« BACK | 和田正人 BLOG > 2006年08月 | NEXT »
  ストイックにする理由。
2006年08月31日

僕は自分の事が大好き人間。

自分の事を心から大切にしている。

自らの大切さがわかるからこそ、家族や仲間の大切さもわかる。

結果的に、家族や仲間も大好きだと胸を張って言えるのだ。

僕はそんな、自分や人が好き好き人間。

だが好きと言っても、甘やかす事はあまりしない。

むしろ厳しいと思う。

それは自分に対しても、人に対しても同じこと。

特に自分に対しては、かなりストイックな目線で物事を見ていたりするのだ。

常に自分に対して何かしらの負荷をかけ、乗り越えるための試練を与える。

例えばこのブログがそう。

自分に決め事を作ることで、決めた事を毎日実践するというチャレンジをしているのだ。

やってみると結構大変だったりする。

作家さんが原稿締め切りに毎日追われている感じだ。

暇な時もあれば、忙しい時もある。

楽しい気分の時もあれば、辛い気分の時もある。

書きたいネタがある時もあれば、ネタがない日もある。

いつも簡単にブログが書けている訳でもなかったりするのだ。

まあ、だからこそやりがいがある訳で。

簡単に出来ることってのは、結局誰にでも出来るってこと。

つまりそれは、人並みの努力でしかない訳だ。

楽に書けない日々だからこそ、大きなやりがいがある。

そして、大きなやりがいがあるからこそ、そこには何とも言えない達成感があるのだ。

昔、現役時代によくこんな事を聞かれた。

長距離種目の魅力って何ですか?と…

休むことなく走り続ける日々の達成感…

そして結果を出した時に味わえる、最高の喜びと僕は答えた。

24時間、365日が競技生活の毎日。

そんな意識の中、磨き上げた自分が結果を出せば、その喜びと快楽は尋常ではない。

正直、それと同じものを引退後に感じた事は一度もない。

それくらいのものだ。

僕が自分をストイックにする理由…

もしかしたら、それを味わう為かもしれない。

 
 
 
  男前な行為。
2006年08月30日

舞台やドラマの仕事が正式に決まった時、僕は友達にメールをする。

たくさん送るので一斉送信になるが、いつも案内を送っている。

別に自慢とか頑張ってますアピールではない。

僕の仕事は、世の中の人達にたくさんの夢や感動を与えること…

だから身近な友達にも胸を張って、観てほしいとメールで案内を送っている。

ただそれだけだ。

まっ、おこがましく感じる人もいるだろうが、それはそれで構わないと思っている。

捉え方は人それぞれだから。

デビュー時や駆け出しの頃は、誰もが同じような事をしていたと思う。

売れてからは、多分そんな事してないだろうが…

まあ売れてしまえば、案内なんかわざわざ送る必要がなくなってくるのだろう。

でも僕はこの行為、今後も一応やり続けていくつもりだ。

どれだけ売れても、ずっと続けると思う。

売れっ子スターが自分の出演案内メールを、せこせこ送っている姿…

想像すると、ちょっと男前だと思う。

 
 
