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  大晦日。
2007年12月31日

今年も無事に終わります。

個人的には色々と、動きの多かった年。

周りの環境に変化が絶えなかった、まあ落ち着きのない1年でした。

でも動きが多かった分、例年以上にいろんな事が勉強できたように思います。

なので来年は、なんか面白い1年になりそうな予感。

今年の経験を活かし2008年、しょっぱなから全速力でぶっ飛ばしていこうと思います。

それでは皆さん、よいお年を。

 
 
 
  5年ぶりに再開。
2007年12月30日

ジョギングを始めた。

突然だけど、とりあえず今日から毎日走る。

さすがに体は現役当時の面影もなく、容赦なしに足が痛む。

1週間もすれば多少、慣れてはくるだろう。

でも慣れるまでは、苦痛の日々。

なんでそんなしんどい思いを、わざわざするのか。

それは1つの大きな目標があるからだ。

とりあえず今は伏せておくが、その為に僕は毎日走る。

目標を立てて走るのは現役以来。

こーした緊張感を味わいながら走るのは、本当に久しぶりでゾクゾクする。

当時と比べれば体のレベルは断然落ちるが、感覚と培った経験は当時のまま。

もしや当時より、そこの部分は成長しているかもしれない。

肉体的にはしんどいけど、そのしんどさを楽しんでいる自分がいるのが何よりもの証拠だ。

まあ今はとにかく、ケガだけしないように楽しく頑張ります。

 
 
 
  相談しましょう。
2007年12月29日

僕は、人に悩みを相談するのが苦手。

何でも自分で解決したいと思う、カッコつけマンだからだ。

だけど、それじゃいけないと思うようになった。

自分でできる事には限界がある。

俳優としての悩みを自らで解決しようとしても、経験の浅い自分の導き出せる答えなんて、所詮はなぐさめ程度。

自己満足で終わる。

俳優としての悩みは、やはり俳優さんに聞くべき。

僕の周りにはありがたい事に、経験豊富な俳優さんがたくさんいる。

ガキんちょの僕が持つ程度の悩みだ。

皆さん、有り余るくらいのヒントも答えも持っているだろう。

聞かないのは、本当に損だと思う。

いまの僕なんて、カッコつけてる立場じゃないのに。

マジでウンコ野郎だな、俺。

とりあえず、やってたようで意外とそーでもなかった、先輩俳優さんへの悩み相談。

貪欲にやっていこうと思う。

 
 
 
  髪型を悩む。
2007年12月28日

髪がウザい。

おもいきってバッサリいってやろーか。

そんな衝動と戦いながら、早数ヶ月。

何にも出来てない自分が、これまたウザい。

切るか、切らないか。

悩む僕は立ち止まり、髪はグングン伸び続ける。

息の合わない僕と髪。

さあどーしよう。

伸ばすか、切るか。

ぶっちゃけ、どっちでもいいって思ってたりもする。

髪の長さよりも、ただ髪型を気にするような自分でいるのが嫌なだけ。

そんな自分がウザいだけだ。

いっそのこと、坊主にでもしてやろーか。

マジで悩む。

 
 
 
  知らなきゃ損。
2007年12月27日

自分の知らない事が多すぎる、この世の中。

行き当たりばったりで何とかなるほど、僕は器用でもなければ才能がある訳でもない。

新しく何かに取り組むにせよ。

すでに取り組んでいるものにせよ。

僕は、もっともっと他を知る必要があると思う。

知らずに突っ走る事ほど、恐ろしいものはない。

車の運転をする際には、交通ルールくらい知っときたい。

知らずに取り組むって事は、僕にとってそれくらい危険なこと。

だから勉強する。

ドラマみて、映画みて、舞台みて、バラエティみて、ブログみて、雑誌みて、小説読んで。

自分以外の周りがどんなもんなのか、いっぱい知る必要がある。

たぶん知れば知るほど、自分のちっぽけさを感じるとゆー、嫌悪感に襲われるだろう。

でもいい。

僕はそーやって自分に厳しくする事で、己を磨くサディストだから。

たくさん知っていっぱいヘコんで、落ちるとこまで落ちてやろうじゃないか。

そこから這い上がれたら力はつくだろうし、這い上がれなかったら所詮、僕はそんなもんだったんだろう。

でもまあ、そんな事は絶対ないけど。

とりあえず僕は、まだまだ勉強不足。

ついでに言えば、努力不足。

必死に汗かこうと思う。

 
 
 
  努力は自分を裏切らない。
2007年12月26日

ブログが何のためにあるのか。

何のためにやっているのか。

考えた事は多々ある。

意味もなく、毎日こんな面倒臭い作業やらされてると思えば、ソッコーやめているだろう。

意味があるから僕はやっている。

それは今、意味があるかどーかの話ではない。

たぶん、先。

先にある何かの為に、今一生懸命に努力している。

今だけを見ると、やってる事がプラスかどーかは判断しかねる。

今の為にやっている訳ではないので、そこだけの評価ならお手上げ。

たぶん堅苦しくて、重くて、読むのが面倒臭いだろうから。

すべては、結果に結びつかないと意味のない事だから、今だけで判断すると自分自身もアカンやろと言いたくなる。

でも必ず結びつく自信がある。

今ではないこの先にある、大きな夢のために取り組んでいる努力だから、意味のない事ではない。

過去の経験からも、努力は自分を決して裏切らない。

どーゆー形でも実ることを信じて、今はただ書き続けるのみなのだ。

 
 
 
  昔からの性格。
2007年12月25日

カッコつけるのがどーも苦手。

ふざけてる自分に、自分自身が1番魅力を感じてしまう。

昔からモテない理由はそこだろう。

あと、多数の人と同じような事をするのが嫌。

個性も何も感じないから、違うやり方で取り組もうと思ってしまう。

大衆意見に反発する為、なかなか理解はされづらい。

ホント面倒臭い性格ばかりだ。

基本的に損が多い。

もっと人の意見を聞いて素直にやれば、楽な道もあったと思う。

だけど結局選ぶのは、自分に素直な道ばかり。

損はあれど、遠回りであろうと、自分で選んだ道ならば後悔はない。

後悔の代わりに、必ず拾える経験があるから。

きっと今でもそう思うからこそ、その面倒臭い性格とお付き合いしてるのだと思う。

何が正しいかは分からないけど、好きか嫌いかで言えば、そんな面倒臭い性格がどーしようもなく好きだ。

 
 
