« BACK | 和田正人 BLOG > 2006年11月 | NEXT »
  逃げること。
2006年11月30日

仕事や学校を「辞める」。

夫婦やカップルが「別れる」。

目的を持ってそれらの行動に出たのなら、次のステージへの第一歩と言える。

応援をしたい。

だが目的も何もなく、ただ嫌な事に直面したという理由だけで、これらの行動に出るのはただの逃げ。

甘えるなと言いたい。

覚悟も決めてないのに、軽々しくそう言った事を口にするのは、個人的に好きじゃない。

学校や会社にせよ、夫婦やカップルにせよ…

そこに賭ける本気の気持ちがあれば、辞めるや別れるなんて言葉は簡単には出てこない。

言ってしまえば、それだけそこに対しての取り組みも甘かったという証拠。

結局そう言った言葉をすぐ口にする人ってのは、ただ注目を浴びたかったり構って欲しいだけの人。

その言葉の意味を、本当のところで理解出来ていない人だ。

大事なのは、どんな状況でもクリアしてやろうと思える強い気持ちである。

逃げの選択は頭の中にあってはいけない。

発想があったとしても、言葉にするのは最終手段。

「辞める」や「別れる」ってのは、それだけ軽々しく発していい言葉ではないのだ。

僕はそう思っている。

 
 
 
  例え話。
2006年11月29日

プロの営業マン。

それもトップセールスマンになればなる程、物事の例え方というのが上手くなるそうだ。

商品の良さをストレートに伝えるより、何かに例えて伝えた方が、顧客に商品の良さをイメージさせやすいのだろう。

これは大事な事である。

長々とした説明は聞いてて飽きる。

理想は、簡潔な説明でいかに相手にイメージを膨らませられるかだ。

ブログもしかり。

文章が簡潔にまとめられている方が、読み手が力を使わずしても、内容が頭の中に自然と入ってくる。

それが理想の文章だ。

営業マンも俳優も、中身は違えど伝えるという作業に関しては同じこと。

見習いたいところである。

ちなみに僕には、将来こんな俳優になりたいという理想がある。

それは作品の内容や質をまったく問題としないくらい、経験値と魅力を持つ俳優だ。

例えるなら…

棍棒を装備したレベル99の勇者。

そんなところか。

 
 
 
  手帳をつける意味。
2006年11月28日

最近まめに手帳をつけるようになった。

主な内容は仕事とプライベート。

決められたスケジュールを手帳に書くという、ごく普通の使い方だ。

一般的に仕事のスケジュールは、マネージャーさんが管理するもの。

一週間分の大まかなスケジュールを渡され、だいたい前日くらいには確認の連絡がくる。

なので仕事に関しては、うっかり忘れるなんて事がまずない。

そういう意味では、タレントが手帳をつける必要はないかもしれない。

それでも手帳をつけるのには、僕なりの理由がある。

確認作業だ。

先のスケジュールを確認するのではなく、過去のスケジュールの確認。

つまりは僕自身が、仕事をどれだけ頑張っているかの確認作業だ。

ここ2ヶ月間のスケジュールを見てみる。

撮影、取材、稽古、レッスン…

有り難い事に、毎日何かしらの予定が入っている。

一年前に比べると、仕事の充実感は申し分ない。

関わってくれている皆さんのおかげだ。

感謝である。

しかしながら、スケジュールが全く入ってないという日も所々ある。

ひと月分のスケジュールを確認すると、4〜5日…

レッスンだけの日もある訳だからそれも含めると、僕にはまだまだスケジュールの空きがたくさんあるという事になる。

更には1日24時間単位で見ていけば、今のスケジュールの数倍は詰め込める余地がありそうだ。

こうして直接目で見てスケジュールを確認すると、僕はまだまだ頑張らなければいけないと自覚する。

仕事の質も大事だと思うが、若いうちはとにかく量をこなす事が大事だと思う。

体力のある今のうちに、休む間もなく頭も体もフル回転しなければ、損だと思うからだ。

今の僕にはまだまだ余裕がありすぎる。

スケジュールをビッシリ埋めるような、今以上の働きをしなければいけない。

その為にも、僕はもっともっと頑張る必要があるのだ。

とりあえず目標は1年後…

忙しくてヒーヒー言ってる自分を作り出してやろうと思う。

 
 
 
  恥ずかしがり屋。
2006年11月27日

高校時代…

喋った事ない女の子からは「怖そう」とか「冷たそう」が、僕の第一印象だった。

あえてそうしてたかと言うと、別にそうではない。

ただ異性を前にすると緊張して、無口になるだけ。

女の子には興味なしと言わんかばかりに、僕は無愛想になるのだ。

実はその名残は今もある。

たくさんのファンの皆さんがいる場所なんかがそうだ。

事務所の前や、舞台の入り待ち出待ちなど…

ファンの皆さんを前に、僕は緊張して無愛想な感じになる。

声を掛けられてやっと、ファンの皆さんの方を振り向けるくらい…

それくらい僕の視野は緊張で狭くなっているのだ。

お恥ずかしい話である。

舞台に立ったりイベントで喋ったり、そうした場では特に何とも思わない。

むしろかかってこいや的な勢いである。

だけどそこを降りたら話は別。

スイッチはたちまちOFFとなる。

多分、僕の素の部分がそうさせているのだろう。

とってもとっても恥ずかしがり屋な素の部分が。

歳をとっても性格ってのは、なかなか変わらないもんである。

しかし声を掛けて頂いた分には、きちんと対応しているつもりだ。

無視するのは嫌だし、それが礼儀だと思っているから。

なので見かけたら、気軽に声を掛けてほしい。

外見は無愛想でも、中身はホット。

ちょっとめんどくさいけど、恥ずかしがり屋とはそういうもんだ。

 
 
