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あつまれ! 若者 よそ者 はたらき者
minaoshi2006の日記 [全11件]
958 :朝まで名無しさん:2009/11/01(日) 01:40:38 ID:06t6A9Zv 中村さんのお嬢さんの クリちゃんを舐めたいのは きっとボクだけでしょうね。 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news2/1256304688/901-1000 読売新聞の連絡先 社会部(直通.03−3217−8074) 門間順平記者まで (論談に投稿します) Last updated 2009.11.01 19:58:49
鳩は平和のシンボルです。シンボルとは、誰が見ても同じものをイメージする「記号」です。 記号とは、人を惑わすものです。なんとなく・・・よさそうと思わせる悪魔の誘惑(宅急便)なのです。 その悪魔の宅急便に「NO!」と言えるあなたこそが、悪魔に支配されている人々との戦いの、真の勝者であると私は信じています。 Last updated 2009.11.01 18:54:59
すかいらーく:さよなら「すかいらーく」 業態転換、最後の店29日閉店 すかいらーくは1970年、東京都府中市に1号店をオープン。ファミリーレストランの草分け的存在で、ピークの93年には全国720店まで拡大した。 http://mainichi.jp/select/biz/news/20091027ddm008020083000c.html 残念です。私は大学時代に長期間、すかいらーくでアルバイトをしました。夜10時から深夜2時までの時間帯を中心に、フロアー業務、キッチン業務を担当しました。 勤務した入間店は確か12店目のお店でした。ですから、当時はすかいらーくの創業社長の茅野さんたちが、時々お店にこられていました。後に社長に昇格した伊東さんは、当時はエリアスーパーバイザーであり、複数のお店を飛び回り、サービスの指導や店長代行などの仕事をされていました。 当時のすかいらーくのマニュアルに則したサービスのレベルはかなり高いものでした。教育レベルやスタッフの志気も高く、ファミリーレストランではありましたが、お客様に高い満足を与えられていたと思います。 しかしながら、現在のすかいらーくグループのサービスレベルは低下してしまいました。ガストで働いた知人に聞いた話ですが、ほとんど教育はなく、見よう見まねで仕事をしていたということでした。 翻って、当時からのライバルであるデニーズは、サービスレベルは年々向上しています。店内の雰囲気も落ち着いており、サービスを超え、ホスピタリティのレベルに達していると感じます。 私は、すかいらーくのアルバイトで貯めた資金でアメリカに渡りました。すかいらーくには思い入れがあります。 今からでも遅くはありません。すかいらーくのご健闘をお祈りします。 Last updated 2009.10.30 10:17:13
ドラフト1位で西武、阪神、ヤクルト、楽天、中日、日本ハムの6球団が指名した花巻東・菊池雄星投手(18)は、西武が交渉権を獲得した。抽選くじを引き当てた渡辺久信監督(44)が、ステージで右手を高々と挙げて喜んだ。 http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2009/news/f-bb-tp1-20091029-560652.html 何かが「来る」感じを持っていました。江川事件以後に西武ファンになり、何回も日本一の場に居合わせることができた私には、なんともうれしい。万感の思いです。 今や、二人の娘は熱狂的な西武ファン、来年のキャンプの「チケット」も既に取ったそうです。 父親として本当にうれしく思います。 工藤投手もデーブ大久保も戻ってきてくれそうです。来年こそは時間をつくり、西武球場に足を運びたい、そう思います。 Last updated 2009.10.29 17:48:04
