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  器用貧乏。
2006年09月30日

この言葉、ハッキリ言って嫌いである。

意味がわからない。

器用が故に、一つの事に徹する事が出来ず、大成できないって意味なんだろうが。

そんなもんは、心の弱いヤツだけに当てはめればいい。

器用なのはとても立派なこと。

様々な事をこなせる才能を持ってる訳だから。

天からの授かり物を否定するのは、おかしいと思う。

それに器用でも大成するヤツは、世の中たくさんいる。

要するに器用貧乏とされる人の多くが、物事の要所を押さえ切れてないだけのこと。

大切なのは、必ずやると決めるか決めないか…

その決意だけの問題である。

僕はハッキリ言って器用人間。

ある程度の事はすぐにこなせる自信がある。

それに加えて、やると決めたらトコトンやる性分の持ち主。

考えまくって研究して、一日の大半の時間をそこにつぎ込んでしまう。

なので、本気で何かに取り組む事の大変さを、嫌と言うほど知っているのだ。

新しい事も簡単には始められない。

本気で始めたら、とても大変な思いをするからだ。

大変さをわかっているだけに、やると決めるまでに時間を要する訳である。

本気で何かを始めるのは、それだけの覚悟が必要なのだ。

中途半端は出来ない。

その代わり、やると決めればトコトンやる。

そして必ず形にする自信がある。

器用さだけに奢らず、トコトンやり続けるという努力の味を知っているからだ。

なので、世の中で一般的に言われている器用貧乏という言葉…

僕には縁のない言葉なのである。

 
 
 
  整理する時間。
2006年09月29日

頭の中を整理する時間。

僕はこの時間を非常に大切にする。

仕事や友達との時間に取り組んでいる時は、どうしても目の前の出来事にだけ意識が向く。

目の前の出来事に集中するのは、その時間をフルにエンジョイする為には、とても大切なこと。

ただ一度そこから離れて色々考えると、今の自分がどんな状態か見えてきたりもするのだ。

その行為を僕は、自分の頭の中を整理する時間としている。

では具体的に何をするのか。

僕は一人で落ち着く時間を作るようにする。

例えば温泉に行ったり、カウンターのある落ち着いたBARに行ったりだ。

人間だったら悩む事や落ち込む事は必ずある。

ただその悩みや落ち込みも、結局はあまりたいした事でもなかったりする。

そのたいした事ではなかったって事に、気付くか気付かないかが大切な訳で。

そこに気付くためにも、このように落ち着いてくつろぐ時間を大切にしているのである。

積極的にこのような時間を作ってみる事って、実は人生を上手く生きるコツだったりするかもしれないのだ。

ロマンスカーに乗り、何もかもを忘れて温泉でくつろぐだけの一日。

都会の空気に揉まれすぎた僕には、最高の休息である。

 
 
 
  柔軟に生きる。
2006年09月28日

電車に乗っていたら向かい側に、2人のお婆さんが座っていた。

1人は優しそうなお婆さん。

もう1人は頑固そうなお婆さん。

僕が座ったらすぐに頑固そうなお婆さんが、優しそうなお婆さんに何かを話し始めた。

どうやら頑固そうなお婆さんは耳が遠かったらしい。

コソコソ話しがコソコソしてないくらい、声のボリュームが大なのだ。

普通にしてても丸聞こえである。

内容はこうだ。

「最近の若い子は、何であんな穴があいてボロボロのズボンを履くんだろうねぇ。私なんかみっともなくて履けないわよ。」

そんな感じの内容だった。

明らかに僕に対しての発言である。

その時の僕のデニムパンツがそうだったからだ。

まあ別にいい。

実家に帰ったら、ウチの婆ちゃんも同じような事をよく言うから。

古い考え方なのだろう。

次に頑固そうなお婆さん、自分の孫娘の服装について語り始めた。

「ウチの○○も、胸が見えるくらい肌が出た服を着るのよ。そんなの着てたら後ろからタバコの火をジュッとされても文句も言えないわよ。」

と言うのだ。

度肝を抜かされた。

昔は常に、そんな危険が身の回りにあったのだろうか。

肌を見せると誰かに攻撃されるという恐怖観念が、どこで生まれたのか非常に気になる。

まあその発想力のすごさも驚きだが、やはり気になるのは若者の服装に対する、昔の人の見方である。

基本的には悪い印象でしかないみたいだ。

お年寄りの方に、服装を変な目で見られる事はあっても「素敵なお洋服だね」と言われる事はまずない。

まあ仕方がない事かもしれない。

若者のイメージって世間的には、やはり若者でしかない訳で。

世の中を知らない青二才という印象が強い分、悪いイメージの方が大きいのは当たり前の事かもしれない。

歳を取るとイメージや考え方ってのは、だんだんと凝り固まっていくのだろう。

…とまあ、指を指すのはお年寄りの方ばかりではない。

自分達もそうである。

だって僕らも、二十代も半ばを過ぎると「最近の中高生は…」となってくるのだから。

いつの間にか、今の自分達の考え方というものが、凝り固まっていくのである。

油断は禁物だ。

いつの時代も、世代の違いは必ず身近に存在する訳で。

それぞれの世代の良さを理解する、柔軟な物の見方が必要だと思うのだ。

若者には若者の…

中年には中年の…

お年寄りにはお年寄りの…

それぞれの魅力が必ずあるのだ。

いくつになっても柔軟な姿勢で生きたいものである。

そんな意識を大切に、あと50年…

とても楽しいお爺ちゃんの完成である。

 
 