 
  待つこと。
2006年08月29日

とにかく待つことが好きではない。

時間を無駄にしたくないのがその理由。

俳優は待つのが仕事と言うが、仕事と割り切れているならそれは全然平気。

待っている時間も、待つという仕事に取り組んでいる訳だから。

それに、他の役者さんの芝居を見ることだって出来る。

自分の使い方次第で、いくらでも有意義な時間になるのだ。

でも遅刻して待たされるのは、時間を奪われた気分になるので、それは少し嫌な気分。

人の時間を奪う権利は誰にもない。

これは人に迷惑をかける行為である。

でもまあ、それでも少し嫌な程度で、これも時間の使い方次第で有効活用は可能。

まだ我慢はできる。

ただ僕にはどーしても好きになれない、待つ行為がある。

それは期待だ。

何かに対して期待する行為…

これが僕は大嫌いなのだ。

期待されるのは大いに結構。

プレッシャーかけられたり、ハードルを上げられるのは、結果を残している成果だから。

それに対しては快く受け止める。

ただし、僕が何かに対して期待するという行為…

これだけは絶対しない。

期待とは、自分が手に入れたい結果を、相手にゆだねている状態などに起こったりする。

そんな時って、決まったように心がワクワクドキドキする。

良い結果のみを想像するからだ。

しかし世の中そんなに甘くはなく、大抵の場合は結果を大きく裏切られる。

そして落ち込む。

もちろん期待通りの結果だった場合もある。

ただ期待すると、どうしても欲しい結果に対してのハードルを上げてしまい、欲しかった結果も少し物足りない気分となってしまう。

良い結果に対しての感謝の気持ちも忘れそうになる。

結局、期待するとあまり良い結果に繋がらなかったりするのだ。

期待してもしなくても、良い結果が出た時の嬉しさは同じもの。

だとすれば、期待するだけ無駄だと思う。

期待という待ちの作業…

待つことが好きじゃない僕は、自ら前に進むことを考える。

良い結果を、自ら得ようと考える。

結果を得るための前に進む作業…

それは、どんな結果も今の自分にとって意味がある。

そんなふうに、どっしり構える事である。

 
 
 
  俳優集団としての在り方。
2006年08月28日

僕が所属する俳優集団D‐BOYS。

昨日それのファンクラブイベントとして行われた、1泊2日のバスツアーに参加してきた。

とても楽しいイベントとなった。

参加したファンの皆さんと共に創り出した、最高に有意義な時間だった。

心から感謝だ。

イベントはファンの皆さんと公式に、直で触れ合える機会。

グループは俳優集団なので、人前に出るほとんどの場合が、何かしらの役柄を背負っていたりする。

なのでバラエティー番組への露出が少ないぶん、イベントはメンバーの素を見れる貴重な機会だったりする訳だ。

まあ素と言っても、やはりファンの皆さんの前に立つ以上、普段よりも高めのテンションで頑張っているつもり。

まあメンバーには、異様にテンションが高いヤツもいれば、びっくりするくらい低いヤツもいたりする訳で…

そこはもしかしたら、高いお金を払って参加しているファンの皆さんを、いかに楽しませるかという個々のプロ意識の差なのかもしれない。

しかし、だからといってテンション高いヤツが一番良いって訳でもない。

やっぱり僕たちは俳優集団。

笑わせたもん勝ちでもなく、盛り上がらせたもん勝ちでもない。

その人の個性や生き方の魅力で勝負する…

それが俳優の良さであると思うのだ。

そんな意識の上で、メンバーはファンの皆さんを一生懸命楽しませようとする。

それぞれの個性を活かし、ファンの皆さんを満足させようとする訳だ。

それでファンの皆さんが満足しなければ、僕らの力不足。

もっともっと個々の魅力を磨いていく必要がある。

そんな取り組み意識で、僕たちはイベントを創り上げているのだが…

たまに僕は、一発芸をやってくださいと言われる事がある。

まあ普段、面白いことを好んでやる性格なので、頼まれても仕方ないと思う。

でも勘違いしてはならないが、僕たちはお笑い芸人さんではない。

何か即興で面白い事をやれと言われても、正直困ってしまうのだ。

笑わせる事はこれからも好んでやるだろう。

だがそれは、あくまでも俳優として役柄を背負っている場合のお話。

普段は出来るだけ、俳優としての素の部分を尊重してあげたいと思うのだ。

楽しませる事は一生懸命する。

それでメシを食っている以上、何よりも一番大切な部分であると思う。

ただ僕たちは、笑わせるプロではない。

俳優の集団なのである。

 
 
 
  世のため人のため。
2006年08月27日

毎年恒例の24時間テレビ。

芸能人が募金を募り、平和を訴える。

とても素晴らしい事だ。

芸能人が持っている、世の中に対する強い影響力。

これを世のため人のために使うのは、まあ言ってしまえば当然のこと。

しかし当然の事を当然にやるってのは、やはりエライ事だと僕は思う。

それに何が本当にエライかって、訴えるからには当然それなりの覚悟も必要な訳で。

例えば、地球温暖化を訴える芸能人が、そこら辺にポイポイゴミを捨てる…

これじゃあ、まったくお話にならないからだ。

人前に立つとはそういう事。

しっかりと決意し、自覚を持った芸能人たちが、堂々と訴えているという訳だ。

カッコイイと思う。

そりゃ人間だから、完璧には出来ない。

神経質になり過ぎてもいけないと思う。

でも0よりは1な訳で。

行動する事が全てだと、僕は思う。

偽善と言う人…

イメージアップ目的と言う人…

いろんな事言う人がいるだろう。

だけど、言いたい奴には言わせておけばいい。

口ばかりの評論家より、実際に行動している人間が何百倍もエライ訳だから。

人前で行動出来ているのは、素晴らしい事なのだ。

僕たちも行動をする。

 
 
