2009-10-23 23:19:44

公開質問状 1

テーマ:告発・裁判

JDDネット代表 及び、北海道大学大学院教育学研究院付属子ども発達臨床研究センター所属
                児童精神科医 田中 康雄 様
NPO法人それいゆ 教育コンサルタント 服巻智子 様


平成21年4月2日 東京都で開かれたシンポジウム「今後の自閉症の理解・啓発はどうあるべきか」会場にて、

自閉症の当事者として招かれた「村上由美」そして、同席した「村上真雄」両氏に、
「本当に自閉症と診断を受けたのか」と問うた所、「由美も私も自閉症と診断は受けていません」と明確に、200人の前で回答を貰った。


この件をNHKに問い合わせた所、この様な回答が来た。

山岸徹 様
このたびお問い合わせいただいた、[お問い合わせ番号455969][お問い合わせ番号449505]のメールについて、あわせてお答えさせていただきます。
私どもといたしましては、ご出演者の障害名の表示は、これまでの受診歴や専門家の所見、生育歴や認知・行動上の特性、ご自身の自己認知、番組にご協力いただいている専門家のご意見などをふまえて行っております。(村上氏は受診歴が無い事は明白)


山岸様がお尋ねの、村上由美さん、村上真雄さんについても、複数の専門家のご意見などをふまえた上で当事者としてご紹介させていただいています。
---------

村上真雄氏も、同席した専門家も「自閉症ではない」と、言わなかったから自閉症だ。と私のブログのコメントに書き込んでいた。

村上由美氏は、JDDネットにて、自閉症当事者として、セミナーも開催している。


ここで、田中、服巻両氏に質問である。村上氏が言う、同席した専門家、つまり、「自閉症じゃない」と言わなかった専門家とは、お二方の事を指していると思われる。


お二人の立場としては、「自閉症」とは、専門医が、「診断すべき疾病」なのか、
それとも、自分で、自閉症だと考え、専門家が否定しなければ、なってしまうモノなのか。 明確な回答を願います。


東京大田区 自営 52才 機械設計業 山岸徹

【この質問は、平成21年10月23日(金)午後11時23分 両氏にメールで送信した。回答が来たら載せます。】

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2009-10-22 10:51:25

概念化 (復元記事)