 
  イタズラ好き。
2006年09月27日

人を笑わせたり驚かせたりするのが、何よりも大好きな性格。

笑いや驚きが取れるなら、体を張るのも苦ではない。

前に舞台の役作りで、頭をマッシュルームカットにした事がある。

お笑い芸人さんに多い、あの髪型だ。

そんな恥ずかしい姿も、僕は逆にオイシイと思ってしまう。

お笑い芸人さんとか俳優とか、カテゴリーの問題ではなく、これはもう性格の問題。

イタズラ好きな、ガキんちょの性格なのである。

つい先日も、このような事があった。

仕事で顔の頬に、特殊メイクで大きなキズを付ける機会があったのだ。

ものすごくリアルな出来具合。

本物のキズは見たことないが、あったら多分こんな感じだろうと想像出来るくらい、リアリティのある生キズだ。

仕事が終わり、次の現場への電車移動。

僕はキズを付けたまま電車に乗った。

もちろん一人でだ。

こんな面白いネタを、この場限りにするのが勿体無いと思ったから。

だから僕は頬のキズというネタを、わざわざ電車に持ち込んでみたのだ。

何もないかのようなシラーッとした顔で。

反射するガラス越しに、周りの人の反応を伺ってみた。

するとすぐに、目を見開いて僕を凝視するオッサンを発見した。

してやったりである。

サングラスの奥の僕の目は、さぞかしエロい目をしてただろう。

まさにドッキリ大成功の気分である。

こーゆーあかの他人との、出口の見えない無言のやり取りって本当に面白い。

情報のやり取りが言葉ではなく、見た目や表情でしかわからない訳だから。

普通の小洒落た格好した今時の若者が、頬に生キズ…

オッサンの想像は膨らむ一方だろう。

そんなオッサンの不思議そうな顔を、コッソリ見てるのが楽しいのである。

あと行き交う人達が、僕を二度見するのも面白い反応だ。

移動中は主にこんな楽しみ方を満喫する訳だ。

現場に着くと、そこからはまた別の楽しみ方になる。

今度はそこに、シチュエーションとセリフをつけるのだ。

ハンカチで頬のキズを隠し、虚ろな目で登場する。

周りの反応は「誰かに殴られたの?」である。

そこで気の利いたセリフを一言。

「やばい…、俺もう芸能界引退だよ」

ここまでだと、まだ周りは事態を把握できてない様子。

そこでキズを一瞬だけ、チラッと見せるのだ。

一同唖然である。

でも僕は、この瞬間が一番面白い。

必死に笑いをこらえなければいけないからだ。

ウチのメンバー数人は何の疑いもなく、目と口を大きく開いてしばらく固まっていた。

素直で可愛いヤツらだなと思った。

だが容赦はしない。

「折れたビニール傘が風で飛んできて…」

実際に雨風の強い日だったので、この理由はしっくりくる。

もうメンバーは、何と声を掛けてよいやらわからない様子。

再度、いいヤツらだなーと思った。

これ以上引っ張ると悪質なので、すぐにネタばらし。

ばらした瞬間の「うわーやられた!」という周りの反応。

この瞬間の僕の目も、してやったりのエロい目である。

本当に質の悪いSな性格だと、我ながらに思うのだ。

まあこの場合は冗談が効く状況だし、楽しかったで終われたのでよしと出来る。

ただ気を付けたいのは、楽しんでるのは結局、仕掛け人の方だけだという事。

自己満な楽しさだという事なのだ。

仮に僕の事を、心から愛してくれる人がいたとしよう。

その人に対し、こんなイタズラをしてしまったら、心をキズ付ける事にもなり兼ねない。

イタズラとはそんな相手の事も、きちんと考えなければいけないものなのだ。

相手選びと状況とタイミング…

こうした要素をきちんと計った上で、実行するのが正しいやり方。

相手の事を考えないやりっ放しのイタズラは、ただのガキんちょのやる事なのだ。

大人のやるイタズラは、相手を思いやる優しさが大前提なのである。

 
 
 
  サングラス。
2006年09月26日

出かける時は必ず装着する。

しかもかなり大きめのサイズ。

顔の三分の一が隠れるくらいの大きさだ。

掛けるタイミングは、昼も夜も関係なし。

眩しさを防止するなんていう理由は、僕には始めから存在しない。

顔だって隠さなきゃいけない程、プライベートで困っている事もない。

だったら何故サングラスを掛けるのか?

答えは一つ。

単純にカッコつけなのである。

芸能人は昼も夜も、出掛ける時はサングラス…

田舎育ちの子供が夢見た、憧れのザ・芸能人スタイルなのである。

古臭いかもだが、僕はそんな単純な考え方が好きだったりする。

週刊誌に載っている芸能人のプライベート姿…

あからさまに「僕、芸能人です」ってバラしているような、でっかいサングラス。

むしろ掛けてない方が目立たないと思うのに。

でも掛けてしまう。

サングラスは、芸能人のプライベート姿の象徴のようなもの。

いかにプライベートでサングラスが似合っているか…

芸能人を格付けする、大切な要素なのかもしれない。

だったらそのうち必ず、立派にサングラスを掛けこなしてやろうと思う。

本物のザ・芸能人スタイルに近づく為にもだ。

我ながら、幼稚な考え方である。

でも、こんなこだわりがあればある程、人生は楽しめるのだ。

 
 
 
  9月生まれ。
2006年09月25日

9月を過ぎると、急に友達の誕生日パーティーのお誘いが多くなる。

不思議な話しだが、9月から10月にかけて、誕生日を迎える人がとても多いのだ。

もしかしたら、僕の周りだけなのかもしれない。

でも本当に、誕生日を迎える人の数が圧倒的に多いのである。

何故だろう…

不思議に思い、ちょっと考えてみる。

一般的に女性が妊娠して、子供を出産するまでの月日は十月十日。

10月前後から逆登ると、ちょうど年末の辺りにそうした行為が行われた事になる。

…なるほど。

理解が出来た。

やっぱり僕の周りだけじゃない。

9月から10月にかけて生まれた人の数は、統計的に見てもやっぱり多いのだ。

理由は簡単である。

クリスマスは恋人同士に、ロマンチックな夜をプレゼントしてくれる。

冬の寒空に、一夜限りの熱い夜をだ。

立派な理由である。

 
 
 
  キンモクセイ。
2006年09月24日

今年もこの季節がやってきた。

1年で最も気持ちの良い季節。

早朝の仕事でも、眠い頭をスッキリさせてくれる。

そんな清々しさに満ち溢れた、素晴らしい季節。

かと思えば、ふと切ない気持ちにもなったりする。

秋は僕たちの気持ちを、ちょっとだけ繊細なものにする。

そんな憎ーい季節なのだ。

秋と言えば、思い浮かべるものがいくつかある。

食欲の秋。

読書の秋。

紅葉の秋。

それぞれにあまり興味がなくても、この季節だからこそ味わいたくなる。

秋にはそんな事を感じさせる、何か特別な魅力があるのだ。

僕の中で秋と言えば、キンモクセイ。

近くで臭うとトイレの芳香剤。

だけど、遠くから漂う香りには一年振りの懐かしさがある。

昨年の思い出と共に漂うキンモクセイの香り。

一年で唯一、昨年の思い出を振り返れる季節であり、思い出の感じる区切りの香りなのである。

こんな感じで、ちょっとクサイ感じになる秋という季節。

結構好きである。

 
 
