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  地球温暖化を考える。
2007年01月31日

チーム・マイナス6%にD‐BOYSが参加している事は皆さんご存知だと思う。

地球温暖化につながる温室効果ガスの排出量を、日本で6%削減する国民的プロジェクト。

それがチーム・マイナス6%だ。

以前携帯サイトに専用投稿コーナーを設置したら、たくさんのファンの皆さんが関心を持ち、多くのメッセージを寄せてくれた。

本当に嬉しかった。

世の中の為に、共に力を合わせて取り組んでいく。

こうした取り組みは大切だと思うし、ファンの皆さんとの関係性も本当に素晴らしいものになると思う。

誇りに思える事だ。

積極的にみんなで行動していけば、少なくともプラスの影響は必ず生まれる。

そこで僕らが感じるべきこと。

それは温暖化防止に貢献したと思える、日々のちょっとした行動。

そこに喜びを感じてみる事だ。

どんな事でもいい。
頭に思い浮かぶ、自分なりの温暖化防止対策。

そのどれかを毎日一個実践するだけで、僕らの愛は地球へと還元されていく。

そして、そのちょっとした喜びを感じる事が、僕らが温暖化防止に取り組んでいるという証となる。

1人が持ってる小さな意識。

その1つ1つが寄り添い大きくなった時、その意識の集まりはやがて大きな意志となる。

それが僕達D‐BOYSとファンのみんなの、地球温暖化防止対策。

愛の形だと思う。

 
 
 
  校友會。
2007年01月30日

横浜中華学院校友會。

かくし芸でお世話になった、僕らの中国獅子舞の師匠だ。

日本で1番なのは勿論のこと、世界大会でも8位の実績を持つ実力派のチーム。

実際目の前で観せてもらったが、僕らとは比べ物にならないくらいスゴイ踊りだった。

本当にカッコ良かった。

獅子に魂が宿っているというか、本当にまるで生きているようだった。

話を聞くとそれは、校友會の獅子舞に対する情熱の強さだと言うことがわかった。

とにかくこの獅子舞の凄さを、俺らに代わって日本全国の人達に伝えてほしい。

それが僕らに託された、校友會のみんなの想いだった。

とても重要な役目だ。

情けない踊りをすれば、中国獅子舞はその程度のレベルとして世の中に広まる。

一切の油断も許されない、本気の勝負を挑まなければいけなかった。

自信なんかある訳がない。

むしろ不安に押しつぶされそうで、逃げ出したかった。

しかし救ってくれたのは、やはり校友會の熱い想い。

それが僕らに伝わるのに、そう時間はかからなかった。

彼らは自分達の仕事を朝から夜までやった後、深夜3時くらいまで僕らの練習に付き合ってくれた。

それも自らの利益など関係なく、ただ僕らが中国獅子舞を上手く踊れるようになる為だけにだ。

本気だとすぐにわかった。

だから僕らも本気になった。

とにかく気持ちだけでも、彼らと同じかそれ以上にぶつける必要があると思った。

そんな僕らのモチベーションを、校友會は本当に上手くコントロールしてくれた。

時には厳しく、時には優しく。

基本的にはバカばっかりやってる感じ。

本当に練習が楽しかった。

誉められるのが嬉しくて、とにかく上手くなる事を競い合った。

子供みたいな気分で、一つの事にがむしゃらになれたのはいつ以来だろう。

本当に楽しい時間を過ごした。

2ヶ月はあっという間だったが、重ねてきた校友會の想いが僕らに最高の獅子舞を踊らせてくれた。

みんなの想いが、本当に一つになった瞬間だった。

嬉しかった。

中国獅子舞はこんなにスゴいんだぞ!

こんなに感動しちゃうんだぞ!

校友會の想いは日本全国に伝えきった。

最高の気分だった。

彼らへの恩返しが僕らの想い。

今なら胸を張って、想いが届いたと言えるだろう。

彼らと過ごした時間を、僕は一生忘れる事はない。

中国獅子舞を通じて分かち合った僕らの想いは、日本中に感動を生み出したのだから。

誇りとして、胸の中に大切に保管しておこうと思う。

校友會は僕らの師匠。

心からの親友である。

そんな訳で、2月3日OAの新春かくし芸大会再放送。

ちょっと違った目線で観てもらえたら、僕はとても嬉しい。

 
 
 
  絵を描く。
2007年01月29日

先日、今妻の撮影現場でお絵描きゲームをした。

ルールは簡単。

出されたお題を絵にするという、ごく単純なもの。

出されたのはカエル、にわとり、不二家のペコちゃん。

誰もが知ってる簡単なものばかり。

当然、楽勝で描けるもんだと思っていた。

ところがいざ思い出そうとすると、浮かんでくるのはボヤけた絵ばかり。

にわとりも、カエルも、不二家のペコちゃんも。

まるでモザイクがかかったようにしか、頭に浮かんでこないのだ。

デッサンを特技とするだけあって、絵には自信があった。

だが紙に描かれたそれらは、もはや何者なのかわからないくらい、僕の手により別物へと変化させられていたのだ。

本当に、自らの観察力と想像力の無さを痛感させられた。

俳優としてはちょっと問題でもある。

物への興味は表現者として、とても大事な要素。

引き出しを増やす為にも観察力や想像力は、普段からきちんと磨かなければいけない部分だと思うから。

そーゆー意味では、ちょっと油断していたように思う。

久しぶりに描いた落書きみたいな絵だったが、意外にも大事なことに気付かせてもらった。

これからは少し、感性を磨く為の役に立たせてみようかと思う。

模写ではなく、想像力を働かせた絵が描けるように。

 
 