 
  発明者に感謝。
2007年12月24日

今更になって素晴らしい発見をした。

俳優として様々な勉強をしなければいけないと思い、これまで映画を観たり、DVDを観たり、舞台を観たりと、時間もお金も使って一生懸命に取り組んできた。

もっと他に勉強するものはないかと、テレビを見ながらボーっと考えていたその時、ついに発見した。

俳優として、とゆーよりもテレビに出る人間として、ものすごく勉強になるもの。

そう、目の前にあるテレビです。

映画館に足を運び、劇場に足を運び、時にはルミネtheよしもとにまで足を運び。

様々なジャンルの勉強に取り組んできた訳だが、テレビはそれ1つで全てのジャンルを見ることができる。

しかも、同じジャンルでもチャンネル回せば、そこから更にいくつかの作品を好みで選ぶ事もできる。

選りすぐりな訳だ。

実はあまりテレビを見ない人だったので、テレビを見て勉強するとゆー発想が、今までまったく生まれてこなかった。

本当に意外な盲点。

テレビを見ていると、他の曲の番組も気になり、自然にリモコンに手が伸びる。

ドラマに魅力的な俳優さんなんかが出てると、やはり見始めてしまう。

深夜だと明るいバラエティ番組なんかが、見たいと思う。

視聴者ってこーゆー気持ちなんだと、そちら側の立場も勉強できる。

当たり前のように存在しているテレビだが、実はものすごく勉強させてもらえる、ありがたいものだったのだ。

そーゆー理由でか、最近テレビを見るのが面白い面白い。

年末年始のこの時期なんか、特にだ。

おかげさまで寂しいクリスマスも、部屋で引きこもりながら楽しく過ごさせて頂いている。

いろんな勉強をさせてくれるテレビだが、こんな癒やし効果もある訳だ。

用途に応じて、様々な効果を発揮するテレビ。

本当にありがたい代物である。

発明者に感謝。

 
 
 
  M−1グランプリ2007。
2007年12月23日

サンドウィッチマンさんの、初の敗者復活組からの優勝で幕を閉じた今年のM−1グランプリ。

予定通りにOA10分前くらいから、テレビの前で正座して観戦した。

個人的に注目していたのは、笑い飯さんとキングコングさんとザブングルさん。

笑い飯さんのWボケと、キングコングさんの漫才のテンポ。

共に、息つく間もなく笑えるネタが僕は好み。

そしてザブングルさんは、何と言っても事務所の先輩。

コントはみた事あるけど、漫才は初めてだったのですごく楽しみだった。

笑い飯さんは、例年通りに我が道をいくネタが評価されず予選敗退。

残念だけど、M−1から笑い飯さんがいなくなる事を考えると、まあいっかと思える。

キングコングさんは見事、最終決戦に進出。

TVの露出も多い中で、メチャクチャ練習したんだろうなとゆーのがネタから伝わり、ちょっと感動した。

ザブングルさんは正直、同じ事務所とゆー身内目線で見てしまい、僕自身ものすごく緊張して楽しむ余裕がなかった。

損したと思った。

M−1グランプリがお笑い芸人さん達の、年に1度の大舞台だと思うと、どーしても自分の箱根駅伝とだぶらせてしまう。

そこに立った人達の気持ちを、リアルに想像してしまうのだ。

応援している人がいれば、余計に楽しむ余裕はなくなる。

ザブングルさんには本当に最終決戦にいってもらいたかったので、敗退が決まった時は、自分のことのようにマジで悔しかった。

最終決戦の3組のネタが終わり、個人的にはやはりキングコングさんが1番面白かったように思えた。

でも優勝はサンドウィッチマンさん。

キングコングさんは第3位となった。

昨年もそうだったけど、放送が終わってしばらくの間は、本当に気分が悪かった。

熱狂的なサッカーファンの、日本代表が負けた時の気持ちが本当によくわかる。

緊張して楽しむ余裕がない。

見終わったら気分が悪い。

ここ数年のM−1グランプリには、いい思い出がまったくない。

だったら見るなよって話だけど、それは無理。

これだけ思い入れを込められる番組は、他には絶対ないから。

悔しい思いをするって事は、それだけ番組に身も心も引き込まれた証拠。

だからツラくても、来年以降も必ず見る。

絶対に見る。

できることなら、次は生で観戦したいもんである。

観客席にいた安倍麻美ちゃんに、本気で嫉妬したのは言うまでもない。

 
 
 
  年末年始の記憶。
2007年12月22日

もう年の暮れか…。

街中に張られ始めた、箱根駅伝のポスターを見るたびに、そんな事を思う。

自然と胸の高鳴りを感じる。

人生のうちの4年間、それだけに情熱を傾けてきた大舞台だ。

すでに過去の出来事とは言え、この時期になると当時の興奮が再び蘇ってくる。

年末のこの時期と言えば最終調整に入っており、練習以外はほとんど寮に引きこもり。

風邪などをひいたら大変だからだ。

なので世の中の年末年始イベントには、全くと言っていいほど参加した記憶がない。

フツーに考えたら、つまらない年末年始かもしれないが、当の本人達はそうでもない。

だって僕らは、その年末年始イベントの目玉とも言える、箱根駅伝に出場する主役達だった訳だから。

僕たちが日本の年明けの茶の間を、興奮と感動で沸き立たせる。

そんな思いがあったからこそ、僕たち長距離ランナーにとっての年末年始には、フツーとは違う特別な思い入れがあったのだ。

大学を卒業して6年。

その名残は消えることなく、今でも僕の胸の中に生き続けているみたい。

ポスター見たときの、緊張と興奮による武者震いが、それを物語ってくれる。

 
 