 
  昔を振り返る。
2006年11月26日

仕事で悩んだり考え込んだりした時、ふと昔の事を思い出す。

事務所も決まらず、バイトと芝居の勉強に励んでいた日々。

なれるかどうかもわからない俳優を目指し、ただ一生懸命に夢を追い掛けていた日々だ。

オーディションなんか数え切れないくらい落ちた。

落ちるたびに不安が積もる。

僕は俳優になれるのだろうか…

そんな気持ちの連続だ。

いっぱい悩んで、いっぱい考え込んで。

それでも諦めずに受け続けた。

諦めない気持ちが強かったのか。

おかげさまで今はこうして、俳優としてお仕事をさせて頂いている。

なりたくてなりたくて仕方がなかった俳優になれたのだ。

本当にこの上なく幸せ者だと僕は思う。

あの当時の事を思い出すと、俳優になれた今の悩みや考え事なんて、別にたいした事ではない。

本当にそう思えてしまう。

結局は悩んでも考え込んでも無駄なのだ。

昔の事を思い出すと、そんな事に気付いてしまう訳である。

だから僕は、感謝の気持ちを持って仕事を頑張ろうと思う。

 
 
 
  夢の小箱にリボンをかけて。
2006年11月25日

今日舞台を観てきた。

僕のデビュー2作目で出演した舞台「夢の小箱にリボンをかけて」。

それの改訂版を観劇してきたのだ。

改訂版とは、前回と同じ作品を新たなキャストで作り替えたもの。

つまり僕が演じた役柄も、別の人がまったく同じ役柄で演じているという事だ。

役者としてこれほど怖いものはない。

理由は単純。

腕の差を計られてしまうからだ。

前作は去年の春に公演されており、ご覧になられた方にとって、まだまだ記憶に新しいところ。

僕も最近の事のように覚えている。

落ち着いて観劇できるか、少々不安な気持ちであった。

でも実際に観劇してみて、それは余計な不安だとすぐに気付いた。

作品が同じでも演じる人が違えば、それはもうまったく別の作品として、新たに生まれ変わっているも同然なのだ。

同じ台詞、同じ曲…

何度も何度も聞いた台詞や曲なのに、新たな作品ではもう新鮮そのものにしか感じないのである。

結局は比較なんかできる事じゃない…

そういう事だったのだ。

懐かしい気持ちと、新鮮な気持ち。

僕をそんな不思議な気持ちにさせてくれた舞台「夢の小箱にリボンをかけて」。

あの頃の僕と、今の僕。

2人の僕をリアルに体感できる、貴重な舞台観劇となった。

初心にかえった気持ちで、また明日から頑張れそうだ。

しかし僕が演じたあの役柄…

あんな早口で喋っていたなんて、今更ながら驚きだ。

 
 
 
  狩り。
2006年11月24日

僕が子供の頃にやったのはイチゴ狩り、リンゴ狩り、ミカン狩り、ブドウ狩り、もみじ狩り。

まあそんなところ。

子供のやる狩りと言えば、思い浮かぶのはそんなもん。

ところが最近の若い子達の一部では、ちょっと珍しい狩りが流行っているらしい。

ホームレス狩りやメイド狩り、オヤジ狩りなどなど…

人が人を狩るというような、不思議なものが流行っているのである。

まったく理解出来ない若者の狂気だ。

僕は、食べる事以外の理由で動物を殺す、趣味のハンティングは基本的に好きじゃない。

娯楽の為に動物の命を奪うのは、単なる人間のエゴだと思うからだ。

それが同じ人間同士で、しかも娯楽でもなんでもなく、ただの弱い者いじめ目的で行われてしまっているのだ。

同じ人間として、本当に悲しくなる出来事である。

何故だろう。

何故、頭の良いはずの人間がそんなバカな事をしちゃうんだろう。

野生の動物だって食べる目的以外の、無益な殺生なんかしないのに。

生態系の頂点に立つ人間としての在り方を、改めて考えなければいけない出来事である。

最近、命の尊さを深く考えさせられるニュースが多い中…

このような出来事は、本当に腹の底から怒りが沸き起こる。

なんとかならんもんか…

 
 
 
  千葉駅伝。
2006年11月23日

昨日行われた国際千葉駅伝。

日本男子は2位という成績でレースを終えた。

今年の代表チームは平均年齢23歳で、最近では最も若いチーム編成となる。

その中で優勝したケニアと2分差の2位は、来年以降に期待が持てる素晴らしい結果だったと、僕は思う。

代表メンバーに選ばれた選手の、今後の活躍に期待したいものだ。

今回で18回を迎えた千葉駅伝だが、この大会、駅伝の世界大会と言っても過言ではない。

と言うのも、駅伝という競技自体…

実は日本でしか行われていないものなのだ。

海外では、このようなリレー形式のロードレースは行われておらず、駅伝は日本が発祥の地となる。

なのでもちろん、国際大会の英語標記も「EKIDEN」である。

そもそもタスキを掛けるという発想自体が、外国人にはない日本人らしい部分ではあるのだが。

そんな日本が世界に誇る駅伝の世界大会、千葉駅伝。

実は今回、大学の後輩が代表チームの一員として出場していたのだ。

箱根駅伝でも直接タスキリレーをした後輩。

まさか日の丸を背負うまでに成長してると思っていなかったので、驚きの反面ちょっと不思議な気持ちだった。

よく知ってる顔が日の丸を背負っている訳だ。

正直、学生時代はあまり強い選手じゃなかった分、その不思議な気持ちもより一層増すのである。

まあ僕が言うのもどうかと思うが…

とにかくこうして頑張っている姿を見ると、純粋に刺激を受ける。

負けてられるかと思う。

僕の場合何年かかるかわからないが、何年かかってでも絶対に、日の丸を背負う俳優になってやろうと思う。

今日は意外な後輩の日の丸姿に、いい刺激を与えられた。

感謝である。

 
 