 
  親友。
2007年01月28日

基本的に仕事とプライベートは別に考える。

なので付き合う友達も、仕事とプライベートでは違ってくる事が多い。

特に同じグループとなると、それがハッキリと見えてくる。

あんまりプライベートで接する事がない。

別に仲が悪い訳じゃないが、グループってのはそんなもの。

仕事として良き関係を築き合える、ちょっと特殊な関係性である。

でもまあ、中には例外だっている。

何か不思議と気が合ったり。

久々に逢っても、コイツやっぱ面白いなーと思えたり。

仕事とかプライベートとか考えなくても、互いに自然体でいられる関係。

そんなヤツが、ウチのメンバーにもいたりするのだ。

加治将樹である。

歳の差は8つ。

僕が小学1年の頃、ヤツはまだお母さんの腹の中。

普通に考えたら、話の接点もなかなか見つけられないくらい、世代の差が大きくある。

弟と言えばそれに近い。

間違った事をすれば身内のようにマジで怒るし、口うるさい事だって言ったりする。

だけど自分に近い何かを感じるから、僕はヤツに構ってしまう。

歳の差を感じさせない、人間としての何かをだ。

なんだかよくわからないが、僕はとても嬉しい気持ちになる。

若いくせに、僕にそんな魅力をガンガンぶつけてくるヤツを見てると、心がとてもワクワクする。

多分コイツとは、いくつになってもこんな関係でいるんだと思う。

仕事とかプライベートとか関係ない、人と人との関係。

世の中的に言う親友みたいなもんだ。

若いし、バカだし、ウザったい事も多々あるけど、僕はヤツの事を人として認めている。

素晴らしいヤツだと思う。

そんな彼が、今日また一つ歳を重ねた。

19歳になったらしい。

人として認めているが、世の中的にはまだまだガキんちょ。

将来がとっても楽しみな、ただの小僧である。

末恐ろしいがとてもワクワクする存在である。

 
 
 
  やりたがり。
2007年01月27日

僕は人に何かを任せるのが好きじゃない。

出来る事は何でも自分でやってしまう。

わからない事があっても自分で調べるし、出来ない事があっても勉強して自分で出来るようにしてしまう。

とにかく何でも、自分でやらないと気が済まない性格。

人に頼むより、時間がかかっても自分でやってしまった方が楽だと思ってしまうのだ。

よく考えたら損な性格である。

何かを始めるのに当たり、専門の知識を得ているスペシャリストみたいな人達は、世の中にたくさんいる。

僕の周りにもいる。

その人達の力を借りず、自分で1から学び1からスタートするのは、せっかくの恵まれた環境を無駄にしているのと同じこと。

時間もかかるし利口なやり方ではないと思う。

個人が勉強したり、様々なスキルを得るのは大事なこと。

だけどそれ以上に、周りの仲間にお願いして、いかに多くの協力を得られるか。

これが大事だと思う。

そーゆー意味では僕は自分が、やれば何でも出来ると思い込んでしまっている勘違い野郎。

仲間の協力をあまり必要としていない、寂しい野郎だ。

やれやれである。

今後、様々な部分で大きく成長していく為にも、僕は学ばなければいけない。

仲間の力を借りるのは、決して恥ずかしい事ではないと言うことを。

そして自分で得ようとするよりも、より早く、より多くのものを得られるという事を。

僕はしっかりと学ばなければいけない。

 
 
 
  貯蓄。
2007年01月26日

やりたい事を形したい時。

まず大切なのは、絶対に形にしてやるという強い想い。

何があっても途中で投げ出さないという、強い思い入れと執着心が必要だ。

僕は割と飽きっぽい性格。

やりたい事はたくさんあるが、安易に手をつけると途中で投げ出す可能性が非常に高い。

だからとりあえず我慢する。

この1年はじっくりと、内なる想いを熟成する期間だ。

かつて俳優になりたい想いを、我慢しきれないくらい胸の内で膨らませていたように。

やりたいと思う事を、心の底からやりたいと思う事へと進化させる。

時間はかかるが、形にして世の中へ送り出すには、この作業は絶対に必要だ。

なのでとりあえずは1年。

蓄えの期間を設けようと思う。

 
 