 
  撮影を終えて…
2006年08月26日

本日、不信のときの撮影が無事オールアップした。

正直、様々な想いが交差して、今は頭の中がきちんと整理出来ていない感じ。

また後日、時間をおいてお話し出来たらと思う。

ただ一つだけ…

これだけは、今ハッキリ言える事がある。

この作品と、その関係者の方々に出逢えたこと…

これが僕の俳優人生で、最も誇れる出来事になるだろう。

だって、みんな最高に素敵な人達だから…

咲くかどーかもわからない花の種に、ずーっとずーっと諦めずに水をまき続けてくれた人達だから…

必ず立派に咲いてみせようと思う。

 
 
 
  尊敬する人。
2006年08月25日

今日は僕の尊敬する人の話しをちょっとだけ…

その人はいつも笑顔。

その人はいつもパワフル。

その人はとっても料理が得意。

その人はちょっと泣き虫。

その人はいつまでも気分が若者ノリ。

その人はけっこうな寂しがり屋。

その人は変顔を好んでやる。

その人は溝に落ちた小さい僕を、台所の流し台で洗ったりする。

その他諸々…

とっても素敵なものをたくさん持った、僕が尊敬しているスゴイ人。

今日はその人が、人生でとっても頑張った日。

頑張った記念日だ。

 
 
 
  夏の風物詩。
2006年08月24日

夏の全国高校野球が幕を閉じた。

37年振りの決勝戦再試合。

22年振り大会通算本塁打記録更新。

決勝戦平均視聴率21.9%。

今年は記録尽くめの大会となり、甲子園球場は例年以上に白熱した盛り上りを見せていた。

らしい…。

実のところ僕は、決勝戦の試合中継しか観ていないのだ。

乗り遅れてしまったというか、地元高校が早々に負けて観る気が失せたというか。

とにかく盛り上がりのピーク部分しか、今年の高校野球を味わっていないのである。

すごくもったいない気分だ。

言ってしまえば、シェフの出したフルコース料理を、あえてメインしか食ってない感じ。

オードブルもスープも何もかもすっ飛ばして、いきなりのメイン。

料理の良さを100%味わえない行為である。

高校球児という名のシェフに対し、少し申し訳ない気分だ。

さぞかし今年のは美味かったんだろう。

考えるとちょっと悔しい気分だ。

僕はお膳立てを大切にしたい人間。

料理を味わうのも、その前後のメニューの繋がりや場所の雰囲気など、最大限に美味しく味わえる努力をする。

スポーツ観戦でも何でもそうだ。

どうすればより楽しめるか、様々なお膳立てを考える。

その調理人がここまでどんな苦労をして来たのか。

そのドキュメント番組なんかがあれば、すごく楽しめる素材になると思う。

それくらいの準備があって、やっと本物の楽しさは味わえる。

それに、こちら側もシェフの苦労がわかれば、その料理一つ一つに対する想いを感じ取りやすい。

きちんと準備をして食すフルコース料理は、心に残る美味さなのだ。

しかも、それがメイン料理ともなると…

考えるのをやめよう。

想像すると、悔やんで涙が出そうになるだけだ。

でも泣かない。

後悔しても意味がないから。

学びに変えて次に活かす…

ただそれだけだ。

それに僕には涙を流せない理由がある。

どんな理由か、そんなものは決まっている。

僕のポケットには、ハンカチが入っていない。

それが理由だ。

 
 
 
  寂しがり屋。
2006年08月23日

休みの日に、家で一人で過ごすなんていうのは、僕のライフスタイルではまず有り得ないこと。

夕方からでも、必ず友達と会う予定を入れたりする。

友達と予定が合わなくても、一人で行き着けの居酒屋に行き、そこで店員を相手に酒を飲む。

家のテレビ見ながらボーっとするのは、せっかくの時間が無駄に思えたりするのだ。

理由は簡単。

僕が寂しがり屋な性格だから。

いつも人と触れ合っていたい性格だからだ。

どうやら一人で時間を使うより、同じ時間をみんなで分かち合うのが好きみたいだ。

おかげさまで友達はたくさんいる方。

そして、新しい人との出逢いもけっこうある。

いろんな人から、いろんなお話聞けて、とっても勉強になっている。

寂しがり屋って、案外お得な性格だと思う。

 
 