 
  歯医者さん、あんたスゲーよ。
2007年12月21日

先日、歯医者に行ってきた。

噛み合わせの影響で差し歯がズレて、歯に隙間ができていたのだ。

ズレに気付いたのは、自ら出演するドラマのOAを観た際。

笑顔がマヌケだと思い、よくよく観察したら隙間を発見。

いつからそーなってたか分からないけど、多分クランクイン前からだろう。

繋がりを大事にする俳優として、とりあえずドラマの最中に治すことはやめといた。

まあ忙しくて、歯医者に行けなかっただけですけど…

撮影も無事終わり、さすがにこれ以上マヌケな笑顔をさらけ出すのはマズイと思い、歯医者さんにお世話になる事となった訳だが。

ふと、ズレた差し歯ってどーやって治すんだろうと、素朴な疑問がわいてきた。

以前、差し歯にする時にはエライ作業を施して、全て終わるまで約2ヶ月ほどの期間を要した。

治すとなると、差し歯をもう一度外したりするのだろうか。

それとも、また新しいサイズの差し歯を作り直して、多額の出費が発生するのだろうか。

お金も時間もかかるのは嫌だけど、何よりも差し歯を施す際の、あの痛みをもう一度味わうのがかなり嫌。

若干憂うつになりながらも、どーやって治すか多少の好奇心を持ち、いざ歯医者へ。

先生に差し歯がズレた事を話すと、意外にも冷静なご様子。

どーやらそうした人は、けっこういるらしい。

大変な処置を覚悟していたけど、先生は朝メシ前くらいの軽いノリで、さっそく作業にとりかかった。

どんな処置をするのか、すごく気になる。

目の前のライトの中央部にある丸い金属部分に、自分のお口の中が反射して映っていたので、目を凝らしてよく見てみた。

隙間部分に赤い液体を塗っている。

そして、なんだかよくわからない機械で、シューシューしている。

何が始まるんだろう…

ドキドキしながら作業行程を眺めていたら、あの嫌な金属音が聞こえてきた。

キュイィィィーン!

死んだと思った。

あのどーしようもない苦痛を、また味わわなければいけないと思うと、口の奥に溜まった唾液がリバースされそうだった。

ところがだ。

予想に反して、まったくの痛みがない。

その後も治療は続くが、何の痛みも感じない。

麻酔を打った覚えもない。

不思議にしていると「終わりましたよ」と、先生の声。

手鏡を渡され見てみると、隙間がキレイに埋まっていた。

ズラした形跡もなく、まるで歯が膨らんで隙間を埋めてくれたような、そんな見事な出来だった。

どうやら、見た目が歯と変わらない材質のものを、隙間のあいた歯にくっつけて、キレイに埋めてくれたらしい。

鏡で見てもどこに隙間があったのか、本気で分からないくらい自然。

たったの十数分で、痛くもなくここまでキレイにしてくれるなんて、まるで魔法でも使ったかのよう。

歯医者さんのスゴさを、改めて実感した。

彼らは現代に生きる、魔法使いです。

現代版ハリーポッターです。

 
 
 
  仕切り屋さん。
2007年12月20日

今日は、久しぶりに逢う仕事関係の仲間との飲み会。

声を掛けなかったら、まず集まらなかったであろうメンツ。

揃ってよかった。

僕はこーした会を計画するのが案外好き。

皆さんのスケジュールを確認し、日取りを決め、店を予約する。

この時期なら、みんなで鍋をつつくのがいいだろう。

できるだけ集まりやすく、それでいてゴミゴミしてない場所から、オススメのお店をチョイスする。

みんなが集まって良かったと思えるお膳立てを、会の発起人として頑張るわけだ。

終わった時に、「また集まりたいね」とか「定期的に開こう」と言う声が聞こえると、僕はもう満足。

幹事冥利に尽きるって気分だ。

昔から寂しがり屋な性格なもんで、みんなでワイワイするのが好きな僕。

いつからか、そーゆー場を自ら作り始めるようになったのは、友達の結婚式2次会の幹事を任されてから、会を仕切る楽しさを覚えたから。

コツコツ計画したものが成功した時の満足感と言ったら、自らを自画自賛したくなるようないい気分になる。

実は意外にも、仕切りとか回しとか、その場を全体から見るような立場が、僕はどーやら好きらしい。

仕事もそーかもしれない。

とりあえず、ラジオの今の立ち位置をものすごく楽しんでるから。

エラそうにも、全体のトークを仕切ろうとしている。

仕切る事が好きなのか、前にでる事が快感なのかわからないけど、とりあえず僕はこーした立場が大好きだ。

どこでもビシッと仕切れる人間は、やっぱカッチョイイ。

僕は、そんな仕切り屋さんになりたい。

 
 
 
  名言を自らに当てはめてみる。
2007年12月19日

ミュージシャンのYUIさんの名言に、こんなものがある。

「Tシャツとジーンズとギターさえあれば、あとは何もいらない」

女性とは思えないくらい、なんともカッコイイ台詞。

こーゆーの自分にも、なんかあったらいいなと思い考えてみた。

YUIさんはきっと、じっくり考えた訳でもなく、本当にサラッと出てきた答えがそれなんだろう。

だから僕も同じように、今瞬時にサラッと出てきそうなものを考えてみた。

するとコレ。

「仕事と友達とカルピスさえあれば、あとは何もいらない」

やばい、ダサすぎる。

始めの2つはまあよしとしても、カルピスってなんだ。

瞬時に考えたタイミングで、横に置いてあったカルピスに目がいっただけじゃないか。

確かに異常なくらい飲んでるけど、まさか瞬時に出てくるほどまでに、僕の人生に大きく存在してるとは思わなかった。

YUIさんのギターに対して、カルピスって…

情けないな、俺。

まあ今の自分なんて、所詮そんなもんです。

ウンコみたいなもんです。

YUIさん見習って頑張ります、はい。

 
 