 
  人生実験。
2007年01月25日

かつて歩んだ12年間の陸上競技生活。

一言で言うと、とにかくクソ真面目な人生だった。

自分を甘やかす要素を取り除き、厳しさだけを求めて日々努力した。

24時間全てが練習と言えるくらい、練習以外の私生活も競技の事を考える。

もう頭の中は陸上競技の事ばかり。

それ以外の事に時間や頭を使うのが、ライバルからの出遅れだと思えてしまう。

そんな取り組み方が普通だと思ってやってきた。

ここまでの人生がAパターン。

次にスタートした俳優生活。

あまり自分を追い込まず、楽しくやる事をモットーに取り組んだ。

仕事以外の時は、出来るだけ他の事を考える。

仕事が全てだと疲れてしまうから。

周りの俳優さん達が活躍すれば、素直に喜び、応援してあげる。

人は人、自分は自分。

比べても仕方のない事だからと、心にゆとりを持つ事にした。

とにかく楽観的に取り組むこと。

これを重視して、今の俳優生活を取り組んでいる。

この人生がBパターン。

過去と現在。

AパターンとBパターン。

比べてみてもわかる通り、対照的な取り組み方で人生を歩んでいる。

当然、意図的にそうしている訳だ。

陸上競技生活のパターンで頑張った結果が、箱根駅伝出場や実業団チームへの加入。

それが12年間の成果である。

もちろん一生懸命やった事だから悔いはない。

だが、もしBパターンの取り組み方を陸上競技生活で実践していたら、どんな結果が生まれていただろう。

考えると非常に興味深い。

だから僕は俳優生活では、あえて陸上競技生活とは逆の取り組み方を試みる。

人生を使って実験をしてみる訳だ。

結果がどうなるかは分からない。

だが試す価値は大いに有りだ。

なぜなら、俳優になる夢を1年で叶えた事が、僕にとっての大きな成果になっているから。

俳優になるのは箱根駅伝を走る事より、100倍難しかったと僕は思っている。

なので、この先どうなるかは分からないが、成果が非常に楽しみな人生実験なのである。

 
 
 
  愛読者。
2007年01月24日

僕の書くブログ。

誰よりも真っ先にチェックしている贅沢な人がいる。

間違いなく世界で一番最初の読者。

ウチのマネージャーだ。

書いたブログをマネージャーに送り、内容をチェックしてもらった後、パソコンに反映する。

これが毎日の作業。

基本的には僕の意図を尊重してくれる。

なので内容に関してどーのこーの言ってくる事はない。

だが早稲田大卒だけあって、評価のハードルはやや高め。

いまだかつて、マネージャーを唸らせた事が一度もない。

平然と毎日の流れ作業をこなしているだけ。

一番側にいる愛読者だが、ハートに響いてきた事はまだ一度もないらしい。

ちょっと悔しい気分だ。

とりあえずそんな彼に、小便ちびらせるくらいの文章を書いてやること。

それが現時点での僕の目標だ。

身内にも手を抜かない、厳しい目線を持つマネージャー。

僕にとっては有り難い存在である。

 
 
 
  それでもボクはやってない。
2007年01月23日

初日にさっそく観てきた。

周防監督11年ぶりの作品で、痴漢冤罪をテーマにした映画だ。

観て率直に思ったこと。

「満員電車に乗るのが怖くなった」

である。

映画によると痴漢という犯罪は、訴えられた時点でほぼ有罪が確定するらしい。

その確率は99%。

例え無実だったとしても、被害者が言い張れば99%の確率で犯人扱い。

つまり刑務所行きなのだ。

恐ろしい話である。

そりゃ満員電車が怖くなるのも無理はない。

男の立場としては、女性専用車両よりもむしろ、男性専用車両を設けてほしいくらい。

なんだったら電車一本、丸ごと男性専用にしてもらいたいくらいだ。

「7時50分発、男性だけ急行新宿行き」

みたいな。

たぶん真夏の満員電車は地獄絵図。

車内は想像を絶するような、恐ろしい世界と化すだろう。

しかし身の安全の確保の為には、我慢も必要なところ。

ブタ箱に比べれば、きっとマシである。

ぜひ採用してもらいたい僕からの提案だ。

世の中のたくさんの男女が密接する危険な空間。

満員電車。

そこは男女問わず、自らが互いの身を守らなければいけないサバイバル地点。

まさに都会の戦場とも言えよう。

男女共に被害に合わない為にも、満員電車には心して乗り込むよう気を付けたいものである。

とりあえず、僕の各駅停車の利用が増えたのは、これが原因。

 
 
 
  ブログの調子。
2007年01月22日

ブログにも、調子の良し悪しがある。

スラスラ書ける時と、なかなか書けない時。

別にネタが尽きている訳ではない。

拾おうと思えば、ネタなんかそこら辺にいくらでも落ちている。

ただ拾う作業をサボっているだけ。

人と様々な意見交換をしたり。

感性を磨く場に足を運んだり。

つまりは心のキャパシティを膨らませる作業。

この作業をいつの間にか、怠っていたりする訳だ。

ネタなんか自らを積極的に動かす事で、いくらでも拾う事ができる。

特に人との意見交換は、ネタの宝庫。

新しい考え方も得られるし、自分の考えも表に出てくる。

まさに成長の場。

なのでブログの調子が良い時に言えること。

それは僕の調子も良いって事である。

最近のブログ…

僕なりにはいい感じだ。

 
 
 
  僕。
2007年01月21日

そりゃ27歳にもなれば、自分の考えくらいしっかり持っている。

むしろ持ちすぎなくらいだ。

それらを人に強要する事はない。

しかし主張はする。

ハッキリと意見を述べる。

言ってしまえば我が強いタイプ。

我慢が一番の天敵である。

しかし頑固ではない。

様々な意見を聞くし、幅広い視野で物事を見る。

そうしないと、良いものがなかなか入ってこないから。

自分で言うのもなんだが、素直だと思う。

我が強くて素直。

これが僕だ。

 
 
