2006年、今年もまた素晴らしい年であった。
起こる事全てが、僕にとって必然的な出来事。
出逢いもしかりだ。
本当に充実した年だったと思う。
毎年、僕の中にたくさんの経験が積み重ねられる。
それは宝のようなものばかり。
年輪を重ねる樹木のように、最高に素晴らしい年を積み重ねられている。
求めすぎず、欲を出さず。
ただただ謙虚に、その年を生きている事に感謝しながらだ。
2007年も、そんな気持ちでやるだけなのである。
いずれ、立派な大木になる為にだ。
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2006年、今年もまた素晴らしい年であった。 起こる事全てが、僕にとって必然的な出来事。 出逢いもしかりだ。 本当に充実した年だったと思う。 毎年、僕の中にたくさんの経験が積み重ねられる。 それは宝のようなものばかり。 年輪を重ねる樹木のように、最高に素晴らしい年を積み重ねられている。 求めすぎず、欲を出さず。 ただただ謙虚に、その年を生きている事に感謝しながらだ。 2007年も、そんな気持ちでやるだけなのである。 いずれ、立派な大木になる為にだ。 23:38| パーマリンク
年末によく口にする言葉。 「よいお年を」 僕はこれを使う度に、ちょっと違和感を感じる。 使う度にと言うより、正確には目上の人に対して使う場合にだ。 なんかとてもフランクか感じがして、偉そうな気がする。 友達同士や後輩に対してならまだよい。 何の違和感もなく使える。 だが目上の人には、どうも軽すぎて使いづらい。 何かもっと丁寧な言葉があるんじゃないか。 そんな事を思い、いろいろ考えてみた。 目上に対する丁寧な「よいお年を」。 考えた末に上がってきたのがこれだ。 「よいお年をお迎えください」 これなら、目上の人にも初対面の人にも使える。 適切な言葉だと僕は思った。 しかしここで問題が一つ。 「よいお年を」を使うタイミングって、よく考えたら去り際の瞬間。 つまり締めの一言みたいな感じで使う場合が多いのだ。 バイバイする時の一言、「お疲れ」「おやすみ」みたいな。 そんな短くてキレのよい一言として、使っていた訳なのだ。 そうすると「よいお年をお迎えください」が物凄くキレの悪い言葉に感じる。 「よいお年をお迎えください」の後に、もう一回「よいお年を」って言いたくなる。 大事なのはキレのある締めの一言であり、目上にも生意気に取られないこと。 人にも相談して考えた結果、僕の中で最終的に行き着いたのがこれだ。 「よいお年を」 そう、変わらず同じだ。 こいつが行き着いた最終形態なのである。 短くキレがある最高に適した一言だ。 要は言い方に注意すればいいだけ。 フツーに言えば生意気な感じに捉えられる。 ならば満面の笑みで3回くらい会釈をし、媚びる日本人の代表的な雰囲気をかもしつつ、でも心の中では本当によい年を迎えて欲しいという願いをたっぷり抱きながら、心の底から想いを込めて言えばいいのだ。 「よいお年を」 まあ難しく考えないのが一番かもしれない。 22:00| パーマリンク
年末は家族ですき焼き。 これが我が家では、昔からの年末恒例行事となっていた。 その名残でか、今でも年末になると無性にすき焼きが食べたくなる。 子供の頃を懐かしむ家庭の味。 それが僕にとってのすき焼きだ。 すき焼きって不思議なもんで、関東と関西では作り方が違ってくる。 割下というタレを鍋に入れて、肉や野菜を鍋に近い感覚でグツグツ煮るのが関東風。 一方、先に鍋で肉を焼いてから砂糖と醤油で味付けをして、後から水分の出る野菜を入れるのが関西風と呼ぶらしい。 そう言われてみると、僕が食っていたのは関西風。 割下なんてものは使った覚えがない。 僕の記憶にあるのは、砂糖と醤油で必死に味の調節をするすき焼き。 一言でいうと面倒くさい方のすき焼きだ。 先日、ちょっと昔を懐かしむ気持ちですき焼きを食べに行った。 確かにこちらの作り方は関東風。 懐かしむと言うよりは、むしろ新鮮な気持ちだった。 こうなるとやはり、砂糖と醤油の加減を試行錯誤しながら作る、関西風の家庭のすき焼きが食べたくなる。 正直、辛くなったり甘くなったりする関西風は面倒くさい。 お店で食べたような割下入れる関東風が、本当は楽でいいと思う。 それでもやっぱ関西風にこだわりを抱いてしまう。 家族で鍋を囲み、みんながそれぞれの味の好みを主張しながら、必死に鍋を突っつく。 味の変化は常に起こるが、この一生懸命に家族がやり取りする姿が僕は好きだ。 すき焼きから懐かしさを感じるのは、多分そんな家族の姿を思い出したからだと思う。 出来たら年末にもう一回… 今度は仲の良い仲間同士で、面倒くさい方のすき焼きをやってみたい。 素敵な年末の想い出作りが出来そうだ。 16:36| パーマリンク