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

自閉症の記憶の形は、定型発達と違う事は、前に話した。

どの様に違うかと言うと、自閉症は、あった事を、そのままの形で、記憶するのである。

例えば、ディズニーランドに行ったとすれば、ディズニーランドの中の、ある場面を、ビデオテープで録画する様に、

そのまま記憶するのである。

これは、人間としては、とても効率の悪い記憶の仕方である。では、定型発達ならば、どうするか。

定型発達であれば、「*月*日ディズニーランドに行った」とメモ書きにして、「楽しかった事」の引き出しに入れるのである。

「楽しかった事」の引き出しには、同じようなメモが沢山入っている。

片や、つまらない出来事迄も、ハイビジョンのビデオテープに録画し保存、片や「楽しかった事」の引き出しに、メモ書きで保存。

どちらが効率的で、どちらが進歩した方式を取っているか、一目瞭然だろう。

では、何故自閉症は、「楽しかった事」の引き出しに入れないか。

第一に、「SAMの欠陥」で、その時自分が楽しかったのか、楽しく無かったのか、「モニター」(観察)出来ない。

自分の状態を、「モニター」出来ないから、「楽しい」のか「楽しく無い」のか、よく分からない。


次に、「中枢性の統合の欠陥」で、仮に色んなメモ書きがあったとしても、どれを「楽しい」に分類するか。

どれを「つらい」に分類するのか、その切り分け、線引きが出来ない。

事柄が、10個あれば、10種類に分類する。それ以外の分類が出来ないのだ。これこそが、「中枢性の統合の障害」なのである。

だから、「感想文」を書けないのだ。

定型発達であれば、これを、どれかに分ける「自動分類装置」が働き、自動的(無意識)に、「楽しい」「つらい」「悲しい」と分類されるのだ。


この様に、物事を抽象的な表現に、まとめ上げる事を、「概念化」と言うのである。

「概念化」出来なければ、何に現れるか。「感想文を書けない」と言う所に、顕著に現れるのである。

「概念化が出来ない」という事は、「SAMの欠陥」と「中枢性の統合の障害」が複合して、現れた事例なのである。


試しに、「ニキ・リンコ」「泉流星」の文章、日記、ブログを読んでみて欲しい。物の見事に、すべて「感想文」だ。

「ニキ・リンコ」「泉流星」は、文章を読んでも分かる、概念を理解した、定型発達なのであーーる。


【 後日談として、佐賀それいゆの服巻智子に、「概念」と「メタ表象」にまみれた、「ニキ・リンコ」の一文を、「こんな事を書いているんですよ」と、メールで送ったら、「これは事実文です」と回答が来た。

事実の事柄が含まれているから、単純に事実文と言うのでは無い。そこに、感情や、隠された意図を含めた表現があるか、それらを勘案してこその、判断になる。

事実文、の定義が、こんなにも異なる人が、「セントラルコーヘレンス」を教えてる事に、驚愕した。】


(特捜部アップしてます。見てね)


2007/9/3(月)のブログ    復元記事

2009-10-21 09:15:42

セントラルコヒーレンス (復元記事)

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

セントラルコーヘレンスでも、セントラルコヒーレンスでも、カタカナ読みはどっちでもいい。多分、セントラルコーヘレンスと言う言い方をする人は、海外留学の経験もあるぐらいだから、現地の人読みを、そのままカタカナにしたんだろうから、そっちの方が近いんだろう。しかし、問題は、その内容だ。出し惜しみしてもしょうがない。その日本語の意味は、全体統合とか、中枢性の統合と言われている。私は「中枢性の統合」で話を統一しようと思う。

アトウッドでは無いが、この点に注目すると、ことごとく、これに関係する事が、よく分かる。厳密に言うと「中枢性の統合の障害」が正確な表現だね。

アトウッドも、これの障害の原因については、一切触れない。つまり、未解明だと思うんだけど、さらに深く勉強したい人は、「統合失調症」の人の事を、詳しく勉強すれば善いのかもしれない。

とにかく、私も、「中枢性の統合の障害」の原因については追及せずに、「中枢性の統合の障害」のせいで、自閉症がどうなっているのかについて、実例と合わせて話していこうと思う。


【なぜ、アスペになりたい統合失調症の子(子と言っても立派な成人)を集めるのか、昨日ようやく分かった。

アスペになりたい統合失調症は、アスペになりたいから、「あなたはアスペですよ」と言ってくれる人を求める。


「ニキリンコ」や「泉流星」が、口先だけ、何でも同調すれば、すぐに相手を信じて、信頼関係を結んだと、思い込ませる事が出来る。

さらに、「感情的」な部分について、「同感」すれば、統合失調症の相手は、感激して、なんでも言いなりだ。


誰かの悪口を吹き込めば、代わりに出かけていって、ケンカをしかける。

相手の様子を調べてと、頼めば、言われたとおり、出かけていって様子を見る。


時に、行き過ぎて、警察沙汰になっても、「統合失調症」だから、「説諭」で済まされる。


おだてて、内緒話、誰にも言うなと口止めして、でたらめを吹き込む。


そして、イヤガラセの動員を掛ける。


警察沙汰になっても、自分の手は汚れず、「統合失調症」の患者が勝手にやった事に出来る。


嫌になって居なくなっても、代わりはいくらでも居る、「統合失調症」だから、自分が利用されただけとは、気付かない。


成る程、「ニキリンコ」「泉流星」に関わった事のある人間は、震え上がって、みんな口をつぐむ訳だ。 非道い話】

(特捜部アップしてます。見てね)


2007/9/2(日)のブログ    復元記事

2009-10-20 08:47:43

本質

テーマ:告発・裁判

自閉症マニア・特捜告発課の方に、こんなコメントが入った。

当たり前すぎて、今迄無視して居たが、これをはっきり分かる様に説明する事が、一番必要だったのかもしれない。



【 仮にあなたが主張されているように複数の人々が同一人物でなにが不都合なのでしょうか。同じでも同じでなくてもどちらでもよい、と思うのですが。

2009/10/17(土) 午後 8:05[?] 】 

       