 
  失敗談。
2007年01月20日

車がぶっ壊れた。

どうやらオイル交換をサボった為に、どっかの部品が壊れてしまったらしい。

昔からオヤジに、オイル交換はマメにやるよう、うるさく言われていた。

今更ながら、言う事をちゃんと聞いておけば良かったと思う。

とても勉強になったが、高い授業料となった。

よく考えてみれば、以前にも同じような事はあった。

車の中で聴いていたiPod。

盗まれるから車を離れる時は、外から見えないダッシュボードの中に隠すよう、友達から散々言われていた。

案の定、車上荒らしにあいiPodは盗まれてしまった。

それどころか、鍵を無理やりこじ開けられたせいで、助手席のドアノブがぶっ壊されていた。

iPodよりも何よりも、高くついたのはドアの修理代。

これも友達の言うことを聞いておけば良かった事だ。

こんな風に僕の人生には失敗が付き物。

大ざっぱな性格で、何でも大丈夫で済ませてしまうのが原因だ。

外から見れば、ものすごく損な性格。

用心してれば、どれもが防げる失敗だから。

でも後悔はない。

僕の心に刻まれた失敗談はリアルそのもの。

全てが僕の貴重な人生経験となる訳だ。

失敗があるから大きな学びを得られ、大きな成長を遂げられる。

失敗ばかりの人生でも、嫌な事は何一つないのである。

iPodを盗まれて、iPod7〜8台分のドアの修理代を払っても後悔はない。

むしろ勉強させてくれてありがとうである。

 
 
 
  自分を貫く。
2007年01月19日

柔軟な姿勢は大事。

それがなくなれば、人間は考えが凝り固まり、成長が止まってしまう。

そうすると若くても中身は、口がへの字に曲がった頑固なおじいちゃん。

いつまでも、外からの情報を素直に受け入れられる、頭の柔らかさは持ち合わせていたい。

そんな風に思う。

ただし、言われっぱなしで下手にばかり出るのも、それはまた違う。

時には自分を貫く勇気も必要だ。

それは別に、口にも態度にも表す必要はない。

ただ自分の中にだけあればいいと思う。

確固たる自信。

そいつだけは失ってはいけない。

 
 
 
  将来の姿。
2007年01月18日

将来なりたい姿に、これと言ったこだわりがない。

例えばこーゆー仕事をしていたら、必ず聞かれるのが「憧れの俳優は?」だ。

誰しも必ず1人や2人、憧れの俳優がいる。

もちろん僕にもいる。

だからと言って、そこにこだわる事はしない。

憧れているからって、その人にこだわった真似事のような事は絶対しない。

所詮は他人。

その人の道はその人だけの道であって、僕らが真似して通ろうとしても、それは到底無理な話。

下手すると、そこへこだわるがあまり自らの可能性を、縮めてしまう事にもなり兼ねない。

歩み方を手本にするのはいいと思う。

そこはたくさんの先人から、学ぶべきだと思う。

ただ可能性を無視して、一つにだけこだわるのはハッキリ言って損なこと。

幅広い視野で様々なものを吸収し、最終的に行き着くところが憧れの自分の姿。

それでいいと思う。

 
 
 
  やりやすい環境。
2007年01月17日

例えば昔から仲の良い友達と一緒にいる場合。

この環境は、自分の面白さが存分に発揮できる、とても楽な環境と言える。

自分の事をよく知っている仲間がいるから、恥ずかしさも遠慮もいらない。

ある意味やりたい放題。

言ってしまえば笑わせやすい空気が、すでに自分の周りにある感じだ。

とても楽である。

この空気をいかに早い段階で作れるか。

仕事の現場なんかでは、とても大事になると思う。

名前と顔を覚えてもらうのは当然のこと。

それよりもまず、自分のキャラクターを早いうちに知ってもらう。

これが空気作りをする、第一歩目の作業となる。

敵となるのは恥ずかしさや遠慮。

そいつらと戦う事が必須である。

頼もしい見方は図々しさ。

こいつを見方にする事が攻略の秘訣である。

お笑い芸人さんではないけど、僕はこーゆー事をとても意識する俳優だ。

 
 
 
  スウィーニー・トッド。
2007年01月16日

今日拝見してきた。

ブロードウェイミュージカルを観たのはこれが初めて。

正直びびった。

こんなにもスゴいもんなのかと圧倒された。

まさに本物の凄さってヤツだ。

本当に感動した。

こうなったら本場NYのブロードウェイに、ものすごく興味が沸いてくる。

冗談じゃなく、小遣い叩いてでも観に行きたいとマジで思った。

世の中にはスゴい世界がたくさんある。

楽しみがまだまだある。

知らない事が多いのは損だと思っていたが、それだけ楽しみも残ってるって事。

考えるとワクワクする。

僕は歌がそれほど上手ではない。

だからあそこまでスゴいミュージカルは、ちょっと遠い憧れの世界。

そーゆー意味では、城田優が少し羨ましく思えた。

悔しいが、かなり男前なヤローである。

 
 