 
  熱く語り合う仲間。
2007年12月18日

久しぶりに、陸上選手時代の先輩に会った。

僕が影響を受け、今もずっと尊敬する先輩だ。

いつも飲み始めると、熱い話になる。

話の雰囲気はイメージ的に、僕のブログみたいな感じ。

あまりに理論的で、普遍的な内容を語るもんだから、周りの人もあまり触れてこようしない。

おかげさまで、2人で集中して語れるから助かるのだが、とにかくこの時間が僕は楽しくて仕方がない。

考え方が似てるのか、なるほどなと思う事や、納得できる事が多々ある。

自分の考えをしっかり受け止めて理解してくれるから、喋りがいもある。

その方は、現役の陸上選手。

将来はビジネスを立ち上げて、自らの夢を叶えたいという立派なビジョンも描いている。

俳優とジャンルは違えど、物事の考え方や理解の仕方は、本当に似通う部分がたくさんある。

だから話てて楽しいのだと思う。

勉強にもなるし刺激も受けるし、何よりエネルギーを貰える。

久しぶりに、美味い酒が飲めた気分だ。

こうした気が合う人ってのは、探そうとしてもなかなか見つかるもんじゃない。

恋人同士でも、そうなれるかはわからない。

僕のこれからの人生。

こーした影響力のある、気が合う仲間をいっぱい持ちたい。

お互いに刺激を受け合い、絶対的に夢へと近付く力を与えあえると思うから。

何よりも、毎日美味い酒が飲めて、人生がよりハッピーになりそうだから。

てかむしろ、そこが1番大事なのかもしれない。

 
 
 
  創作意欲が再び。
2007年12月17日

ここにきて、ガマンしていた創作意欲が再びうごめきはじめた。

何かやりたい。

何か始めたい。

昔からの性格で、僕は1人で計画して1人でコツコツ創作作業に向かうのが好きなタイプ。

それが完成し、何も知らない周りの人達をあっと言わせるのが快感だからだ。

あとワガママにやりたいから、人の手をできるだけ借りたくないというのもあるが、とにかく1人で取り組む物作りが好きなのだ。

ガマンしていたのは、今が時期ではないと思ったから。

俳優としての現在の立ち位置の問題もあるし、何より人生経験という材料が少なすぎる。

やるからには、中途半端なものにはしたくない。

本当に皆を、あっと言わせるものじゃなきゃダメなのだ。

だから今はガマンと、自分に言い聞かせてきた。

だけど時々顔を出すその創作意欲が、最近もまた頻繁に僕の心に訴えかけてくる。

やっちゃえやっちゃえと、僕を急かす。

その度に、もうちょっともうちょっとと、自分自身に待ったをかける。

今はまだ僕の中で、創作する意欲をもっともっと熟成する期間。

つまりワクワクを、ガマンしきれないくらい胸いっぱいに膨らませて、恋した時のようなドキドキに変えるのだ。

そうなったら、もう心から愛した恋人に向かうように、創作活動に夢中になるだろうから。

要するに、本気になるって事だ。

だから、それまではガマン。

その時がきた事を想像すると、ムラムラするけどとにかく今はガマンだ。

 
 
 
  努力や苦労や悔しい思い。
2007年12月16日

簡単に上手くいく人生なんて、あるはずがない。

努力して苦労して悔しい思いをたくさんして、人生をいっぱい遠回りする。

実はそれこそが、当たり前のまっとうな人生だと思うのだ。

努力も苦労も悔しい思いもせず、上手くいった人も中にはいるかもしれない。

でも多分、上手くいったのは短い間だけ。

だってそれは、何故上手くいってるのか分からず手に入れた、幸運な結果にすぎないから。

幸運で得た成果は長持ちしない。

必ずその後に、大きな試練が待ち受ける。

調子に乗った人は、間違いなくそこでつまづく。

謙虚にコツコツ頑張ってきた人は、試練を乗り越えて次に進む。

簡単に上手くいったと思える人でも、その幸運を後の人生で生かすも殺すも、結局は自らの努力次第なのだ。

人生はたくさん回り道すればするほど、拾い物ができる。

経験とゆーその大きな拾い物は、必ず人生で成果を作る役にたつ。

幸運で得たような、息の短い成果ではない。

自力で掴み取った本物の成果だ。

だから僕は、努力も苦労も悔しい思いも、できるだけたくさんしておいた方がいいと思うのだ。

しかも若いうちに、出来るだけたくさん。

苦労の時期は、誰しも必ず訪れる。

いま苦労するか、あとで苦労するか。

先に続く長い人生のことを考えると、今の楽しい時間なんかいくらでも、そんな大変な時間に変えても構わない。

後の人生に楽しみがある方が、僕は人生自体に生きがいを感じるから。

だから今は、いくらでも努力も苦労も悔しい思いも、味わってやる覚悟だ。

怖いものなんて、何もない。

 
 
 
  おばあちゃんのお弁当。
2007年12月15日

小さい頃、ウチは祖父母と兄貴との4人暮らし。

オヤジは単身赴任、おかんは離婚していなかった。

どこにでもある、家庭の事情ってやつだ。

まあいろいろある。

そんな感じの少年時代だったが、物心ついた時からそのスタイルだったので、特に何の問題も感じなかった。

とゆーより、祖父母は自分の子供のように可愛がってくれたし、オヤジも毎週末帰ってきては、お小遣い300円くれて公園で一緒に遊んでくれてたので、子供心には幸せいっぱい。