今日は仕事納め。 まあ僕らの仕事で、そのような言い方をするのかは疑問だが。 とりあえず1月からの連ドラ「今妻」の撮影で2006年は締めくくられた。 今年は今までにないくらい、あっと言う間に1年が過ぎたように思う。 ミュージカルに始まり、舞台、連ドラ、D‐BOYS初の冠番組と、本当にいろいろな事を経験させて頂いた。 関わって頂いた方々には感謝の気持ちでいっぱいだ。 たくさんの出逢いもあったし、楽しい事もツライ事もいろいろあった。 でも全てが必然であり、全てがなくてはならない出来事。 また新しい年を、更なる飛躍と共に迎える為にだ。 とりあえず仕事での2006年は今日で締めくくり。 すでに気持ちは来年の仕事始めに向けられていたりする。 だが1年をしっかり振り返り、心機一転、新年をスタートする為には準備も必要。 なので年末年始は、積極的に一旦休憩をするつもりだ。 振り返りと次への準備である。 こうした区切りに行う作業。 僕は重要視するのだ。 23:26| パーマリンク
お芝居をする上で最も必要なものだと思う。 体のリラックスと心のリラックス。 そのどちらもが緊張した状態でいると、芝居に違和感が表れる。 体も心も張りつめた状態では、人間的な当たり前の反応ってものは生まれてこない。 まあ芝居を語れる程の腕も芸歴も持ち合わせてないが、最近そんな事をとても感じるのだ。 連ドラみたいなベテランの方達と一緒に芝居をする場では、やはり緊張から逃れるのが大変だ。 ぶっちゃけ慣れるしかない。 慣れるのも人によっては、時間がかかる場合もある。 現場はいつまでも待ってはくれない。 連ドラなんかはだいたい3〜4ヶ月で撮影終了だ。 なので、いかに早い段階でその場に慣れるか。 芝居だけに限らず、良いパフォーマンスを生み出す為にはとても重要な事である。 早い段階で慣れる為にも、その場にいやすい雰囲気を自分なりに作り出すのが大切だ。 方法は人それぞれ。 どうすれば緊張しなくなるか、それを考えれば自然と答えは見つかると思う。 まあ僕もわかっているようで、わかっていないから何とも言えないのだが。 ただリラックスし過ぎるのは逆に良くない。 気が抜けてうっかりミスをする事も多くなる。 程良い緊張感を保ちながらリラックス。 これが大事だと思う。 23:58| パーマリンク
1日24時間。 最近これがすごく短いように思える。 正直もっと欲しい。 1日34時間くらいあったらいいのにと思ってしまう。 まあ寝る時間を惜しんでやりたい事をやれって話だが、どうやら僕は寝ないとダメなタイプらしい。 睡眠時間を削ると、仕事や他の作業の効率を悪くするから、あまり良くないみたいなのだ。 なので10時間くらいたっぷり寝ても、まだ24時間も残ってる、1日34時間がいいと思う訳である。 これは単純に僕のワガママな話。 言ってしまえば、それだけ1日を充実させ、やりたい事をたくさん詰め込んだ毎日にしたい訳である。 今日じゃなくて明日やろう。 これが僕は好きじゃないのだ。 やりたい事は今日中にやる。 で、明日は明日のやりたい事をやる。 そんな毎日にしたいのである。 1日34時間なんて無理な話。 結局は1日の時間を上手く使える事が大切な訳なのだ。 1日の時間がたくさん欲しいってのは、現実的にはそーゆー事。 21:29| パーマリンク
昔から僕は一発勝負に熱くなってしまうタイプ。 プロ野球より甲子園。 負けた時点で終わりという、ギリギリの緊張感での勝負事がとても好きなのだ。 応援に熱が入り過ぎるあまり、負けてしまうと自分の事のように憂鬱になってしまう事もある。 今年のクリスマスがそれだ。 僕が熱くなったのは年末恒例のM‐1グランプリ。 お笑い芸人さん達の一年に一度の大舞台だ。 僕には応援している芸人さんがいる。 毎年優勝候補にあげられ、毎年その期待を裏切り続ける芸人さんだ。 優勝はしなくてもいい。 ただ決勝進出3組に選ばれ、ネタを2回やってくれれば僕は満足なのだ。 主に関西で活躍するこのコンビの新ネタを、純粋に楽しみたいという思いからである。 ところが見事に予選落ちした。 ネタは一つしか見る事が出来なかった。 落ちた瞬間、愕然とした。 最悪だと思った。 ワクワクは一気に憂鬱な気持ちへとなった。 本当に憂鬱なクリスマスとなった。 それほどに思い込みの強いコンビであり、一年に一度の楽しみであったのだ。 何度もチャンスがある訳でなく、出られる回数も限られる。 だからこそ応援に熱が入る。 これが一発勝負の良さであり、厳しさでもある訳だ。 応援しながら、厳しい世界である事を改めて認識させられた。 純粋に楽しむつもりが、愕然となり、更には仕事に大切な事まで勉強させられた訳なのだ。 本当に憂鬱なクリスマスである。 21:26| パーマリンク
