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  教育問題について。
2006年10月31日

いじめ自殺問題に続き、今度は全国各地の高校で発覚した履修漏れ問題。

教育現場が荒れに荒れている。

教師に問題があるだの、家庭環境に原因があるだの、国の教育方針が間違ってるだの。

他人を指差す議論ごっこなんか、ぶっちゃけどーでもいい。

僕が思うのは一つだけ。

とりあえず死んじゃいかん。

何がなんでも死んじゃいかん。

死んだら皆が悲しい気持ちになるだけ。

何一つ解決はしない。

いじめられても、責任に耐え切れなくなっても。

とにかく死ぬという選択だけは、絶対にしちゃいかん。

それだけを僕は強く思う。

 
 
 
  イベントでの役割。
2006年10月30日

昨日、ラクーアで行われたDD‐BOYSのDVD発売記念イベント。

2時間程のイベントの為に、日本各地からたくさんのファンが集まってくれた。

DVDを買い、ここまで来る交通費を払い、貴重な時間を使ってわざわざ参加してくれた皆さん。

本当にありがとう。

僕達がこうしたイベントにおいていつも考えている事。

それは、とにかく足を運んでくれたファンの皆さんに楽しんで頂く事だ。

時間もお金も使ってわざわざ参加した甲斐があったと、ファンの方全員に思って頂く事である。

まあこれはイベントに挑もうとするD‐BOYSメンバーとしては、基本的な心構えだ。

楽しませると言っても、その方法はいくらかある。

メンバーによっても様々だ。

僕が選ぶ方法は、来ているファンを笑わせる事。

笑いをとってイベントを盛り上げるのが、僕のそこでの役割だと思っている。

イベントに集まる人達はもちろんD‐BOYSのファン。

常に僕達を暖かい気持ちで見守っていてくれる。

ファンの皆さんも、自ら盛り上がりに来てくれる人達が多い訳だ。

おかげさまで笑いも取れる。

こちらとしてはとても有り難い事だ。

まあ当然の事だが、中には笑っていない人もいる。

僕以外のメンバーのファンなのか。

トークそっちのけで、お気に入りのメンバーをずっと目で追っかけている。

もちろん楽しみ方はファンの皆さんの自由だから、全然それでいい。

ただ僕がその人の意識を、こちらに向ける事が出来なかっただけなのだ。

まだまだである。

人の興味をこちらに向ける作業。

これが出来るかどうかって、タレントとしてとても大切な要素である。

関心がない人でも、こちらを振り向くぐらい面白いネタを用意する。

これが僕の仕事な訳だから。

それが出来てない僕は、まだまだ仕事をサボっているという事。

頑張りが足りないという事である。

悔しいが今の僕はその程度。

まだまだである。

でも絶対、笑わせてやろうと思う。

興味ある人もない人も、メンバーもスタッフも、会場の係員までも。

必ず全員を大爆笑させてやろうと思う。

とにかく参加した全員が最高に楽しめるよう、僕は僕の役割を頑張り続ける。

腕を磨き続ける。

そして最高に面白いイベントにしてやろうと思う。

 
 
 
  気を付けている事。
2006年10月29日

僕がブログを書く時に注意する点。

感じた事を素直に書くこと。

これだけである。

なので多少、ハッキリした意見を書く事が多い。

それでも僕は構わないと思っている。

人に気に入ってもらいたくて書く文章なら、もう少し違った内容を書くかもしれない。

たくさんの人の意見に合うような、当たり障りのない文章をだ。

だけど僕は、僕が感じた事を素直に書く。

僕が日々想う事を、僕からの目線で書く。

人間らしく素直にだ。

世の中的に当たり前な事でも、疑問に思えばそれを書く。

世間の大半が当たり前に思っている意見があったとしても、僕の中に違う意見があればそれを書く。

別に反発している訳でもなく、ただ自分に素直なだけである。

カッコつけたり気取ったりするのは好きじゃない。

文章には飾り付けをしたくないという、僕のブログに対する想いである。

 
 
 
  現場を楽しむ。
2006年10月28日

ミュージカルでデビューした僕にとって、舞台はやはり居心地の良い現場。

1ヶ月近く稽古を重ね、共演者やスタッフと一つになっていく。

芝居の話しをしたり、プライベートな話しをしたり。

飲みに行く事もしばしば。

だんだんと距離が縮まり最終的には一つになる。

その感じが僕はたまらなく好きなのである。

ドラマにはなかなかない、舞台ならではの良さである。

…と最近まではそう思っていたが、実際はそうでもないみたいなのだ。

何故なら今のドラマの現場、かなり和気藹々とした雰囲気で楽しくやっているのである。

僕が感じた舞台のそれと、どこか似ているくらいの楽しい雰囲気。

今までのドラマの撮影現場にはなかった雰囲気である。

芝居をする時間も、待ち時間も、休憩時間も。

全部が楽しくいられる現場なのだ。

言っておくが、他の現場が楽しくなかった訳ではない。

今までも、その場その場でのベストな楽しみ方をしてきたつもりだ。

ただ今回は、自分が楽しくいられる環境作りが、今までより更に上手くいっただけ。

2クール連続の連ドラ出演が活かされている訳である。

有り難い事だ。

楽しみ方って人それぞれにあると思う。

大事なのは、いかに自らが楽しむ環境を作り出していけるどうかだ。

特にドラマの現場では、それが大事だと思う。

油断すればコミュニケーションすら取れずに終わってしまう環境だから。

ドラマの現場だけに限らず、仕事も学校もどんな場所でも。

それは同じように言える事。

結局は楽しんだ者勝ちなのである。

自らが居心地の良い環境を作る…

それだけで充分、現場は楽しめるのだ。

僕にとってのドラマの現場。

今はとても居心地の良い、最高の場所になっている。

 
 