 
  感じる心。
2006年08月22日

世の中には素敵な言葉がたくさんある。

その一つ一つに出逢えた瞬間、心が少し豊かになる言葉。

夢。

感動。

愛。

感謝。

ありがとう。

ごく普通に日常にありふれている、素敵な言葉たち。

語るとちょっとだけ恥ずかしい…

だけど、いつまでも共に歩みたい、大切な大切な言葉たちだ。

しかし、残念な事に僕たちはいつしか、このような素敵な言葉が心に響かなくなっていたりする。

どこに置き忘れてきたのか、素敵なものを素敵と感じられる心を失っていたりする。

これはちょっと悲しい事。

素敵な言葉だと、頭では理解している。

だけど僕たちは、心からそれを素敵に感じる事を、自らやめているように思う。

カッコ悪いのか、恥ずかしいのか、変に見られるのが嫌なのか、それはよくわからない。

とにかく、自ら遠ざけているようだ。

なのに僕たちは、必死になってそのメッセージを誰かに伝えようとする。

作品を通して、人に感動してもらおうと、人に夢を与えようと、人に愛を与えようと、必死に伝えようとする。

感じる心が、こんなにも貧しかったりするのにだ。

僕たちは俳優。

人に夢や愛や感動を与えるのが仕事である。

なので責任を持って、己の心を磨く必要がある。

手は抜けない。

 
 
 
  片付ける。
2006年08月21日

昔は片付けが苦手だった。

部屋の片付けも食器の片付けも、とりあえずは他人任せ。

散らかってても気にしない、おおざっぱな性格だった。

O型だからとか、そんなことはよくわからない。

とにかく掃除とか片付けが、本当に面倒臭かった。

ところが数年後、いつだったかは忘れた。

部屋をキレイにすることの快感を覚えてしまったのだ。

身の回りが整っていると、すこぶる気分が良い。

普段の生活が、一段と素敵なものへ移り変わった瞬間だった。

それからは、部屋をキレイに保つ習慣というものが身についた。

掃除をすると、メンタル面の調子がいい自分に出会える。

スッキリした気分で、まさに絶好調な自分にだ。

これはちょっとした、新しい法則を発見した気分。

しかもこいつは、他への応用も可能な法則だ。

ずっと前から飲もうと言っておきながら、いまだ実現出来てない友達との約束。

コイツを片付ける。

途中まで読んでは、新しく増えていく読みかけの本。

コイツを片付ける。

始めようと思っていたけど、まだ行動に移せていないダイエット。

コイツを片付ける。

友達にずっと借りたままで、まだ返せていない物。

コイツを片付ける。

もうすぐ提出日なのに、まだ終わらせていない宿題やレポート。

コイツを片付ける。

まだまだ探せばいくらでもあるはず。

そこまで重要ではないけれど、やってみると気分が優れるであろう事柄。

実は上手に生きる為には、最も重要な事だったりする。

このコツ、掴んでしまえば絶好調な自分をキープできる裏技である。

日常ある面倒臭いと思う気持ち…

だがその先には必ず、自分をいい感じにさせてくれる、ご褒美が待っている。

ちょっと面白い、自分だけの法則である。

 
 