今年最後を締めくくるG1レース、有馬記念。 これが現役最後のレースとなるディープインパクトが、他を寄せ付けない圧倒的な速さで、見事有終の美を飾った。 ディープインパクトと言えば、先日出走した世界最高峰レース、凱旋門賞で3着になった馬。 深夜の中継にもかかわらず16%を超える高視聴率を記録し、もはや国民的スターと言っても過言ではない、人気と実力を兼ね揃えたものすごい馬なのだ。 そんなディープインパクトの引退レースは、多くのファンの涙をそそった。 ファンのみならず関係者や騎乗した武豊騎手も、その想いは強かったに違いない。 幾多の戦いを共に乗り越えてきた戦友同士。 そんな固い絆で結ばれた者同士、やっぱり別れはツラいもんである。 騎手のお仕事を見て思ったのが、馬と人間って出逢いと別れの繰り返し。 その馬から卒業しても、次には新しい馬がいる。 騎手として活躍する以上、永遠に続いていく出逢いと別れだ。 そういう意味では、僕らの仕事と似たようなものがある。 この仕事も出逢いと別れの繰り返し。 次から次ぎへと、たくさんの出逢いと別れが訪れる。 だからこそ今のこの瞬間を、一生懸命に生きる事が大切だと思える。 武豊騎手とディープインパクトが最高の感動を生み出したのも、彼らが心から互いを信頼し一生懸命今を生きていたからだ。 出逢いと別れがあるからこそ、発揮できる力である。 悲しい事ばかりではない。 出逢いと別れの繰り返しから、素晴らしい感動は生まれるのだ。 16:01| パーマリンク
食欲、性欲、睡眠欲。 人間が基本的に持っている三大欲求だ。 僕はこれに仕事欲がプラスされる。 とにかく自分が一生懸命になれる仕事への欲求が強い。 食欲も睡眠欲も、多分一生続く欲求。 だけど性欲なんてものは、人間せいぜい40〜50歳が限界。 だからそれに代わる、一生続くべき欲となるのが仕事欲だ。 多分、死ぬまで求め続けると思う。 常に上を上を目指していると思う。 だから一生かけて真剣にやれるこの仕事が大好きだ。 俳優業は僕の純粋な欲である。 23:33| パーマリンク
独自の世界観。 タレントとして持っておきたい、大切な要素である。 こう見えても、僕にもそれなりの世界観はある。 自分なりの考え方や捉え方、大切にしている事。 僕の世界でしか成り立たないであろうルールが、いくつか存在する。 別に他人に強要するつもりはないし、到底他の人が理解できるものでもない。 だから独自の世界観なのだ。 そんな僕の中だけに存在する世界観。 意味もなく人に分かち合う事が、本当に意味を持たない事を最近知った。 それどころか悪影響にもなり兼ねない。 そんな事に気付いたのだ。 例えば、大小二つの渦巻きがあれば、当然小さい方は大きい渦巻きに飲み込まれる。 影響力も同じでそこに両者いれば、強い方が大きな影響を与える事になる。 世界観とはあくまで自分の中だけのもの。 意味もなく分かち合えば、それを真似ようとする人も必ず現れる。 当然、その人の世界では成り立たないものばかり。 意味がないどころか最悪、悪い影響を及ぼす結果にもなる。 意味を持って伝えるなら、それは人の為になるだろう。 僕が書いているブログ。 人の為になっているかどうかわからないが、少なくとも意味を持たせて書いているつもりだ。 意味を持たせている以上、そこには責任感がある。 だが無意味に何かを伝える行為は、ただの無責任でしかない。 無責任な言動は、多くの悪影響を及ぼす可能性が高い。 もちろん悪気なんかなくてもだ。 大切なのは公の場、私的な場問わず、常に自らの言動には責任を持つこと。 タレントとしてもそうだし、人としてもそう。 責任を生きる。 これが大切なのである。 また大きな事を学ばせてもらった。 感謝である。 12:40| パーマリンク
一見、悪い言葉のように感じるが僕は好きな言葉だ。 一般的には悪いニュアンスで使われるのがほとんど。 度が過ぎた事をやっているヤツに対し、とうとう堪忍袋の緒が切れた時。 「いい加減にしろ!」。 適当な感じで仕事をやっているヤツに対して、 「あいつは本当にいい加減なヤツだ!」 である。 ニュアンスとして、相手のことを悪く言う場合によく使われている。 まあ使い方としては間違っていない。 度が過ぎたヤツに対して、抑えろという意味で使う「いい加減」。 適当な感じでやっているヤツを指す場合に使う「いい加減」。 普段から割とよく耳にする言葉である。 だが、このいい加減という言葉。 悪いニュアンスだけに捉えているならば、それは大きな間違いだ。 僕が思うに、いい加減とは良い加減のこと。 つまり自分に適した良い案配の事だと、僕は思っている。 まじめに頑張るだけが全てじゃない。 人それぞれ自分に適したやり方や、それに見合ったペースってもんがある。 自分の心を苦しめてまで、頑なにまじめを貫く必要はないと思う訳だ。 時にはサボる勇気も必要である。 何事も楽しんで取り組めている自分。 それくらいがちょうど良い案配だと思うのだ。 頑張り過ぎてもダメ、もちろん頑張らないのもダメ。 いい加減。 これが最もベストな、自分のペース配分だったりするのだ。 もし頑張り過ぎて、しんどい思いをしている自分がいた時。 「いい加減にしろ」 こんな使い方をするのもアリかもしれない。 12:29| パーマリンク