とても愛情に満ちた、少年時代だったように思う。

ただ1つ、嫌なことがあった。

小学生の時の、遠足のお弁当である。

色もおかずも地味な、おばあちゃんが作ったお弁当を友達の前で食べるのが、僕はとても恥ずかしかった。

友達のお弁当は、お母さんが作った色とりどりのおかずが詰められた、華やかなお弁当。

恥ずかしくて、友達同士のおかずの交換にも参加できない。

子供心には、それが本当に嫌で仕方なかった。

おばあちゃんが、一生懸命作ってくれてるのは知っている。

僕の好きなおかずを、前の晩から作って用意してくれてたのも、ちゃんと見ている。

古い人間だから、若いお母さんみたいなオシャレなお弁当を作れないのは、小学生の僕でも理解できた。

だからおばあちゃんには、文句も何も言わなかった。

お弁当を残さずきちんと食べて、おばあちゃんに「美味しかった」と伝えるだけだ。

おばあちゃんは、ニッコリする。

でも、味は本当に美味しかった。

それは若いお母さんよりも、長年炊事をやっているおばあちゃんの方が、味は1番に決まっているのだ。

それから僕は子供心に気遣ったのか、これからはお弁当作りのお手伝いをやると、おばあちゃんに自ら志願した。

僕は、食べたいおかずや入れてほしい食材を、おばあちゃんに言う。

おばあちゃんは作る。

そして、お弁当の本を買って勉強した僕が、おかずをお弁当箱に詰める。

そうして、おばあちゃんと一緒に作ったお弁当を持って、遠足へ行くようになったのだ。

おかずの交換はもちろんのこと、お弁当を見た友達みんなに美味しそうと言われ、僕はとても嬉しかった。

おばあちゃんと一緒に作ったお弁当だ。

そりゃ、誰のお弁当よりも1番に決まってる。

子供心に、とても鼻が高かった。

僕はいつもと変わらず、ウチに帰って「美味しかった」とおばあちゃんに言った。

おばあちゃんは、いつもと変わらない笑顔でニッコリと、僕を迎えてくれた。

 
 
 
  券売機にイラっとしてみる。
2007年12月14日

電車の切符の券売機。

あれに5千円以上のお札を入れた時の、券売機の手際の悪さが嫌。

切符と小銭とお札、まったく同時に出て来やがる。

先に切符が出てきて取ったら次はお札、みたいにちょっとの間を空けてくれたらいいのに、容赦なくいっぺんに出てくる。

お金が先なら、サッと取って財布にしまう事もできるし、切符が先なら、逆手に持ち替えて、次にお金を取る準備に取りかかれる。

つまりお金と切符という、取ってからの動作の流れの違う者同士が、いっぺんに出てこられては困るのだ。

めちゃくちゃタイムロスした気分になる。

そしてお金も切符も、それぞれ出てきた瞬間に取らないと、あの排出口にあるままの状態が1秒でも続くと、無性に心配で仕方がない。

ピピーッピピーッと言う音が、また更に焦りを仰ぐ。

誰かが後ろから、サッと奪っていかないか。

もしくは排出口に、逆に飲み込まれやしないか。

有り得ない心配を、わざわざしなくてはいけなくなる。

電車の切符の券売機は、本当に要注意しなければいけない。

その点、銀行ATMはお金を取ってから明細票が出てくるので、とっても優しい。

 
 
 
  贅沢なコーヒー。
2007年12月13日

先日、ブログで贅沢について考えた際、人にはいろんな贅沢があるんだなと思った僕。

そんな僕は以前から1度、贅沢なコーヒーを飲んでみたいと思っていた。

ただし、最高級のコーヒー豆を買うような事はしない。

金にモノを言わせるような贅沢は、本物の贅沢ではないからだ。

で、さっそく考えた僕なりの贅沢がコレ。

「クリスピークリームドーナツのレジで、コーヒーだけ注目」

ご存知、2時間待ちの長蛇の列を毎日のように作る、いま話題のドーナツ屋さん、クリスピークリームドーナツ。

そこでドーナツなんかに目もくれず、コーヒーのみを注文する。

するとどーだ。

目の前のコーヒーが、気分はもう最高級のキリマンジャロ。

ものすごい贅沢なコーヒーに早変わりである。

脇役がいきなりメインになる訳だから、そりゃもう主役のドーナツ達もビックリ仰天。

クリスピークリームのドーナツ達にも、一目置かれる存在となってしまう。

そんな贅沢なコーヒーとなる訳だ。

なので皆さんも機会があれば、ぜひ1度お試しください。

まあ僕なら絶対やりませんけどね。

ドーナツめちゃくちゃ好きだから。

 
 
 
  今年の汚れ、今年のうちに。
2007年12月12日

担当のマネージャーさんからメールがきた。

「今年の汚れ、今年のうちに」

これだけ見ると、なんのこっちゃサッパリ分からなかったけど、後の文章を見てやっと理解できた。

確かにその通り。

これは自分が言い出した事でもあるし、本当に皆さんには申し訳なく思っています。

マネージャーさんが言う通り、洗剤のように心を磨き直して、来年も勢いよく出発しようと思う。

なので年内には、必ず追いつきます。

ブログ。

 
 
 
  ひらめきはあっても…。
2007年12月11日

最近ラジオをやっていて、無性にもどかしいと思うことがある。

それはトークの中で起こる、ハッとした思い付きだ。

「あっ、今はこうボケたらいい」

「この話はこう膨らませば面白くなる」

ラジオ中に、そういった一瞬のひらめきのようなものが、トークの最中に起こってくれる。

自分の脳みそに、ありがとうを言いたくなる瞬間だ。

ただそのひらめきは、感覚だけの話。

ひらめきに従い、いざ喋ろうとしても言葉としての上手い表現が、全く出てきてくれないのだ。

せっかくのひらめきも、これじゃ意味がない。

面白いトークには、一瞬の流れを掴む瞬発力と、素早い頭の回転力がいる。

上手いことを、じっくり考えて言えるような時間は全くない。

一瞬の流れを掴むことが出来なかったら、その時点でひらめきも全てパァとなる訳だ。

うまく言葉に出来ないもどかしさが、ラジオではいつも僕を苛立たせるのである。

喋りは本当に難しい。

普段からアホみたいに口を動かす事が、僕にはもっと必要かもしれない。

 
 