 
  言葉の力。
2006年08月20日

言霊という言葉を時々耳にする。

ことだま…

言葉に宿っているといわれる、霊的な力のこと。

声に出した言葉が、現実に何かしらの影響を与えるのだ。

なので良い言葉を発すると良いことが起こり、またその逆もある。

ちょっとスピリチュアルな感じで、ピンとこないかもしれない。

でも実際、それはあると僕は思う。

言葉の力の凄さを、実際に肌で感じた一人だから、そう言えるのだ。

少しだけお話する。

僕は約1年半前、『ミュージカルテニスの王子様』で俳優デビューをした。

もちろん、厳しいオーディションを勝ち抜いて選ばれた役だ。

受かった時は、嬉しい気持ちが心の底から込み上げてくるのは当然のこと。

しかし、僕にはそれがなかった。

その時行われたオーディションというのは、主人公が所属する味方チームと、その相手となる敵チームを決めるものだった。

ミュージカルは味方チームを中心にストーリーが進み、毎公演ごとに新たな敵チームが現れていくというもの。

なので味方チームに入れば、しばらくはそのミュージカルのレギュラーとして出演が出来る。

逆を返せば、敵チームはその公演一回きり。

当然、僕は味方チームの一員になることを願っていた。

しかし結果は敵チームの一員で合格。

ミュージカルに受かった事はとても嬉しいこと。

しかし理想とは言えない結果にもどかしさがあり、心の底から素直に喜べなかったのだ。

少しの間、色々と考え込んだ時期もあった。

でも結局は、どちらも与えられたチャンスには変わりない。

僕はその一回限りの公演を、心から存分に楽しんでやろうと思うようになった。

僕が演じる事になった役柄は、ちょっと風変わりなキャラクター。

口癖が、

「ラッキー!」

「絶好調!」

などなど…

とにかく無駄に前向きな男である。

とてもじゃないが、落ち込んだままのテンションで出来る役ではない。

僕はそんな彼の、とことん前に向かっていく姿勢に引っ張られ、とにかく頑張って稽古をした。

その前向きなエネルギーを最大限に表現出来るよう、台詞も何度も繰り返し練習した。

「ラッキー!」

「絶好調!」

ポジティブな台詞を連呼した。

しばらくして公演がスタートし、大盛況のうちに僕の初舞台は幕を降ろした。

満足感でいっぱいだった。

やり残した事はないと、自分で自分にそう言えた。

ところが、幕を閉じたかに思えたミュージカルだったが、ないはずの次の公演の出演が決まった。

すごく嬉しかった。

また、あの無駄に前向きな彼を演じられると思ったら、楽しい気分になった。

「ラッキー!」

「絶好調!」

その公演も無事に終わることが出来た。

2度もミュージカルに出演できてラッキーだと思った。

するとしばらくしたら、また次の公演の出演が決まった。

なんかツイてるなーと思った。

また、無駄に前向きな彼を演じられる。

「ラッキー!」

「絶好調!」

その公演も、また大盛況のうちに終わることが出来た。

すると、またまた次の公演も出演が決定した。

まさに運が運ばれている感じだ。

「ラッキー!」

「絶好調!」

本当に楽しかった。

結局、一度きりの出演のつもりが、味方チームのメンバーがミュージカルを卒業する直前まで、一緒に出演させて頂くことが出来たのだ。

これって、当初願っていた事が実現された訳だ。

僕にとって、このミュージカルを通して得たものは計り知れない。

彼と共に、前向きな言葉を連呼し、前向きなエネルギーをいっぱい送る事ができたのだから。

本当に感謝しているし、本当に運が良かったと思う。

彼が連呼する無駄に前向きな言葉…

「ラッキー!」

「絶好調!」

もしかしたら、その言葉が言霊となって、僕自身にツキを回してくれたのかもしれない。

そう思うとなんだか嬉しい気分になるのだ。

ありがとう。

僕は心から彼に感謝をする。

 
 
 
  影響力。
2006年08月19日

自分の周りにも、必ず一人はいると思う。

一声かければ、たくさんの仲間が集まったり動いたりする、影響力の強い人。

その規模は様々。

地元レベルだったり、少し広がって地域レベルだったり。

最終的なところまでいけば世界規模。

まあ一言で言えば、スゴい人だ。

こういう人達は、自らが影響力を持っているという自覚がある。

周りの仲間を、きちんと導いていくという信念がある。

だから次々に人が集まっていく。

いわゆる人気者だ。

ただ影響力はあっても自覚の足らない人もいる。

これはすごくタチが悪い。

人を導く自覚がないので、自分の好き勝手に周りを振り回したりする。

更には周りを、良くない方に導こうともする。

しかも本人は、良くない方に導いているという自覚すらなかったりする。

小さい規模でまとまってボス気取りを楽しむ人…

要するに、器の少し小さい人だ。

まあそれを指摘しても仕方ないし、その人の生き方にケチをつける気も、さらさらない。

ただ影響力がある以上は、発言や行動に人一倍責任を持って頂きたいと思う。

その人が自分にとって、尊敬する大きな人であれば尚更だ。

僕は人前に立っている以上、少なからず何かしらの影響を与えている人間。

与えている以上は、影響を受けている人達をしっかりと導いていくつもりだ。

それくらいの責任を持って、人生に取り組んでいる自覚はある。

 
 