 
  盗作問題。
2006年10月27日

よくニュースになる盗作疑惑。

これだけたくさんの曲や歌詞や芸術作品が出回っている世の中だ。

少々似ているものがあっても仕方ないと思うが、それは創作者としてのプライドが許さないのだろう。

盗んだ盗まないの醜い争いが始まる訳だ。

どちらの肩を持つ訳でもないが、正直見ていてガッカリする。

こんな素敵な作品が、盗んだ盗まないの争いで汚されてしまうのは、その作品から感動を与えられた者としては、とても残念な気分。

こちらとしては、素敵な感動を生み出した者同士が争う姿なんて、正直見たくないのである。

仮に盗まれていたとしても、それはプロが使いたくなる程の影響力がある作品だったという事だ。

捉え方を変えれば、とても誇らしい事である。

その人の作った素敵な作品が、また別の人の力によって世の中に広まっていく訳だから。

世の中に素敵な影響を与えていく創作者としては、喜ばしい事だと思う。

世の中に著作権というルールがある以上、他人のものを盗むのは当然いけない行為。

しかも我が物のように世の中に作品を放つ訳だから、人としてのモラルに反する行為だ。

自分の作品であるとか他人の作品であるとか…

そうした創作者としてのプライドはとても大切である。

だがそれよりも、素敵なものが世の中に広まっていく喜びを感じること。

こいつを創作者には、一番大切にしてほしいと思うのだ。

プライドの為に裁判で勝とうが負けようが、それはあまり興味のない話し。

創作者同士のプライドなんて、個人的な感情レベルなものだから。

それよりも僕は、夢や感動を生み出す創作者としての、熱いハートの方を大切にしてほしいと思うのだ。

小さなこだわりより、世界中を包み込むくらいの大きな心をだ。

裁判の勝ち負けなんて、僕らには関係ない。

むしろ訴えた方が負けのように感じてしまうから。

男前なら、

「彼は僕の作品から素敵な影響を受けてくれたんだな」

である。

 
 
 
  面倒臭い性格。
2006年10月26日

どちらかと言えば理数系。

たまに理屈っぽくなる。

何かに挑む時、あーだこーだと理論を考えてしまう。

仕組みが理解出来ないと、自分の中にイメージが入ってこないのだ。

なので腑に落ちるまで、やたら時間がかかってしまう。

直感は鋭い方だと思っている。

だけど物事を捉える時は、何故か直感より先に頭を働かせてしまうのだ。

長年の癖である。

あまり考えず、直感だけで物事をこなしていく連中を見ると、たまに羨ましく思う。

前に進むスピードが違うからだ。

でもこの性格…

嫌な部分ばかりでもない。

物事を理屈で捉えるもんだから、理論がわかる。

要するに、物事の仕組みが理解できてしまうという訳だ。

だから一度身体に入ると、ほとんど忘れる事がない。

データとして、しっかり頭の中に残っている訳だ。

人に教えを請われても、仕組みが理解出来てるので詳しい説明が可能である。

理論か直感か、どちらが良いなんて事は判断できない。

どっちもどっち。

損だと思ってる事も、実のところは損ばかりでもないって話しである。

ただし…

理論派の人は注意しなければいけない事が一つある。

それは人に対して、つい理屈をグチグチと喋ってしまう点だ。

コイツはやめた方がいい。

うるさがられるだけである。

ただでさえ年配者になると、あらゆる部分から年齢を感じるのに。

理屈っぽくなると余計オッサンだと思われてしまうのだ。

特に僕の周りはボーイズだらけ…

気を付けたいもんだ。

 
 
 
  体重計に乗る。
2006年10月25日

風呂上がりに、パンツ一丁で体重計に乗るのが毎朝の習慣。

それは陸上競技に専念していた現役時代から変わっていない。

僕は別に、それほど太りやすい体質ではない。

しかし注意は必要。

人間、油断をすれば誰だって太る。

太りやすい体質、太りにくい体質ってのは、人それぞれあるかもしれない。

でも結局は、自分に対して甘いか厳しいかの差だと思う。

酒を飲み過ぎたり、間食をし過ぎたり、体を動かす事を怠ったり。

このようなちょっとした甘えが、すぐに体重には表れてくる。

言い換えてしまえば、体重計とは人生の油断指数計である。

こんな仕事をしている以上、応援してくれる人達の期待を裏切る姿で、人前に立つのは失礼だと考えている。

なので体重とそれに伴う見た目に、充分な注意をはかるのはプロとして当たり前なのだ。

だから僕が太り始めたら、それは日常生活で油断を見せている証拠となる。

油断は禁物だ。

当たり前だが、これは食事でしっかり栄養を採っている事を前提としてのお話し。

無理な方法での体重コントロールは、体を壊すだけだ。

そんなバカなマネは絶対しない。

さっきも言ったが、計っているのは油断である。

食事は栄養摂取であり、生きる為には必要不可欠なもの。

一日の運動量に見合った食事の量が、適切な栄養摂取量である。

それ以上の過度な摂取が、要するに甘えの部分と僕は考えるのだ。

そこを抑えるか、一日の運動量を増やすか…

体重コントロールとは単純にそれだけの事である。

体重を維持したり減らすのは、簡単な事ではない。

歳を重ねれば重ねる程、その大変さは増すばかり。

今の僕には、甘えて体重を増やす余裕なんてまったくない。

なので常に厳しい自分で在り続けること。

これが日々の油断から己を守る、唯一の手段なのである。

 
 
 
  立ち読み。
2006年10月24日

よくよく考えたら凄いシステム。

売り物である本がタダで読める訳だから。

本を読むのにお金を頂戴する、マンガ喫茶なんてものが存在するご時世なのに、なんともサービス精神旺盛なシステムである。

しかも週刊誌のような、一度見たら二度三度読む事があまりないようなものは立ち読み可能。

逆にコミック本みたいにコレクションするものが、立ち読み出来ないようビニールコーティングされている。

…何故だ?

来週には店頭から消えるような期限付き販売の週刊誌こそ、見たい人の心をくすぐる為に立ち読み不可能にしちゃうべきじゃないのか?

コミック本のように、コレクションにして何度も何度も読み返したくなる本こそ、面白さを気軽に分かち合えるよう立ち読み可能にするべきじゃないのか?

本屋さんは、コミック本を何巻も立ち読み出来るほど、人間の足腰が強く出来ていないのをご存知ないのか?