 
  だめんず・うぉ〜か〜
2006年09月23日

10月から始まる連ドラに、運良く出演させて頂く事になった。

有り難いお話だ。

連続ドラマは約3ヶ月に渡って撮影をする。

その為、現場でキャストやスタッフの皆さんと関わる時間も多くなる。

先輩方の上手い芝居を見たり、監督からの演技指導をたっぷり頂くチャンスでもある。

連ドラを続けてやらせて貰えたのは「おまえはもっと、芝居の勉強が必要だ!」って意味があるのかもしれない。

とにかく与えて頂いた以上は、作品作りに大きく貢献したいと思う。

作品に貢献する為に、やらなければいけない作業が沢山ある。

台本をトコトン読んで、役柄やポジションやセリフの意味を理解すること。

現場でキャストやスタッフさんと、いっぱいコミュニケーションを取ること。

他にも、まだまだある。

しかしこれらは、あくまで方法論としての手段。

何よりも大切にしたいのは、僕自身が現場での仕事を、最高に楽しむ事である。

楽しむところからは、必ず面白さが生まれる。

面白さは、役柄に人間としての魅力を与える。

のびのびと役柄を演じ、そのキャラクターの面白さを自然に表現する…

こいつが何よりも大切だと思うのだ。

それが今、出来てる出来てないはとりあえず置いておく。

とにかく、そんな意識を持って取り組みたいというお話しである。

「だめんず・うぉ〜か〜」

10月12日より、毎週木曜よる9時〜テレビ朝日系でOA。

皆さん、お見逃しなく。

 
 
 
  最終話。
2006年09月22日

「不信のとき」最終話が昨日OAされた。

撮影自体は、8月いっぱいで既にオールアップしている。

なので9月に入ってからのOAは、どこか懐かしむ気持ちで観ていたように思う。

とりあえず今は、全てが無事に終わってホッとしている。

だが最終話のOAが終わってみると、やはり寂しい気持ちになってしまう。

こんなにも切ない気持ちで、東京Vシェランの予告を見たのは初めてと思うくらいに。

それくらい僕にとって、とても素敵な現場だったし、とても素敵な作品だった。

出演できた事を、本当に誇りに思う。

この業界にいる以上は、出逢いと別れはつきもの。

その現場での出逢いは、その現場にしかない訳で。

二度と来る事のない、かけがえのない時間な訳で。

だったら、一度しかない今というこの時間…

心から大切にしてやろうと思うのだ。

まさに一期一会である。

この気持ちを大切に、次の仕事も果敢に挑むつもりでいる。

出逢える環境を与えてもらってる事に、本当に感謝だ。

次の作品の最終話が終わった時点で、この寂しさが更に膨らむくらい、素敵な現場を創っていこうと思う。

 
 
 
  源に立つ。
2006年09月21日

親、友達、彼氏、彼女。

誰かとケンカしている時、人は決まって自分の正当性ばかりを主張する。

まあケンカなのだから、負けたくないのは当たり前。

皆、必死である。

誰もが我をも忘れ、相手の非ばかりを突こうとする。

「おまえのそこがいけない」

「あんたのここが嫌い」

互いに相手を指差すことばかり。

誰もが、自分は悪くないというスタンスを、必死に守ろうとする。

これって、ハッキリ言ってしまえばどっちもどっちなのだ。

お互いが正しいし、お互いが間違っている。

どこまで行っても平行線。

分かり合えないとか、そんなレベルの低い話しではない。

要は、相手を正す事ばかり考えているから、いつまでたっても結論に至らないのである。

大切なのは、自分を正す事。

まあ正すと言うよりは、自分が源となって物事を考える事である。

確かにケンカしている時の相手は、とてもムカつく。

あーだこーだ言いたくなる気持ちも、よくわかる。

しかし、そんな文句を言いたくなるような相手にさせているのは、結局は自分な訳で。

自分の関わり方がそうさせている訳で。

この事態を、自分が創り出していると考える事が、何よりも一番の解決策となるのである。

ケンカ以外でも同じこと。

人間って嫌な事があると、すぐに周りの責任にしたがる。

他人が、会社が、社会が、世の中が…

周りは一切関係ない。

どんな状況であろうと、どんな事態を招こうと、常に自分が源に立つこと。

全てはそこからスタートである。

 
 
 
  顔年齢と実年齢。
2006年09月20日

この仕事をやっていると、新しい出逢いが本当に多い。

現場が変われば、一緒に仕事をする人も変わる。

毎回緊張感があって、とても刺激的だ。

新しい現場には自己紹介が付きものである。

まあ最初は自分の名前を伝える程度。

何回かお話するうちに、今度は年齢を聞かれる。

僕は27歳と答える。

ほとんどの人が驚きのリアクション。

「えーっ!」とか、

「うそーっ!」とか。

いやいや、今は嘘なんかついてない。

正真正銘、実年齢である。

驚かれる理由はもうわかっている。

どーやら僕は4〜5歳程、若く見られるらしい。

確かに昔から童顔だとは言われていた。

ただ歳をとると、その差もだんだんハッキリと出てくるみたい。

見た目と実際の年齢のギャップと言うのか。

要するに顔年齢が22〜3歳でストップしてる感じなのだ。

正直、複雑な気分である。

僕は若く見られるよりはどちらかと言えば、年相応の雰囲気でいたいと思っている。

なので、若く見られるのはどーかと思ってしまうのだ。

一度、頑張ってヒゲを伸ばしてみた。

うん…悪くない。

自分はそう思っていたが、事務所側からヒゲ禁止令が発令した。

僕みたいな童顔にヒゲは、無理やり背伸びをしてる子供みたいで、似合わないらしい。

背伸びか…

まあ、わからないでもない。

僕は大人の雰囲気に、ちょっとこだわり過ぎてたのかもしれない。

確かに、若く見られているうちは、素直に若さを表現するのが、その人の一つの魅力となる訳で。

それに若く見られると言うことは、それだけ演じる役柄が幅広くなるって事でもある訳だ。

年上の役を演じるのは、メイクや役作りでごまかせても、年下の役はそれが難しくなるのだから。

なるほど…

これはある意味、天から授かった才能と言ってもいいかもしれない。

ラッキー。

それに僕は人よりもかなり遅く、この業界に入った訳だ。

もしかしたら、この歳でも若い役を演じられる機会を、わざわざ与えてくれているのかもしれない。

神様ありがとう。

…とまあこんな感じで、単純な僕は今やコイツを武器に、幅広く演技を楽しませてもらっている訳だ。

それこそピチピチの中学生から、子持ちのタクシー運転手のおっさんまで。

とても幅広くだ。

今しか出せない自分だけの魅力…

こんな童顔でいられる今だからこそ、そいつを素直に見せていこうと思う。

おヒゲが似合う、その日まで…

 
 