自閉症、アスペルガー症候群というのは、障害で疾病だ。      これは、分かるね。

ガン患者の研究のために、色々なガン患者を集める。その中に、イボ痔の患者が「私もガンだ」とむりやり入り込む。

        

ところが、ある医者が「この人のガンこそ、本当のガンだ。このガンをすべてのガンのサンプルとしよう」と言い、

イボ痔の患者の話を、ガン患者の話として広める。

もし、私がガン患者だったら、本当に困る。それで、ガン治療が進歩するなら良いが、そいつは、イボ痔だ。

          

「ニキ・リンコ」「泉流星」「浅見淳子」が同一人物で、何が不都合か。

一人は、カナー型様の行動様式を取りながら、翻訳家であり、結婚までして、旅行する時は「良い嫁」が出来る。

一人は、アスペルガー症候群の症状で、やはり翻訳家であり、結婚し、ノンフィクションライター。

一人は、定型発達で、出版社代表者で、やはり翻訳家であり、結婚し、発達障害の書籍を出版し、発達障害の私を告訴する。

       

「娯楽映画」「エンターテイメント」なら許されるのかもしれないが、

患者の立場としては、医学的な過ちを広められると、大変不都合。自閉症の子供達には、大迷惑だ。

   

しかし、大多数の、自称・自閉症の人たちには、全く関係の無い話。 

これは、医学、疾病、患者関係者の話だ。

2009-10-19 07:54:34

セントラルコーヘレンス (復元記事)

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

2004年にトニー・アトウッドが来日した。彼の講演は、アスペルガー症候群の子供達(ある程度の成人含む)に、対して、教育を施す時、どの様に接する事が、効果的かを、実例に基づいて講演した。アスペルガー症候群の原因については、一切触れずに、実際面に重きを置いての講演だった。しかし、後半は、「セントラルコーヘレンス」の障害から来る、アスペルガー症候群独特の、行動様式について語り、如何に、「セントラルコーヘレンス」の障害について、理解が必要か説いていた。


ところが、その主題がカタカナ英語だったので、私は話が進まないうちに質問した。

(私)「すみません。ちょっと分からないのですが、セントラルコーヘレンスとは、日本語で言うとどういう意味ですか?」

(主催者:服巻智子)「私どもでは分からないので、本日お医者さんもいらしているので・・先生分かりませんか?」

(医者)「・・えーー、・・・うーーん、なんと言えばいいか・・」

(私)「ゲシュタルト性の様な物ですか?」

(医者)「それとは使い道が違うけど、・・そのー」

(私)「・・ああ、分かりました。どうも」(時間が無いので自ら話を打ち切る)

(主催者)「よろしいですか。それではお願いします」


この主催者は、わざわざトニー・アトウッドをオーストラリアから呼んで、もう全国数カ所で講演を終え、最後のこの講演まで、「セントラルコーヘレンス」の意味を分からずに、平気で講演を開き続けていた。

どういう神経なんだろう。それより、疑問を持たないのか?

しかし、彼女はアスペルガー症候群の子供を集めては、どの様に他人と接すれば良いかを説き、時にはカミングアウトを勧める。幻覚を見る、藤家寛子や、ニキ・リンコ、泉流星をアスペルガー症候群のお手本とする人だ。


私は、NHK教育テレビ上で放映された、中学生でカミングアウトした、彼女の教え子について、彼が、高校生になった今、その結果を公表する義務があるのでは無いか、と問い合わせたところ、

「私の所は、小中学生だけで、高校生は関係ありません」と回答が来た。

人生の中の、一時期教育に携わるだけだから、大人になったら関係無い、なんて、教育者と呼べるのかね。

しかし、ニキ・リンコや、藤家寛子の話は聞いて、子供達にフィードバックするんだろ?