映画なり舞台なりドラマなり。 素晴らしい作品と出逢った時、僕はものっすごくテンションが上がる。 なんかこう、心の隙間が埋められた感じになる。 来て良かった、出逢えて良かった。 そんな風に思う。 明日からまた頑張ろうと仕事への活力を与えられる。 客観的にそんな作品を観て、改めて自分らがやっている仕事の素晴らしさを実感するのだ。 僕は、たくさんの人がそんな想いになったら、純粋に素敵だと思う。 そしてそんな作品に関われたら、本当に幸せなんだろうなーと思う。 だからそんな作品に出られるような俳優になりたいと思う。 みんなに元気を与えるような、立派な俳優にだ。 絶対になってやろうと思う。 23:16| パーマリンク
当たり前だが、僕の頭の数は一つ。 物事を考える際、いっぺんにたくさんの考え事を同時にするのは不可能な話。 その時の優先順位に従って、考え事の1日の時間配分を無意識のうちに決めていく。 例えば、恋愛。 過去に経験あるが、恋愛は1日の多くの考え事の時間をそこに費やす。 楽しい事だったらまだいいが、心配事なんかが出てくると頭の中はそればかり。 考え事の優先順位は、恋愛での心配事が一番上となる。 それはもうスゲー疲れる。 毎日そればかり考える。 他にするべき大切な考え事も、もうそっちのけ。 無意識のうちにつけている優先順位が、無意識のうちに狂ってくる。 わかりやすいから恋愛に例えてみたが、もちろんそれだけには限らない。 仕事でも人間関係でも家庭でもそう。 要は中身のくだらない悩み事に頭を使い始めると、考え事の優先順位が狂ってくるって事だ。 冷静に考えれば、今何について頭を使うべきかは判断できる。 気持ちを落ち着かせ冷静になる事が大切だ。 そして考え事の優先順位をしっかり見極める。 ハッキリ言うが、くだらない悩み事って考えるだけ時間の無駄なのだ。 そこに時間を割くのは勿体無いし、気持ちも疲れる。 そもそも長時間に渡り考え事をすること自体、あまり意味のない事かもしれない。 必要なだけ考えれば、あとは行動するのみ。 自分の頭の中でやるシミュレーションごっこは、意味がないのだ。 行動に移してなんぼである。 所詮は考え事なんて、自分の世界だけの問題。 周りは何も変わりない。 僕がどんな悩み事を持ってようが、周りはいたってフツーである。 だったら明るく振る舞った方が、周りに余計な心配をかけない分マシである。 どんな状況に陥ろうが、どんな問題にぶつかろうが、大切なのはそこだと思う。 23:08| パーマリンク
とりあえず帰ってきた。 大自然とふれあい、自分自身と向き合い、見えてきた事は様々。 いい機会だったと思う。 自分が当たり前に過ごしていたこの環境。 そして当たり前にいる周りの人達。 それが本当に素晴らしいものであったと改めて気付く。 たった4日間の一人旅でも東京に帰ってきた瞬間、ふと落ち着いたり安心する自分がいる。 僕にとっての東京はそんな所。 ゴチャゴチャガヤガヤしていたり、人情味ある田舎の雰囲気とは随分とかけ離れていたり。 落ち着いたものは何もない。 だからこそ、落ち着きたくない僕には調度いい。 人も環境もめまぐるしい変化を見せる環境。 そこに身を置いている事が、どれだけ生きている事の喜びを実感できているか。 そんな事を深く感じられた機会だった。 今はとにかく前だけを見ていたい。 立ち止まってゆっくり考えるのはまだ早い。 僕自身の人生はまだスタートしたばっかりだから。 そんな事を思う、一人旅からの帰路だった。 23:06| パーマリンク
北海道で今シーズン初滑り。 今まで滑った場所の中では最北端のスキー場だ。 雪は極上のパウダースノー。 ゲレンデも広く、初心者レベルの僕には最高の環境だった。 一人旅なのでもちろん一人で来た訳だが、スキーってものは案外一人でも楽しめる事がわかった。 まあ滑っている間は一人なので、当然と言えば当然。 自分のペースで集中して滑れるので、むしろ良いのかもしれない。 こうして考えてみると不思議である。 寂しがり屋なはずなのに、一人旅も一人スキーも出来てしまう。 むしろ好んで行っている。 もしかして寂しがり屋じゃなかったりするのか。 それとも一人の時間も大切にする、寂しがり屋なのか。 でもそれじゃただのワガママだ。 なんか自分でもよくわからない。 とりあえず言えるのが、一人で何かするのはあまり苦ではないってこと。 一人でも頑張る事は出来るのだ。 ただ僕の人生には多くの仲間が必要である。 一人でずっと頑張っていける自信はない。 結局は寂しがり屋だし、仲間も必要としているし、孤独にも打ち勝てる。 どっちがどうの話ではなく、ただ人間らしいだけなのだ。 23:35| パーマリンク