 
  感動の救出劇。
2006年11月22日

先日、徳島県で大掛かりな野良犬の救出劇があった。

山の絶壁にある崩落防止用コンクリートに迷い込んだ野良犬が、レスキュー隊によって救出されるというものである。

ちょっとした感動的なお話として、夕方のニュースでも放送されていた。

一匹の野良犬の為に人々が協力し合う姿は、とても美しく感動的な光景だった。

僕も家でトイプードルのハッピーちゃんを抱きながら、その感動的の救出劇を見て目をウルウルさせていた。

まあそんな僕の気持ちは無視され、ひたすら指をガジガジ噛まれていた訳だが。

でもこのような感動の救出劇…

実際、見ていてちょっと複雑な心境になる。

こうした野良犬の感動的な救出劇がある傍ら…

年間50万頭以上もの野良犬が、行政のもと処分されているという現実があるのだ。

人間の手によって助けられたり、人間の手によって殺されたり。

何だそれっ?て思ってしまう。

つくづく人間って生き物の身勝手さを痛感する。

多分、同じような事を考え取り組んでいる動物愛護団体なんかも、既に数多くあるのだろう。

今さら僕があーだこーだ言う事じゃないかもしれないが、何だかなーという気持ちでいっぱいだ。

今回の救出劇をテレビで見て、

「多くの人に見守られ助けられた尊い命。ぜひ里親になりたい」

という声が、全国から何十件もあがっているそうだ。

素晴らしい動物愛護精神である。

こうした人間の持つ素晴らしい心。

そして物事を感動的に伝えられるメディアの影響力。

そうしたものが、保健所で処分されそうになっている犬や猫達を助ける事に、純粋に繋がっていけばいいなと思う。

今回の救出劇…

なんかモヤモヤする感動話だ。

 
 
 
  しつけ。
2006年11月21日

家でペットを飼い始めてもうすぐ3ヶ月。

思ったよりすんなりと僕の生活にとけ込み、今では我が家に必要不可欠な存在となっている。

飼って良かったなと改めて思う。

ペットと共に暮らすにあたり、しつけというものが必要となってくる。

僕はこれまで、自我を持つ生き物を育てた経験がないので、しつけなんて何をすればいいのかサッパリわからない。

なので友達に聞いたり、本やネットで調べたりする訳だ。

一通りいろんな事を試すのだが、失敗を繰り返しながらもペットは少しずつしつけられていく。

こちらの言う事がきちんと伝わった時は、とても嬉しい気分になる。

しかしなかなか言う事を聞かない場合もある。

そんな時、ついついペットを叱ってしまうのだ。

基本的にペットをしつける際、特に幼犬の場合、叱るのは信頼関係を壊す恐れがあるためNGらしい。

言う事をきちんと聞いた場合、思いっきり褒める。

聞かなくても出来るまで気長に待つ。

これがしつけのコツらしいのだ。

でも伝わらないと、ついデカい声で怒ってしまう。

ダメなところには、過敏に反応してしまったりするのだ。

これって多分、ペットだけでなく人に対しても同じ事なんだと思う。

他人のダメなところや出来ない事を、人はつい指摘をしてしまう。

出来た事を褒めるよりも、出来ない事を叱る事が当然のようになりつつある。

これはちょっと気を付けたい事だ。

褒めて伸ばすタイプや、叱って伸ばすタイプ。

人にはいろいろタイプがあると思うが、基本的には誉められて嫌な思いするヤツなんていないと思う。

出来たら褒める。

この作業を大切にする事が、人との関わり方を更に良くするコツとなるのだ。

日頃やってるようで、意外と出来ていない人を褒めること。

嫌いなヤツでもライバル視してるヤツでも。

とりあえず褒める事が出来るくらい、デッカイ人間になりたいもんだ。

こんな風にペットのしつけは、僕らにとってとても素敵な学びの機会となる。

皆さんにもペットを飼う事を、是非お勧めする。

案外しつけられてるのは、人間の方だったりするかもしれないが…

 
 
 
  ギャップ。
2006年11月20日

普段は割と軽い印象。

見方によればチャラチャラしてるようにも見える。

真面目モードよりも、ちょっとおふざけモードが大好き。

それが僕だ。

別にふざけてはいない。

いたって真面目だ。

真面目におふざけモードに徹しているのである。

まあそれが、場を盛り上げたり和ましたりする役目の仕事だと思っているのだ。

でもそんなキャラでもいられないくらい、真剣にならなければいけない現場もある。

場を盛り上げたり和ましたりする余裕もないくらい、真剣に挑まなければいけない現場だ。

そんな時は口数少なく、とにかく真面目な面持ちである。

キャラが違うと思われそうなくらい、真剣なモードに入る。

集中する訳だ。

そんなモードに入った時、たまに周りがそのギャップの差に惹き込まれてくれる事がある。

狙ってる訳でもないし、狙う程の余裕もない。

ただ普段が軽い印象なだけあって、真面目な雰囲気とのギャップの差に惹かれてしまうそうだ。

だから真面目モードも、余計に真面目に感じるのだろう。

ちょっと得した気分である。

だけど常に真面目モード全開でいるのは、やっぱり僕には無理だと思う。

僕はけっこう恥ずかしがり屋。

真面目モードでいないのは、照れを隠す為のものなのである。

だから僕はチャラチャラする。

とりあえず20代はこれでいこうと思う。

 
 