本日、第10回目の地蔵祭りに関するチラシが入りました。あれから10年・・・感慨深いです。 あの小地蔵がコミュニティバス運行につながり、西口再開発にもつながっていく。この長いストーリーを知る人間は何人もいないのです。 結果的に、このすべてが特定の人々への利益誘導を可能にしてしまったことを悔みます。 地蔵祭りと東村山コミュニティーバスの関係 はたして東村山市民のどのくらいの方が表題のこの関係に気付かれているのでしょうか。 この関係を解くキーワードはズバリ「障害者施設と青年会議所」です。 市内にあるこの障害者施設はどのように考えているか分かりませんが、私自身は「やられた」と思っています。つまり、先日愛知万博におけるスタジオジブリ側の受け取り方について書きましたが、私も同様に誰かの「ビジネスに利用された」と考えています。 (話は長くなりますので、今日は途中までになります。) 2000年の11月5日の朝日新聞朝刊の多摩版に東村山の地蔵市(後に地蔵祭りに)を大きく紹介する記事が掲載されています。 <小さな地蔵様 願いかなえて> 東村山の正福寺・千体地蔵堂 途絶えた風習復活へ 「まちをPR」と青年会議所 「小さな地蔵を持ち帰り、願いがかなったらもう一体を添えてお寺に返す」正福寺では江戸時代にこんな風習が盛んだった。その風習を復活させ、まちのPRにつなげようと、東村山青年会議所が12日、「地蔵市」を開く。販売を予定している木製の小地蔵の製作は、市内の知的障害者施設に依頼し、いま急ピッチで進められている」 東京都唯一の国宝を東村山のPRに利用しようとするこの企画ですが、お寺側が許可した理由は「障害者施設が製作するので、社会事業にも役立つ」というもとです。 当たり前ですが、民間木工所の製作によるものであれば、お寺側は間違いなくOKしなかったことでしょう。 お寺側の判断は間違ってはいなかったと思います。間違っていたことは、関係者が製作を依頼した障害者施設の小地蔵を製作する能力について調査しなかったことなのです。 たしかに、この施設では国立科学博物館や東京都庁のお土産用木工品を作っていました。 しかし、です。この施設が所有する木工用電動工具は、「糸ノコ」数台と「ベルトサンダー」一台、あとはノコギリなどの「手工具」だけなのです。 製作するのはおもちゃのような木工品ではありません。3ヶ月余りで300体の小地蔵を製作することは決して容易なことではないのです。木工を少しでも知っている人であれば誰でもそう思うことでしょう。 それではなぜ、この施設が青年会議所からの製作依頼に対して「やります(製作できます)」と答えたのでしょうか。 その理由は、私(筆者)の所有する電動工具をこの施設に無償で貸与していたために、製作は可能とこの施設は判断したからです。 この施設では、大型のバンドソー(帯ノコ)やフライスセンター(ルーター)や三角サンダーなど相当数の高性能電動工具を実際に使用していました。 (木工家でもある私は、当時この施設に装飾用白木素材の製作を依頼していました。その関係から機械をお貸ししていたのですが、詳細は表題の論点とは無関係のため省略します) 当然ですが、施設の担当者からは「お地蔵づくりに電動工具を使用していいですか」という申し出がありました。 省察すれば、その申し出に対しては「NO!」と回答したほうが良かったと思っています。 正福寺の住職と同様の理由で青年会議所の仕事に対し、私の機械を使用することを許可しましたが、それが大きな間違いのスタートでした。 私が機械の使用を許可していなければその年の地蔵市は行えなかったことは間違いありません。今から思うとその時に「何か違うものにスイッチを入れてしまった」と反省しています。 さて、紹介した朝日新聞の記事のなかにこんなくだりがあります。 「小地蔵は約15センチですべて手作り。機械で大まかな形をつくり、目や服の模様は彫刻刀で刻む。磨いたあと、ワックスをかけて仕上げる。9月に発注を受けた同施設では、さっそく地蔵堂にお参りに行き、製作にとりかかった」 私もお参りに行きました。祈念したことは「製作者が機械でケガをしないで欲しい」それだけでした。 そして、この記事を読み気になったことは、「すべて手作り」という表現です。通常の木工品であれば、組み立て以外は機械を使用します。購入者もそれでいいと思ってくれます。 それでは「小さなお地蔵さま」の場合はどうでしょうか。 ほとんどを木工用のコピーマシーンで製作し、細部だけを彫刻刀で刻む、ノミは使わない・・・としたら、はたして祈願する人は「すべて手作り」と思ってくれるのか。そんなことも考えてしまいました。(実際はコピーマシーンを使用していませんが、電動工具を駆使しているのは事実です) 話が専門的になりすぎましたが、言いたいことは「私が手伝った」という事実です。カーヴィング(木彫り)用工具や使用するワックスについてもいろいろと教えました。お地蔵様を実際に作った人を知らないため、使用するワックスの選定いついてはかなり苦労したことを覚えています。 残念なことは「私が手伝った」ことに対し東村山の青年会議所はまったく「無関心」の状態でした。というより、アスクルと同様、発注さえすれば出来上がり指定日には納品されるのは当たり前と考えているようでした。 作業を見に来るわけではなく、支援する気もない。