醍醐味は何と言っても孤独感。 知らない土地にあてもなく行く訳だ。 喋る回数なんか普段の半分くらいで済む。 たまに喋ると自分の声が、一瞬懐かしく感じたりもする。 一人旅って本当に一人なんだなと、ふと寂しさを実感してしまう瞬間である。 まっ、それが一人旅の醍醐味なのだ。 これだけ喋る機会が少ないと言葉を発しない分、見たり聞いたりの五感が豊かになる。 素晴らしい景色や美味しい料理、そんなものを心から純粋に感じられるのだ。 一人旅ならではの感覚である。 一人なら旅先での出逢いもお楽しみの一つとなる。 電車で隣に座った地元のおばちゃん、スキー場で道具をレンタルしてくれたおっちゃん。 何気ない会話だが、そこに都会にはない温もりを感じた。 これらは全て、孤独感が僕へもたらす素敵なプレゼント。 一人旅の醍醐味である。 23:31| パーマリンク
僕は空港が好き。 夢や希望に満ち溢れた、あの空間が大好きだ。 再会する人、お別れする人。 旅に出る人、旅から帰ってきた人。 仕事に行く人、仕事に来た人。 いろんなシチュエーションがある中、僕の中で強いのがやはり旅立ちのイメージ。 期待に胸を膨らませ、これから見知らぬ土地に行くって時のドキドキ感。 たまらない気分である。 出発までの待ち時間なんか全然苦にならない。 むしろ早く行って、空港の雰囲気を味わいたいくらいだ。 楽しみ方はいろいろ。 京急を降りてすぐのスターバックスは必ず寄る。 キャラメルマキアートを飲みながらチェックインだ。 荷物を預け、手ぶらになった瞬間のあの開放感はたまらない。 それを味わいたいが為に、荷物を預けた後にお土産を買うような行為は絶対しない。 お土産は先に買って、荷物にまとめて入れるのが僕のルールだ。 あとは空港の立ち食いうどんを、軽くすするのも楽しみの一つだ。 土地によって味付けが違うのが、空港でうどんを食う楽しみなのである。 ちょっと寂しい感じもするが、それがむしろ立ち食いの良さだったりする訳だ。 楽しみ方はいろいろだが結局は、旅立つ前のワクワク感があれば何でも楽しく思えてしまう。 それが空港の魅力と言うことだ。 そう言う意味では空港って、ディズニーランドに近いものがある。 雰囲気にワクワクさせられるからだ。 まあ、そう思うのも僕だけだと思うが。 ちなみに僕はいま羽田空港にいる。 とってもワクワクしている。 約1年半振りだ。 どんな雪化粧をしているのか、今から楽しみである。 13:51| パーマリンク
今しか出来ないこと探し。 最近のマイブームである。 例えば電車の中でデッカイ口を開けての居眠り。 こいつはメチャクチャ気持ちがいい。 酔っ払って始発電車に乗った時なんかは8割がこれ。 しかし顔バレし始めた時には、さすがにそんなアホ面を無防備に見せる事なんてできない。 今しか味わえない至福のひとときだ。 次にファッション。 茶髪やチャラチャラしたアクセサリー、キラキラがたくさん付いた洋服など。 いま流行りの若者ファッションだ。 さすがにオッサンになって、その格好は無理がある。 金に物言わせて頑張ってる感が見え見えだ。 これも今しか楽しめない、若者ならではのスタイルである。 あとは親孝行。 あまり考えたくないが、いなくなってからではもう遅い。 今こうして、元気にしてるうちだからこそ出来る事だ。 言葉にせよ物にせよ生き方にせよ。 生んでくれた親に、きちんとした感謝の気持ちを伝えるのは大切である。 こうやって一生懸命探してみると、今しか出来ないことって結構見つかったりする。 そして意外にも、今しか出来ない事をやっていなかったりもする。 これは勿体無いことだ。 たった一度きりの人生、後悔だけは絶対にしたくない。 今しか出来ないことを見つけて、そいつを存分に楽しんでやる。 それってとても大切な事だ。 どんな事であっても今しか出来ない事を楽しめれば、後悔する事なんて絶対にないと思う。 それにそう考えられれば、人生はものすごく豊かなものになる。 いま目の前にある困難な出来事も、おもいっきり楽しんで取り組む事が出来るだろう。 何故ならいま目の前にある出来事は、今しか出来ないことだから。 皆さんもやってみてはいかがだろうか? 23:58| パーマリンク