 
  小さい頃の夢は今?
2006年11月19日

小さい頃、刑事ドラマ「太陽にほえろ!」を見て、僕の将来の夢は刑事だった。

松田勇作さん演じるジーパンや渡辺徹さん演じるラガーなど…

とにかく勇ましくカッコ良い刑事がたくさんいた。

すぐに魅了され、一瞬で憧れの存在となった。

でも毎週見ているうちに、その夢は諦めようと思い始めた。

諦めると言うよりも、正しくは嫌になったのだ。

とにかく次から次へと憧れの刑事が死んでいく訳だ。

あんなにも勇ましくカッコ良かった刑事なのに…

かなりのショックである。

小さい頃の僕の印象はもう「刑事=いずれ犯人に殺される」なのだ。

純粋な子供は勝手にそうインプットしたのである。

だから刑事が嫌になった。

理由はそれだけだ。

結局、僕の小さい頃の夢は大人達の作ったエンターテイメント作品によって描かれ…

そして同じく大人達の作ったエンターテイメント作品によって、もろくも打ち砕かれてしまったのだ。

切ない想いである。

だがこれは小さい頃の、ちょっと悲観的でひねくれていた僕の考え方…

今は違う。

今の考え方はこうだ。

小さい頃の夢だった刑事。

そう思わせたのは刑事ドラマ「太陽にほえろ!」。

作品に出てくる勇ましくカッコ良かった刑事、ジーパンやラガー。

そしてそんな刑事達を演じた松田勇作さんや渡辺徹さん。

小さい頃の僕は、そんな勇ましくカッコ良かった刑事達を演じた、俳優さんに憧れていたのだ。

遠回しだし後付けかもしれないが、多分そうである。

僕は今、俳優。

なので結果的に、小さい頃からの夢を叶えたという訳だ。

これが今の考え方である。

かなり強引だが、小さい頃に諦めたり嫌になってしまった夢も、ちょっと見方を変えるだけで、今も憧れるような素敵な夢だったりするかもしれないのだ。

大人の捉え方で、小さい頃の夢を改めて見つめ直すのである。

案外、僕みたいに夢を叶えたと言えるものがあるかもしれない。

強引な捉え方だけどロマンがあって、僕は好きだ。

しかし子供の頃に感じる直感ってヤツ…

案外捨てたもんじゃないなと思った。

 
 
 
  出逢いと別れ。
2006年11月18日

僕らの仕事は出逢いと別れの連続。

仕事が終わると必ず別れが訪れる。

急に心にポッカリ穴が空いたような、そんな気分になる。

別れは本当に寂しい。

でも嫌な事ばかりでもない。

人との出逢いは繋がりを作る。

別れがきても、繋がりがあればまた逢える。

僕らはいつも繋がっている。

心と心で繋がっている。

だから寂しさなんてへっちゃらなのだ。

今日一つの別れがあった。

でも僕らは繋がっているから、いつでもまた逢える。

だから寂しさはまったくない。

全然へっちゃらだ。

…って、強がってでもいないと今にも涙が出そうになる。

僕は弱い人間だ。

いくら繋がっていたとしても。

やっぱり別れは寂しくて嫌だ…

 
 
 
  大勝負。
2006年11月17日

久々の感覚である。

大舞台に挑む前のこの雰囲気。

何に挑むか今はまだ伏せておく。

とにかくこの感覚、以前箱根駅伝に挑んだ時の興奮と同じものだ。

全身から力がみなぎってくる。

興奮の震えもおさまらない。

僕は明日勝負に挑む。

最高のパートナーと最高の仲間達と共に…

人生を賭けた大勝負だ。

やるしかない。

てゆーか絶対にやってやる。

この気持ちだけは、どうしても書きたかったから、今このブログに記した。

伝えられないのはもどかしい。

しかし今から、これだけは約束しておく。

近いうち、最高の感動を皆さんにプレゼントする。

 
 
 
  外国人に物申す。
2006年11月16日

先日、街で外国人に声をかけられた。

「£*@☆%∽Δ♂#&¥★◎◇∞」

申し訳ないが、何を言ってるのかサッパリわからない。

僕は英語が苦手である。

しかもそんな早口に喋られたら、なおさら聞き取れる訳がない。

一緒にいた英会話の得意な友達が対応をしたのだが、どうやら外国人は道を訪ねていた様子。

友達のおかげでなんとかその場は収まった。

流暢に英会話を話し、何事もなかったかのような涼しい顔をしている友達が、僕にはちょっと輝いて見えた。

僕も大学を出てるくらいだから、一般的な会話が出来るくらいに英語を勉強しとけばよかったと、今更ながらに思うのである。

ところで日本を訪れる外国人の多くは、何故日本語を喋ろうとしないのだろう。

まったく日本語を喋る気もなく、始めから英語で攻めてくる。

ここは日本なのにだ。

そりゃあ英語は世界共通言語かもしれない。

だからって日本に来て、それが当たり前のように英語を話されても、こちらとしては困ってしまうのだ。

僕が逆の立場なら、相手に対して失礼だと思う。

せめて翻訳本片手に、一生懸命カタコトの日本語を喋る努力くらい見せてもらいたいもんだ。

「郷に入っては郷に従え」である。

また次に外国人に英語で話しかけられた時のために、僕は今から英語を勉強しておこうと思う。

もちろんそんな外国人に、英語でガツンと説教してやる為にだ。

 
 