 
  してやったり。
2007年01月15日

前評判ってヤツが僕はあまり好きじゃない。

何を根拠にと思ってしまう。

大体のところ、判断基準は人とか大きさとか流行りとか。

人のミーハー心をくすぶる要素。

まあそんなところである。

基本的に、形になる前のものに意見をするのは嫌だし、されるのも嫌。

雰囲気だけで期待してしまうのは、おかしいと思うからだ。

期待というのは、裏切られた時の反動が大きすぎる。

なので僕は、前評判というのをあまり信じない。

それが良くても悪くてもだ。

まあ100歩譲って、される分は我慢できる。

周りに何を言われようが、僕は何も気にしないから。

逆に評判がいまいちな方が、燃えてくるというもの。

見てろよコノヤロウ的な気分である。

そんな期待のない状態でも、蓋を開けたらスゴかったと言わせてやる。

それが腕の見せどころでもあり、最高の快楽でもある。

まさにしてやったり気分だ。

それを味わうのが好きだから、前評判ってヤツがどーでもよく思える。

前評判よりも何よりも、やはり結果が全てだと思うからだ。

 
 
 
  OA前の気持ち。
2007年01月14日

あと2日で「今週、妻が浮気します」がスタートする。

第1話がOAされるまでのドキドキ感。

これって視聴者と同じく、演じてる僕らも同じ気分。

日にちが近付くにつれ増していく感じである。

蓋を開けてみないと分からないのが、ドラマや舞台といった作品作り。

そーゆー意味では、観る側とは違った意味でのドキドキ感である。

緊張にも似たこのドキドキ感。

僕はこれが好きだ。

本番に向けて、気持ちが徐々に盛り上がっていく感じがたまらない。

ドキドキもあるが、どちらかと言えばワクワクの方が強い。

多分、明日辺りがピークだろう。

祭りの前のなんとかみたいな、そんな気分である。

ただそれもドラマが始まってしまえば、もう終わってしまうもの。

あと2日で始まる楽しみもあれば、あと2日で終わってしまう楽しみもある。

嬉しい半面、ちょっと寂しい気分である。

 
 
 
  金沢。
2007年01月13日

石川県の金沢市に友達と旅行に行ってきた。

行く前の印象はぶっちゃけ地味。

誘われなければ、自分から行く事はなかったと思う。

だが実際の金沢は、いい意味で僕の期待をおもいっきり裏切ってくれた。

とにかく素晴らしい。

大河ドラマ『利家とまつ』の舞台にもなった、金沢城跡や長町武家屋敷。

日本三大庭園の一つとなる兼六園。

昔ながらの風情が残るひがし茶屋街。

とにかく歴史的な文化財が、金沢市街地の至る所に残されているのだ。

まさに小京都。

街全体の雰囲気に、一瞬のうちに虜にされた気分だった。

しかしそれだけで僕の心が奪われる訳もなく、やはりそれ以上の大きな魅力が金沢にはあった訳なのだ。

食べ物である。

金沢には本当にたくさんの、名産品と呼ばれる食材がある。

金沢市民の台所と呼ばれる近江町市場。

そこに始まる日本海の海の幸や、地元で採れる加賀野菜。

更には京都、松江に続いて三大菓子処と呼ばれる金沢の和菓子。

加賀料理には欠かせない生麩(なまふ)。

食材と言っていいのか分からないが金箔。

一つ一つ挙げるときりがないくらい、たくさんの食材に溢れている。

まさに食の金沢だ。

そんな魅力的な食材を、ふんだんに使ったお店がある。

金沢でも隠れ家的存在の料理屋だ。

実は東京にいる知人がプロデュースしたお店で、是非にと勧められて立ち寄った訳である。

感想はと言えば、もう感動の一言。

説明をすると逆に良さを損なってしまいそうなくらい。

それくらい至福のひとときを味わえたのだ。

デザインされた空間と、洗練された食材から生まれる料理。

それらはもはや芸術品と言える。

まさに金沢が生んだエンターテインメントだ。

帰ってきたばかりの今、行きたい所はと聞かれると多分、金沢と答えるだろう。

それだけ金沢は僕を虜にした街なのである。

本物の感動を与えてもらった事に、心から感謝をしたい。

 
 
 
  メントス。
2007年01月12日

初めてカリスマと呼ばれる美容師に、髪を切ってもらった時の話。

店の雰囲気やカットの速さに圧巻したのは勿論のこと。

だがそれ以上に驚いた事が僕にはあった。

帰り際に入り口でお出迎えしてくれた美容師さんが、僕の目の前に何かを差し出したのだ。

メントスである。

何故にメントス?と思ったが、サラッと渡すその美容師さんの姿はカッコよかった。

そして最後にメントスを渡すというちょっとしたサービスに、僕の心は完全にやられてしまった。

たかがメントスと思うかもしれないが、100円そこらの小物も使い方によっては、物凄い武器になり兼ねない。

現にその印象深さは、7〜8年経った今でも鮮明に思い出せるくらいだ。

客としては、そんなちょっとしたお得感があるお店に惹かれてしまう。

メントス欲しさと言うよりはそのサービス精神に、心からの満足感を得られるからだ。

小さな事だが、その気持ちがあるかないかが、客商売ではとても大切な事だと思う。

たかがメントス。

だが付加価値としては絶大なるインパクトである。

僕もやってみようか。

舞台の折り込みチラシの中に、さりげなくメントス。

 
 