まあ、確かに、結果をフィードバックせず、臭い物に蓋をするのは、教育者として、もっとも必要な才能かもしれないな。   さすが、教育者。


【この主催者、大人は関係ないと回答したのに、数年前から、成人を受け入れ、「発達障害」全般に精通しているそうだ。  今年も、トニー・アトウッドが来るらしい(もう来てるか?)。講演に参加する人は、「セントラルコーヘレンス」が今どうなったか。聞いてきて下さい。今では、「知ってて当然」という様な顔で、講演を取り仕切っているんだろうな。さらに、2004年の講演記録も出来上がったと言っていたが、果たして私の発言は載っているか。載る訳無いよな。まあそんなもんだ。】


2007/9/1(土)のブログ    復元記事

2009-10-18 09:12:49

病的な繰り返し (復元記事)

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

引き出し騒ぎは、毎日の事である。妻は、いい加減にしなさい。と言うが、いい加減にならないから、しょうがない。自分でも、この繰り返しは病的だなぁと思う。会社(客先)では、こうではない。緊張しているし、人目も在るから、事前によく考えて、「・・・は、ここ」とあたりを付けてから、一気にそこに突進する。その分、客先では消耗し、疲れが中々取れない。我が家では、そこ迄疲れないが、その代わり、毎日引き出し騒ぎである。何でかね。これは、何か記憶の領分と、行動に繋がる部分(多分これも、中枢性の統合の領域と思う)に、障害があるからなんだろうね。しかし、当然同じ事は、定型発達の人にも見られる事だし、同様も行動を見つける事が出来るだろう。要は、その頻度である。そして、知能とのアンバランスさである。この事で、自分も「アスペだ」と自己判断をしない様に。発達障害って、綺麗に言っても、やっぱり私の様に「片輪」なのだから。


【私は現在裁判を抱えている。これは、今後シリアルに続くそうだ。

 裁判の情報は、私よりも早く、2ちゃんねるに情報が流れる。興味がある人は、こちらから情報を取って下さい。


【日本語が通じない】Chipこと山岸徹【ダボ】


新・ASサイト総合スレ 3サイト目


関連スレ

【日本語が通じない】Chipこと山岸徹【ダボ】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/mental/1249473535/
【日本語を知らない】Chipこと山岸徹2
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/mental/1255347998/
【日本語通じない】Chipヲチスレ【であーる】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/mental/1255350529/
新・ASサイト総合スレ 3サイト目
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/mental/1248426528/  


http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/mental/1255363566/


2007/3/24(土)のブログ    復元記事

2009-10-17 08:34:23

異次元への入り口 (復元記事)

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

部屋が散らかると、片付けなければいけない。片付けるには、引き出しが便利。機能別に分類し、きちんと整理さえすれば、間違いない。筈なのだが、私の行動には、ある特徴がある。必要な物が欲しいとき、引き出しを開ける。無い。次を開ける。無い。次も開ける。無い。また次も開ける。無い。結局すべての引き出しを開けて、やっと最後の引き出しで見つかる。これが、毎日繰り返される。後で考えると、何所に入っているか分かっている。にも関わらず、普段、さっと引き出しを開けると、無い。無いから、次を開ける。次も無いから、その次を開ける。これを毎日繰り返している。本当に、ミスターマリックも真っ青の、究極のマジックだ。分かっている物なら、未だいい。確か、あの辺に入っているはず、と言う物は大変。「メモで分類したかな」無い。「文房具の分類かな」無い。「仕事関連資料に入れたかな」無い。「用紙か?」無い。「雑貨で入れたか」無い。「工具だっけ」無い。結局、すべての引き出しを開けたが無い。これは、間違いなく我が家の引き出しが、異次元に繋がっていて、異次元に消えたのだ。何故なら、全く関係ないときに、突然、考えもしなかった所から出てくる。きっと、異次元から帰ってきたのだ。間違いない。