ドラクエ9が来年発売するという発表があった。 対応機種はニンテンドーDS。 これまでドラクエシリーズは「最も普及しているゲーム機で出す」としてきたのがエニックス(現スクウェアエニックス)の公言。 過去の例として、任天堂のファミコン・スーパーファミコンから、ソニーのプレイステーション1・2への移籍など。 常に時代の一番人気ゲーム機で、発売をしてきたドラクエシリーズ。 今回もその言葉通り、売り上げ2600万台の圧倒的なシェアと人気を誇るニンテンドーDSで、最新作の発売が決まったのだ。 しかもクオリティの高い次世代ゲーム機を選ばず、あえてグラフィックの性能が劣るニンテンドーDSを選んだ訳である。 これはもう男前以外の何ものでもない。 映像の美しさを売りとしない、ゲーム本来の面白さを追求する、開発者たちの心意気とでも言うのか。 常に大切なものを忘れず、新しい分野へチャレンジする姿が、僕にはとても男前に感じた。 何もハイテク機能を駆使するだけが進歩ではない。 大切なのは、どんな環境でも最高に面白いと思わせる、ゲームの中身。 そしてその中身に夢を詰め込む、開発者たちの熱いハートだ。 ちょっと前に、ニンテンドーDSが売れる理由を僕なりにブログに書いた事がある。 今回のドラクエ移籍騒動。 僕の中で、それらの思いが確信へと変わったような、そんな出来事だったように思う。 23:56| パーマリンク
恋愛した瞬間の、あのドキドキしたり胸が熱くなったりする感じ。 なんとも言えない気分だ。 恋は盲目なんて言うが、ホントそのとおり。 もうそれだけしか見えなくなる。 冷静な判断が出来なくなったり、選択を誤ってしまう事もしばしば。 冷静な僕の判断力を簡単に狂わしてしまう。 言ってしまえば麻薬みたいなもん。 溺れる事はないが、頭の中の結構な領域を恋愛に占められてしまう。 僕が恋愛気質な人間ならば、仕事よりも友達よりも恋愛を優先させてしまうかもしれない。 仕事大好き人間の僕としては、そうなったらエラいことだ。 だから恋愛はしない。 …という事ではないが、つまりはそこに人生の多くをあまり注ぎ込みたくないという話。 仕事や友達、そして叶えたいと思っている大きな夢。 そういう事に一生懸命になる生き方が僕は好きだ。 もちろん好きな人が出来て恋愛する事も大事。 素敵な人生を送る為には必要不可欠だ。 だけど恋愛する時間はそんなに長くなくていい。 そこから先は、なくてはならない最愛のパートナー同士。 お互いの夢を叶える為に、共に成長し合える関係。 そんな関係でいられたらいいと思う。 これが僕の恋愛観。 23:28| パーマリンク
自分の事を謙遜する人ってけっこう多いと思う。 へりくだったり控え目だったり。 人に誉められても、それをわざわざ自分で否定する。 謙虚に見えるかもしれないが、それはちょっと違うような気がする。 誉められてもそれを自分で否定するのは、謙虚ではなくただの自信のなさの表れ。 謙虚な人ってのは、自分の中に確固たる自信みたいなものがある。 強さを感じる。 それをわざわざ否定するような事は絶対しない。 ただ自分の力量を把握しているので、傲る気持ちがないだけだ。 謙遜する気持ちはあまり必要ない。 肩書きや身分にとらわれず、いつも堂々と自分に自信を持てばいい。 どんな事があっても自信に満ち溢れている自分でいいと思う。 だからって傲慢になってはいけない。 そうならない為の謙虚なのだ。 22:10| パーマリンク
人間関係って面白い。 仕事でもプライベートでも、その時の自分に見合った出逢いが必ず訪れる。 人間のレベルというのか。 そのレベルに合った人達が自然と周りに集まるようになる。 レベルと言うのは、別に肩書きでも経済力でもない。 ただそれらを身にまとえるだけの人として魅力の部分。 そこの話だ。 ある日を境に、急に身の回りの人間関係が大きく変わった瞬間。 タラララッタンタッタ〜ン! 自分がレベルアップした瞬間だったりするかもしれない。 全てがそうだとは言い切れないが、同じような意図や同じような意志を持つ人同士ってのは、絶対に惹かれ合っていると思う。 波長が合うとでも言えばいいのか。 逆に言ってしまえば悪い人を引き寄せてしまうのも、自分の生き方がそうさせたと言う事になる。 悪い心の波長が合ったと言うことだろう。。 大切なのは、自分の心を常に正しい位置に安定させておくこと。 それが素敵な人の波長に合うであろう、素晴らしい生き方だと思うのだ。 目指すべきところにいる人達と、同じ波長になる事を意識する。 常に考えていきたいところである。 23:39| パーマリンク