不思議である。

最近、読むマンガが減ってきて、買わずに立ち読みするようになった毎週月曜発売の週刊誌。

立ち読みをする度に、少し罪悪感を感じてしまうのだ。

だからか…

こんな、どーでもいい事を一日中考えてしまうのは。

 
 
 
  募金活動。
2006年10月23日

街中でたまに見る募金活動の人達。

「イラク義援金にご協力を」

「カンボジア基金〜子供達の為に学校を建てよう〜」

などなど…様々なキャッチフレーズを掲げて行っている。

純粋に素敵だなと思う。

遠く離れた国の知らない人達の為に、自分の時間を使って一生懸命、募金を募っている訳だから。

僕は基本的に、自分の損得に関係なく人の為に動ける人は、とっても偉い人だと思っている。

なので彼らはとっても偉い人。

見習うべき生き方である。

そんな素敵な人達に混じり、たまにこんな人がいる。

何年も使い回しているであろうボロボロの募金箱に、辛うじて臭いは発していないが、ちょっと薄汚れた服。

明らかに募金活動を装うホームレスなのだ。

しかし確証はない。

本人に「あなたホームレスですか?」なんて聞けないから。

でも先に述べたような募金活動をしている人達とは、まるで何かが違うのだ。

目を見ればだいたいわかる。

人生に対し前向きに生きている人と、そうでない人の目の輝きの違いだ。

街中を歩いてると、こうした人達も必死に募金活動をしている。

生活がかかっている訳だから、ある意味誰よりも必死かもしれない。

まああくまでも僕の憶測での話しな訳だが。

実は、きちんとした募金活動をしてる人なのかもしれない。

集めたお金の使い道は本人しか知らないのだから、僕らに事の真相なんてわかる訳がない。

まさに真実は藪の中である。

昔、一度だけこーゆー人に募金をしてみた事がある。

200円程入れてやった。

怪しいと思ったが、騙されたとか損をしたとかは思わなかった。

その200円でパンと牛乳でも買えれば、その人を救ってやった事になる。

そう思ったからだ。

一応これも募金は募金なのである。

ただお金を集めた人が、人の為に使うか自分の為に使うかの違いなのだ。

こちらとしては同じ意味である。

どちらも一応、人の為に使った訳だから。

まあホームレスの生き方については、僕が偉そうな事を言う筋合いはないので何も言わない。

ただ募金活動する人の中には、そんな人達もいるっていうお話しである。

 
 
 
  頑張り時。
2006年10月22日

今までの人生から、これからの人生全て含めて…

人生には頑張り時のタイミングってのがいくつかある。

死ぬ気になって頑張りを見せるタイミングだ。

ここを踏ん張るかどうかが、これからの人生を大きく変える事になる。

当然、楽にはいかない。

ものすごく大変だし、想像もつかないくらいの努力を必要とする。

人生に多大な影響を及ぼす程のタイミングな訳だから、それは当然だろう。

妥協することはいくらでも可能。

手を抜けば、大変さは和らぎ楽にはなれる。

結局、頑張るか頑張らないかなんて自分の気持ち次第なのだ。

手を抜けばいくらでも楽が出来る環境で、いかに頑張っているかが大事な訳で。

大変でも、なんとか踏ん張ってやろうとする強い気持ちが、将来を素敵なものにするか、更に素敵ものにするかの違いになってくるのである。

欲を言えば僕は、更に更に素敵な将来を築き上げていこうと思っている。

だから甘い事を言ってる暇もなく、頑張りまくるのだ。

人生で何回か訪れる、頑張り時のタイミング…

今が間違いなくそれだから。

 
 
 
  創作意欲。
2006年10月21日

時折、何かを無性に創り上げたい気持ちになる事がある。

企画を起こし、みんなで様々な計画を練って形にしていく。

僕はこの過程の作業が大好きなのだ。

作業をしながら、完成した時の周りの反応なんかを想像するとワクワクする。

喜びや驚きの顔。

そんな周りの顔を想像してしまうと、絶対にやってやろうと思ってしまう。

このワクワクする事が、創作活動には大事である。

それで完成したものには、やはり人をワクワクさせる力があるからだ。

完成してしまえば僕はもう満足。

あとは誰かに任せてしまってもいい。

僕はとにかく、この0を1にする作業ってのが大好きなのだ。

今はまだ我慢。

だが近い将来、必ず何かの企画を起こすだろう。

何をやるかは自分でもわからない。

でもクリエイティブな事をするのは決まっている。

想像すると楽しみで仕方がない。

僕の心は2〜3年先の出来事に、もうワクワクしているのだ。

 
 
 
  ワールドトレードセンター
2006年10月20日

先日、久しぶりに映画館に足を運んでみた。

前々から宣伝を見て気になっていた映画があったので、迷わずその映画のチケットを購入。

ニコラスケイジ主演の「ワールドトレードセンター」だ。

忘れもしない、あの9・11NY自爆テロを題材にした映画である。

テロの標的となったワールドトレードセンターに、救出作業に入ったニューヨーク市警察である、主人公ニコラスケイジとその仲間達。

突然のビルの崩壊に巻き込まれ、彼らは瓦礫の下敷きとなってしまう。

奇跡的に一命はとりとめたものの、瓦礫に下半身を挟まれて重傷を負い、一刻を争う状態となる。

今にも消えそうな命の灯火。

そんな命を、仲間同士で励まし合いながら必死に繋ぎ止め、ただひたすら救助を待ち続ける。

家族を想い、仲間を想い、自らの将来を想いながら…

そんな切なくて感動する、実話を元にした素敵な映画だったのだ。

映画の最後には一つのメッセージがあった。

「テロの愚かさを知ると共に、人間同士が支え合う事の素晴らしさも知る事ができた」と…

少し皮肉な感じである。

こんな事件が起きたからこそ、人として大切な事に改めて気付かされたのだから。

でもやはり素敵な事である。

最悪の事態から、大切な事を学んだ訳だから。

大切な想いを後世に残そうとしたのだから。

素晴らしいと思う。

こうした想いを、一人一人がいつまでも忘れる事なく心に留めておけば、必ず平和は訪れる。

この映画を通して、命の尊さや人間同士の支え合いの大切さが、世界中に伝わっていけば本当に良いと思う。

僕はこの映画にまったく関わっていないただの視聴者。

だけど映画から感じた大切な事は、たくさんの人に伝えたい。

僕が関わった作品でなくても、僕自身が感じた事だから伝えたい。

こうしてブログででも何でも、とにかく使える手段を使ってメッセージを伝えていきたいのだ。

それが俳優の仕事だと思うから。

世の中に素敵なものを伝えていく僕達の仕事だと思うから。

当然の事である。

 
 
 
  男のステータス。
2006年10月19日

男のステータス…

男としての価値が、世間にどれだけ認められるのか?