 
  悔しいです。
2007年12月10日

TX「お茶の間の真実〜もしかして私だけ〜」のOAを見た。

見たけど、まあ見てられなかった。

「ドラマの番宣のため、呼んで頂いた若手俳優」

もう、そのまんまって感じで終わってしまった。

確かにその通りなのだが、お客様として番組に出演したつもりはサラサラなかった。

出るからには何かを残したい。

面白く喋りたい。

そんな想いだったが、結果は見ての通り。

何もできない、ただの若手俳優だ。

悔しかった。

そりゃもうバラエティ番組なんて、もう2度と出るかって思うくらいに悔しかった。

でも出る。

機会を頂ければ必ず出る。

仕事だからそれは当然なんだけど、それ以上にバラエティが出来ないと思われるのが嫌。

別にお笑い芸人さんみたいになろうとは思っていない。

ただ悔しい想いをしたのが、とても嫌なのだ。

僕は負けず嫌い。

この負けはいつか必ず、取り返すつもりでいる。

 
 
 
  これぞ贅沢。
2007年12月09日

なんかメチャクチャ、ストレスが溜まってる。

こんな時は、パァーっと金を使ってスッキリしたいところ。

だが、出費がかさむ年末年始の事を考えると、ここであまり無駄金は使いたくない。

それでもやっぱり、贅沢でもしてストレスを発散したい気持ちはある。

考えた挙げ句、僕はレンタルビデオ屋へ。

借りるDVDは決まっている。

「ナショナルトレジャー」だ。

借りたらもう、急ぎ足で家に帰った。

間に合わないからだ。

今まさにテレビで放送されようとしている、ナショナルトレジャーのOAに間に合わないのだ。

21時にOAはスタート。

それと同時に、借りてきた「ナショナルトレジャー」のDVDも再生スタート。

テレビ放送と同時刻に、借りてきた同作品をわざわざみる。

これぞまさに贅沢。

しかも安上がり。

とりあえず、若干のストレス発散はできました。

 
 
 
  フォアグラバーガー。
2007年12月09日

1個2600円の高級バーガー!贅沢の粋を極めてます。バリ美味っ♪

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  自分、不器用ですから。
2007年12月08日

たまに自分に対してイラつく事がある。

最近で言えば、ブログが短く書けないことだ。

書き始めると、次から次へと書きたい内容が増えてくる。

自分が思っている事や感じている事を、残らず吐き出したい衝動にかられる。

気付けば、1つ書き終わるまでに小一時間。

こんな長い文章、興味がある人でも読むのが面倒だろうと思っても、なかなか手が止まらない。

一体、何のために書いてるんだと、自分でもよくわからなくなる事がたまにある。

一応、それなりの理由付けは用意している。

「表向きの自分以外の、僕が持ってる別の側面も見てもらいたい」

「将来、本を書きたいから文章力を磨きたい」

「仕事がない日にも、自分でできる仕事を作りたい」

「新しく得た考えや知識を文章におこす事で、より深く自分の物にしたい」

おおまかには、そんなところだ。

これらの意識は、ブログを書き始めた当時から今でも変わっていない。

面倒だと思ったり悩んだりしても、それらの想い1つで頑張ろうと思って取り組んでいる。

ただやはり、興味を持たれなくなるのは怖い。

自分よがりのマスターベーションになるのは、避けたいところ。

全てにおいて、意味がなくなるからだ。

読んでくれる人がいるからこそ成り立つブログな訳で、そこを全く無視する事は絶対にできない。

だから少しでも簡単に、少しでも読みやすくしなければと思ったりするのだ。

ただ、気付けばやはり長くなる。

腹の底から湧き出してくる書くことへの欲求を、なかなか抑える事ができないのだ。

つくづく不器用なヤツだと思う。

このスタイルは今後、多少の変化はあったとしても、多分たいして変わらないだろう。

と言うより、変えられないと思う。

自分が納得し満足する時がくるまで、ひたすら想いを吐き出し続けそうな気がする。

でも、もしそんな納得し満足するような日がきた時には、僕は今よりももっと大きな人間になっているかもしれない。

ブログに吐き出さなくても、自分をしっかり保てるような、立派な人間になっているかもしれない。

そーした期待があるからこそ、こんな面倒なことに一生懸命なのだ。

遠回りかもしれないが、僕にはこうした不器用でまっすぐなやり方しか、見つからないらしい。

なので皆さん。

どーかそれまで、ガマン強く付き合ってください。

今後ともよろしくお願いします。

 
 
 
  一発勝負の面白さ。
2007年12月07日

一発勝負の面白さ。

見ててハラハラドキドキする、あの感覚がたまらなくいい。

特にスポーツ。

年間の勝敗で最終的な優勝を決める、プロ野球やJリーグよりも、一発勝負の高校野球や高校サッカー、もしくは世界大会的なWBCやワールドカップ。

そーいった「負けたら終わり」の緊張感があるものの方が、見てて断然面白い。

出場してる方は、そんな楽しむ余裕なんてないだろう。

年に1度の、しかも出場できる回数が4回だけしかない箱根駅伝も、やはりそれと同じだったからよくわかる。

箱根駅伝も含め、これから年末年始にかけて、そーいった一発勝負を見る機会がいくつかある。

中でも楽しみなのがコレ。

M−1グランプリだ。

お笑い芸人さん達の、1年に1度の一発勝負。

優勝すれば1000万円の賞金と、全国区へ羽ばたくチャンスがもたらされるとゆー、まさに人生を賭けた大勝負だ。

毎年、テレビの前でお笑い芸人さんと同じように、ブルブル緊張している自分がいる。

同じではないけど、現役の頃のあの緊張感になんとなく似ているからだ。

負けたら、また1年後。

だけど1年後に、また出られるという保証はない。

これがラストチャンスだ。

そんな気持ちでいるのだろうと思うと、こちらにまで緊張が伝わってきてしまうのだ。

お笑い芸人さんと言っても、やっている事と言えばスポーツ選手と何も変わらない。

努力だけだ。

1番頑張った人だけが栄冠を掴めるとゆー、シンプルな世界。

その単純だけど最も難しい、お笑いという実力の世界の、年に1度の大勝負。

それがM−1グランプリである。

お笑いってだけで面白いのに、そんな本気のぶつかり合いがあって、裏側には様々な人間ドラマがある訳だ。

そりゃもう、面白くならない訳がない。

今年はどのコンビが優勝するか。

どんなドラマが隠されているのか。

直前の関連番組も含めて、今年もM−1グランプリが見逃せない。

 
 