皆さんにご報告。 雑誌にもチョコンと載っていたので、多分発表しても大丈夫だと思うが。 1月16日(火)にスタートする連続ドラマ「今週、妻が浮気します」に出演させて頂く事になった。 すでに撮影はスタートしており、運良く全体のクランクインから僕も撮影に参加する事ができた。 出演はユースケサンタマリアさん。 実は憧れの俳優さんの一人だ。 初日もそうだったが、現場に行くのがもうワクワクしてしょうがない。 ユースケさんや他の個性的な演者の皆さんと、どんな芝居のキャッチボールが出来るかホント楽しみだ。 もちろん良い作品にしていく為には、僕自身頭をいっぱい使った努力が必要になってくる。 辛い思いや大変な思いも沢山するだろう。 でもまあそういった事も含めて、ガンガン楽しんでやっていくつもりだ。 とりあえず来年は早々からぶっ飛ばしていく。 皆さん、新年のあいさつは「今妻(こんつま)サイコー!」で宜しく。 23:02| パーマリンク
世界的なマジシャン、デビッド・カッパーフィールド。 ニューヨークの自由の女神を消したり、中国の万里の長城をすり抜けたりする、あの有名人だ。 そのカッパーフィールドの東京公演を今日、東京国際フォーラムまで観に行ってきた。 さすが色々な賞を取ってるだけあって、スケールのデカさやパフォーマンスの豊かさがとても魅力的なショーだった。 超能力ではなくマジックなので当然タネはあるのだが、そこはあまり深く探らなかった。 たまには子供のような気持ちで、純粋にエンターテインメント楽しみたい。 そんな気分だったのである。 ただちょっとだけ残念だったのが、僕が英会話が出来ない事だ。 通訳さんはいたのだが、ただ訳すだけなので世界的なエンターテイナーのトークが、そのままの熱で伝わってこないのだ。 通訳さんも必死なのか、大切な部分しか訳せてなかったように思う。 まあそれは仕方ないこと。 エンターテイナーの魅力ってのは、その人の人間性の魅力だと僕は思っている。 もちろんマジックの技術も魅力的だ。 でもデビッド・カッパーフィールドがやるからこそ、それらのマジックがより魅力的に見える訳で。 それはやはり彼が持つ人間としての魅力が、そうさせているに違いないのだ。 その彼の話すトークを100%聞き取れないのは、やっぱり勿体無い事である。 損した気分にはなりたくない。 だが英会話が出来た方が、世の中得する事が多くなるのは間違いなさそうだ。 とても魅力的なスキルである。 僕も留学なんかを考えてみようか… 成長欲が強いため、そんな事を思ってみたりするのだ。 もちろん僕の場合は駅前にだが。 23:08| パーマリンク
今夜いよいよだめんず・うぉ〜か〜の最終話がOAされる。 全8話はホントあっと言う間な感じ。 先日まで撮影があったので、気持ちも冷めやらぬ状態のまま最終話を観る事になる。 なんかOAが終わった途端に寂しさが襲ってきそうで、想像するとちょっと切ない気持ちになる。 しかも今日はだめんず・うぉ〜か〜の打ち上げ。 共演者やスタッフの皆さんとも、今日で本当のお別れである。 寂しさが2倍の、12月7日の夜になりそうだ。 とりあえず二度と来ないこの時間を、存分に楽しもうと思う。 素敵な思い出の1ページに加えられるよう、メチャクチャに楽しんでやろうと思う。 22:11| パーマリンク
ブログを毎日書き始めて4ヶ月。 とりあえず決めていた一年間の、もう三分の一が経ってしまった。 数にすると内容の異なる文章を、100通り近く書いた事になる。 書く事なさそうに思うが、一生懸命になれば意外と書けちゃうもんだなと思った。 結局何をやるにしても、こーゆー気持ちが大事なんだと改めて気付かされる。 とにかく決めて行動する事。 始めから書く事がないと決めれば、書く事は本当になくなると思う。 ネタがないと言う言い訳をしながら、見つける努力をしないから。 だけどとにかく毎日書くと決めれば、やれないと思っていた事も、意外と簡単に出来ちゃったりする。 常にネタを探そうという意識で、頭を働かす努力をするからだ。 人間ってのは心の弱い生き物。 無意識のうちに自らを楽な方へと誘ってしまう癖がある。 別に厳しくしなければいけない必要もないが、上へ登りたければやはり人並み以上の頑張りというのは必要だと思う。 この腹をくくる覚悟のような「決めて行動する」という作業。 甘えた意識をなくす為にはベストな手段だと言える。 まあどこまでやれるかは本人の強い意志次第なのだが… 僕の場合はとりあえず一年。 それ以上は今のところ決めていない。 23:16| パーマリンク