それの目安になるようなものである。

よく言われるのが、時計と車と女。

見栄えの良さが全てみたいな感じのものばかりだ。

そんなもので男の価値を計るのは、正直バカらしい。

しかし男という生き物の、己の価値を世に証明したい気持ち…

わからなくもない。

男ってのは己の生き様に誇りを持ち、己の生きてきた証しを世に残していきたい生き物。

なので愛だ恋だに生きるより、仕事で成果を出すことに強いこだわりを持つ。

自分の生きてる証明や存在価値を、世の中に強くアピールしたいのだ。

要するに、誇り高き見栄っ張りなのである。

高級車や高級時計、美人な奥さんってのは、そういった意味があるのだ。

僕も仕事で頑張った成果は、目に見えるものとして実感したい人である。

高級車や高級時計、美人の奥さんもいいが、僕の場合はそれとは少し違うもの。

広いマンションである。

いかにも的な田舎者の発想だ。

広い高級マンションに住む事が、僕の世に誇れるステータスとなる。

今より少しでも広いマンションに住めるようになれば、仕事を頑張ったと自分を誇れる。

逆に今のマンションに住めなくなれば、仕事を頑張っていないという事にもなる訳だ。

そして成長を続けていくと、今自分がどの辺りにいるものなのか、わからなくなる場合もある。

そんな時に自分のこだわるステータスがあれば、今の自分のいる位置が確認出来るという訳だ。

いかに頑張れているかの確認作業である。

それにこうしたものがあった方が、仕事への意気込みも増すと思う。

ただの見栄かもしれないが、このような男のステータスを持つ行為…

案外大切な事であったりするのだ。

 
 
 
  パソコンと人。
2006年10月18日

この前パソコンの調子が悪かったので、カスタマーサポートに問い合わせをしてみた。

どうやらウチのパソコンはかなり深刻な問題を抱えていたらしい。

言われるがままに、あれこれ操作してみたが治る気配はなし。

仕方なく中身のデータを他へ保存して、中身をリカバリする事にした。

リカバリとは、パソコンを購入した状態に戻す作業。

つまり初期化するのである。

今までに訳のわからないデータを、たくさん取り込んでいたかもしれないウチのパソコン。

そういった悪いデータから、最初からある正規のデータまで。

全てを一度排除して、また新たに正規のデータだけを取り込む作業。

これがリカバリの流れだ。

わりと楽な作業である。

これだけで元のスッキリした状態に戻ってくれるのだ。

まあパソコンだからこそ、このような簡単な作業で、様々な問題も解決できるという訳だ。

しかしこれが人間の場合だとどうか?

パソコンのようにそう簡単に解決できる事ではない。

たくさんの問題や悩みを抱えているからって、人間を初期化して問題を解決なんて出来る訳ないのだから。

子供の頃、よくファミコンのリセットボタンを押してゲームをやり直していたように。

そんな気軽な感覚で人生をやり直す事は出来ないのだ。

地球上の生物で唯一人間だけがとる、自らの命を絶つ行為。

これはやり直しの作業とは言えない。

人生からの逃げの作業である。

絶対に逃げる事はしてはいけない。

問題や悩みと、戦っていく気持ちがあるかないか。

人間の場合は、そこが大切な訳だから。

人の抱える、問題や悩みの種類は様々。

大きなものから小さいもの。

深刻なものもあれば、たいした問題じゃない場合だってある。

人それぞれで抱える問題や悩みの種類も違うだろうし、問題の大きさも受け取る側によって、全然変わってくる。

ただ言えるのは、誰もが必ずそういった問題や悩みの一つや二つは、必ず持っているということ。

いくら幸せそうに見える人でも必ず持っているのだ。

自分だけが悩んでいる訳ではない。

ただ幸せそうに見える人ってのは、一生懸命になって問題や悩みと戦っている。

日々懸命に戦っている。

だから少しずつ、強くたくましく成長していく。

その強さがみなぎればみなぎるほど、幸せそうな姿に見えるのだ。

そういう人は、過去の失敗・失態を気にしない前向きな力を持っている。

人生から消す事の出来ない失敗・失態をくよくよ悩む事より…

今から先の人生に目を向け、そこで大成功して過去の失敗・失態を帳消ししようと考えるのだ。

やり直す事なんかよりも、ただ成功して失敗を取り返す事しか考えないのだ。

人間の人生にやり直しはない。

パソコンとは違う。

ただパソコンなんかよりも優れた人間だから、何があってもやり直す必要なんかないってだけの話しなのだ。

人間は機械のように限界もなければ、制限もない。

あるのは無限の可能性である。

 
 
 
  ハートでする仕事。
2006年10月17日

以前タクシー運転手について、僕なりの意見を書いた事がある。

今日はそれのちょっとした続き。

少し前に仕事でタクシーを使った時、伝えた行き先がわからない運転手がいた。

目的地はそれほど遠くなく、更には地元のタクシー会社だったので、知ってるのが当然だと思っていた。

だが運転手は道を知らない。

仕方なくルートを細かく説明しながら、目的地に向かう事にした。

タクシーの中でゆっくりくつろいでから、仕事に挑もうという僕のもくろみは崩れさり、ちょっと不満が残る気分だった。

もちろんそんな気分は、自分の胸の内だけにしまっておいた訳なのだが。

それから数日後…

同じ仕事現場へ行くのにタクシーを使ったら、偶然にも先日のタクシー運転手と同じ人だった。

運転手さんもすぐに先日の客だと気付いた様子。

こうした状況になると何故か不思議と、2人の中で会話が始まってしまうのだ。

会ったのはたったの2回目…

しかも1度目は会話すらしていない状態なのに、妙な親近感が沸いてくるのである。

海外で日本人に会った時って、こんな気分になるのだろうか。

とにかく僕の中の喋りたい虫が、ウズウズし始めるのだ。

と言ってもたいした事はない、ただの世間話しである。

到着するまでの暇つぶし感覚だ。

しばらくして運転手さんとの会話も尽き始め、そろそろ目的地に到着しようとした瞬間、運転手さんが僕に言った。

「こちらの道でしたよね?」

道を確認したのだ。

そこは普通ならあまり通らない狭い道。

ほんのちょっとだけ近道という理由で、僕がこだわって使っている狭い抜け道だったのだ。

そんなこだわりのマイルートを、運転手さんが覚えていてくれた事にビックリした。

そして僕は運転手さんに、1つの質問をした。

「道って結構たくさん覚えているんですか?」

そんな風な質問だったと思う。

すると運転手さんの答えはこうだ。

「このルートはお客さんに教えてもらって知ることが出来たんですよ。僕らはお客さんに育てて貰ってるんです。」

そう答えたのだ。

お客さんに育てて貰ってる…

僕の心にすごく響く言葉だった。

わからなかった道を、次には必ず把握しておく勉強熱心さに加え、お客さんからの教えを素直に請う、謙虚な気持ちを持っている訳なのだ。

素敵なタクシー運転手だと思った。

最近あまりタクシー運転手に良いイメージがなかった分、とても衝撃的な出来事だった。

自分の中にあるタクシー運転手に対する偏見的な見方も、見直さなければいけないと思った。

こんな気持ちにさせてくれた運転手さんに、心から感謝なのだ。

仕事に対する意気込みや熱意…

プロならば当然、大切にしなければいけない要素である。

運転手さんが一生懸命道を覚えようとした努力は、客の僕には充分伝わってきた訳なのだから。

出来ない事があっても、とにかく一生懸命な姿が見られたら僕はそれでもいいと思う。

一生懸命な想いが伝われば、満足感だって生まれてくるのだ。

サービス業、いや…

人と人とのやり取りってそういうもんだと思う。

タクシー運転手も芸能人も…

結局は人に与えてなんぼの仕事な訳だから。

どんな仕事もハートでするって事を、絶対に忘れてはいけないと思う。

 
 