 
  パイレーツの面白さを考える。
2007年12月06日

1度観た作品のDVDをあまり買わないのに、パイレーツオブカリビアンは何故か2作とも買った僕。

まあ、単純に面白かったからだと思う。

そしてこのたび「パイレーツオブカリビアン〜ワールド・エンド〜」DVDが発売されたので、さっそく買った。

改めて観ても、やはり面白い。

世界的に人気なメジャー作品なので、面白いのはまあ当然。

だけど中には、1は面白かったけど2以降は微妙とか、3が1番で2はダメとか、いろいろな意見を持つ人もいる。

まあ同じパイレーツオブカリビアンでも、1つ1つの内容が違えば展開も 変わってくる。

そこがシリーズものの怖いところだ。

だけど僕の好きは、全部好き。

つまりパイレーツシリーズが好きなのだ。

そこで僕は、なぜ好きなのかを、DVDを観ながら改めて考えてみた。

1つ出てきた答えが、お話がだんだん深くなり過ぎて、よく考えないと訳が分からなくなるところだ。

パイレーツシリーズは、主人公ジャックスパロウと、バルボッサやデイビィジョーンズの間にある過去の因縁を、小出しにしながらシリーズを完結に向けて進めていた。

その内容がまた難しく、何度か観てよく考えないと、簡単には理解出来ないような事がたくさんあった。

僕はどーやら、そーゆー頭を使わされるようなものが好きらしい。

そして決定的だったのが、3で完結したにも関わらず、結局ジャックスパロウやデイビィジョーンズの過去を、1度も見せなかった部分。

完結したのに、気になる所を山ほど残している。

ジャックとデイビィジョーンズとの間に、一体どんな物語があったのか。

デイビィジョーンズがあんな姿になった詳しい原因はなんなのか。

あまりにも本編の説明が簡単すぎて、深い物語があった事をとても期待してしまうのだ。

そー言えば、これとよく似た作品が過去にもあった。

スターウォーズシリーズだ。

あれもいきなりエピソード4から始まり、ダースベイダー誕生の謎なんかを残したまま、当時はシリーズを完結させていた。

そう考えたら、パイレーツシリーズとスターウォーズシリーズはなんとなく、内容も共通する部分が多く感じる。

なるほど…

僕はDVDBOXまで持ってるくらいの、スターウォーズ好き。

だから、話の作り方がなんとなく似ているパイレーツオブカリビアンも、好きなんだろう。

理由がハッキリして、少し満足できた気分。

完結とは言え、一応まだ続きそうな感じで終わったパイレーツシリーズ。

先に進むかもしれないが、もしかしたら続編は1より以前の、ジャックスパロウの過去のお話になるかもしれない。

スターウォーズシリーズが、エピソード4以前のお話を後から描いたように、パイレーツシリーズにもそのやり方は、当てはまりそうに思える。

想像は膨らむばかりだ。

 
 
 
  おすすめシャンプー。
2007年12月05日

@+(アプリュス)ヘアグランスシャンプーとトリートメント。


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  無駄に感じる出費。
2007年12月05日

毎月の収入から、1番無駄だと感じてしまう出費がある。

携帯料金だ。

携帯電話は、今やなくてはならない存在。

それに料金を払うのは当然であり、仕方のない事だと思う。

なのにスゴく無駄だと思ってしまう。

理由は多分、毎月必ず発生する出費としては高すぎるからだ。

電気やガスや水道といった光熱費は、それぞれが2000〜4000円程度。

一般電話やインターネットのプロバイダー料金も、だいたい5000円くらいのものだ。

それに対し、携帯電話の15000〜20000円の料金は、毎月払わなければいけない出費の中では、群を抜いて高い。

携帯電話は、もはや電気やガスや水道と同じくらい、生活には必要不可欠なもの。

需要はもう、ほぼ全国民に行き届いてる訳だから、昔ほど携帯電話を特別なモノとする扱いはなくていいはず。

だとすれば、そろそろ携帯料金も光熱費と同じくらい、安くなってもいいと思うのだ。

各社、お得な料金プランで価格競争を繰り広げ、契約者数を伸ばそうと必死。

ソフトバンクのホワイトプランなんかは、ある意味、赤字覚悟の策なのかもしれないが、消費者側としては嬉しいサービス。

とにかく、そーした価格競争の中からでも良いので、少しずつ全体の価格自体が下がってくれれば、ものすごく有り難いなと思う。

あまりにも当たり前の存在となってしまったからこそ、高い出費が無駄だと感じてしまうのは、もしかして僕だけでしょーか。

 
 
 
  値上げについて。
2007年12月04日

ガソリン価格の値上がりが、とうとう過去最高に達した。

車に乗らなくなった僕としては、まあ今のところ関係のないこと。

そんな風に他人事を決め込んでいたが、意外にもそうではなかった。

ガソリン価格の値上がりに伴い、タクシー料金が値上がりしてしまったのだ。

初乗りが660円から710円。

メーターも80円ずつ上がっていたものが、90円ずつとなってしまった。

深夜まで飲んでタクシーに乗る際、頻繁に遊ぶ場所から1000円ちょいで帰れる事を理由に、今の場所に住み始めた僕の計算が、あっと言う間に狂わされた。

ところが深夜割増が、3割増から2割増に下がってるみたい。

計算すると、結果的にはあまり変わらない料金になった。

どーやら深夜タクシーに乗る人にとっては、あまり被害のない料金値上げとなるらしい。

まあ「それでもなー」と思いたくなるのが、庶民の意見。

確かに深夜の方が利用率は高いとしても、昼間に乗る事もなくはない。

昼間に乗るタクシーはある意味、移動にちょっとした優越感を味わう、庶民の贅沢ツール。

そんな小さな贅沢で得られる些細な幸せが、微妙な値上がりにより、ほんの少し遠くにいってしまったように思える。

まあタクシー運転手さんいわく、それでも結局乗る人は乗るし、乗らない人は乗らないから、あまり変化はないらしいが。

僕に関して言えば、とりあえず深夜タクシーは今まで通り使うだろう。

昼間のタクシーは使っても、ワンメーター上がった時点で降りるかな。

800円ってきりのいい数字で降りると、なんとなくスッキリできそうだから。

 
 