【人の思考について、良く頭の中の引き出しが例えられる。これは、「概念」について語っているんだ。つまり、「ヒト」であれば、中枢性の統合が完備しているので、「概念化」と一緒に生活している。だから、思考もそれぞれの固まり、つまり「引き出し」の中に入っている。という事だ。ところが、自閉症は、中枢性の統合に問題があるから、物事を「概念化」出来ない。小学5年生にもなれば、大人に近づき、「概念化」の能力が備わってくる。それを、より発展、教育する項目が、感想文作りだ。ところが、物事を「概念化」出来ないと、自分の「気持ち」もドコに属しているのか、明確に出来ない。これは、SAMの欠陥と相互に関係し合い、結局感想文を書けない。引き出しに物を仕舞っても、概念化が出来無いのに、無理に分類して仕舞うから、後から、自分が何に分類したのか分からなくなるのだ。SAMの欠陥があっても、52年も自分と付き合っているから、知能の部分を使って、少しは分かるんだな。】


2007/3/24(土)のブログ    復元記事

2009-10-16 08:21:43

単語 タンゴ その意味 (復元記事)

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

これは、後々書こうと思っている「セントラルコヒーレンスの障害」に由来している。(驚くべき事に、このセントラルコヒーレンスを理解している、療育関係者は皆無と考えて良いようだ。)私達は、生まれてこの方、言葉を得てその言葉の意味を得る。言葉の意味は、その言葉を指して、大多数がほぼ同じ意味に理解すれば成立する。此所がミソ。定型発達であれば、相手の気持ちを(無意識下で)汲み、この「表現」が自分の意図したモノと近ければ、(無意識下)で、多数が使用している言葉に、変更する。だから、あるグループ下で、「アスペ」と使っているのを知れば、自分もその仲間に入る意志を示す意味でも、自動的に、無意識下で、「アスペ」という呼び方に変え、よりそのグループと一体感を求める。この事からも、好んで「アスペ」と呼称する人は、定型発達の可能性が高い。しかし、アスペルガー症候群の場合「字義通りに受け取る」と言う特性を持つ。これが、日常の言葉の使い方にも現れる。だから、「アスペルガー症候群」を伝えるとき、「アスペ」では意味を為さなくなってしまう。だからこそ、アスペルガー症候群は、決して「アスペ」では、あり得ないのだ。そして、「単語」と書くと、つい「タンゴ」を思い出し、感じが踊り出すようで、一人含み笑いしてしまうのである。  わかんねーだろーなー。


【この時、なんで単語が、「タンゴ」になってしまったのか、今となってはさっぱり分からないが、とにかく、この時は、自分で可笑しくて可笑しくて、含み笑いをしながら、書いていたことを憶えている。自分で書いていて、後になってよく分からない事は、良くある。何なんだろう。しかし、セントラルコヒーレンスが全く認知されていないのは本当の話。】


2007/1/15(月)のブログ    復元記事

2009-10-15 07:36:21

統合失調症 (復元記事)

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

「ニキ・リンコ」と「泉流星」の顔良く見比べて、さらに花風社に電話すると、モロ「泉流星」の声の人が電話に出る。(運が良ければ)  生まれつき、中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)に障害があるのが、「自閉症」、定形発達の人の統合が壊れると、「統合失調症」。妻は、私と全く違うアプローチで、「自閉症」を考えていて、その課程で「統合失調症」に興味を持ち、しつこく「当事者の手記」やその様子を勉強していた。自分の考えを纏める為に、私にも話を聞かせるので、私も少しは「統合失調症」の事が、分かってきた。しかし、医学生では無いから、「統合失調症」を目の当たりに見た事は無かったが、現実に、「統合失調症」の、それも陽性症状の人を、目の前で見てから、ずいぶん色々な事を知った。「自閉症」の場合、統合の度合いは生まれつきで、統合の強さが変化する事は無い。だから、森口奈緒美の主張を見ても、一貫している。「統合が壊れてきた人」の場合、どうも、感情と統合の具合が、相互作用している様で、主張が変動する。以前は、「話の腰を折る」為に、敢えて話題の変更、主題を逸らして居るのかと考えていたが、実は、自分で制御できない様だ。そう言えば、仕事の現場で、装置を納品した後に、クレームが発生し、応援に行った事がある。担当者は、面談中にクレームを入れるのだが、それに対応策を述べると、話している端から、クレーム内容が変わる。新しいクレームが、次から次へ生まれてくる様だった。この時は、言葉で言い表せない、恐ろしさを感じた。こちらの主張をしながら、何とか相手を納得させるのに、苦労した。クレームの対処に苦労したのではない。その人の対処にくろうしたのだ。そして、何故か自閉症関連の書き込みは、生まれつき統合が壊れている(つまり自閉症)では無く、定形発達だが、統合が壊れ始めている人が、多い事に気が付いた。一体何処でそうなるのだろう。誰か、片っ端から「誤診」しているのだろうか。それとも、自分から飛び込んで来て「自称自閉症」になりたがって居るのだろうか。