 
  自信を持つ。
2006年10月16日

「自信持って!」

何かに挑む時、よく励ましの言葉として投げ掛けられる言葉である。

しかもこれから挑むという、ギリギリ直前に言われる事が多い。

自信を持つ…

要するに、自分を信じる気持ちを持つという事だ。

でも自信なんて、そう簡単に持てるもんじゃない。

ましてや本番直前に「自信持って!」と言われて、そんな急にどうにかなるもんでもない。

自信とは、やると決めてやってきた事の積み重ねや、それに伴って作り出した成果によって反映されるもの。

つまり、頑張ってきたという結果だけが、自信に結びつくという事なのだ。

即席でなんとかなるものではない。

それは当の本人達が一番よくわかっていること。

やると決めた事を必ずやってきた努力の日々…

それは必ず自信となって、自らに力を与える。

やると決めてはいたものの、遊びに流されたり様々な言い訳を作ったりして、たいして頑張りもしていない日々…

自分を信じる気持ちなんて持てるはずがない。

結局は自信を持てるか持てないかなんて、今までの自分の行い次第なのだ。

だから今は、将来に控えている大舞台に向けて、一生懸命頑張るしかないのだ。

日々自信を付ける作業の連続である。

ちなみに、何かに挑む直前に掛けてあげる一言として、僕は好きな言葉がある。

「楽しんでこい」

やる事を全てやってきた人に向ける、これがベストな一言だと思う。

 
 
 
  大物気質。
2006年10月15日

大物気質な人。

そんな人に僕はちょっと憧れを持つ。

まだまだ僕にはない要素だから。

いずれ必ずそうなってやると、強く心に思っている。

大物気質…

僕のイメージはこうだ。

いつもたくましく、何があってもドンと構えている人。

細かい事はあまり気にしないが、人への気配りはきちんと出来る人。

常に周りにたくさんの人がいて、仲間意識をとても大切にしている人。

責任感が強く、誰からも頼られるような信頼ある人。

こんなところである。

これって要するに、リーダーシップの取れる人って事なんだと思う。

考えてみればこれまでの人生、リーダーシップを取る生き方って、あまりした事なかったように思う。

大学時代の陸上競技部でも、箱根駅伝に向けてやらざるをえなかった、仕方なくのキャプテン。

自らチームを引っ張っていく意識を持って、キャプテンをやろうとした事はなかった。

それは僕が超が付くほどの、めんどくさがり屋だったからだ。

当時は競技以外の部分で、あまり労力を使いたくないと思っていた。

だから責任感のあるキャプテンという仕事が嫌だったのだ。

今はそう思わないが、昔はそういう事の大切さに気が付いていなかったという訳だ。

僕もそろそろ、責任ある立場に立つ事を、自ら意識しなければいけないかもしれない。

そこから逃げていたら、いつまでたっても何も変わらない訳だから。

このようなリーダーシップをとる生き方…

男としては、これ以上ない男前な生き方である。

とても憧れる姿だ。

僕もいずれ、でっけー男になってやろうと思う。

 
 
 
  変化を加える作業。
2006年10月14日

僕は寂しがり屋な性格。

寂しがり屋だから、いつも人と触れ合っていたいと思う。

そんな性格なもんだから、おかげさまでたくさんの友達と出逢える事が出来た。

まあこれは前にもブログに書いたお話なのだが…

今日は、そこから更に気付いた事があったので書いてみる。

季節のせいかここ最近、寂しがりの性格がより一層増してきた。

一人で過ごす時間に、たまらなく孤独感を感じてしまうのだ。

誰かと何かをしていないと、それ以外の時間がまるで無駄のようにも思えたりする。

一人か一人じゃないかって事に、ここまでモチベーションを左右されてしまうのは、正直ちょっと苦しい感じだ。

これは見直しが必要だと思った。

寂しがり屋の性格がプラスになるのは良いが、マイナスになるのはいけないこと。

どんな状況下でも、最高のコンディションを保っている強い自分…

それが僕の理想像な訳だから。

まず一人の時間を有意義に過ごす方法を見つける前に、僕自身を少し改善しなければいけない。

考え方や捉え方を変えていくのだ。

どこをどう変化させるか?

寂しがり屋という性格を変えるのである。

でも性格を変えるなんて、簡単に出来る事ではない。

寂しがり屋という性格の、捉え方を変えていくのである。

寂しがり屋な性格じゃなく、人が大好きな性格。

このように捉える訳だ。

そうすると孤独感みたいなものを感じる事はなくなる。

人が大好きとすれば、好奇心が沸いてその人の事をもっともっと知りたいと思える。

コミュニケーションが円滑に計れるという訳だ。

このようにちょっと捉え方を変えるだけでも、意味合いが全然変わってくる。

行動する意味合いが変わってくると、気持ちの前向きさ加減が違ってくるのだ。

結果的に以前よりプラスになっているという事になる。

一人の時間を過ごす方法は、その後から考えればよいと思う。

カッコイイ大人のライフスタイルの確立である。

このように、自分に変化を生み出したい時は、まず今まで当たり前だった事に疑問を持つ事から始める。

どうして僕はこういう性格なのか?