 
  本物になるために。
2007年12月03日

僕はよく、過去の自分と今の自分を比較する。

過去の自分とは、陸上選手時代の僕。

今の自分は、もちろん俳優の僕だ。

過去の失敗を糧に、今の自分を見つめ直す。

この作業で、今の僕は何度か救われた事がある。

例として、陸上選手の頃に失敗した大きなミスを今に活かした経験を、1つあげる。

それは周りの選手と自分を比較してしまい、自分自身がまったく見えなくなってしまった事だ。

他の選手が結果を出すと、焦ったり不安を感じたりした僕は、自分の体の限界を無視して、無理な練習ばかりに励んだ。

周りに気持ちを奪われてしまい、自分を見失った状態で、自分を高められるほどスポーツの世界は簡単ではない。

気持ちが疲れ、やがて体も限界を訴えて、遂には大きなケガをしてしまう。

これの繰り返しだった。

他人との比較。

コイツが本当に意味のない事だと気付いた時には、僕はもう陸上の世界から足を洗っていた。

長距離選手は他人との戦いであると同時に、自分との戦い。

それはつまり、走っている時の自分の苦しさに立ち向かう意味の、戦うだけではない。

不安な時や焦っている時の自分と、いかに戦って勝利できるか。

そんな意味の、自分との戦いだと思っている。

不安や焦りは、自分に無限の欲求を与え続けるのと同時に、無限に自身を持てなくさせる。

「あいつより、もっともっと練習しないと、今の俺はまだまだ弱い」

速さや勝ちだけを追い求める結果の、半永久的に続く蟻地獄のようなものだ。

自分を知ること。

それが自分との戦いに勝利し、半永久的に続く蟻地獄から抜け出せる、本物の強さを持った選手なのだ。

残念ながら僕は、その半永久的に続く蟻地獄から抜け出すことが出来なかった。

それは要するに、本物の強さを持った選手にはなれなかったという事だ。

まあ、なっていたら今頃、俳優なんてやってる訳ないのだが…

皮肉な感じではあるが、でも今こうして俳優をやらせて頂いている以上、あの時の失敗を2度と繰り返してなるものかと、僕は心に強く誓っている。

それは、あの時に成し得なかった、本物の強さを得るために…

本物の俳優になるためにだ。

だから僕は、常に自分を振り返り、自分のことを知ろうとする作業だけは、何年たっても欠かさないでいる。

これだけは、死ぬまで取り組もうと思うのだ。

 
 
 
  本好きになる。
2007年12月02日

本を読み始めた。

とりあえず、読むクセをつけるところから始めたいと思い、すぐに読み終えそうな面白い内容のものから手始めに。

僕はどうやら、昔からミステリー小説が好きらしい。

過去に読んだ本の中で、好きな作家さんがいた事を思い出す。

貴志祐介さん。

映画にもなった「黒い家」や「青の炎」の作家さんだ。

貴志祐介さんの作品は、とりあえず全て読んでいたが、それももう7年くらい前の話。

本離れしてから4年がたつので、貴志さんの新作がいくつか出ているだろうと思い、とりあえず本屋へ行ってみた。

予想通りと言うべきか、とりあえず1冊はあった。

「硝子のハンマー」という作品。

前回の青の炎を読んでから、7年たつが新作は1つだけ。

文庫化されていたので、何年か前に出た作品だとは思う。

それにしても、ずいぶんとゆっくりなペース。

それだけ内容に期待を持てるのだろうと予想し、とりあえずすぐに買って読んでみた。

やはり貴志祐介さんの作品。

本離れしていた僕を、一気にのめり込ませる力がある。

わりと厚めの本だったが、2日で読破する事ができた。

そして読み終えた時に僕は、本屋に次に読む本を探しに行くのが楽しみだと思った。

とりあえずその時点で、本離れから脱却する為の作戦は成功。

本好きへの第1歩を踏み出すことができた。

はじめから好きになれるものって、そうなかなか見つからない。

やはり、好きになろうとする努力が大切だ。

本を読むって作業は僕にとって、あの頃、毎日毎日コツコツとジョギングしてたのと一緒。

大きな目的の為に励む、日々の努力みたいなものだ。

なかなか好きになったとは言えないが、毎日コツコツと取り組む事で、1〜2年先には好きだと言える自分になりたいもんである。

 
 
 
  今しかないぞ、俺。
2007年12月01日

12月になった。

今年も残り1ヶ月。

1ヶ月なんて時間はあっという間に過ぎていく訳で、来年を迎えたら29歳はもう間近。

自分でも実感がわかないけど、もうそんな歳になる。

世間的には立派な大人。

でも、立派な大人と胸を張れるほど経験を積んでいるかと言えば、それは微妙。

世の中、なんだかんだで年上を敬う流れがあるものの、歳だけとって中身の伴っていない大人ほどダサい存在はない。

ぶっちゃけこの28年間を振り返ると、僕は自分が胸を張って大人と言える自信がない。

それは有り余る時間を、自分の為に活かしきれていないと思ったから。

まだまだ、やらなければいけない事がたくさんある。

経験しなければいけない事が、山ほどある。

人と同じように、当たり前に時間を過ごしていてはいけないと思う。

いつまでも時間があると思っていたら、あっと言う間に60〜70歳のおじいちゃん。

子供のまま、シワの数だけが増えてしまう。

今年も残り1ヶ月。

まだまだ、やり残した事はたくさんあるはず。

28歳で出来る事は今しかできない。

今年出来る事も、同じく今年しかできない。

とにかく貪欲に、活発的に、今とゆー時間を必死になって過ごさなければならない。

今はまだ、ボーっと過ごす暇などない。

クソガキはとにかく夢中になって体動かして、走り続けるのみだ。