 
  おまじない。
2006年08月18日

人生はジェットコースター。

気分は常に、上がったり下がったり。

気分が下がるのは誰もが嫌なもの。

しかし上がりっぱなしの人生なんて、そんな都合良いものは存在しない。

それにそんな人生は面白くない。

下がることも、人生の試練として快く受け止めてみる。

とは言え、人間はか弱い生き物。

気分が下がった時に、それを前向きに上げていくなんて、簡単にはいかない。

そんな時、僕はいつもこんなおまじないをする。

気分がどん底まで落ち込んだ時こそ、必ずやるおまじない…

両手を合わせ、

「今が一番幸せです。ありがとうございます」

と唱える。

とってもツライ時に、今が一番幸せと言う。

これがみそなのだ。

すごくツライのにそんな事言っちゃってる自分に、ちょっとだけ笑いが込み上げる。

僕が神様だったら、そんなツライやつがそんな面白いこと言ってたら、じゃあホントに幸せ与えてやろうかなって思う。

多分、本物の神様も同じ。

そんな事言える人には、幸せを与えてくれると思う。

僕は今とても幸せだ。

当たり前のようにある、自分の周りのもの全てに感謝をする。

おまじないを唱えると、今の自分が持っている当たり前の幸せを、冷静になって感じられるのだ。

 
 
 
  成功から学ぶ。
2006年08月17日

人は失敗したら反省をする。

しかし反省ではなく、そこから学ぶことが大切だと僕は言った。

今日はその続き。

反省も学びも、結局は同じ痛みを繰り返し味わいたくないからすることである。

それは当然のこと。

猿だって火が危険なものだと知れば、それ以上近付こうとはしない。

危険を回避しようとする動物的本能が、そうさせているのだろう。

生きていく上で大切な事だと思う。

しかし人間は、猿より賢い生き物。

ただ「生きていく上で」を考えていてはダメだと思う。

僕たちは「より良く生きていく上で」を考える必要がある。

より良く生きていく上で考えること…

それは、成功からも学ぶことだと僕は思う。

人は良かったことを「ああ良かった」のまま、意外と簡単に終わらしがちなもの。

でも失敗に原因があるように、成功にも必ず原因があるのだ。

成功した原因がわかれば、次に成功を創り出すための大きな武器になる。

武器があれば、世間の荒れ狂う波にも、自信を持って立ち向かう事ができる。

失敗から学ぶ事は大切なこと…

しかしそれ以上に、成功から学ぶ事の方がもっと大切だと僕は思う。

人生にたまたまはない。

原因があるから結果がある…

うまくいった原因探しって、なんだかとてもワクワクする。

 
 
 
  反省を学ぶ。
2006年08月16日

人生は良い事ばかりではない。

当然嫌な事だってある。

まさに水戸黄門のテーマソング「人生楽ありゃ苦もあるさ」である。

大体の場合ツライ事があると、次に同じ事を避ける為に反省をする。

何がいけなかったか、どこがいけなかったかと…

これってちょっとした自分いじめ。

次に活かす為の反省なのに、何故だか更に嫌な気分になる。

これって多分、反省なんていらないと言う意味。

自分のいけない所を探す反省ごっこは、必要ないと言う意味だと僕は思う。

では何が必要なのか?

それは失敗から学ぶことだ。

自分をいじめる必要はない。

失敗があっても、それを学びという自分の人生経験の足しにすればいい。

同じ事のようだが、気持ちの向きが全然違ってくる。

結果的にポジティブに受け取ったという事だ。

ストイックとネガティブは、まったくの別物。

大切なのは、誰よりも自分を愛する気持ちだ。

簡単なようで、これがとっても難しい作業だったりする…

 
 
 
  憧れの姿に近づく。
2006年08月15日

本来持っている自分らしさと、将来なりたい憧れの姿は、必ずしも同じものとは限らない。

人間はないものねだりする生き物。

憧れの将来像とは、むしろ自分が持ってない要素が必要な姿だったりする。

自分らしさとは、人に多大な影響力を与える、自分だけが持っている武器だ。

それを使わないで生きる事は、まさに翼を使わない鳥のようなもの。

それでも憧れに近づきたいが故に、結局人は形ばかりを真似ようとする。

ハッキリ言ってそれは無意味。

中身が伴っていない偽りの姿に、人は違和感を感じるから。

姿形はあくまで、結果的にそう表現されたもの。

言動も全て、結果的にそうしているだけだ。

真似はあくまで真似。

大事なのは、そう表現する事に至るまでのプロセス。

僕は憧れの姿に至るまでの、プロセスを大事に考える。

自分らしさという武器を最大限に活かしながらも、憧れの姿に近づく方法を考える。

まあこれはあくまで方法論のお話。

俳優として大事なことは、もっと違う別の事である。

 
 