300体の小地蔵をつくる作業を「ボタン一つ押せばご飯が炊き上がる」位にしか考えていなかったのでしょう。 私はこの地蔵祭りの企画では1円たりとも儲けていません。反対に私がこの施設に依頼した作業は遅れがちになり、結果的に不利益を被ったと言っても過言ではありませんが、元々機械の使用を許可したのは私ですからそれも受け入れざるを得ません。「想定できたのでは?」といわれれば、「そのとおりだ」と答えざるを得ないからです。 ここで、話を変えます。実際に小地蔵を製作する人たちことについて説明します。 この障害者施設の木工部門は職員2人、利用者(障害者)2〜3人位の小所帯です。 本当に素晴らしかったのは木工を担当する2人の職員の熱意です。厳しく、そして温かく利用者を指導する姿は実に立派なものでした。 木工品製作に際しても「言われたことをやっている」のではなく「仕事を創出している」のです。自らアイディアを出し、創意工夫して売れる製品に仕上げていく、本当に見ていて頭が下がる仕事ぶりでした。 民間以外のセクターにこのような職員が存在していることは本当に稀なことではないでしょうか。私はそう思いました。 もうお分かりいただけたことと思います。私はこの職員たちの「困難にチャレンジしていく姿」を見ているからこそ地蔵製作も手伝っていたのです。 繰り返しますが、3ヶ月余りで300体の小地蔵という商品を完成させることは大変なことです。 なぜならば職員も利用者も木工だけをやっているのではないからです。当時は古紙の回収や公園清掃(シルバー人材センターに移行してしまったそうですが)も行っていました。秋の産業祭りや各種バザー、レクリエーションなどもあります。平均すると作業ができる日は週に4日以下でしょう。 予想通り一年目の製作作業は困難を極めましたが、2人の職員の努力により納品日の前々日位には予定数を完成することができました。(もちろん、私は製作作業そのものには関わっておりません。) そして地蔵市のその日を迎えます。 販売品としての小地蔵の評判も良く、地蔵市の当日だけで完売したそうです。皆で胸をなでおろしました。 今日はここまでにしますが、東村山の青年会議所というのは「つくり手」の気持ちがまったく理解できないようです。 障害者施設が「つくり手」であったからこそ地蔵市は開催できたのです。その障害者施設の「つくり手」が本当に一生懸命つくったからこそ、市民は小さな地蔵に願いをこめられるのです。 「青年会議所は菓子折りくらい持ってきたの?」 その答えはそのうちに。(年明けまで連絡もなかったそうです。) この施設が建設が決まったときには、周辺の住民が「土地の値段が下がる」という理由で反対運動を引き起こしたそうです。東村山とはそういうところです。 Last updated 2009.10.29 10:31:16
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 社会的企業(しゃかいてききぎょう、Social Enterprise, Social Entrepreneurship)とは、社会的課題の解決を目的として収益事業に取り組む事業体のことである。こうした事業を創始することを社会的起業と呼び、こうした事業を創始した人間のことを社会企業家・社会起業家と呼ぶ。 ボランティアや慈善事業との違い 社会的課題の解決を目的とする事業体という点では、社会的企業はボランティア活動やチャリティ活動と相似であるが、以下のように大きく異なる部分も存在している。例えば従来のボランティア活動やチャリティ活動は無償奉仕や喜捨を基本としているが、社会的企業は有料のサービス提供活動による社会的課題の解決を目指す。社会的企業が提供するサービスや製品は市場において充分な競争力を求められる為、成功した社会的企業においては、商品開発や商品・サービスの品質のレベルは高い。また企業からの人材の調達も活発である。 従来のボランティア事業の中には、公的な補助金・助成金に大きく依存していた為、資金の出所である国や自治体、各種財団などの事業内容への介入が事業展開に様々な制約を与えていた場合も少なくないが、社会的企業は主な資金源が自らの事業である為、より柔軟でスピーディーな事業展開が可能である。 従来の企業との違い 社会的企業の中には株式会社形態を取るものも少なくないが、一般的な株式会社と社会的企業の範疇に含まれる株式会社の違いとして、常に利潤最大化行動を採るかどうかという点がある。社会的企業は社会的課題の解決をミッションとして持っている為、単なる営利企業とは異なり、自社の利潤の最大化ではなくミッションの達成を最優先する。こうした点は社会的企業の弱点ともなりうるが、逆にその社会的企業の掲げるミッションがステークホルダーの共感・賛同を得た場合には、ステークホルダーからの支援が得られる為、こうした弱点は補われる。 