 
  いってらっしゃい。
2006年09月19日

今日はとても愉快な知人のお話しをする。

その人はお金を使う時にこんな事を言う。

「いってらっしゃーい!」

…意味がわからない。

子供を見送る母親のようにお金に対して、いってらっしゃいを言うのである。

不思議に思い、意味を訪ねてみた。

すると答えはこうだ。

「また帰ってくるから、いってらっしゃいなの。」

妙にしっくりくる説明だ。

お金は天下の周り者…

確かに使ったお金が帰ってくる可能性もある。

しかし確率的にはかなり低いはず。

だが、実はそういう意味ではないらしい。

要するに、使う時に「いってらっしゃい」と言えば、またお金が自分の所に入ってくるという、一種のおまじないのようなものだったのだ。

変な理屈だと思ったが、とても愉快なおまじないで、僕はちょっと気に入った。

要するに出ていくお金に「いってらっしゃい」ならば、入ってくるお金には「おかえりなさい」なのだ。

仕事のギャラに対しても「おかえりなさい」だ。

不思議な感覚だが、これを言うとお金に対して、妙に愛着が沸いてしまう。

なるほど…

これはお金の無駄遣いを防ぐ、大切な意味を持っているのかもしれない。

だって、お金を自分の子供のように可愛がってしまう訳だから。

「あっ、これいいな。買っちゃおうかなー…でも大切な子供達がしばらくいなくなる程の買い物でもないから、やめておこう。」

こうなる訳だ。

これだけで無駄遣いや衝動買いが、半分以上減りそうな気がする。

素晴らしいおまじないだ。

僕もちょっと実践してみようと思う。

もし、このブログを呼んで、私も是非やってみようと思った方がいたら、是非やってみよう。

そしてその時は、恥ずかしがらず大きな声で「いってらっしゃーい!」をお勧めする。

そうすると子供達が元気に「ただいまー!」してくれるかもしれないから。

更には、立派に成長して帰って来てくれるかもしれないから。

なので、大きな声で元気に見送ってあげるようにしよう。

「いってらっしゃーい!」

お金を受け取る店の人が「クスッ」と笑えば、店員さんとのコミュニケーションもバッチリだ。

これはそんな、楽しさとお得が混じり合った、素敵なおまじないなのである。

 
 
 
  喋りと気持ちの関係性。
2006年09月18日

人は調子が良い時、よく喋る。

内に溜まっているウキウキを、外に吐き出したい一心なのだろう。

とにかくよく喋る。

逆に調子が悪い時に、人はあまり言葉を発さない。

言葉を発するエネルギーが、内からあまり出てこないからだろう。

とにかく口数は減る。

人の調子の良し悪しって、結構わかりやすいもんだと思うのだ。

出来る事なら調子の良い状態は、長く続いてほしいもの。

しかし世間の荒波の力は強く、必ず調子を悪くする出来事が身に起こる。

それは逃れられない事だったりするのだ。

調子が悪くなる原因も色々ある。

仕事、家庭、友達、恋愛…

探せば探すほどたくさんある。

原因を見つけ、調子が悪くなる仕組みを理解し、それを事前に防ぐのは大事なこと。

しかしすでに調子が悪くなってしまえば、原因究明もクソもない。

出来れば一刻も早く、調子良くなる方法を考えたいものだ。

そこで僕は調子が悪くて口数が減っている時、こんな方法で対処する。

とにかく人と喋りまくる。

これが一番効果的だと思うのだ。

気分の調子が悪くて、口数が減っている時だからこそ、たくさん喋って気持ちの調子を無理やり上げてやる。

これぞまさに力技だ。

文句も言わさない、強引な力技なのだ。

この喋りのテンションと気持ちコンディション…

何か深い連動性があるように僕は思う。

共に上がったり下がったりする関係性。

口数が減れば、気持ちのコンディションも一緒に下がる。

じゃあその低くなった気持ちのコンディションを、喋りのテンションで一緒に上げてやればいい。

単純にそう思うのだ。

かなり強引な技だと思うが、気持ちは必ず連動して上がってくれると思う。

まあ一度お試しを。

 
 
 
  ほんの少しの成功から。
2006年09月17日

仕事でも趣味でも何か新しい事にチャレンジした時、うまくいく場合といかない場合がある。

どうなるかは、まあ人それぞれだ。

僕もうまくいく場合があれば、うまくいかない場合もある。

そんな時、だいたいの場合うまくいかない事に執着しがち。

なんでうまくいかないんだろう…

どうしたらうまくいくんだろう…

ほんの少しうまくいった事があったとしても、それ以上にうまくいってない事の方に執着する。

1%の成功より、99%の失敗を考える。

だが僕はこう思う。

少しだけでもうまくいった事があれば、そちらの可能性の方を大事にしようと思う。

たった1%でもうまくいった事がある訳だから。

残りのうまくいかなかった99%も、うまくいく可能性になる訳だ。

だったら僕は1%の可能性に、全エネルギーを注ぎたい。

ほんの少しのうまくいった事に、僕は将来を賭けてみたい。

うまくいかなかった事の中から、うまくいった事を見つける行為…

やってみると、更なる可能性が見えてきそうだ。

 
 
 
  DD‐BOYS。
2006年09月16日

テレビ朝日で放送されている、D‐BOYS初の冠番組「DD‐BOYS」。

その全ての撮影が先日無事に終わった。

終わるとあっと言う間だが、得る物が多くて本当に充実した半年間だった。

メンバーはホント個性派揃い。

上から下まで11歳差。

正直しんどい時も結構あった。

まあ当然と言えば当然かもしれない。

ジェネレーションギャップだってある訳だから。

そんな中でいろんなやり取りする事って、結構体力のいる作業だったりする訳だ。

だからこそ、D‐BOYSって面白い訳で。

とても刺激的だったりする訳で。

いつまでも大切な何かを忘れさせない、そんなエネルギーを持った最高の集団だと思う訳なのだ。

歳を重ねるうちに、いつの間にか忘れている大切な何か…

僕はD‐BOYSメンバーのおかげで、その大切な何かに気付かせてもらった。

その大切なものとはもちろん…

がむしゃらになる事である。

D‐BOYSに感謝だ。

 
 
 
  先輩の姿。
2006年09月15日

とある番組の顔合わせ。

そこで事務所の先輩にお逢いした。

とても気さくで明るい方。

よく喋るし、周りをとても和ませる。

僕が見たときも、他の共演者と楽しそうにお喋りをしていた。

離れた所からそれを見て、僕も一度お話ししてみたいなーと思った。

僕は先輩とは初対面。

お話しした事は一度もない。

顔合わせの始めに自己紹介したが、他にもたくさんの共演者がいる。

しかもかなりのベテラン芸人さん。

多分僕の名前なんか覚えてないだろう…

そう思った。

どんな風に声をかけようか悩んでいた時、前を歩く先輩が振り返って僕に言った。

「和田君、ホラあの夜やってるやつ、名前何やったっけ?D‐BOYSの〜…」

ビックリした。

僕の名前覚えてる。

しかもDD‐BOYS観てくれてる。

唖然とした。

こんな下っ端の後輩に対し、自ら声をかけ僕たちの番組の話しをしてくれたのだ。

男前な姿である。

自ら手を差し伸べて、一生懸命になってくれる人なんてなかなかいない。

しかも芸能界なら尚更だ。

僕は純粋に、こんな先輩になりたいと思った。

赤い帽子がよく似合うその先輩は、後輩と話す時も常に笑顔を忘れない。

 
 