 
  有言実行。
2006年08月14日

今までの僕は、どちらかと言えば不言実行タイプ。

何を考えているかわからなかったけど、いつの間にか出来ていた…

そんな風に「いつの間にか出来ている」ってのがカッコイイと思っていた。

それは今でも同じ。

黙々と仕事をこなす職人みたいな雰囲気は、男としては憧れる姿なのだ。

しかし、何も言わないでやると言う事は、そこに逃げ道もあると言うこと。

言っといてやらなければ、嘘つきになる。

しかし言わなければ、やらなくても嘘つきにはならない。

僕は成長欲が強い人間。

常に自分に、新しい課題を与えていくのが趣味である。

言った事は必ずやる。

有言実行が僕の新しい、自分への枷である。

さっそくマネージャーに言ってみた。

ブログを毎日更新すると…

これでもう逃げ道はなくなった。

 
 
 
  好きじゃない理由。
2006年08月13日

僕はメールでのやり取りがあまり好きではない。

と言うより、ただ単純に面倒くさい。

電話で直接やり取りした方が、手っ取り早いし楽チンに決まってるからだ。

まっ、好きじゃない理由はそれだけじゃないが…

世の中、新しい物が次々と生まれ、便利な物に溢れ、本当に豊かになっていると思う。

ただ、便利な世の中が故に、大切な事を見失いがちになっているのも事実。

ここでお話しするのはEメール。

これのおかげで、情報のやり取りがいつでも気軽に出来るようになった。

非常に便利だと思う。

しかし何でもかんでもメールに頼るのも、それはそれでどーかと思う。

相手に気軽に連絡出来るのがメールの便利さ。

だが逆を返せば、相手に伝わる印象も少し軽い。

僕は人と連絡を取るなら、メールより電話をする。

電話を貰った方が、受け取る側も相手の気持ちが伝わりやすいから。

便利とは、人が楽をしたい気持ちから生まれたもの。

いかに楽をするかという気持ちが、世の中に便利な物をたくさん生み出した。

しかし便利にばかり頼り過ぎると、物事の本質も見失うこともある。

メールは便利だが、本来あるべきはずの人との会話を楽しむ事を忘れがちになりそうだ。

相手の生きた表情、声、動き、全てを感じ取りながら、僕は人とのやり取りを楽しみたいと思う。

なのでメールよりは電話…

電話よりは、直接会ってお話しするのが好きなのだ。

寂しがり屋の僕だからこそ、感じてしまう事である。

関係ないかもしれないが、僕が舞台を大切にするのは、そんな性格だからかもしれない。

 
 
 
  波に乗る
2006年08月12日

最近サーフィンを始めた。

昔はサーフィンみたいなチャラチャラしたイメージのものが大嫌いだった。

しかしやってみると意外にハマる。

と言うより、海の雰囲気そのものにのめり込んでしまった感じ。

食わず嫌いは良くないと、改めて気付かされた気分だ。

サーフィンとは、沖から発生する波に、板を使ってタイミングよく乗って楽しむマリンスポーツだ。

波に乗ってるサーファーの姿は華やかでカッコイイ。

だがそんな派手な部分は一瞬で、ほとんどはパドリングで沖に出たり、波待ちしたりの地味な作業。

パドリングとはクロールのように、自ら水をかいて前に進む作業で、これが本当にキツイ。

押し寄せる波をかいくぐって前に進む訳だから、腕がかなり疲れてくる。

大波にはじかれて海の藻屑となる事もしばしば。

このような地味な作業を繰り返し、やっとの思いで沖に出られる。

そこから波を待つ訳だが、意外とこれが気長な作業。

こない時は数分待ってもまったくこない。

海の上でプカプカじーっと待つ…

海面がうねってくる。

波が来そうな気配を感じる。

やっと波がくる。

待ちに待ったチャンス!