そしてそのしくみを理解したら、今度はしくみ自体に変化を加えてやるのだ。

そうすれば結果は変わってくる。

パソコンのプログラムを変えるような感覚だ。

僕は常に理想の自分を追いかけている。

常に変化を求めている。

今よりも更に素敵になり、今よりも更に素敵なものを世の中の人達に与えていくために…

なので寂しがり屋な性格とは今日でお別れだ。

改めて言う。

僕は人が大好きな性格なのだ。

 
 
 
  撮影に向ける意識。
2006年10月13日

だめんず・うぉ〜か〜の放送がいよいよスタートした。

有り難い事に、これで2クール続けて連ドラに出演させて頂いている。

本当に感謝の気持ちでいっぱいである。

前回、不信のときでは初めてだらけの事もあり、様々な部分で苦戦をした。

そんな苦労もあってか、今回は現場の勝手というものが理解でき、スムーズに撮影に挑める事ができたのだ。

どうゆう流れで全体が進んでいくのか、把握しているだけで余裕が生まれる。

余裕があれば、それだけ芝居にも集中出来るという事だ。

現場での自分のモチベーションコントロールも大切な要素となる。

今回は作品にたくさんの登場人物が出てくる為、キャラの印象をいかに残せるかが大事になってくる。

コメディなので、普通に芝居をすれば薄い印象で終わる可能性もある。

そこら辺の芝居の強弱をつけるさじ加減が、けっこう難しかったりするのだ。

あとはカメラの位置関係を把握する事と、カメラがどう抜いているのかを意識する事である。

前回の作品では余裕がなかった為、正直カメラにまで意識が向かなかった。

どこからカメラが抜いているかを知らなければ、せっかく細かい芝居をしても見切れて損をする場合だってあるのだ。

セリフがなく動きだけの芝居をする場合、カメラの位置を把握する作業はとても重要となる。

こうした事を意識しながら撮影に挑むと、新たな楽しみ方が増えて面白くなってくる。

舞台とはまた違った楽しみ方である。

映像は奥が深いんだなと、つくづくそう感じるのだ。

日々向上する意識…

常にコイツを強く持って、これからの撮影に挑もうと思う。

 
 
 
  親心を味わう。
2006年10月12日

わが家に新しい家族が一人増えた。

一人と言うより、詳しくは一匹…

生後2ヶ月になるトイプードルの赤ちゃんだ。

名前はハッピー。

ブラウン色の毛並みが美しい、とても美人な女の子である。

わが家に幸せが訪れたって意味と、名前を呼ぶたびにハッピーな気分になりそうなので、この名を付けた。

まだ生後間もないので、残念ながら今はまだ外に連れ出す事が出来ない。

なのでハッピーちゃんは、しばらく部屋の中だけの生活となる訳だ。

僕が仕事で家を出ようとすると「クゥ〜ンクゥ〜ン」とケージの中から鳴き始める。

「行かないでー!」

と言わんかばかりのつぶらな瞳で、僕の顔を見ながら鳴くのだ。

行きたくない気持ちも山々…

だけど僕はこれから大切な仕事がある。

キミと仕事を比べるなんて僕には出来ない。

わかっておくれ…ハッピーちゃん。

恋愛ドラマの別れのシーンが、僕の中で繰り広げられているようだった。

最近はそんな毎日である。

一人暮らしなので、出掛けるとやっぱり不安な気持ちになる。

頭の中ではずっと、ハッピーちゃんの事ばかり考えているのだ。

ちゃんとゴハン食べたかな〜…

決まった場所でウンチ出来たかな〜…

寒かったりしないかな〜…

こんな調子である。

もう親バカっぷり全開なのだ。

子供が産まれた後の父親の気持ちを、ちょっとだけ理解できた気分である。

こんな調子だから、仕事が終わったらもう寄り道なしでまっすぐ帰宅。

「最近付き合い悪いねぇ」に対しても…

「家で幼い子供が待ってるんでね。」である。

これぞまさに親心。

娘を持った父親の気持ちである。

擬似的なものではあるが、僕にとっては生まれて初めての親心。

ちょっと感動的である。

 
 
 
  習慣化。
2006年10月11日

ブログを毎日更新し始めて、早2ヶ月。

いや…まだ2ヶ月と言うべきか。

まあ今のところ、毎日書く事を続けている。

いつまで続けるかなんて事は、今のところまったく考えていない。

とりあえず毎日書く事を決め、それをこれからもやり続けていくだけだ。

中身はどうであれ、何かを継続していくって事はとても大変なこと。

忘れる事もあれば、時間がなくて出来ない日もあったりする。

それでもやり続けなければいけないのだ。

出来ない言い訳は、その人の個人的な理由な訳だから、周りには一切関係のないこと。

毎日続けるって事は、思っている以上に根性と覚悟が必要な作業なのだ。

こうした毎日やらなければいけない作業って、正直めんどくさかったりする。

自分で決めた事でも、毎日それに時間を割かなければいけない訳だから。

遊んでいる時も、仕事している時も…

いかなる場合も、毎日の作業は欠かすことが出来ないのだ。

そんな、ちょっとめんどくさいけど、毎日欠かさずやらなければいけない作業…

めんどくさいと思うと、ただしんどいだけである。

なので僕は、その作業を生活の一部として捉えるようにしている。

つまり習慣化する。

朝起きて顔を洗うように。

食事の後に歯を磨くように。

日常の生活の中で、もはや当たり前の行動であるかのように、生活の一部にしてしまうのだ。

2ヶ月たった今、僕の中でブログを書くことは、毎日の習慣となってきている。

食事の後に歯を磨かなかったら気持ち悪いように、毎日ブログを書かなければ気持ちがスッキリしないくらい、僕の生活の一部となっているのだ。

習慣化さえしてしまえば、大変な作業も案外当たり前のように出来たりする。

慣れるまでの最初のうちは、ちょっと大変かもしれないが。

でも続けてみれば、実は意外と簡単に出来てしまったりする訳なのだ。

何事もクセづけてしまえば楽勝なのである。

 
 
 
  出雲駅伝。
2006年10月10日

毎年、体育の日に行われる大学駅伝。

全日本大学駅伝、箱根駅伝に並ぶ大学三大駅伝の一つである。

我が母校は2位。

幸先の良い駅伝シーズンのスタートだ。

一昨年辺りから駅伝では、コンスタントに上位に食い込むようになってきた。

これでも一応先輩なので、後輩達の活躍は嬉しいもんだ。

卒業してからも箱根駅伝や関東インカレなどの近くで見られる大会には、ちょくちょく足を運んでいる。

12年間も続けた陸上競技への、愛情にも似た想いである。

マイナーなスポーツではあるが、僕をここまで成長させてくれた陸上競技…

僕はやっぱり大好きなのである。

今はまったく走ったりしてないが、これからの人生でも必ず何かしらの関わりがあると思う。

俳優の仕事でも、陸上競技で培った何かを活かせればいいと思うし、何よりもこの仕事を通じて陸上競技の素晴らしさを、もっともっと世の中に広めたい。

僕はそう思っている。

陸上競技の世界から芸能界に飛び込んだ僕の、ちょっとした使命のようなもんである。

箱根駅伝だけに限らず、陸上競技の大会に足を運ぶ人が増えたら、素直に嬉しかったりするのだ。

今そうした事を願って、競技を頑張っているトップアスリートもたくさんいる。

街中で棒高跳びをして、陸上競技の楽しさを一般の人達にアピールする後輩だっているのだ。

皆それぞれが熱い心を持って、陸上競技というものを沢山の人達に楽しんで頂けるよう努力している訳である。

畑は違うが、僕もそんな事を願う一人。

今でも陸上競技をこよなく愛する、陸上バカの一人である。

この仕事を通じて出逢った人達が、陸上競技にちょっとでも興味を示してくれれば、僕はそれだけで嬉しいのだ。

12年間想い続けた恋人のような陸上競技…

今日はそいつに対する想いを、ちょっとだけ熱く語ってみた。

 
 