福祉政策との違い 社会的企業が追究するミッションは、政府や自治体が行う福祉政策とも重なり合う部分が大きい。しかし福祉政策は住民全体に対する公平性を確保する為、サービスの内容は最大公約数的なものとなり、細かいニーズへの対応がしづらいという弱点を持っている。また実施される福祉政策そのものも、多くの有権者が望むものが優先されがちである。社会的企業は逆に、従来の福祉からも従来の営利企業のサービス対象からもこぼれおちた分野に特化した事業展開を行うことで、事業を成立させることが多い http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E4%BC%81%E6%A5%AD Last updated 2008.09.23 22:01:57
-------------------------------------------- 「欠乏マインドとは人生を一個のパイと見て、他の人が大きな一切れを取ると、自分の取り分が減ると考える。それは、人生をゼロ・サム・ゲーム(一方のプラスが他方のマイナスになり、両方の得点の総和が必ずゼロになるゲーム)と見るパラダイムである。このパラダイムを持っている人は、すなわち人に与えることは自分の取り分が減ると考えてしまう」 ホスピタリティの概念は、欠乏マインドとは反対のマインドです。 7つの習慣では「豊かさマインド」と称されています。 「豊かさマインドとは、『この世界には、私の夢をかなえるのに十分なだけの天然資源、ヒューマン・リソースがある』、そして、『誰かの成功によって私の分が減ることはない。同様に私の成功が必ずしも他人の失敗を意味するわけではない』という骨身に滲みこんだ信念である」 -------------------------------------------- 報道されているように、このままでは世界中で食糧やエネルギーの争奪戦が始まる恐れがあります。人類史上最大の危機が迫っている、少々オーバーですが私はそのようにこの問題を捉えています。 さて、日本はこれまで、お金で他国から食糧やエネルギーを調達するという政策を続けてきました。お金を払いさえすれば食料やエネルギーの絶対量は確保できるという考え方です。しかしながら、この基本政策が行き詰ることも想定されるようになり、私たち日本社会に暮らす人々を不安に落とし入れています。 この先、不安を解消するにはどうしたら良いのでしょうか。私は一つの解答を持っています。この問題の真因をつかんだ上での自信のある解答です。 その解答とは「パラダイム(ものの見方、考え方)を転換する」というものです。つまり日本人の「意識改革」が日本社会に暮らす人々の不安を払拭するということです。 「改革」とは、過去を否定し、全く新しいものをつくりあげるということです。具体的に言えば、パイを取り合うという「欠乏マインド」的パラダイムから、パイを大きくしていこうとする「豊かさマインド」的パラダイムに「意識改革」するということです。 このパラダイム転換は難しいことではありません。日本社会は近年の「構造改革」の疲れから、競争型社会より共生型社会を目指そうという機運が高まっています。まさに今が意識改革のチャンスなのです。 日本社会全体が競争主義的パラダイムから「豊かさマインド」的パラダイムになれば、おのずとこの国の基本政策も変わってきます。 他国のパイの一部を買ってくるという政策から、自国のパイを大きくするという視点での政策に転換していくに違いありません。なぜならば、日本の食糧やエネルギーの自給率を向上させることは誰もが望んでいることだからです。 そして、「豊かさマインド」へのパラダイム転換後に行なうことはたった一つです。それは、食糧や飼料、そして新エネルギーという分野のパイを大きくする、つまり自給率を高めることに全国民のベクトルを合わせるということです。 日本人には、一度大きな方針が示されれば、その方向に向け一直線に進んでいくという徳性があります。この特性を生かすことができれば、この狭い国土から最大限の食糧や新エネルギーを生み出していくは十分に可能です。 私は、食糧や飼料など生き物のエネルギーとなる農産物と森林や耕作放棄地が生み出す新エネルギーを合わせて「農林エネルギー」と呼んでいます。日本人が本気になれば、日本は世界有数の「農林エネルギー」産出国になることも不可能ではない、私はそう確信しています。 私はこの国に対して、いくつかの提言を示しています。本日の記事内容も含めこの国の指導者に届くことを願ってやみません。 Last updated 2008.06.06 00:26:49 |一覧| |