他のサーファーも同じ波に乗ろうと試みる。

一つの波にたくさんのサーファーが乗るのは危険なので、乗れる数も限られる。

なので一番良いポジションで、予め待っておく必要がある。

波に乗る為には、様々なタイミングを見計らって、チャンスをしっかりものにしなければいけない。

それでやっと波に乗る事が出来る訳だ。

人生もしかり。

仕事でも、波に乗るチャンスを得る為には、様々な準備が必要となる。

それもやはり地味な作業だったりする。

しかしそれを怠らず、準備をしっかりした者こそチャンスという波を、見事にキャッチする事が出来る。

最高の波に乗れるのだ。

きたるべきチャンスをものにするには、まず人生の大海原に向けてのパドリングが必要な訳だ。

仕事も遊びも、しっかり準備した者が、おいしい気分を味わえる。

世の中の仕組みは実に簡単だと思う。

とは言うものの、僕はまだまだ準備の足りないビギナーサーファー。

波に乗った事はまだ一度もない。

海でも丘でも、波に乗るって難しいもんだ。

…まっ、絶対乗ってやるけど。

 
 
 
  不信のとき
2006年08月11日

OAもとうとう半分が終えた。

マラソンで言うなら、ちょうど折り返し地点を過ぎた辺り。

ここから後半戦に差し掛かる。

個々の動きが非常に気になってくるところだ。

夫の子供を身ごもり、更には書道家としても成功を収め、主婦としても女としても、充実した生活を送る道子選手がこのまま逃げ切るのか?

それとも浅井の妻が道子であり、更には妊娠していることまでが発覚し、許せない気持ちいっぱいのマチ子選手が、後半に怒涛の追い上げを見せるのか?

非常に楽しみな展開だ。

その他の選手の動きにも注目してみる。

道子のそばで、常に励ましの声をかけ続けて伴走する近藤選手。

2人の間を行き来しながら、せっせとその役割をまっとうし、忙しく走る浅井選手。

そんなやり取りを少し離れた所から、鋭い目つきで集団の様子を伺う和子選手。

そんな集団からは、ずいぶん後方の位置でひたすらマイペースにゴールを目指す小柳選手と、その横をただ黙々とひた走るマユミ選手。

それぞれがそれぞれの思惑を持ち、それぞれのゴールを目指してひた走る。

そしてマチ子の弟、俊也選手はと言うと…

姉の心配をよそにあっち行ったりこっち行ったりと、まったく落ち着きがない様子。

何かを企んでいたりするのか…

まあそれはお楽しみにと言うことにしておく。

人生の駆け引きも、マラソンでの駆け引きも結局は似たようなもの。

互いの様子を探りながらの心理戦だ。

駆け引きを制した者がレースを制す。

勝負とはそう言うものだ。

僕は元ランナー。

勝負事の駆け引きには少々自信がある。

勝負師の血が騒いだりする。

そんな勝負師である以上、人生での駆け引きも僕は確実にものにする。

元ランナーの意地である。

現役時代、僕の好きな言葉にこんなものがあった。

「人生はマラソンと言う一つのドラマである」

上手く言ったものだ。

出来ることなら、僕の人生のドラマに、ドロドロした不信なものはあってほしくない。

駆け引きが難しそうだ…

 
 
 
  自意識。
2006年08月10日

僕は常に身を軽くしておきたい人間。

出掛ける時も、荷物は出来るだけ少なめがよい。

いつでもどこでもフットワークを軽くしておくのが、僕のベストな状態なのだ。

それはメンタル面でも同じこと。

いらないと思う考え方や捉え方、観念のようなものは、おもいきって捨てるようにしている。

最近また、おもいきって捨てたものが一つある。

自意識だ。

他人からどう見られているかを意識するもの。

俳優なので気にしなければいけないようで、実はあまり必要なかったりする。

僕の場合は…だ。

芝居の出来がどうであったか?とか…

周りからの自分の評判はどうか?とか…

気にすればする程、妙な不安が膨らむだけだ。

人に答えを求めても、結局はそこに正解はない。

感じる事なんて人それぞれだからだ。

何が正解で何が間違いか、決めるのは他人ではない。

自分だ。

とにかく自信を持って、おもいっきりやってみる。

周りの評価は気にせず、おもいっきりやってみるのだ。

そうする事で、初めて自分が創り出すオリジナルのものが生まれてくる。

僕が人に見せたい姿とは、そういう自分らしさだ。

簡単に言えば、小さい事を気にするあまり、大きな事が出来なくなるのがもったいないだけ。

それに楽しいはずの芝居を、そんな事を意識するあまり窮屈なものにはしたくない。

自意識を捨ててみたのは、そんな理由。