 
  北海道。
2006年10月09日

今一番行きたい場所である。

それも札幌のような都会ではなく、見渡すところ牛ばっかりの田舎の方。

牧場と、一直線の道と、ポツポツと見える酪農家の家。

牛の糞の臭いや、何かを発酵させたような酸っぱい臭い…

そんな独特の香りを放つ北海道の田舎の方に、僕は行きたいのである。

昔は夏合宿で、年に一回は訪れていた。

訪れた場所も様々。

別海、恵庭、苫小牧、深川、士別。

合宿なのでメジャーな場所ではないが、僕にとっては思い出の深い土地。

行った場所それぞれで、様々な思い出がある。

ケガして走れなかったので、20km先にあるプールまでチャリンコ漕いで、2kmくらい泳いでから、またチャリンコで同じ道のりを帰ったり。

ケガして走れなかったので、コッソリ練習さぼって旭川まで汽車に乗って遊びに行ったり。

ケガして走れなかったので、地元の美味いモノをやけ食いして、体重オーバーしちゃったり。

まあ思い出すと、ケガしてばかりだけど…

でも逆にケガが多かったおかげで、北海道の様々な部分を満喫できたという訳なのだ。

当時はケガという嫌な思い出が強烈で、気分的には良いものではなかった。

しかし今は違う。

強烈だった分、それが美化された今はとても懐かしく、印象的で素敵な思い出となっている。

出来ることなら一年に一度は訪れたい。

それも雪の降ってない時期の、緑に溢れた北海道にだ。

雪化粧に覆われた姿より、僕はすっぴん姿の北海道が好きなのである。

 
 
 
  正しい使い方。
2006年10月08日

例えばの話し。

先輩と居酒屋に飲みに行く。

自分のグラスが空いているのに気付いた先輩が、ビールを注いでくれる。

当然、お礼の一言って必ず言うと思う。

だいたいこんな感じの一言だ。

「あっ、すいません」

とっさに出てくる感謝の一言は、何故か謝罪の言葉である。

当たり前のように使っているが、よくよく考えたらおかしい使い方だ。

この場合、正しい使い方は「ありがとうございます」なのに、何故か謝ってしまうのである。

どこかに電話をかける時もそうだ。

「すいません、あのー…」

こんな感じで始まったりする。

不思議と「すいません」を使ってしまうのだ。

まったく謝罪する気持ちもないのにである。

ホント日本語の使い方って難しいと思う。

間違った使い方をしていても、それが間違ってる事すら、気付かなかったりする訳だから。

つくづく日本語の奥深さを痛感させられてしまうのである。

こんな風に、間違った日本語の使い方って、他にもたくさんあると思う。

気付いてない事も多いだろうし。

でも、せめて感謝を伝える言葉くらい、今すぐにでも直していかなければいけないと思うのだ。

「すいません」

ではなく…

「ありがとう」

これが言えるだけで、人との気持ちの良いやり取りが出来てしまう訳だから。

それにこんな素敵な言葉を、わざわざ使わないのは勿体無いと思うのだ。

素敵な人生を送るには、素敵な言葉の積み重ねが必要だと思うから…

細かい事だが、本当に大切な事だと思う。

 
 
 
  やり続けて思うこと。
2006年10月07日

ブログを毎日書く作業。

これってかなり大変だけど、やってて良かったと思う事が時々ある。

最近だと雑誌の取材時。

いろんな質問を投げかけられるのだが、それに対する答えがわりと簡単に出てくるのだ。

それもありふれた答えでなく、僕が捉える考え方がきちんとした答えとなって出てくるのである。

当然取材な訳だから、個性のある内容の方が記事にもしやすい訳で。

いつもブログに書いている癖のある内容が、意外にも個性的なトークのネタ作りとして、お役に立っていたという訳なのである。

まだほんの少しではあるが…

だが確実に、ブログは自分にとっても価値あるものとなってきているのだ。

頑張っていこうと思う。

 
 
 
  タクシー運転手。
2006年10月06日

行き先を伝えると、「道がわからない」と答えるタクシー運転手がたまにいる。

正直、僕はイラッとする。

タクシー運転手の技量は、運転テクニックよりも道をどれだけ知っているかだと、僕は思うのだ。

それを平気で分からないと答えるタクシー運転手…

ハッキリ言ってプロの仕事ではないと思う。

「東京都23区内なら、どこでも任せてください」

これくらい言える知識は、最低でも持っておいてもらいたいもんだ。

「私この辺じゃないんで…」

「新人であまり道を知らないもので…」

こんな言い訳はいらないのである。

そっちの事情は、客にはまったく関係ないのだから。

こちらとしては、より安全に、よりスピーディーに目的地に到着して頂きたいのである。

まあそれでも、カーナビ付けてるタクシーよりはマシかもしれない…

ナビを見ないで、自分の記憶だけを頼りに頑張っている訳だから。

カーナビを付けているタクシーの運転手。

これはもう始めっから、道を覚えていこうという向上心を感じられない。

やる気0パーセントだ。

乗った瞬間に「ここで停めてください」って言いたくなる。

お金を貰っている以上、プロの仕事を披露するのは当然であり…

腕がまだまだ未熟であっても、それに代わる何かで客を満足させるのが、本当のプロであると思うのだ。

道がわからなくて客に不快感を与えたら、料金割引するくらいの本腰を入れて仕事してもらいたいと思う。

昔、宅配ピザ屋が30分以内にお届けしないと、タダになるサービスをしていたようにだ。

単純に、おもてなしの気持ちがあるかないかの問題である。

なので道がわからない事を、当たり前のように振る舞うのはおかしい話しなのだ。

ましてや、カーナビに頼るなんてのは問題外なのである。

厳しい言い方だが、プロとはそういうもんだと思う。

ナビを見ながら運転するタクシー運転手…

それって本番の舞台上で、役者さんが台本見ながら芝居しているようなもんだから。

そんなプロの姿は見たくないと思うのが、正直な気持ちなのだ。

タクシー運転手にはもっぱら厳しい、僕の勝手な意見である。

 
 