 
  巻き込む力。
2007年01月11日

人を巻き込む力。

こーゆーものを持ってる人は強いと思う。

何を始めても、力になってくれる人や応援してくれる人が周りに現れる。

その力が強ければ強い程、よりたくさんの人が味方となってくれる。

社会に出て、仲間に応援される事ほど心強いものはない。

この人を巻き込んでいく力だが。

案外、誰もが持っているものだったりする。

しかし人と本音で向き合わなかったり、熱い気持ちをぶつけていなかったり。

そうしたものがあると、人の心を動かす事は出来ない。

なので結果的に人を巻き込むのも難しい事となる。

大事なのは、恥も何もかもを捨てて、本気で夢を語れるような熱い心。

心と心の会話である。

昔、陸上競技を辞めて俳優を目指し始めた時のこと。

お世話になった人達全員にその事を伝えてまわった。

これまでお世話になった感謝の気持ちと、これから別の道でゼロから頑張るという覚悟を伝えにだ。

当然、反対もされたし中には小馬鹿にする人もいた。

それでも心は決まっているし、恥じる事もないと思い胸を張った。

すると周りは、少しずつ応援してくれるようになった。

走ってた時と同じかそれ以上に、たくさんの仲間が僕を応援してくれるようになった。

心強い人達が周りにいる事を実感した瞬間だ。

きちんと伝えて良かったと思った。

なってからじゃなく、なる前から伝えられて良かったと。

そんな頃から応援してもらえる関係を作る事に、大きな意味があったと僕は思うのだ。

まあ結果的にそう思えたという事でもあるのだが。

ただそう思えたのも、感謝の気持ちがあったからこそである。

これなくしては始まらなかった、僕の俳優人生なのだ。

 
 
 
  習慣を身につける。
2007年01月10日

僕は物をなくす事が多い。

それもたまにしか使わない物ばかりをなくす。

例えばリップクリーム。

冬しか使わない物だが、この一週間で3回なくした。

次に傘。

雨が降るたびに新しいものを買っている。

ホントもったいない事をしてると思う。

多分これらの事って僕だけじゃなく、結構たくさんの人に当てはまる事。

よくやりがちな事だと思う。

理由としては、それらを使う習慣が普段から身についていないから。

毎日使うような物であれば、置き場所を決めていたりその物に対する執着心があるので、なくす事は滅多にない。

だが毎日使わない物は、置き場所も決まっていなければ執着心もたいしてない。

物への愛着が少ないという事になる。

だからなくすという事が度々起きてしまう。

まあそれだけ人間は、習慣というサイクルの中で生活をしているという事。

適当なようで、実は規則正しい行動をとっていたりするのだ。

新しい習慣を身につけるには、何度も同じ失敗を繰り返すのは必要な事。

物もそうだし、生き方もそう。

自分の物事に対する考え方や捉え方。

これらも無意識のうちに、自分の今までのパターンに当てはめて、同じものを選択している。

例えばそれが直したい考え方や捉え方であっても、簡単に直ったりするものではない。

何度も何度も同じ失敗を繰り返し、それでも諦めず頑張るからこそ、やっとの思いで良いパターンが習慣化される。

習慣化するのは簡単な事ではない。

だけど一度習慣化されたものは、離れる事もなかなかない。

だとすれば普段からの意識で、出来るだけ良い考え方や捉え方の習慣を身につける。

それが素敵に生きるコツみたいになったりするのである。

リップクリームや傘をなくすのは軽い出来事。

でも人生には、なくしたら取り返しのつかないものがたくさんある。

気を付けなければいけない。

 
 
 
  怒られ役。
2007年01月09日

昔からどこへ行ってもこのポジション。

いつも怒られ役は決まって僕だ。

小学生の頃も中学生の頃も。

高校入って陸上部にいた時なんか、もう毎日のように怒られた。

自分でもわからないが、役割的にそこは僕の定位置らしい。

昔から僕の性格は、目立ちたがり屋のやんちゃ坊主。

まあ怒られ役の要素は、ふんだんに取り揃っているという訳だ。

損な役割だと思うのは当然のこと。

誰だって怒られるのは嫌である。

バカじゃないので怒られる度に、何が悪かったのかを考える訳だ。

何が原因でどう対処すべきか。

とりあえず考える。

考えて、ある程度の答えが見つかるとする。

1つの学びを得る。

そんでまた怒られてしまう。

でまた考える。

次はどうするか、更に深く考える。

でまた怒られる。

それの繰り返しである。

おかげさまで、人生で何か障害にぶつかった時、まずは考えるという癖ができてしまった。

ぶつかっては考える。

乗り越えたと思ったらまたぶつかる。

そしてまた考える。

まあこんな流れで、今に至っているという訳だ。

たくさん考える事が、良いか悪いかなんてよくわからない。

だけど僕は、考える努力は必要だと思っているし、そこは誰にも負けてない自信もある。

考える癖だって気に入っている。

それのおかげで、数々の至難を乗り越えてここまで来られた訳だから。

そんな性格であった事に心から感謝している。

まあ今だからこそ思えるのだが…

怒られ役で良かったと思う。

 
 