 
  キッズアスリート・プロジェクト
2006年11月15日

先日杉並区内の小学校で行われた、陸上競技のイベント。

トップアスリート達が、小学生の目の前でレベルの高いパフォーマンスを見せ、実際に小学生に競技を体験してもらうというものだ。

このプロジェクト、現役のトップアスリート達が誰に言われた訳でもなく自らで立ち上げ、陸連に協力を要請し、約2年を費やして実現させたものだ。

トップアスリート達の、陸上競技の素晴らしさを世の中に広めたいという想いからスタートした、画期的な企画である。

詳しい内容は参加していない僕はわからないが、子供達にはとても素敵な機会になったようである。

オリンピックに出るような選手達が、小学校のグラウンドで100mを10秒ちょいで走ったり、棒高跳びで校舎の2階以上の高さを飛んだりする訳だ。

そりゃあ小学生じゃなくてもインパクトは大である。

参加した小学生達も、目の前でそんなパフォーマンスを見せられたら、陸上競技に興味を持ってもおかしくないだろう。

まあそれを純粋に期待してしまう訳なのだが…

元陸上競技選手の切なる願いである。

僕は競技を辞めてそこから一歩踏み出した時に初めて、陸上競技があまり世の中に普及していない事に気付いてしまった。

騒がれているのは所詮、オリンピックと世界陸上と箱根駅伝だけ。

日本で一番大きな陸上競技大会である日本選手権は、いつも客席がスカスカの状態なのである。

現役時代は正直、自分の事を考えるだけでいっぱいいっぱい。

とてもじゃないが、そんな陸上競技全体の事なんて考える余裕はなかった。

なので当時は、スカスカの客席を見ても何にも感じなかった訳である。

しかしそんな現状を今、現役で活躍するトップアスリート達が自ら動いて変えようとしているのだ。

しかも全員がオリンピックを経験している選手。

世間からも期待され、誰よりも世界で結果を残す事だけを考えている選手達が、こうして陸上競技全体の事まで考えて活動している訳だ。

単純にスゴイ事である。

矢印の向いてる方向が内側ではなく、完全に外側へ向けられている訳だ。

こうした人達は、何の為に競技をやっているのかを深く理解している。

結果を残すこと以外の大きな目的を持っている。

競技を通して世の中に何を与えるか…

いつもそこを考えているのだ。

そこまで考えた上で競技に専念するのだから、そりゃあ強くて当然である。

矢印を内側ばかりに向けていたかつての僕なんかとは、意識のレベルが全く違うのである。

心底、男前な連中だと思う。

ちょっと似ているところだが、今年日ハムを日本一に導いた新庄選手。

誰よりも日ハムを盛り上げ、誰よりも球界全体を盛り上げ、そして最後にはチームを日本一に導き、日本中を盛り上げてくれた男前。

やっぱり矢印は外向きである。

世の中に貢献した人には、それ相応のプレゼントが最後に必ず待っているのが世の仕組み。

なので僕はこのキッズアスリート・プロジェクトのメンバーが、今後の世界大会で必ず最高の結果を作ると今から断言しておこう。

男前な彼らには、それくらいのプレゼントがお似合いなのだ。

 
 
 
  次世代ゲーム機。
2006年11月14日

発売されてまもなく、互換性の不具合やブローカーによる買い占めなど…

あまり良いニュースじゃないが、とりあえず世間の話題を集めている次世代ゲーム機、プレイステーション3。

来月発売される任天堂の次世代ゲーム機「Wii」との販売競争が、今から気になるところである。

この次世代ゲーム機ブーム。

僕は完全に乗り遅れた人間である。

と言うか、乗ろうという気にならなかったと言うのが正しいか。

とにかくファミコン世代の僕としては、今の複雑化したゲームに正直あまり魅力を感じていないのだ。

それはまず、リアリティを追求し過ぎなところに原因があると思う。

より現実的な要素を組み込み、より現実に近い世界観を作って、いかにも本人が体験しているような気分を味わえるのが最近のゲーム。

それはそれで面白いし魅力的だと思う。

しかしそこはあくまでもゲームの世界であり、非現実的な世界。

実際の世界観に似ている所で頑張るくらいなら、実際の世界で頑張った方が良いというのが僕の考え。

ゲームはあくまでもゲームとして、非現実的な世界観をトコトン楽しませてくれればいいと思うのだ。

3Dの世界にない2Dの魅力を味わうような、そんな気持ちなのである。

先日、ニンテンドーDSのスーパーマリオをやる機会があった。

正直最近の3D化したマリオはつまらなかったと言うのが僕の意見。

3D化する事で、マリオらしさが失われたというか、まったく別のゲームになってしまったというか…

だがニンテンドーDSのひたすら横スクロールのマリオには、久々の面白さを感じた。

やっぱこれだよな!的な、少し懐かしい気持ちに満たされたのである。

一言で言えば、シンプルにゲームを楽しめたのだ。

シンプルにゲームを楽しむ…

僕はこれが、今後の売れるゲームのキーワードになるんじゃないかと思う。

ゲーム機に付いてるハードディスク機能やら何やら、ゴチャゴチャした付属機能。

これはあまり必要でない要素。

僕らは性能重視とか利便性とか、そういったものでゲームを買っているのではなく、純粋に楽しみたいからゲームを買っているのだ。

そう…シンプルにゲームを楽しみたいだけなのである。

初めてやったニンテンドーDSには、そんな僕の欲求に答える何かがあったように思う。

なんとなく、売れる理由がわかる気がする。

 
 
 
  活を入れる。
2006年11月13日

歳を重ねてくると、いつの間にか自分が守りに入っていたりする。

見られ方や形を気にしたり、結果ばかりにこだわったり。

気付かないうちに、自分というものがちっちゃくなっている事がある。

自分に馬鹿やろうである。

歳はとっててもこの世界じゃど新人。

まだまだ守りに入る時期じゃあない。

貪欲に、日々精力的に。

とにかく攻めるしかないのだ。

こんな風に時々、自分に活を入れるのも必要なのである。

 
 