【統合失調症の人が、「アスペと診断を受けた」と考えると、頭の中で本当に診断を受けた事になってしまう。だから、そう望んでいる人に、「違う」と言っても全く通じない。何故「アスペ」に成りたいのかは、知らない。余程良いものらしい。しかし、花風社が、幻覚を見る「藤家寛子」を自閉症の代表として、売り出していたり、後に「統合失調症」であることを、ブログで告白した、ロザモンドを、自閉症カンファレンスに、当事者代表として推薦する人物が居たり、どうしても、統合失調症を、アスペルガー症候群、自閉症に組み込みたいと言う、グループが存在する様だ。そんな人達は、昔から居たのか、英米の自閉症の研究者達は、何度も何度も、児童精神病や、分裂病(統合失調症)と自閉症は、異なると、書き表している。しかし、日本では、その声が広まらない。何故自閉症が良いんだろう?統合失調症は、きちんと薬を飲めば、元の定形発達の「ヒト」に戻れるのに。不思議な話だ。】


2009/4/2(木)のブログ    復元記事

2009-10-14 13:26:22

本物と偽物 その概念 (復元記事)

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

その概念が良く分からない、と言うのは正解。【私が、本物、偽物と言う概念が分からない、と言うコメントに対しての答え】先ず、「発達障害」と言う、括りで話すと誤りが起きる。私の話す話は、すべて「自閉症」に尽きる。言わばそれは、概念ではなく、判定基準と言うモノである。何故こんな話になるかと言うと、私達自閉症の仲間は、定形発達の人達が、いとも簡単に、「無意識下」で「自動的」に行う「概念化」が出来ないのである。つまり、「概念化」する事が出来ない人間の事を「自閉症」と言う。この様な特徴を、自分自身が持っている事で、今迄の、人生の色々なエピソードに、納得が行く。感想文が書けない、と言うのも「概念化出来ない」からなのだ。それからすると、誰かが言ったように、「その概念が分からない」と言うのは、そのものズバリで、だからこそ、私は「判定基準」を持ち出して、説明するしか術を持たない。ところが、その「判定基準」とは、私と同等の知識を持ち、私と同じ様な経験を持った人にしか、中々伝わらない。即ち、私の文章よりも、「似せ者」が書く、概念のみで書いた文章の方が、定形発達の人間には、分かり易く支持されるのである。わっかるかなー。わっかんねーだろーなー。


【SAMの有無と同時に、この中枢性の統合は、自閉症の重要な2本柱であり、どちらがどの様に作用すると言う訳でなく、相互に、密接に関係し合っているようである。しかし、中枢性の統合の重要性は非常に大きく、最近読み直した本では、ウイングが、もう20年も前から着目していた事が書いてあった。この統合の問題は、「統合失調症」とも関係してくるが、やはり、タンタム(1988)が「分裂病質パーソナリティ傷害との関係についても考察しましたが、しかし、いくつか類似点はあっても、これを自閉的スペクトルに含めるのは正当化されない」と結論付けている。    洋を問わず、自閉症スペクトルの考えに、一般人(統合失調症)まで裾野を広くしようとする人間が居るみたいだが、あくまで、「自閉症スペクトル」は「自閉症」の「スペクトル」状分布について論じているモノで、定形発達の人間にだらだらと繋がるモノではない。 それは、明らかに誤読によるモノで、多くの学者が、繰り返し述べているのだ。】


2006/7/1(土)のブログ    復元記事

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