 
  1月8日。
2007年01月08日

僕は記念日を大切にしたい人。

誕生日もそうだし、まだ先の話だが結婚記念日なんかもそう。

節目を意識し、積み重ねてきた年月を常に実感していきたいのだ。

だから記念日を忘れるなんて事は絶対にない。

振り返りのタイミングとして。

新たな出発のタイミングとして。

記念日ってのは人生を豊かなものにする、とても重要な行事なのである。

そして今日、1月8日は僕にとって、とても大切な記念日。

ちょうど2年前の今日。

皆さんの前に初めて立たせて頂いた日。

僕のデビューの日だ。

 
 
 
  忘れたくないもの。
2007年01月07日

新しいものが生まれる反面、古いものが失われていく。

それが時代の流れである。

それと同じように僕の中にある古いものも、時代の流れと共に失われつつある事がわかった。

土佐弁だ。

先日実家に帰った際、意識して土佐弁を喋ろうとしている自分がいた。

無意識ではなく意識的にだ。

意識すると違和感のある土佐弁。

無意識に喋ろうとすると、出てくるのは土佐弁と東京弁が混ざったような関西弁だ。

今年で東京へ出て来て10年目。

仕事柄、東京弁を喋らなければいけないので、仕方がないのはわかっている。

いつかはこうなる事も、だいたい予想はできていた。

しかし実際そうなってみると、やはり動揺は隠せない。

土佐の生まれを誇りに思っていたのが、土佐弁が使いづらいとなっては誇りもクソもあったもんじゃない。

なんか都会に染まった田舎者の象徴みたいだ。

僕の田舎の名残や想い出は、もはや財産のようなもの。

失いたくはない大切なものだ。

どんなに環境が変わっても、根本的な部分は変わりたくない。

やはり僕は、土佐の生まれの土佐育ち。

どこへ行ってもこれが基本だ。

どんな状況にどれだけいようが、そこはしっかりしておきたい部分。

田舎の言葉は忘れちょっても、土佐のいごっそう魂は永久に不滅ぜよ。

である。

 
 
 
  自分に対して。
2007年01月06日

客観的に見ててスゲー思う。

僕のブログって偉そうだなと。

持論をハッキリ語り過ぎというか、内容が押し付けがましいというか。

人生を半分も生きてないようなヤツが、何をエラそうな事言ってんだと。

そんな風に思う事がある。

自分で書いてるのにもかかわらずだ。

笑える話である。

だからと言って別の方法を考えるかといえば、それはまた別の話。

これからも今のままで書くつもりだ。

理由は一つ。

僕がブログに書くこと。

これらは全て、自分自身に言い聞かせていることばかりだからだ。

よくブログに書いている物事の考え方や捉え方。

あーやって文章に書くことで大切なことを忘れるなと、常に自分自身に言い聞かせているのである。

言葉として喋る場合もしかりだ。

自分から発せられる文章や言葉の力というのは、自分自身に対して絶大な影響力を持っている。

ハッキリ言い切る口調や押し付けがましい雰囲気も、それだけ何かを大切にしたいという想いの表れなんだと思う。

毎日ブログを書きながら、毎日大切な事を胸の中に刻み込む。

この作業を繰り返す事が、今の僕にはとても重要なのである。

そんなブログだが。

もし自分以外の誰かが何かを感じてくれたなら、これほど嬉しい事はない。

 
 
 
  人生のペース配分。
2007年01月05日

年明け早々、ニューイヤー駅伝や箱根駅伝の観戦など。

まさに駅伝観戦三昧と言える新年を迎えた2007年。

スポーツは僕にとって、何よりも感動や刺激を与えてくれるもの。

和田正人という人間を形作る、基盤みたいなもんである。

ニューイヤー駅伝や箱根駅伝を観戦して、僕が得られたプラスは多大。

そういう意味では2007年、なかなかの好スタートがきれたように思う。

今年も気合い全開で快走する、素晴らしい1年にしたいもんである。

とは言え、そこは元長距離ランナー。

ペース配分はしっかり守るつもりでいる。

最初は良かったのに、後半ガタガタなんて事はよくある話。

勢いに任せず、地に足をしっかり着けて進む事が大切だ。

素直さ、謙虚さ、感謝の気持ち。

これらをいつも大事にすること。

これが僕の言うペース配分である。

振る舞いだけでなく、それらを心からを重んじる。

そうすれば今年も必ず、最高に良い年となるはずである。

昔こんな言葉を耳にした事がある。

「人生はマラソンという一つのドラマである」

僕の好きな言葉の一つとなったこの言葉。

誰が考えたか知らんが、よく考えられたものである。

 
 
 
  急なお知らせ。
2007年01月04日

『中居正広の生スーパードラマフェスティバル』

フジテレビの1月クールドラマの番宣番組だ。

昨年から放送されているもので、内容はドラマ対抗でボウリング対決をするというもの。

今回、有り難いことに「今週、妻が浮気します」チームの一員として、番組に出演させて頂ける事となった。

とりあえず初めての生放送。

そして大好きなボウリング。

緊張するかもだが、存分に楽しんでこようと思う。

出来れば優勝を狙って…

1月6日(土)よる9時から2時間生放送。

皆さん「チーム今妻」応援宜しく。

 
 