 
  コメント。
2006年11月12日

皆さんから頂くブログのコメント。

僕は必ず目を通す。

本当に感謝している。

こうしてブログで、自分の内にある想いを表に出すのは正直、勇気がいる行為。

素直な気持ちを裏表なく表現するというのは、時に人からの批判をかう場合もあるからだ。

伝えたい想いがきちんと伝わらない場合だってある。

まあそれを覚悟の上で書いている訳なのだが…

でもやはり全く不安がないと言えば、それは嘘になる。

僕らは人気がなんぼの仕事をさせてもらっている人間。

リスクを背負うような振る舞いは、極力避けるのが当たり前である。

それをあえて無視して、損得関係なくこのようなハッキリとした意見のブログを毎日書いている訳だ。

内にある想いを素直に表現するという行為…

やはり僕らみたいな立場の人間にはリスクが多いと思う。

評論家ならまだしも、若手俳優のやる事じゃないかもしれない。

でもやっぱり僕は毎日書き続ける。

それは毎日寄せられる皆さんからのコメント…

それを読むと、素直にそんな気持ちになるからだ。

書いてて良かったと思うのである。

ファンの皆さんのコメントには、僕らを元気にする力がある。

元気付けのつもりが、逆に元気付けられる事もあるのだ。

だから今日もそんなコメントを見て、元気にブログが書けている。

本当に感謝である。

僕はまだまだか弱い人間。

ファンの皆さんに支えられている事を、本当に有り難く思うのだ。

 
 
 
  はらたいらさん。
2006年11月11日

先日、63歳という若さでこの世を旅立たれた。

僕ははらたいらさんと同じ高知県出身。

小さい頃から地元のローカル番組で、その活躍は拝見している。

その時のはらたいらさんの喋り方は、もちろん土佐弁。

まあ僕の中ではそれが当たり前。

ところが土曜日の夜の全国放送クイズダービー。

そちらのはらたいらさんは標準語。

小さい頃の僕にはローカル放送と全国放送の区別がわからない。

喋り方が違う事を「なんでやろ〜?」と不思議に思っていたのを覚えている。

クイズダービーでは出演者の中で一番の正解率と、歴代一位の連勝記録を持っていたはらたいらさん。

最後の問題で出場者が、全ての持ち点をはらたいらさん賭けるケースが非常に多かった。

出場者3組が全て、

「はらさんに全部」

である。

それくらい本当に頭の良い人として、深く印象に残っているのだ。

勉強が苦手だった僕には、まさにスーパーマン的存在だったのである。

最近では、自身の更年期障害との闘病生活を著書にまとめ、全国で講演するなどし、同じ悩みを持つ中高年層を励ますなどの活動をしていたはらたいらさん。

一度はお会いしてみたかったのだが残念である。

ご冥福をお祈りすると共に、はらたいらさんみたいな立派な大人になりたいと、小さい頃の思いそのままに、僕は願うのである。

 
 
 
  伝染病。
2006年11月10日

歴史的にはペストや天然痘、最近ではSARSなど。

感染症の中でも、人から人へと感染が広がる性質を持つものを伝染病という。

本当に質の悪い病気である。

最近、それに似た質の悪い病気が世間に蔓延しているのを皆さんご存知か。

自殺である。

いじめを苦に自殺する子供。

履修不足問題で責任を問われた校長。

強盗に入った警察官など…。

あまりにも自らの命を絶つ者が増えている。

馬鹿やろうである。

前にも言ったが、とにかく死んだらいかん。

逃げたくなっても、重い責任を背負いこんでも、人を殺めてしまっても…

とにかく死んだら駄目である。

ニュースではもう毎日のように自殺報道。

自殺を迷う人の背中を後押しするような、そんな連日連夜の報道である。

これってどうなんだろうか。

良いか悪いかなんて僕にはわからない。

だけど少なからずメディアの影響で、世の中に「自殺」という概念が広まっているのは確かである。

つくづくテレビの影響力の凄さを実感する。

この影響力を使ってこんな状況、なんとか変えられないものか。

伝染病に効く特効薬を、一刻も早く世に広めてもらいたい。

そんな風に思う。

てゆーか、そんな特効薬のような俳優に絶対なってやる。

 
 
 
  雑誌の取材。
2006年11月09日

月に1、2回雑誌の取材を受ける事がある。

いろいろある仕事の中でも、僕は雑誌の取材が好きである。

衣装を着てヘアメイクをした後、写真を撮ってライターさんによるコメント取りをするのが、だいたいの取材の流れ。


写真撮影も様々な衣装やヘアスタイルを楽しめるが、僕が好きなのはコメント取りの方。

つまりライターさんとのトークである。

目の前のライターさんと、いかにトークで盛り上がれるか。

これが取材での一番の醍醐味なのである。

取材もいくつかやっていると、トークの内容がかぶってくる事がある。

そうすると新しいネタなんかを用意したりする訳だ。

用意してきたネタがライターさんにウケるかどうか…

このオチに出るまでのギリギリの緊張感が、たまらなくワクワクする。

ライターさんが笑えばよし。

周りで作業しているカメラマンさんや、他のスタッフさん達まで笑えば更によしである。

とりあえず、僕はそんな事に必死になっている。

目の前の人達とどれだけ楽しい時間を過ごせるか…

そこを大事に思い、取材を受けさせて頂いているという訳だ。

だから取材は好きなのである。

まあ取材だけに限らず、仕事全般における事ではあるのだが。

とにかく自分も周りも含め、仕事は楽しんでなんぼだと思う。

 
 