 
  不細工な写真。
2006年09月14日

部屋を掃除していたら、昔のファッション誌が出てきた。

もうかれこれ4〜5年前の雑誌。

何故捨てられずに、今まで保管されていたのか不思議である。

が、ページをめくるとその理由も明らかになった。

僕が載っている。

ストリートヘアスナップの欄に僕が載っているのだ。

一瞬驚いたが、確かにそんな事もあったなと思い出す。

懐かしい思い出が頭をめぐったが、それはほんの一瞬の出来事。

それ以上に、昔の自分を見て感じる事が他にあった。

なんて不細工なんだ…

そう思った。

度肝を抜かされた気分だった。

確か当時も、この雑誌の写真を見て不細工だなーと思った記憶がある。

周りの写真はイケメンの男の子ばかり。

どちらが好みと聞いても百発百中、僕を指さないだろうと思った。

当時ほんのちょびっとだけ芸能界に憧れがあったが、これを見て無理だなと思ったぐらいだ。

当時の僕は、人と比べる事で自分の事をを評価する、ヘタレ小僧だったのである。

しかしあのヘアカタログやヘアスナップに出てる男の子達は、何であんなにイケメンばかりなんだろう。

今でも美容院に行ってヘアカタログ見ると、本当にカッコイイなーと感心したりする。

そこで勝負したら、絶対かなわないだろうなーってマジで思う。

ある意味、ヘアカタログやヘアスナップは、芸能界を目指す若者に自信を失わせる毒だと思う。

まあヘタレの僕が、そうだっただけだが…

でも実際は顔の良し悪しなんて、この業界では対して関係ないのだ。

不細工でも魅力が伝わればそれで売れる。

結局は頑張った人の勝ちなのだ。

だからもし昔の僕みたいに、ヘアカタログやヘアスナップを見て夢を諦めかけている人がいたら、踏みとどまってほしい。

大丈夫、頑張った人が必ず成功するから。

諦めずに頑張ろう。

昔の写真が不細工な僕が言うから、多分間違いない。

 
 
 
  心に焼き付ける。
2006年09月13日

昨日、とある映画の完成披露試写会に参加してきた。

参加と言っても僕は客席側。

試写会の雰囲気と出来上がった映画を、客の一人としてじっくり堪能する側だ。

作品は素晴らしいもので、涙もろい僕には白旗ものの映画だった。

きっと思い出深い作品になるだろう。

そう純粋に思える、素敵な映画だった。

映画の内容とは別だが、試写会でとても印象に残るシーンが一つあった。

それは映画が始まる前の、出演者と監督による完成披露の挨拶である。

特に何の変哲もないただの挨拶。

記者による撮影がパシャパシャとある、ごく普通の舞台挨拶だ。

それだけなのに、何故か僕にはとても印象に残るシーンになったのだ。

その時僕は、並んでいる共演者たちの姿をジーッと見続けていた。

何かを心に焼き付けるかのように、ただジーッと。

何故かはわからなかった。

しかしこのジーッと見続ける行為…

よく考えると、今までにも時々やっていた事がある。

物も言わずに、ただただジーッと見続ける行為を…

過去を振り返ってみる。

するとやはり、印象に残るシーンがいくつか出てきた。

大学入学当時、憧れの箱根駅伝で活躍している選手達の姿…

俳優を目指していた時、初めて観た舞台でカーテンコールを浴びる俳優陣の姿…

真剣な目をして、ただジーッと眺めていた記憶がある。

そして印象に残っているシーンのどれもが、その時僕が憧れている姿ばかりだった。

なるほど…

少しだけ理解した。

僕が時々、何かをジーッと見続けるこの行為。

これって多分、決意の眼差しなのだ。

必ずあそこに立ってやる。

そんな決意の表れだったのだ。

舞台挨拶をジーッと見ていたのも、自分があそこに立っている姿をイメージしていたのだと思う。

立っていて違和感はないか?

違和感があるとすれば、実際に立っている人と比べて何が違うのか?

そんな事をいろいろ考えながら、ジーッと眺めていたのだ。

多分、無意識のうちにイメージトレーニングをしていたのだろう。

元スポーツ選手の性かもしれない。

でもそうやって、憧れの場所に立つ自分を、強く強くイメージしていた訳だ。

まあ今はまだ、ちょっと違和感があるかもしれない。

しかしその違和感…

近い将来、ぶっ壊してやろうと思う。

 
 
 
  手紙やコメント。
2006年09月12日

ファンの皆さんから頂いた手紙や、ブログへのコメント。

僕は必ず全てに目を通す。

まあ当然である。

僕に対して心から何かを感じ、文章という形にしてくれた訳だから。

ありがたい話しである。

これらの応援メッセージや、ドラマや舞台の感想などは、僕たちを心から力づけてくれる、本当にありがたいものだ。

僕たちは、先の見えない長いトンネルを進んでいる訳であり。

正直不安になったり、怖くなったりする事もある。

そんな時にこうした応援のメッセージは、暗闇の中にある一筋の光のようなもの。

とても力づけられている。

「元気づけられました」とか「前向きになりました」とか。

たくさんのコメントをファンの皆さんから頂いているが、僕たちも本当にたくさんの元気や勇気を頂いているのだ。

互いに力づけ合っている関係…

こういう姿って、共に頑張ってる感じがあって僕は好きだ。

まあ送られてくる手紙やコメントは、力づけのものばかりではないのも事実。

中には厳しい意見や、少し批判的な内容のものもあったりする。

心にグッと突き刺さるような、そんな気分になるものも時々ある。

それらを頂いて僕が正直に感じる事…

それはやはり感謝である。

少なくとも僕に興味を持ち、大切な時間を使ってくれたこと…

そして、厳しい意見や批判的な意見を通し、僕自身にそこから学ぶ機会を与えてくれたこと…

感謝以外の何物でもないのだ。

気分が良くなる、悪くなるはあまり重要ではない。

そこから何を学び、どう行動していくかが大切なのである。

力づけも、厳しい意見も、批判的なのも…

全て与えられている事には変わらないのだ。

成長させてくれてありがとうである。

 
 