 
  雨嫌い。
2006年10月05日

雨が降ると、少し嫌な気分になる。

服が濡れるし、湿気で髪もボサボサになる。

ちょっと気分がなえる一日だ。

しかしそんな憂鬱な一日も、工夫次第ではとても楽しみな一日となる。

方法は簡単。

お気に入りの雨具を買うのだ。

それを使うのが、楽しみで楽しみで仕方ないくらいお気に入りのもの。

誰かに自慢しちゃいたいくらい高級な傘とか、すごく可愛いデザインの長靴とか。

雨の日が逆にハッピーな一日となる、そんなとっておきの雨具を買っておくのだ。

きっと雨の日が楽しみになるだろう。

憂鬱な一日ともおさらばである。

このような、毎日をハッピーに生きるちょっとした工夫…

見つければ見つけるほど、人生はより楽しいものとなる。

 
 
 
  負けず嫌い。
2006年10月04日

勝ち負けがハッキリわかる状況下。

僕は負けず嫌いな性格をモロに発揮する。

果敢に攻めていく事だけを考える。

逃げ道は作らない。

こうした状況下では、自分の発言にも細心の注意をはかる。

失敗してもあーだこーだ能書きを垂れない。

常に前へ攻めていく発言のみだ。

自分自身の分析も、常に成功する為のものであり、絶対に失敗の理由作りにはしない。

理由を作ると自分自身に、必要のない課題をわざわざ作るはめになる。

無意識で挑めばどうって事ない。

課題視するかしないかの問題なのだ。

僕は何よりも、悔しい気持ちをバネにする。

悔しい思いを胸に秘め、絶対に越えてやると思い続ける。

あとはトコトンまで、自分は出来ると信じ続けるのみだ。

一瞬でも出来ないと思えば、そこから逃げる事を考えてしまうから。

大切なのは、常に目的意識を持つことと、高い目標を掲げること。

そして、そこへ向かう為の強い精神力を保つ、高いモチベーションを維持すること。

こうした気持ちが、結果的に負けず嫌いな性格を構成しているのである。

結局のところ、本当に負けたくない相手ってのは、他の誰でもない。

自分自身なのである。

 
 
 
  買い物。
2006年10月03日

月に2〜3度、僕は買い物に出掛ける。

行きつけの店に行き、自分の着たい洋服やアクセサリーを色々と選ぶ。

けっこう楽しい時間である。

そこで、気に入った物があれば買う。

「コイツとの出逢いを大切にしたい」

なんて訳わからん理由をつけて、自分を無理やり納得させた上で買う。

もちろん財布との相談もあるのだが。

欲しい物が買えた時、気持ちが少し満たされる。

買い物をした事で、ストレスも発散される。

でも何故か、おもいっきりスッキリした感覚は今まで一度もない。

すごく欲しかった物を手に入れても、心のどこかに寂しさを感じるのである。

多分、自分への買い物は自己満足でしかないからだ。

自分で自分を満たす行為って、やはりどこか満たしきれてない部分があったりする。

求めるって行為が、そうゆう事なのかもしれない。

しかし同じ買い物でも、とても満たされる買い物もある。

それは自分への買い物ではなく、人に与える為の買い物…

そうプレゼントである。

人にプレゼントする時の買い物って、何故かとてもワクワクする。

選んでいる時、相手が喜んでくれる顔を想像すると、とても楽しい気分になる。

自分が欲しい物を手に入れる訳じゃないのに、とても心が満たされる。

与える事の喜びを感じられるからだ。

こうした人に喜ばれるお金の使い方って、単純に素敵だなーと思う。

相手も嬉しいし、自分も嬉しい。

共に喜びを分かち合える訳だから、素敵であって当然なのだ。

最近、友達の誕生日プレゼントを買っていて、ふとそんな事を思ったのである。

まあ友達っつっても、ウチのメンバーなんだけど…

 
 
 
  顔に責任を持つ。
2006年10月02日

顔の表情ってとてもわかりやすい。

気分や感情、更には性格までもが素直に表れてしまう。

まさに心のコンディションを映し出す、テレビ画面のようなものだ。

顔の表情は、人に様々な影響を与える。

仕事の現場や、みんなで楽しい時間を過ごしている時。

こうした場所では、周りとの協調性を大切にしたいもの。

なので顔の表情一つにしても、周りに良い影響を与える姿であるべきである。

よく現場などで、疲れた顔や面倒臭そうな顔をしたヤツを見かける事がある。

僕はこうした人を見るだけで少しテンションが下がる。

もちろん現場のスタッフも気を使ったりするし、雰囲気も少し悪くなる。

僕たち俳優は人に影響を与えてなんぼの職業。

顔の表情一つにしても、責任を持っていなければいけないと思う。

まあ僕たちの仕事だけに限らないが、人と一緒に何かをする場合。

やはり雰囲気作りは大切になってくるのだ。

大人の世界となれば尚更である。

このように知らず知らずのうちに、人に様々な影響を与えている顔の表情。

出来るならば、その一つ一つに責任を持って、きちんと振る舞っていきたいものである。

 
 
 
  モチベーション。
2006年10月01日

何をやるにも、これが全てだと思う。

何かに取り組む時の意欲の源。

モチベーション。

その動機は様々である。

モテたい。

お金が欲しい。

人に喜ばれたい。

まあ、動機の良し悪しはさておき。

仕事の現場などに入った時、このモチベーションがいかに高く保てているか…

これが成果を左右するであろう、とても大事な要素となったりするのだ。

コントロールするのは非常に難しい。

どうすれば自分のモチベーションが上がるか。

これはもう人それぞれなので、自分なりの方法を考えるしかない。

僕の場合は声を出すこと。

常に誰かと喋っていたい性格の僕は、声が出なくなるとモチベーションが下がってしまう。

寂しがり屋な性格だから、常に存在感を表に出し続けていたいのだろう。

とりあえず声さえ出ていれば、モチベーションは高く保てられる。

まあちょっとした力技ではあるが、ある程度のコントロールはできる。

現場での達成感も少しずつ安定してくるという訳だ。

こうした達成感の一つ一つの積み重ねが、最終的に大きな成果へと繋がると僕は考える。

更にはモチベーションを高く保つ事で、現場の雰囲気や志気も上がる。

逆にモチベーションが低いと、周りに余計な心配をかけてしまう。

自分一人の問題でもないのだ。

モチベーションを高く保つ事とは、とても責任重大な事なのである。

家を一歩出た瞬間から、そんな意識を心掛けたい。