余命1ヶ月。
もし自分の大切な人が、そう宣告されたらどんな気持ちになるだろう。
大切な友達、愛する人、家族…
多分、素直に現実を受け入れられない気がする。
当たり前のようにそばにいた人が、1ヶ月後にはこの世からいなくなるのだ。
信じられる訳がない。
先日、余命1ヶ月の花嫁とゆータイトルの、ドキュメント番組が放送された。
乳ガンを患い余命1ヶ月と宣告された女性の、迫ってくる死までの時間を追ったドキュメント番組。
余命1ヶ月を宣告された家族と親類と愛する彼が、余命を本人に伝えるかどうかの葛藤の中で、彼女の夢であったウェディングドレスを着せて、更にはサプライズで結婚式を挙げるというもの。
末期ガンの彼女の体調は、毎日が不安定。
肺と骨に転移したガンは、想像を絶するような激しい痛みと呼吸困難を伴うそうだ。
そんな中でも彼女は病気が治る事を信じ続け、笑顔で元気に振る舞い、夢であったウェディングドレスを着て、愛する彼との結婚式を無事迎える事ができた。
末期ガンで苦しんでるようには見えないくらい、本当に幸せそうな笑顔で。
家族にとっても友人にとっても愛する彼にとっても、本当に幸せな時間であったに違いない。
余命1ヶ月なんて事を、誰もが信じられない気持ちでいた、幸せなひとときだったと思う。
それから数週間後、彼女は亡くなった。
父親が手を握った瞬間に、息を引きとったそうだ。
彼女は闘病中に、こんな事を言っていた。
「明日がくる事って奇跡だよね」
たぶん、自分の命の時間が残り少ない事を、彼女自身勘づいていたのだろう。
生きている事の喜びや、身近にある素朴な幸せ、人に支えられている事への感謝の気持ち…
死と直面した時、そういった事を心から悟った上で、生きる事を誰よりも強く望んだ彼女の気持ちが、素直に言葉に出てきたんだろうと思う。
本当に心に響いてくる言葉だった。
彼女は支えてくれた家族や友人、愛する彼に対する感謝の気持ちを表現する言葉が、日本語にはないと言っていた。
それくらい支えてくれた人達に対する、深い感謝の気持ちがあったんだと思う。
僕は思った。
明日がくる事の奇跡…
命を削りながら、何気なく言った彼女のその言葉こそが、最大級の感謝の言葉であると。
フツーに生活していたら、たぶん気付く事が出来ないであろう、明日がくる事の奇跡という意味。
生きている事そのものが奇跡だと言うことを、ガンと闘いながら、身近な人達や放送を見た僕らみたいな世の中の人達に、彼女は教えてくれたのだ。
24年間の人生。
まだまだやりたい事もあったと思うし、抱えきれない程の夢もたくさんあったと思う。
人間は生きている限り、無限大の可能性と、無限大の幸せを感じられる。
それって本当に素晴らしい事だと思う。
信じられないような事件が頻繁に起こる、今の世の中。
こうして1つの命が失われていった事で、生きる事がどれだけ深い意味を持っているのか、僕らは知らなければいけないと思う。
命の尊さや、生きている事の幸せを、僕らは命を与えられている今だからこそ、実感しなければいけないと思うのだ。
そんなメッセージを命懸けで伝えてくれた彼女。
そして共に闘った、家族と友人と愛する彼。
僕は感謝の気持ちを胸に抱き、人生を幸せいっぱいに生きようと心に誓った。