公式でも発表があったが、新春かくし芸大会に出場する。 と言っても収録は全て終わっているので、今さら発表ってのも変な感じである。 僕らが挑んだのは中国獅子舞。 「かくし芸で獅子舞?」 と皆さんが思うのも無理はない。 僕らが想像する獅子舞は、祝い事などによく見る日本の獅子舞。 かくす必要がないくらい、皆さんご存知のヤツだ。 特に派手なパフォーマンスもなく、かくし芸としては物足りなさを感じてしまうのは仕方ない。 だが、僕らが今回挑んだのは中国獅子舞。 日本の獅子舞とは訳が違うのだ。 別にどっちがスゴイとかの話ではない。 日本は日本の、中国は中国のそれぞれの良さってもんがある。 ただ民族性の違いなのだろう。 日本の獅子舞とは比べ物にならないくらい、中国獅子舞は激しく凄まじいのだ。 あまり詳しく説明すると楽しみがなくなるのでやめておく。 とにかく新春からスゴイものをお見せする事は間違いないので、期待してて欲しい。 僕からの注意として、このブログを読んでくれた方は是非OAまで、中国獅子舞のことを何かで調べたりしない事をお勧めする。 日本の獅子舞感覚で気軽に観てくれた方が、絶対にお楽しみ頂けると思うからだ。 注意というか、お楽しみ頂くコツみたいなものである。 まあ頂き方はお客様の自由。 無理には言えない。 ただそれがシェフのオススメみたいなもんである。 とにかく中国獅子舞をお楽しみに。 23:47| パーマリンク
だめんず・うぉ〜か〜の撮影が本日無事オールアップした。 とにかく笑いの絶えない現場で、「楽しい」という表現が本当にピッタリな撮影期間であった。 もちろん仕事は楽しむだけではダメだと思う。 厳しさや気の引き締めは、常に自分自身で保っておかなければならない。 しかしいくら真剣に挑む場合でも、やっぱり楽しむ余裕ってのは必要である。 最高のパフォーマンスとは、気持ちの余裕から生まれるからだ。 そういう意味では、楽しむ事の大切さをいっぱい学ぶ事ができた、素敵な現場だったように思う。 また一つ、僕は大きく前進する事ができた。 出逢ったキャストやスタッフの皆さんに、心から御礼を申し上げたい。 本当に素敵な出逢いに感謝である。 23:35| パーマリンク
世の中を生きること。 それは様々な出逢いや、様々な出来事との巡り合わせである。 人はいろんな出逢いや、いろんな出来事を経験し立派に成長していく。 それが人の生きる道であり、人生ってもんだと思う。 良い経験を積める事もあれば、中にはそうでない経験を積んでしまう事だってある。 人の事を悪く思ってしまったり、物事や出来事のせいにしてみたり… 心に不平不満が溜まる事も、多々あると思う。 ただそれを口にするのは良くない。 何故なら、不平不満は人に移る。 何も知らない人にも、それが全てのように悪い印象として伝わっていく。 不平不満はあくまで個人の感情。 100%正しい事実とは言えない。 不平不満が周りに移れば共感した仲間同士、マイナスの空気を生んでしまう。 そしてその空気は全体に蔓延するくらい、大きく広がっていく場合がある。 結果、そこには更に雰囲気の悪い環境が、いつの間にか出来上がってしまうのだ。 人や出来事など、自分以外の周りの環境のせいにしがちな不平不満。 だが実際は周りの環境なんかよりも、自分自信の心の弱さに原因がある事を、不平不満を吐く人は知らなければいけない。 そして不平不満を吐く人は、その瞬間の自分の顔がどんな表情をしているのか、鏡を見て知らなければいけない。 素晴らしいと言えるものは何一つない… それが不平不満というものだ。 20:38| パーマリンク
ご飯を頂くときやご馳走様をするときの、手を合わせるという行為。 僕はこれが大好きだ。 ご飯を食べる時だけに限らない。 とにかくこの謙虚で美しく見える姿が、僕はとても大好きなのだ。 修行僧じゃないが、心が洗われる気分になる。 何にでもいい。 感謝の気持ちを伝えたい人に向かって… 仏壇や神棚に向かって… その日一番に見た太陽に向かって… とにかく1日に1度は手を合わせる。 そうすると毎日がとても素敵になりそうだ。 心豊かな自分と出逢えそうな気がする。 23:37| パーマリンク
後悔する気持ち。 人間なら誰しもあると思う。 僕だってある。 言葉には出さないが、たまにそんな後悔の念に襲われる事がある。 多分、スゴく偉い人や大物な人だって同じだと思う。 誰だって後悔する事はある。 とは言え、そんな人達は後悔して悩んでいても立ち直りが早い。 そんな事まったく気にしてないと思わせるくらい、いつも堂々としている。 理由は多分、一生懸命頑張っている事をきちんと自覚出来ているから。 どんな結果になっても、今の自分が精一杯頑張った結果だと、自ら思っているからだ。 なので後悔の念に襲われても、今の自分にOKを出せる。 後悔って過去の自分を嫌う作業。 つまりOKを出せるって事は、どんな自分も好きになれるって事なのだ。 悩みなんかなさそうに見える大きな人ってのは、だいたいこんな仕組みなんだろう。 今を一生懸命生きてると、いつも言える自分でありたいもんだ。 23:02| パーマリンク
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