 
  ギャップを楽しむ。
2006年09月11日

ノリの良いお調子者…

普段そう見られる事が割と多い。

まあそれも当然と言えば当然かもしれない。

人と一緒にいる時、僕は常に楽しい雰囲気作りに励もうとするから。

仕方ないと言えば仕方ないのである。

軽く見られる分、損をしている場合もあるかもしれない。

ただそれって、結局は表面上の振る舞いでしかない訳で。

僕はそこを、あまり重要な要素でないと考えていたりする。

人の性格を表現する方法ってのは、数限りなくある訳で。

振る舞いには本当の場合もあれば、嘘の場合もある。

結果的にそれらが、人を判断する基準にならないと僕は思うのだ。

大切にしたいのは、その人の裏側にある素の部分。

その人が何を考え、何を一生懸命頑張っているか。

そーゆー生き方の部分であったり、心の中にある真っ直ぐな部分…

それを大切に考えているのである。

それって普段は、なかなか表現しづらい部分だと思う。

中身を語るだけの仲であったり、家族や昔からの知人なら、それは大丈夫かもしれない。

だが初対面や、まだ付き合いが浅い人に対して、素を表現するのはけっこう難しいものである。

しかし表現しづらいからこそ、それが相手に伝わった時の印象は強い訳で。

それが素の自分の魅力だったりする訳で。

だったらいつもいつも、これが自分だって表現をしまくる必要もないと思うのだ。

どーせならインパクトある印象で相手に伝えたい。

普段はお調子者な軽いキャラクター…

だけど内にある素の部分は、しっかり物事を考えている。

そんなギャップがあった方が断然、相手には印象深く伝わると思うのだ。

それにその方が、味があるし面白い。

そう…

ギャップを作る面白さだ。

僕はそれを楽しんでいるのである。

 
 
 
  日々是新。
2006年09月10日

日々是新…

読み方はひびこれあらた。

僕の好きな言葉である。

松下電器創始者、松下幸之助先生の著書『道をひらく』から抜粋させて頂いたものだ。

頂いたのはもう3年程前。

俳優の道を夢みて、ただ闇雲に前に向かって進んでた時期だ。

たくさん新しい事にチャレンジし、いろんな事を学び、そして吸収した時期。

だけど気持ちはどこか不安定。

自分がやっている事は正しいのか間違っているのか…

自信も何もなかった当時の僕は、自分のやってきた事に対し、たびたび不安を抱いていた。

あーしておけば良かった、こーしておけば良かった…

過去を振り返り、反省を繰り返すばかり。

毎日の行いが、ちっともプラスになっていく感じがしなかった。

そんな時、松下幸之助先生の本に出会ったのだ。

本屋でペラペラとページをめくり、たまたま開いたページがこの「日々是新」。

毎日が新しい一日…

この言葉の意味が、ハッキリと腑に落ちた瞬間だった。

どんなツライ日や悲しい日があっても、次の日は昨日からの一日ではなく、また新たな一日であると…

その新たな一日からが、人生の新しいスタートだと…

何かがスパーンと抜け出した感覚があった。

結局僕は、いろいろなネガティブな想いを次の日へ、また次の日へと、持ち越していたようなのだ。

毎日が未完了のまま、先に進んでいたという事である。

リセットという表現が正しいかわからないが、今では一日と言う区切りを、しっかりと意識できるようになった。

その結果、過去は過去、これからの人生は今日からの僕が創り出す…

そう捉えられるようになったのだ。

おかげさまで、今は毎日気持ち良く、新たな想いでスタートラインに立てているのである。

そんな最高のスタートを切る毎日…

3年近く繰り返せば、そりゃあ夢も形になるだろう。

 
 
 
  親子の絆。
2006年09月09日

最近やたら涙もろくなってきた。

映画を観て、感動のシーンがあるとすぐに泣いてしまう。

感性が豊かになったと言うことか…

あるいは歳か…

確かに、大人になると涙もろくなる。

だが、こうも忠実に実行されていくと、いかに自分が単純であるか、思い知らされてしまう。

…まあ文句なしに単純なんだけど。

しかし映画を観て泣くと言っても、好みによって泣き加減は違ってくる。

ちなみに僕の好みは、親子の絆モノ。

親子の絆を見せつけられると、僕は心がブルブル震えだすのだ。

ちょっと前の作品だと「いま会いにゆきます」なんかが代表例。

初めてって言うくらいに、号泣させられた記憶がある。

最近で言うと「スーパーマンリターンズ」や「UDON」なども号泣作品だ。

えっ…?と思うかもしれないが、コイツらは本当にやばかった。

ネタバレになるので詳しくは書かないが、間違いなく親子の絆モノである。

僕はなにか、親子の絆に深いものを感じてしまうようなのだ。

そう感じ始めたのも、この歳になって親の目線や立場ってものを、少し理解し始めたからだ。

もちろん僕は結婚もしてないし、子供もいない。

親の立場なんてわかるはずがない。

だけど子供を持つ友達を見ていると、一つだけ感じる事があるのだ。

親は子供に、見返りなく愛情を与える存在…

そう感じるのだ。

僕らは普段、人に対して見返りを求めたりする。

何かをしてあげたら、何かをしてもらう。

言葉には出さないけど、してもらう事を期待する。

いくら好きな人を愛していても、やっぱり愛してほしいと求めたりする。

何かをしてあげるだけの人なんて、なかなかそういないのだ。

人間ってけっこう欲深い生き物である。

だけど、親の子供に対する愛情は別だ。

そこに見返りの気持ちがない。

一方的に与えることのみ…

まさに無償の愛なのだ。

親は子供が物心つかない頃から、ひたむきに愛情を注いでいる。

子供に嫌われようが邪魔者扱いされようが、それは変わる事なく与え続けられているのだ。

見返りを求めることなく、ただただ子供の成長だけを願って…

立派だと思う。

当たり前のように育ててもらったが、本当はとてもエライ事だ。

親が子を育てるという事は…

なんだか親のひたむきな気持ちを想像すると、今にも心がブルブル震えそうになる。

なるほど。

僕は親子の絆モノを観るとき、いつの間にか親の気持ちになっていたようだ。

いよいよ歳である。

 
 
