木工品ではありません。3ヶ月余りで300体の小地蔵を製作することは決して容易なことではないのです。木工を少しでも知っている人であれば誰でもそう思うことでしょう。 それではなぜ、この施設が青年会議所からの製作依頼に対して「やります(製作できます)」と答えたのでしょうか。 その理由は、私(筆者)の所有する電動工具をこの施設に無償で貸与していたために、製作は可能とこの施設は判断したからです。 この施設では、大型のバンドソー(帯ノコ)やフライスセンター(ルーター)や三角サンダーなど相当数の高性能電動工具を実際に使用していました。 (木工家でもある私は、当時この施設に装飾用白木素材の製作を依頼していました。その関係から機械をお貸ししていたのですが、詳細は表題の論点とは無関係のため省略します) 当然ですが、施設の担当者からは「お地蔵づくりに電動工具を使用していいですか」という申し出がありました。 省察すれば、その申し出に対しては「NO!」と回答したほうが良かったと思っています。 正福寺の住職と同様の理由で青年会議所の仕事に対し、私の機械を使用することを許可しましたが、それが大きな間違いのスタートでした。 私が機械の使用を許可していなければその年の地蔵市は行えなかったことは間違いありません。今から思うとその時に「何か違うものにスイッチを入れてしまった」と反省しています。 さて、紹介した朝日新聞の記事のなかにこんなくだりがあります。 「小地蔵は約15センチですべて手作り。機械で大まかな形をつくり、目や服の模様は彫刻刀で刻む。磨いたあと、ワックスをかけて仕上げる。9月に発注を受けた同施設では、さっそく地蔵堂にお参りに行き、製作にとりかかった」 私もお参りに行きました。祈念したことは「製作者が機械でケガをしないで欲しい」それだけでした。 そして、この記事を読み気になったことは、「すべて手作り」という表現です。通常の木工品であれば、組み立て以外は機械を使用します。購入者もそれでいいと思ってくれます。 それでは「小さなお地蔵さま」の場合はどうでしょうか。 ほとんどを木工用のコピーマシーンで製作し、細部だけを彫刻刀で刻む、ノミは使わない・・・としたら、はたして祈願する人は「すべて手作り」と思ってくれるのか。そんなことも考えてしまいました。(実際はコピーマシーンを使用していませんが、電動工具を駆使しているのは事実です) 話が専門的になりすぎましたが、言いたいことは「私が手伝った」という事実です。カーヴィング(木彫り)用工具や使用するワックスについてもいろいろと教えました。お地蔵様を実際に作った人を知らないため、使用するワックスの選定いついてはかなり苦労したことを覚えています。 残念なことは「私が手伝った」ことに対し東村山の青年会議所はまったく「無関心」の状態でした。というより、アスクルと同様、発注さえすれば出来上がり指定日には納品されるのは当たり前と考えているようでした。 作業を見に来るわけではなく、支援する気もない。300体の小地蔵をつくる作業を「ボタン一つ押せばご飯が炊き上がる」位にしか考えていなかったのでしょう。 私はこの地蔵祭りの企画では1円たりとも儲けていません。反対に私がこの施設に依頼した作業は遅れがちになり、結果的に不利益を被ったと言っても過言ではありませんが、元々機械の使用を許可したのは私ですからそれも受け入れざるを得ません。「想定できたのでは?」といわれれば、「そのとおりだ」と答えざるを得ないからです。 ここで、話を変えます。実際に小地蔵を製作する人たちことについて説明します。 この障害者施設の木工部門は職員2人、利用者(障害者)2〜3人位の小所帯です。 本当に素晴らしかったのは木工を担当する2人の職員の熱意です。厳しく、そして温かく利用者を指導する姿は実に立派なものでした。 木工品製作に際しても「言われたことをやっている」のではなく「仕事を創出している」のです。自らアイディアを出し、創意工夫して売れる製品に仕上げていく、本当に見ていて頭が下がる仕事ぶりでした。 民間以外のセクターにこのような職員が存在していることは本当に稀なことではないでしょうか。私はそう思いました。 もうお分かりいただけたことと思います。私はこの職員たちの「困難にチャレンジしていく姿」を見ているからこそ地蔵製作も手伝っていたのです。 繰り返しますが、3ヶ月余りで300体の小地蔵という商品を完成させることは大変なことです。 なぜならば職員も利用者も木工だけをやっているのではないからです。当時は古紙の回収や公園清掃(シルバー人材センターに移行してしまったそうですが)も行っていました。秋の産業祭りや各種バザー、レクリエーションなどもあります。平均すると作業ができる日は週に4日以下でしょう。 予想通り一年目の製作作業は困難を極めましたが、2人の職員の努力により納品日の前々日位には予定数を完成することができました。(もちろん、私は製作作業そのものには関わっておりません。) そして地蔵市のその日を迎えます。 販売品としての小地蔵の評判も良く、地蔵市の当日だけで完売したそうです。皆で胸をなでおろしました。 今日はここまでにしますが、東村山の青年会議所というのは「つくり手」の気持ちがまったく理解できないようです。 障害者施設が「つくり手」であったからこそ地蔵市は開催できたのです。その障害者施設の「つくり手」が本当に一生懸命つくったからこそ、市民は小さな地蔵に願いをこめられるのです。 「青年会議所は菓子折りくらい持ってきたの?」 その答えはそのうちに。(年明けまで連絡もなかったそうです。) この施設が建設が決まったときには、周辺の住民が「土地の値段が下がる」という理由で反対運動を引き起こしたそうです。東村山とはそういうところです。 Last updated 2009.10.29 10:31:16 |一覧| |