 
  こだわりを持って。
2006年11月08日

ブーツが好きで、一年中そればかりを履いている。

色は茶系。

ロングタイプからハーフタイプまで、4種類くらいを履き回す。

最近はデニムの裾をインするのが好みである。

ゴツゴツした足元にシュッとしたデニム。

このバランスがたまらなく良いのだ。

ドラクエの勇者が旅に出る時のような…

そんな男らしく勇ましい雰囲気が、かっちょいいのである。

ちょっと強くなった気分になれる。

まだまだ未熟で弱いうちは、こだわりを持って履き続けていこうと思う。

ドラクエで言うと、今の僕は皮のブーツ。

そんなとこ。

 
 
 
  楽しい思い出の作り方。
2006年11月07日

昔、会社に勤めていた頃の昼休み。

毎日のように売店の弁当やサンドイッチを食べていた。

味はフツー。

けど毎日のように食っていると、飽きてくるのは当たり前。

最後の方はもう勘弁って気分になったのを今でも覚えている。

そんな飽きてしまった売店の弁当やサンドイッチ。

思い出すと久しぶり食いたくなった。

多分食ったら懐かしさのあまり、美味いと思うだろう。

あまり良い思い出じゃなくても、時間が経つと思い出は美化されてしまう。

不思議である。

今現在のあまり楽しいとは思えない出来事も、いずれは美化されて良い思い出となるのだろうか。

そうであるなら、今ある楽しいと思えない出来事も、心の底からエンジョイしてやりたい思う。

味わえば味わう程、強烈な印象として後に残る訳だから、美化された後の思い出も、また素敵なものになるはずである。

そう思えば、大変な時期も乗り越えられそうな気がする。

僕なりの勝手な捉え方ではあるが…

 
 
 
  一人反省会。
2006年11月06日

あっ!とおどろく放送局「WEタウンBB」の生放送収録がとりあえず無事終わった。

話す内容を予め準備して行こうと思っていたが、トークなんて思うように話が進まないのがだいたいの流れ。

なので何も準備しないで普段通りにいく事にした。

多少の緊張もあったが、まあ普段通りのトークは出来たように思う。

ただ反省する点は色々ある。

まず話しの構成が上手く出来ていなかったように思う。

一つのストーリーに対し、いかに面白い流れで話しをオチに持っていくか。

そこがエピソード話しにおいての、大切なテクニックとなる訳だ。

その点に関してはまだまだの点数。

もうちょっと面白い構成を作れば、もっと面白おかしくエピソードを話せたんじゃないかと思う。

大いに反省する点である。

次回には必ず活かしてやろうと思う。

まあ上手くいったと思う点も僕なりにはいくつかある。

でもそれは僕の心の中だけに伏せておく。

そうした上手くいった点も、次の機会には更なる改良を加え、大きな自信にしていきたいと思う。

少し漠然とした内容の文章となってしまったが、こうした一人反省会…

とりあえず仕事の後には、いつも欠かさずやっている。

次の大きな一歩の為に。

 
 
 
  ウチのお爺ちゃん。
2006年11月05日

四国に有名な八十八カ所参りがある。

通称、お遍路さん。

昔、弘法大使(空海)が巡った、四国四県にまたがる八十八カ所のお寺を、同じ道のりで巡るものである。

弘法大使の時代はもちろん車なんてない時代。

なので四国一周を、徒歩で巡ったという訳である。

それを真似てか、今でも徒歩で巡るお遍路さんの姿を見る事が多い。

白装束で三角の傘を被り、杖をつきながらのお馴染みのスタイルである。

まあ死ぬまでには一度、徒歩で巡ってみたいと思うのだが。

小さい頃、僕は祖父の運転する車で祖母と兄と一緒に、よく八十八カ所を巡っていた。

自慢じゃないが僕は八十八カ所全てを巡っている。

しかもお寺であげるお経に般若心経というものがあるが、それも言える。

小さい頃、僕が寝ていた枕元で毎朝お婆ちゃんが般若心経あげていた。

僕はそれを知らないうちに睡眠学習していたのだ。

いつの間にか、言えるようになっていたのである。

しかも完璧に。

今ではちょっとした特技と言える。

そんな八十八カ所を巡った事があり、般若心経を言える事をプチ自慢する僕だが。

もっとスゴイ自慢を持っている。

それはウチのお爺ちゃん。

八十八カ所参りを個人的に巡っていた他にも…

若い頃に観光バスの運転や、タクシーの運転でも八十八カ所を巡っていたのだ。

その数ざっと…

76周。

徒歩ではないが、車でなら76回も八十八カ所を巡った事があるのだ。

ミスターお遍路さんである。

本人いわく、四国なら地図もナビも見ないで、どこへでも行けるらしい。

僕が現役の時も、自分で車を運転して箱根駅伝を観戦しにくるくらい。

それくらい車の運転が達者な人なのだ。

そんなお爺ちゃんも今年で84歳になる。

なんでも只今、77周目の八十八カ所参りに挑んでいるらしい。

まだまだ元気いっぱいなウチのお爺ちゃん。

僕の自慢の、大好きなお爺ちゃんである。

 
 