 
  食わず嫌い。
2006年09月08日

僕は食わず嫌いな一面がちょいちょいある。

何故だろう…

理由は意外と簡単に出てきた。

流行りものが嫌いだからだ。

確かにサーフィンだって、始めるのが人より少し出遅れている。

まあ早い遅いはどーでもいいが。

だけど素晴らしいものを、食わず嫌いのまま経験しなかったりするのは、ちょっと損した気分。

何事もまずは、経験する事が大事だと改めて思うのだ。

そんな事を思うのも、最近また新たな食わず嫌いを発見したから…

そいつの名はウイニングイレブン。

家庭用ゲーム機、プレイステーション2専用のサッカーゲームだ。

ジーコ監督がパッケージの表紙を飾る、かなり有名なゲームソフトである。

発売当時から爆発的な人気を誇り、現在まで続編が10作品も出ている大人気作品だ。

人気の秘訣は何と言っても、実在の世界各国の代表チームやクラブチーム、そして選手が登場してくることだろう。

ワールドカップでも活躍したロナウジーニョやベッカム、ジダンなどの超有名選手をこの手で操作できる訳だ。

サッカー好きでなくても、かなりの魅力だと思う。

だが僕は今まで一切、手を出さなかった。

周りは、中毒のようにハマっている連中ばかりなのに。

でもやらない。

理由は簡単…

流行りものだからだ。

みんながやってるという理由だけで、僕の好奇心はそっぽを向く。

ひねくれ者だと自分でも思う。

普段は素直なはずなのに…

だけど実際にやってみると、その面白さは10分も経たないうちにわかるのだ。

ゴールが決まると歓喜の雄叫びをあげ、外すと頭を抱えて落胆する…

まるで本物のサッカーを観ているようだ。

…悔しいが、僕はおもいっきり認めさせられた。

結局、世の中に認められてるって事は、本物の面白さをきちんと備えてるって事なのだ。

人は玄人になればなる程、メジャーな部分から遠ざかろうとする。

だけどメジャーには世の大衆を引きつける、大きな魅力がある訳で。

結果的に、幅広い目線で物事を見ることが大切であると、痛感させられたのだ。

しかもゲームって一人寂しくやるイメージだったのが、ウイニングイレブンは最大で8人同時プレイが可能。

なので、みんなで一緒に盛り上がる事が出来るのだ。

ゲームにハマって、家に閉じこもってしまうかもしれない恐怖…

そんな事をついつい恐れてしまう寂しがり屋さんも、もう大丈夫。

ウイニングイレブンは、僕のTVゲーム概念を覆す、スゴイ代物だったのだ。

次に最新作が出たら、おもいきって買ってみようと思う。

でも、最新作のパッケージの表紙…

オシム監督だったらちょっと迷いそうだ。

 
 
 
  流行り嫌いな理由。
2006年09月07日

流行りってあんまり好きじゃない。

完全に世の中がペース。

そこに僕たちが一生懸命合わせる。

こちらが主導ではなく、世の中が主導。

お釈迦様の手のひらで踊らされてる猿みたいで、ちょっと嫌な気分だ。

流行りが終われば騒いでいた周りも、引き潮のようにサァーっと関心がなくなる。

もう終わりかのような目線をそれらに送る。

勝手に注目しまくったのは周りなのに。

ホントはまだまだ素敵な魅力がたくさんあるのに。

酷いもんだ。

流行るのには流行るだけの、きちんとした理由ある。

世の中に新しいものを生んだという、きちんとした理由が。

少なからず僕たちは、それらのおかげで新しい体験や面白い経験ができているのだ。

だったら最後まで敬意を払うべきである。

流行らせるのは勝手。

その代わり最後まで責任持つことが大事だと、僕は強く言ってやりたい。

メディアの力に流されやすく、熱しやすく冷めやすい日本の世の中に対してだ。

大好きなナタデココを食べながら、そんな事をふと思う。

 
 
 
  心境の変化。
2006年09月06日

前々からブログを見てくれていた方は、ご存知だと思う。

あるタイミングから、ブログの方向性が変わったというか、口調が少し硬くなったというか。

まあ単純に、心境の変化と思って頂ければよいと思う。

人間、成長していけば内面的な部分も、多少変化していく訳で…

身辺の変化に伴い、感じる事や表現する事にも、常に変化が訪れていくのだ。

まだまだ未熟で学ぶ事が多いからこその、日々の変化である。

何の前触れもなく突然変わってしまったのは、そんな理由からだ。

まずはご了承を。

僕にとってブログは、内面を映し出す鏡のようなもの。

人間が持つ表面からは見えない喜怒哀楽や、考え方、捉え方など…

俳優とかアイドルとかそんな立場は関係なく、一人の人間としてそれらをブログで表現してみたいと思った。

今はそんな感じで、毎日の心境を文章にしている。

まあ僕に興味ない人には、まず面白いと言える内容ではないだろう。

そして心境に変化がある以上、以前と言ってる事が違ってくる場合もあると思う。

今後、そんな心境の変化が、無責任に生まれていくと思われる。

でもまあ、それが人間として当然な訳で…

そして、それが成長するって事だと思う訳で…

和田は前に、あんな偉そうなこと言っておきながら、今は違う事を言っている…

そんな風に思われる事もあるかもしれない。

いや、多分あるだろう。

そんな事は重々と承知している。

それでも書いて後悔する事はないと思う。

その瞬間は確実に、100%和田正人を生きている訳だから。

100%生きているからこそ、心境をブログに載せられている訳だから。

自信を持って、今後も今の自分をブログに書いていくつもりだ。

ちょっとした冒険ではある。

だが、腹はくくっている覚悟だ。

 
 