 
  帰郷。
2007年01月03日

久しぶりの帰郷。

同窓会で中学時代の仲間達と、約7年ぶりに再会した。

みんなと逢うのは成人式以来。

ある意味、僕のこれまで知り合ってきた仲間達の原点とも言える、大切なヤツらだ。

俳優として活躍する僕を、当時のままの変わらないノリで応援してくれる。

変わった事は何もない。

あるとしたら、ただちょっと歳をとったくらいだ。

逢えば昔のままの僕らがそこにいる。

アホな事ばかりやってた、ただのガキんちょの僕らが。

最高にリラックスできるし、最高に楽しい仲間達だ。

僕はみんなの喜ぶ顔が純粋に嬉しい。

ずっとずっとみんなの楽しみであり続けたい。

僕の俳優人生は僕だけの事じゃない。

あんなアホな仲間がいるから、頑張りたいと思えるのだから。

ヤツらは僕の誇りである。

 
 
 
  情けない話。
2007年01月02日

ご存知だと思うが、僕はかつて箱根駅伝を走った事がある。

復路の9区(神奈川県の戸塚から鶴見までの23km)を2度経験している。

大学時代の箱根駅伝と言えば、もう人生賭けての大舞台。

情熱のを全てそこに注ぎ込んだと言っても過言ではない。

当然のように箱根駅伝の事は、フツーの人よりは詳しく知っているつもりだ。

よく家族が応援に来た時も、駅伝の応援のコツなんかを教えたりした。

実は駅伝の応援にはちょっとしたコツが必要なのだ。

実際に観戦した人ならわかると思うが、思っている以上に選手の走るスピードは速い。

目の前をあっと言う間に、選手が通り過ぎていくのだ。

走っていた者の実体験だが、応援の声ってのはなかなか耳に入ってこない。

集中もしているし、箱根駅伝なんかになると沿道の応援の数が半端ないので、身内の声を聞き分ける程の余裕も時間もない訳だ。

なので応援するならば、出来るだけ人の多い場所を避けるのが良いのである。

確実に混雑するであろう中継所なんかで応援するのは、素人のやること。

通はそこから400mくらい離れた場所にある、交差点を狙う訳だ。

スタートしてから400mってのは襷も肩にしっかり掛け、選手が己の興奮を一旦落ち着かせようとしている付近。

割と冷静になっていたりするのだ。

そして交差点は沿道の人が唯一、途切れてくれるポイント。

交差点のコース進行方向奥側の角に立つと、選手からはとても見やすい場所となる訳だ。

選手に前後のタイム差を伝える後輩達は、こうしたポイントを熟知して確実に情報を届かせている。

まあ駅伝に関わる人ならばだいたい知っている、基礎知識みたいなもんである。

だけど実際の関係者として関わる箱根駅伝と、部外者として関わる箱根駅伝は全くの別世界。

選手として経験しているはずなのに、いざ応援に行くと完全に雰囲気に飲み込まれている自分がいるのである。

わかっているのに。

応援出来ない事をわかっているはずなのに。

フラフラと吸い寄せられるように、わざわざ中継所の人ごみの中で応援してしまうのだ。

我ながらアホである。

結局、チラッと選手が見えたぐらいで今年の箱根駅伝観戦は終わってしまった。

すでに箱根駅伝を語る事も出来ないくらい、僕は素人化してしまったようだ。

かつて情熱の全てを注ぎ込んだ大舞台だが、それももはや過去の栄光。

新年早々、情けない話である。

 
 
 
  ニューイヤー。
2007年01月01日

年明け早々、群馬県の前橋市まで行ってきた。

目的は駅伝観戦。

正月と言えば箱根駅伝というイメージがあるが、それは1月2日と3日の話。

元旦の駅伝と言えば全日本実業団駅伝、ニューイヤー駅伝なのである。

箱根駅伝に比べれば多少マイナーな大会かもしれないが、今年で51回目になる歴史のある大会なのだ。

しかもレベルの高さは箱根駅伝の比ではない。

箱根駅伝で活躍した選手も、この駅伝ではまるで子供扱い。

実業団の世界で2〜3年揉まれて、初めて活躍出来るくらい。

それくらいレベルの高い駅伝大会なのだ。

僕は残念ながらこの駅伝を走った事がない。

実業団1年目は補欠にも入れず、そのまま陸上部の廃部と共に現役を引退。

正直、俳優人生を選ばなければ、移籍してでも絶対に出場したかった大会だ。

それくらい僕にとっては、箱根駅伝以上に憧れる晴れ舞台なのである。

直に観戦したのは久しぶりだが、元旦から本当に熱い気持ちにさせられた。

特に大学時代の後輩の活躍には、メチャクチャ刺激を与えられた。

エースが集まる区間や、外国人が集まる区間で堂々と渡り合ってる訳だ。

本当に凄かった。

僕にとっての駅伝や陸上競技は、他の何よりも熱いものを感じられるもの。

俳優だからと言って、舞台や映画だけ観て刺激をもらう訳ではない。

特に後輩達の頑張りっていうのは、とても刺激を受けたりするもの。

ちょっとヤツらがカッコよく見えたし、羨ましくも感じた。

負けてらんねーと、新年早々から僕は奮起するのである。

気合い全開のニューイヤーだ。