 
  適応能力。
2006年11月04日

生き物の環境への適応能力ってスゴイなと思う。

うちのハッピー。

最初はケージの中が大嫌いで、とにかくワンワン吠えまくっていた。

聞いていたアドバイス通り僕は無視をする。

すると諦めて吠えなくなった。

でも部屋から僕が出ようとすると、再びワンワン吠え始める。

それも無視して部屋を出ていく。

やはりしばらくすると吠えなくなる。

それを繰り返すうちに、僕が部屋から出ようとしても吠えなくなった。

最近ではケージの中に慣れたのか。

眠くなると自ら中に入って勝手に寝る。

あれだけ嫌がっていたにもかかわらずだ。

不思議なものである。

今ではすっかり人間様の生活環境に溶け込んでいるようだ。

たいしたもんだと思う。

そんなハッピーを見ていると、なんとなく昔の自分を思い出す。

大学の陸上競技部の寮生活。

八畳一間に3人。

1年生は押し入れの中に布団を敷いてのドラ部屋生活。

起床は毎朝5時半。

月3回程度の炊事当番もある。

朝から30人分くらいの食事を用意する。

米を炊く量は3kg程度。

研ぐというよりは洗う感覚にほぼ近い。

更に1年生は月3回程度の電話当番なんてのもある。

寮にかかってきた電話に出たり、届いた郵便物を管理したり。

狭い個室に6時間監禁状態だ。

しかも訳の分からんルールにより、小説と陸上競技の本以外の読書は禁止。

漫画をこっそり呼んでいた友達なんか、トイレに連れて行かれて先輩にボコられる始末である。

門限は21時半。

少しでも遅れたら、これまた先輩のキツイお叱りが待っているのだ。

友達との飲み会も21時にはお先に失礼って感じである。

そして22時には完全消灯だ。

テレビも消さなければいけない。

金曜ロードショーも半分観たところでお預けである。

こんな生活を19〜22歳までの4年間送ってきたのだ。

正直最初は無理だと思った。

でも気付いたら、けっこう居心地の良い環境になっていたのだ。

そして今ではもう素敵な思い出として、心の中に大切に保管されている訳だ。

ホント生き物の環境への適応能力ってスゴイと思う。

そして…

そんな苦しみを美化できちゃう人間って、ほんとスゴイなと思う。

 
 
 
  お知らせ。
2006年11月03日

インターネット放送局に『あっ!とおどろく放送局』というものがある。

それの「WEタウンBB」という生放送番組に、今週ゲスト出演させて頂く事になった。

MCの中村明花さんと30分程の生トーク。

イベント以外の場でトークするのは、多分これが初めてだ。

そして一人でトークをするのも、おそらくこれが初めてである。

こうも初めてな事だらけな現場は、ちょっと久しぶりな感じがする。

ちょっとワクワクする。

あと何を話そうか考えるOAまでのこの時間…

僕はこれが大好きである。

かなりワクワクする。

もちろん緊張もする。

だがこの緊張感もまた、たまらなく大好きなのである。

最高にワクワクする。

けっこうMっ気満載な僕である。

何を喋るかはこれから考える。

とりあえず早く喋りたい。

しかも出来ればたくさん喋りたい。

貪欲な欲しがりさんで申し訳ない。

とにかく皆さん、11月5日(日)24時からのOAをお楽しみに。

 
 
 
  おかげさまで。
2006年11月02日

現役時代、僕はとてもケガの多い選手だった。

もちろん練習をやり過ぎてのものである。

長距離選手の中でも僕の体は細い方。

そのくせ走り方は足への負担が大きい、ダイナミックなストライド走法。

一年の半分以上はケガとの戦いである。

現役時代はそんな貧弱な自分の体や、負担の大きい走り方がとても嫌だった。

当然、ケガをしている間は一歩も走れない訳で。

筋力トレーニングやウォーキングなどの、基礎的な運動をメインに練習を行う訳だ。

正直退屈な時間である。

なので体は動かしていても、頭はどこか違う別の事を考えていたりする。

自分で言うのもなんだが、真面目な性格だったので遊びに走る事は考えなかった。

考える内容は主に、

「もし走ること以外の人生を送っていたら何をしてたか?」

である。

例えばこんな感じ。

勉強ばかりして東大合格を目指すガリ勉人生。

とにかく遊んでばっかの悪ガキ人生。

学校の教卓に立って人生を熱く語っている熱血教師人生。

そして…

華やかな芸能界の世界で活躍している俳優人生。

である。

まあこんな事を一年の半分近く、何年もの間考えてきた訳だ。

おかげさまで本当に、そのうちの一つの人生を送る事になったのである。

特に想いの強かった憧れの人生をだ。

不思議なものである。

現役時代にあれだけ嫌だった、貧弱な自分の体と負担の大きい走り方…

今では感謝の気持ちでいっぱいである。

 
 
 
  劇団☆華輝男
2006年11月01日

DD‐BOYSの番組企画で誕生したお笑いグループ。

呼び方は「げきだん☆げきだん」。

僕達はあくまでも俳優という事で、こんな名前にしてみた。

メンバーは僕と加治と鈴木の3人。

正式な活動としては、DD‐BOYSの収録一回のみである。

それ以降は劇団☆華輝男としてのきちんとした活動はしていない。

たった一回の活動だったが、僕としてはとても充実したものだった。

1人で何かをやるのは簡単な作業。

誰にも迷惑をかけず、自分のペースで自分らしくやれるから。

これが何人かでやるとなると、なかなかそうはいかない。

意見の食い違いや好みの違い、それぞれの熱の入り方まで違ってくる。

そうして煮詰まってくると、作業がまったく前に進まなくなるのだ。

そういう意味では、1人で走った108kmマラソンの方が楽だったかもしれない。

それだけこの劇団☆華輝男でお笑いライブに挑んだ期間は、僕にとって大変な毎日だったのだ。

でも大変だった分の喜びや感動は、きちんと最後に待っているもの。

ライブが終わった後のやりきった感と清々しさは、これまでに感じた事がないような気持ちだった。

しかも3人で挑んだ分、その想いも3倍である。

喜びや感動をみんなで分かち合えるのは、本当に素晴らしい事なのだ。

やって良かった…

本当に心の底からそう思えるものであった。

出来ることならまた3人で劇団☆華輝男をやりたい。

発売されたDVDを観て、ふとそんな想いにかられたのである。