 
  キャンバスに描く。
2006年09月05日

ここに真っ白なキャンバスがある。

今は何も描かれていない、真っ白なキャンバス…

ここに描きたい絵をイメージする。

何でもいい。

とにかく、自分が描きたいと思う絵だ。

イメージが出来たら、次に線を描き、色を足していく。

曲線だったり、クネクネした線だったり、まっすぐな一本線だったり。

組み合わせはたくさんある。

色の使い方も多種多様。

赤色、青色、緑色、黄色、紫色、白色、黒色。

単色で使ってみたり、混ぜ合わせて使ってみたりなどなど…

自分の書きたい線、足したい色を、好きなように混ぜ合わせる。

そうして最終的に、絵が出来上がる。

上手い下手は別として、絵を描くのは誰にでも出来る簡単な作業だ。

これを人生に置き換えてみる。

今は真っ白なキャンバスの自分。

将来は俳優になりたい夢があるとする。

ならば描きたい絵は、俳優になっている将来の自分の姿だ。

次に、線や色を足していく。

日頃、自分が俳優になるために、とりあえず頑張っている行動。

これが線を描き、色を足す作業となる。

芝居のレッスン。

人との出逢い。

映画や舞台を観る。

本を読む。

趣味や遊びを充実させる。

などなど、他に線や色を足す作業はたくさんあるが、きりがないのでこれくらいに…

まあこれらが、線や色を足す作業になると思う。

この作業を取り組んでいけば、なりたい姿の俳優が完成する訳だ。

しかし、どんな俳優になっているかはわからない。

売れている俳優、売れてないけど俳優。

二枚目俳優、三枚目俳優。

映画俳優、ドラマ俳優、舞台俳優。

絵と同じく、出来上がりの上手い下手は人それぞれ。

結局それって、その人がどんな線を描き、どんな色を足していったか次第になると思う。

適当な線や適当な色では、絶対に素晴らしい絵は描けないのだから。

将来は今。

自分がなりたい憧れの姿に近づく為には、今自分が取り組んでいる線や色を足す作業が、すごく大切になってくる。

今の自分が、将来の自分を創っている訳だから。

素晴らしい俳優になりたければ、日常の取り組みに着目し、毎日を真剣に生きていく必要があると思うのだ。

ちなみに僕の場合。

将来なりたい姿の一つとして、小説や脚本を描いている自分の姿がある。

今やるべき作業として、とりあえず毎日ブログを書いている。

最終的にどんな絵が出来上がるか…

それは、今やってる作業次第だ。

 
 
 
  好きなブランド。
2006年09月04日

洋服のブランドで、特にこれが好きと言うこだわり…

僕にはそれがあまりない。

ファッション紙もほとんど見ない。

気に入ればどんなブランドでも身に付ける。

決め付けはあまりしないタイプだ。

あえてこだわるとすれば、知り合いだからそれにするってのはある。

知り合いのブランドだから、それを身に着けるとか。

何か特別な想い入れがあったり、特別な想いを感じるから、そこにこだわってみたりする。

だから流行りのブランドとかはあまり知らない。

と言うか、その手の流行りモノの話題にあまり興味がない。

ただ知り合ったら、その人が創り出す洋服やアクセサリーにとても興味が沸いてくる。

なので今の自分が着ている服が、今の流行りに合ってるかどーかなんてサッパリわからない。

ちょっと古いかもしれないし、新しいのかもしれない。

流行りモノには無頓着。

だが自信を持って、それらを身に付けているのは確かだ。

 
 
 
  すごい夢に挑む人。
2006年09月03日

最近とても面白い人に出逢った。

僕は今まで出逢ってきた人達から、たくさんの夢や目標のお話を聞いてきた。

歌手になりたい人。

デザイナーになりたい人。

美容師になりたい人。

学校の先生になりたい人。

人それぞれいろんな夢があって、素敵だなと思った。

だがその新たに出逢った人ってのは、今までとはちょっと違った感じの夢の持ち主。

その夢ってのがなんと…

超能力者。

度肝を抜かされた。

最初に言っておくが、34歳で妻子持ちの立派な大人。

頭がおかしい訳でもなく、本人はいたって冷静だ。

その方はこれまで仕事で様々な事業に取り組み、確実に成果をあげているやり手の人間。

そんな手にしたい成果を、確実に手にしてきた人が最終的に行き着いた夢が、超能力者だったらしい。

まずはその、奇想天外な発想力に驚かされる。

だって、そもそも超能力者ってもんは、目指せばなれるもんなのか…

確かに世の中には、種も仕掛けもなく不思議な力を持ったスピリチュアルな人はたくさんいる。

僕も実際に、何人かお逢いした事がある。

しかし目指してる人ってのは初めて見た。

僕は口がポカーンと空いたまま、しばらくお話を聞いていたのだが…

でもまあよく考えたら、そんな発想があるってこと自体、常人にはない凄さな訳で…

僕はそんなスケールのドデカい夢を持ったその人が、ちょっと好きになった。

スピリチュアルな部分で共感した訳ではないが、その人の人生に対する考え方や捉え方がとても共感できたのだ。

何よりもまっすぐな感じが、純粋な子供のように見えて面白かった。

そして少し素敵に思った。

いくつになっても夢を持ち、絶対に叶うと信じ続けている訳だから。

とりあえず、この人が夢を叶えたら世界初の快挙だろう。

超能力に目覚めた訳でなく、超能力を開発したのだから…

そんなすごい夢を追いかけるその人を、僕は心から応援していきたいと思う。

目をキラキラさせて、超能力者になる夢を熱く語る34歳のオッサンの姿…

僕はけっこう大好きだ。

 
 
 
  LOVE REDUCTION
2006年09月02日

世の中をより良いものにしていく国民的プロジェクトに、チーム・マイナス6%というものがある。

簡単に説明すると、地球温暖化に影響がある温室効果ガスというものの排出量を、日本は6%削減を目指しましょうというプロジェクト。

そのプロジェクトに、我がD‐BOYSが参加することになった。

具体的な内容は、これからファンの皆さんと一緒に考えていく予定。

なので、これはと言う案があれば是非投稿してほしいと思う。

いつも言ってることだが、僕たちは世の中に素敵な影響を与えるため、この仕事をしている。

こうしたプロジェクトに参加し、僕たちの影響を受けて、一人でも多くの人が地球をより良くしていく事について考え、何か行動していけたら本当に素敵だなと思う。

当たり前だが、地球温暖化防止だけに限らず、地球に対して愛を与える行動を、何か一つやってみる事が大切だ。

街に落ちている空き缶…

拾ってすぐ近くのゴミ箱に捨てる。

これだけで、行動したと胸を張って言える。

コンビニに買い物に行く…

ビニール袋はいりませんと、品物を自分の鞄に入れる。

これだけで行動したと胸を張って言える。

暑いのでエアコンをつける…

設定温度を28度くらいにする。

これだけで行動したと胸を張って言える。

まずは身近な所でひとつ行動を起こしてみる。

そこからがスタートだ。

携帯サイトの方に『LOVE REDUCTION』という地球温暖化専用の投稿コーナーができた。

ラブリダクション…愛を還元する。

つまり、日頃僕たちにたくさんの愛情を注いでくれている地球に、今度は僕たちから愛のお返しをしていく…

そんな意味を込めて名付けてみた。

我ながら素晴らしいネーミングセンス。

…と、しっかり自画自賛ができる自分好きな僕は、自らの愛にたっぷり満たされているみたい。

今度はそれを地球にだ。

 
 
 
  ワクワク感。
2006年09月01日

将来こんな事やりたいなーってのが、僕にはたくさんある。

小説書いてみたり、洋服やアクセサリーのデザインしてみたり、会社のオーナーになってみたり…

チャレンジしたい事が山ほどあって、想像するとワクワクする。

昔、俳優を目指していた時も、ちょうどこんな感じでワクワクしてたもんだ。

子供の頃、これから友達と遊びに行く時のような、そんなワクワク感…

将来進む道に迷った時、ワクワクする方を選ぶといいかもしれない。